憧れは近くて遠い   作:色彩悪夢

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『初めての刃』

カラン。

 

俺は掌に載せた硬貨を見下ろした。

 

百眼が二枚。

 

合わせて二百眼。

 

「…………」

 

……高え。

 

新しい倉庫に引っ越してから、数日が経った。

 

以前の倉庫と違って雨漏りはしないし、寝ている間に天井が崩れてくることもない。

 

少なくとも、今のところは。

 

仕事も何とか見つかっていた。

 

ただ、以前より少し面倒になったことがある。

 

南の市場の一部へ近づけなくなったのだ。

 

イーノを尾行した時、黒い上着の男に顔を見られてしまった。

 

あいつが今も俺を探しているのかは分からない。

 

けど、もう一度見つかったら、今度も逃げ切れるとは限らない。

 

だから、あの辺りの仕事は避けるようにしていた。

 

……おかげで、仕事探しが面倒になっちまった。

 

俺は硬貨を握りしめた。

 

以前、古道具屋で見つけた短剣。

 

刃は少し欠けていて、柄も擦り切れている。

 

お世辞にも立派な武器とは言えなかった。

 

けど、今まで使っていた木の棒とは違う。

 

本物の刃がついている。

 

……買うべきなのかな。

 

俺はもう一度硬貨を見た。

 

これだけあれば、しばらく飯を食える。

 

仕事が見つからなかった時のためにも、貯金は残しておきたい。

 

それに、せっかく隠しておいた金だ。

 

必要もないのに使うのは嫌だった。

 

……やっぱり、やめとくか?

 

俺は硬貨を布で包み直そうとした。

 

その時、黒い上着の男の顔が浮かんだ。

 

伸ばされた手。

 

追いかけてくる足音。

 

濡れた石畳で転んだ時の痛み。

 

「…………」

 

もし、あの時。

 

逃げ道を見つけられなかったら。

 

俺はどうなっていたんだろう。

 

捕まっていたのは間違いない。

 

その後、何をされたかなんて考えたくもなかった。

 

……短剣があったら、違ったのかな。

 

いや。

 

たぶん、あの男には勝てない。

 

相手は大人だ。

 

俺より背も高いし、力も強い。

 

短剣一本で勝てるとは思えなかった。

 

けど、何も持っていないよりはましかもしれない。

 

相手が近づくのを躊躇するかもしれないし、その隙に逃げられるかもしれない。

 

……逆に、怒らせるかもしれねえけど。

 

「……はぁ」

 

俺はため息をついた。

 

金は使いたくない。

 

けど、死にたくもない。

 

できれば両方どうにかしたい。

 

……そんな都合のいい話、ねえよな。

 

俺は布に包んだ硬貨を懐へしまった。

 

「……行くか」

 

もう何日も悩んだ。

 

これ以上考えても、答えは変わらない気がした。

 

それに、店に行ってみて短剣が売れていたら、その時は諦めればいい。

 

……いや。

 

売れてたら、ちょっと残念かもな。

 

俺は苦笑いした。

 

***

 

古道具屋は、以前と変わらない場所にあった。

 

狭い店先には、使い古された武器や工具が雑に並べられている。

 

刃の欠けた剣。

 

錆びた斧。

 

古い銃の部品。

 

何に使うのか分からない金属の塊。

 

その中に、目当ての短剣があった。

 

「……あった」

 

俺は小さく呟いた。

 

以前と同じ場所に置かれている。

 

どうやら、まだ誰にも買われていなかったらしい。

 

「おい、ガキ」

 

店主が声をかけてきた。

 

無精髭の生えた中年の男だ。

 

「またお前か」

 

「……覚えてたのか?」

 

「短剣を高い高いって騒いでたガキだろ」

 

「……騒いでねえよ」

 

「で、今日は何だ?」

 

俺は短剣を指差した。

 

「……これ、まだ二百眼?」

 

「ああ」

 

「……少しくらい安くなってねえの?」

 

「なってねえよ」

 

……ちぇっ。

 

「……百五十じゃ駄目?」

 

「駄目だ」

 

「……百八十」

 

「しつこいぞ」

 

「…………」

 

……くそ。

 

全然譲る気ねえな、このおっさん。

 

俺は短剣を見つめた。

 

柄は黒ずんでいて、握る部分の一部が擦り切れている。

 

刃にも小さな欠けがある。

 

鞘だって古びていた。

 

「……これ、ちゃんと使えるんだよな?」

 

「飾りじゃねえよ」

 

「刃、欠けてるけど」

 

「だから中古なんだろうが」

 

「……折れたりしねえ?」

 

「変な使い方すりゃ何だって壊れる」

 

……そりゃそうだけどさ。

 

俺は少し迷ってから尋ねた。

 

「……持ってみていい?」

 

「刃は抜くなよ」

 

「分かってるって」

 

店主は短剣を取り上げ、鞘に収めたまま俺へ差し出した。

 

俺は両手で受け取った。

 

「……おお」

 

思っていたより重かった。

 

木の棒とは違う。

 

短いのに、ずっしりとした感触がある。

 

俺は柄を握ってみた。

 

少し太い。

 

でも、持てないほどじゃない。

 

「どうだ?」

 

店主が聞いてきた。

 

「……悪くねえ」

 

「なら買え」

 

「…………」

 

俺は短剣を見つめた。

 

これがあったところで、すぐに強くなれるわけじゃない。

 

まともな使い方だって知らない。

 

それでも。

 

何もできずに捕まるのは、もう嫌だった。

 

「……分かった」

 

俺は懐から硬貨を取り出した。

 

「……買う」

 

店主は代金を受け取り、硬貨を確かめた。

 

「毎度あり」

 

俺の手元には、古びた短剣が残った。

 

「…………」

 

……買っちまった。

 

本当に。

 

俺は短剣を見下ろした。

 

さっきまで店の商品だったものが、今は俺の持ち物になっている。

 

「……へへっ」

 

何となく笑みがこぼれた。

 

初めて自分の金で買った武器だ。

 

誰かから借りたものでも、拾った棒切れでもない。

 

俺だけの短剣。

 

「おい、ガキ」

 

「……何?」

 

「抜くなら人のいねえところにしろよ」

 

「……分かってるって」

 

「あと、店の前で振り回すな」

 

「振り回さねえよ!」

 

……俺を何だと思ってんだ。

 

店主は鼻を鳴らして、店の奥へ戻っていった。

 

俺も短剣を懐へしまい、店を離れた。

 

歩くたび、上着の内側で鞘が身体に触れる。

 

まだ少し慣れない。

 

でも、悪い気はしなかった。

 

……俺も、武器を持てるようになったんだな。

 

そう思うと、自然と足取りが軽くなった。

 

***

 

翌日。

 

俺はいつものように仕事を探していた。

 

ただし、今日は懐に短剣が入っている。

 

鞘に収め、上着の内側へしまっていた。

 

歩くと、時々その重さが気になる。

 

……落とさねえよな、これ。

 

俺は懐を確かめた。

 

短剣は、ちゃんとそこにあった。

 

……よし。

 

何となく安心する。

 

今までは、危ない相手に出くわしたら逃げるしかなかった。

 

今も逃げるつもりではあるが、少なくとも何かあった時に抵抗できるかもしれない。

 

……まあ、使えるかどうかは別だけどな。

 

俺は市場から離れた商店通りへ向かった。

 

今日は、ここで荷運びの仕事を探すつもりだった。

 

南の市場に比べると仕事は少ない。

 

けど、黒い上着の男に見つかるよりはましだ。

 

「おっさん、仕事ねえ?」

 

以前一度だけ荷物を運んだことのある店へ声をかけた。

 

店主は俺を見ると、奥を指差した。

 

「ちょうどいい。そこの箱を裏の倉庫まで運んでくれ」

 

「……いくら?」

 

「五十眼だ」

 

「……もう少し」

 

「四十にするぞ」

 

「……五十でいい」

 

……くそ。

 

相変わらず、値切るのは難しいな。

 

俺は木箱を抱えた。

 

「……よいしょ」

 

思っていたより重い。

 

両腕で抱え、少しずつ歩く。

 

その時だった。

 

コツン。

 

「……ん?」

 

懐の辺りで、何かが箱に当たった。

 

……あ。

 

短剣だ。

 

鞘の端が木箱にぶつかったらしい。

 

俺は少し持ち方を変えた。

 

けど、今度は短剣の柄が脇腹に押しつけられた。

 

「……っ」

 

痛い。

 

刃が当たったわけじゃない。

 

でも、硬いものが身体に食い込む感覚があった。

 

……邪魔だな、これ。

 

俺は顔をしかめた。

 

何とか裏の倉庫まで運び、箱を床へ下ろした。

 

「……ふう」

 

その時、店主が声をかけてきた。

 

「おい、ガキ」

 

「……何?」

 

「お前、何か持ってるな?」

 

「……え?」

 

店主の視線は俺の懐へ向いていた。

 

上着が少し膨らんでいる。

 

「……刃物か?」

 

「…………」

 

……ばれた。

 

「……護身用だけど」

 

俺は答えた。

 

店主の眉が寄った。

 

「お前、そんなもん持って何してる?」

 

「……だから、護身用だって」

 

「うちの店で妙なことするなよ」

 

「しねえよ!」

 

「ならいいが、問題を起こしたら二度と仕事はやらねえからな」

 

「……分かったって」

 

店主はまだ不満そうだったが、それ以上は何も言わなかった。

 

俺は報酬を受け取り、店を出た。

 

「……はぁ」

 

……何だよ。

 

別に、誰かを刺そうってわけじゃねえのに。

 

俺は懐の短剣を確かめた。

 

持っているだけで少し邪魔だ。

 

荷物を運ぶ時は特に。

 

それに、見つかれば相手に警戒される。

 

……武器を持つのも、面倒なんだな。

 

そんなことを考えながら歩いていると、通りの向こうから大柄な男がやってきた。

 

肩幅が広い。

 

片腕は金属製の義体。

 

腰には大きな刃物を下げている。

 

男は何気なく、こちらへ視線を向けた。

 

「…………」

 

俺は反射的に道の端へ寄った。

 

男は俺に興味を示すこともなく、そのまま通り過ぎていった。

 

……ふう。

 

俺は小さく息を吐いた。

 

そして、懐の短剣へ触れた。

 

……これ持ってても、あんな奴には勝てねえよな。

 

短剣を抜く前に殴られるかもしれない。

 

腕を掴まれたら、それで終わりだ。

 

まして、あの義体で殴られたら。

 

……考えたくもねえ。

 

俺は歩き始めた。

 

少しだけ、がっかりした。

 

武器を買えば、もう少し安心できると思っていた。

 

でも、実際にはそうでもないらしい。

 

……まあ、当たり前か。

 

昨日まで弱かった俺が、短剣一本で強くなるわけじゃない。

 

それでも、買ったことを後悔はしていなかった。

 

今は使えなくても、少しずつ練習すればいい。

 

……そのくらいは、できるだろ。

 

***

 

その日の夕方。

 

俺は新しい倉庫へ戻った。

 

入口の様子を確かめる。

 

誰かが入った形跡はない。

 

……よし。

 

奥へ進み、持っていた荷物を下ろした。

 

寝床用の布。

 

水の容器。

 

拾ってきた小さな道具。

 

練習用の木の棒。

 

相変わらず、持ち物は少ない。

 

けど、今日から一つ増えた。

 

「……へへっ」

 

俺は懐から短剣を取り出した。

 

鞘に収まった小さな武器。

 

古道具屋では、あまりゆっくり見られなかった。

 

仕事中も、当然抜けなかった。

 

だから、今日は少し確かめてみることにした。

 

……まずは、これだな。

 

俺は短剣を鞘から抜いた。

 

シャッ。

 

「……おお」

 

鈍い光を帯びた刃が現れた。

 

綺麗な武器ではなかった。

 

細かな傷があり、刃先も少し欠けている。

 

それでも、木の棒とは違う。

 

ちゃんと金属の刃がついていた。

 

俺はしばらく眺めた。

 

「……何か、いいな」

 

思わず呟いた。

 

別に、立派な武器じゃない。

 

けど、初めて自分で買ったものだ。

 

……結構、かっこよくねえか?

 

俺は少し笑った。

 

それから立ち上がる。

 

周りを見回した。

 

近くに人はいない。

 

木箱からも離れた。

 

……これなら、大丈夫だろ。

 

俺は短剣を握り直した。

 

……さて。

 

どうやって使うんだ、これ。

 

「…………」

 

買ったはいいが、まともな使い方なんて知らない。

 

木の棒なら、これまで何度も振ってきた。

 

でも、短剣は初めてだった。

 

……まあ。

 

とりあえず、やってみるか。

 

「……ふっ!」

 

短剣を振った。

 

空を切る。

 

「…………」

 

……あれ?

 

もう一度。

 

「……ふっ!」

 

何か違う。

 

木の棒より短い。

 

振った時の感覚も、思っていたものとは違った。

 

俺は刃を見つめた。

 

……こんな短い武器で、どうやって戦うんだ?

 

相手が剣を持っていたら、近づく前に斬られそうだ。

 

それに、腕を伸ばしても、思ったほど遠くまで届かない。

 

「……うーん」

 

俺は首を傾げた。

 

……そういや。

 

ヴィオラは、もっと長い武器を使っていたよな。

 

あの時の光景を思い出す。

 

赤い服。

 

長い銃剣。

 

男たちの攻撃を受け流し、その隙に踏み込んでいた姿。

 

……確か、こう。

 

俺は短剣を持ち直した。

 

身体を少し横へ向ける。

 

一歩踏み出す。

 

腕を動かした。

 

その瞬間。

 

カツンッ!

 

「……え?」

 

何かに当たった。

 

続いて、ガタンと音が響く。

 

見ると、壁際に立てかけていた木の棒が倒れていた。

 

「……あっ!」

 

俺は慌てて短剣を確認した。

 

「お、おいおい……!」

 

買ったばかりなのに、もう刃を傷つけちまったのか?

 

俺は刃を傾け、欠けた部分を確かめた。

 

元からあった傷。

 

細かな欠け。

 

……ええと。

 

今ので増えたのか?

 

前からあったのか?

 

「…………」

 

……分かんねえ。

 

いや。

 

少なくとも、大きな欠けは増えていないように見える。

 

俺は何度か確かめた。

 

「……はぁぁ」

 

よかった。

 

本当に、よかった。

 

危うく、初日の練習で短剣を駄目にするところだった。

 

……やっぱり、ちゃんと使い方を覚えねえとな。

 

俺は短剣を安全な場所へ置き、倒れた木の棒を拾った。

 

表面には、小さな傷がついていた。

 

短剣が当たった場所だろう。

 

「……危ねえな」

 

俺は棒を見つめた。

 

それから、短剣へ目を向ける。

 

「…………」

 

……ん?

 

ふと、あることを思いついた。

 

そういえば。

 

あの女が使っていた武器。

 

長い銃の先に、刃がついていたよな。

 

俺は木の棒を持ち上げた。

 

それから、床に置いた短剣を見る。

 

「…………」

 

……これの先に、短剣をつけたら?

 

俺は首を傾げた。

 

木の棒。

 

短剣。

 

長いものの先に、刃をつける。

 

「……あれ?」

 

何となく、似たものが作れるんじゃないか?

 

俺は短剣を鞘に収め、木の棒と並べてみた。

 

「……おお」

 

……何か、それっぽくねえか?

 

俺は少し笑った。

 

「……へへっ」

 

いいことを思いついたかもしれない。

 

けど。

 

「…………」

 

俺は短剣を見た。

 

さっき、木の棒に当てただけで壊れたかと思った武器だ。

 

それを、わざわざ棒に取り付ける?

 

……いや、待て。

 

変なことして壊れたらどうすんだよ。

 

せっかく買ったのに。

 

俺は少し迷った。

 

でも。

 

ヴィオラが使っていた銃剣を思い出す。

 

あの長い武器を、軽々と扱っていた姿。

 

それに。

 

もし似たものが作れたら、木の棒だけで練習するより楽しいかもしれない。

 

「…………」

 

……ちょっと試すだけなら。

 

「……少しくらい、いいよな?」

 

誰に言うでもなく呟いた。

 

***

 

しばらくして。

 

「……おお」

 

俺は完成したものを見つめた。

 

木の棒の先に、短剣がついている。

 

倉庫に残っていた古い紐を使い、どうにか取り付けてみたのだ。

 

もちろん、本物の銃剣とは全然違う。

 

あの女が使っていたのは、長い銃の先に刃がついた立派な武器だった。

 

こっちは、ただの木の棒。

 

しかも、先についているのは中古の短剣だ。

 

……でも。

 

「……へへっ」

 

結構、かっこよくねえか?

 

俺は少し離れて眺めた。

 

棒の先に刃がついている。

 

少なくとも、さっきまでの棒切れよりは武器らしく見えた。

 

「……悪くねえな」

 

俺は少し得意げになった。

 

……あの女が見たら、どう思うんだろうな。

 

もしかしたら、少しくらい褒めてくれるかもしれない。

 

……いや。

 

無理か。

 

あの女、結構厳しかったし。

 

俺は思い出して、少し顔をしかめた。

 

でも。

 

自分で作ってみると、なかなか嬉しいものだった。

 

俺は完成した銃剣もどきを眺めながら、あの日のヴィオラを思い出した。

 

相手の剣を受け流し、滑るように踏み込む姿。

 

……あれ、本当にかっこよかったよな。

 

少しだけ、胸が弾んだ。

 

「……よし」

 

俺は慎重に持ち上げた。

 

その瞬間。

 

ぐらり。

 

「……ん?」

 

先端が傾いた。

 

「…………」

 

俺は持ち直した。

 

すると、今度は短剣の付け根が少しずれた。

 

……あれ?

 

何だ、これ。

 

ちゃんと取り付けたつもりだったんだけど。

 

もう一度、ゆっくり傾けてみる。

 

ぐらり。

 

「…………」

 

……おい。

 

これ、外れたりしねえよな?

 

俺は慌てて床へ下ろした。

 

先端が重い。

 

少し動かすだけで、短剣がぐらつく。

 

これを振ったら、どこへ飛んでいくか分からない。

 

……危ねえな。

 

俺は少し考えた。

 

もう少し工夫すれば、何とかなるかもしれない。

 

けど、そんなことをして短剣を壊すのは嫌だった。

 

それに、自分が怪我をする可能性もある。

 

……それじゃ意味ねえだろ。

 

「……駄目だな、これ」

 

俺は諦めた。

 

短剣を取り外し、刃を確かめてから鞘へ戻す。

 

……よし。

 

大丈夫そうだ。

 

それだけで、少し安心した。

 

俺は木の棒を拾った。

 

「……はぁ」

 

結構いい考えだと思ったんだけどな。

 

見た目は、そこそこよかった。

 

……たぶん。

 

けど、実際に使えるかどうかは別だった。

 

俺は少し残念になった。

 

……まあ、仕方ねえか。

 

俺は木の棒を構えた。

 

一歩踏み込む。

 

「……ふっ!」

 

突く。

 

戻す。

 

……違う。

 

もう一度。

 

「……ふっ!」

 

やっぱり、何かが違う。

 

あの女はもっと自然に動いていた。

 

俺みたいに、無理やり腕を伸ばしていなかった。

 

……いや。

 

簡単そうに見えただけか。

 

本当は、何年も練習しているのかもしれない。

 

そりゃ、そうだよな。

 

俺が数日真似したところで、同じように動けるはずがない。

 

「……どうやってんだろうな」

 

俺は棒を見つめた。

 

今度は少しゆっくりと構え直した。

 

突いて、戻す。

 

足を動かす。

 

……うん。

 

やっぱり難しい。

 

でも、悪くない。

 

今はこれでいいだろう。

 

いつか、もう少しましに動けるようになればいい。

 

……まあ、無理して怪我するのは嫌だけどな。

 

俺は棒を下ろした。

 

腕が少し疲れていた。

 

今日は、ここまでにしよう。

 

明日も仕事があるかもしれない。

 

練習で腕を痛めて、荷物を運べなくなったら困る。

 

俺は木の棒を壁際へ立てかけた。

 

そして、短剣をもう一度手に取った。

 

古びた鞘。

 

擦り切れた柄。

 

小さな武器。

 

「…………」

 

……何か、嬉しいな。

 

俺は少し笑った。

 

強くなったわけじゃない。

 

誰かに勝てるようになったわけでもない。

 

それでも、自分の武器が一つ増えた。

 

今は、それだけで十分だった。

 

***

 

それから二日後。

 

俺は商店通りで、使い走りの仕事を引き受けていた。

 

内容は簡単だった。

 

店で預かった小さな包みを、指定された場所へ届ける。

 

危ない荷物ではないか、最初に確認した。

 

店主は面倒くさそうにしていたが、普通の機械部品だと説明してくれた。

 

……まあ、絶対じゃねえけど。

 

少なくとも、前みたいに高すぎる報酬を提示されたわけじゃない。

 

報酬は六十眼。

 

使い走りとしては悪くない。

 

俺は包みを届け、受け取りの確認を済ませてから帰り道についた。

 

「……ふう」

 

仕事も終わった。

 

今日はもう、危ないことをしなくていい。

 

そう思っていた。

 

その時だった。

 

通りの向こうに、赤い服が見えた。

 

「…………」

 

……ん?

 

俺は足を止めた。

 

黒と赤を基調とした服装。

 

銃剣のついた長い銃。

 

周囲の人間が、少し距離を空けて歩いている。

 

……親指か。

 

俺は視線を逸らした。

 

別に、親指の人間に近づく理由なんてない。

 

あいつらは、俺みたいな裏路地のガキが気軽に話しかけていい相手じゃない。

 

それに、機嫌を損ねれば何をされるか分からない。

 

……関わらねえ方がいいな。

 

俺は通りの端へ寄った。

 

その時だった。

 

ふと、見覚えのある横顔が目に入った。

 

赤い服。

 

長い銃剣。

 

それから、少し高い位置にある顔。

 

「……え?」

 

俺は思わず見直した。

 

親指の構成員は三人。

 

そのうちの一人。

 

他の二人よりも若い少女。

 

見間違えるはずがなかった。

 

……ヴィオラ?

 

「…………」

 

俺は足を止めた。

 

あの女だ。

 

間違いない。

 

以前、俺を助けた少女。

 

男たちをあっという間に倒し、礼儀を教え込んでいた、あの女。

 

……うわ。

 

本当にいた。

 

何でこんなところにいるんだ?

 

親指の仕事か?

 

……いや。

 

そんなこと、俺には関係ねえだろ。

 

俺はすぐに視線を逸らした。

 

見つからないうちに通り過ぎよう。

 

あの女には助けてもらった恩がある。

 

それに、正直言って、戦い方はかっこよかった。

 

けど。

 

だからといって、わざわざ近づきたいとは思わない。

 

男の腕や顎を砕いた時のことは、今でも覚えている。

 

礼儀を間違えたら、俺だって同じ目に遭うかもしれない。

 

……よし。

 

このまま通り過ぎよう。

 

俺は何でもないふりをして歩き始めた。

 

その時だった。

 

「……レン?」

 

聞き覚えのある声がした。

 

「…………」

 

……え?

 

俺は足を止めた。

 

ゆっくり振り返る。

 

赤い服。

 

長い銃剣。

 

そして、見覚えのある顔。

 

少女がこちらを見ていた。

 

「……げっ」

 

思わず声が漏れた。

 

少女の眉が、わずかに動いた。

 

「……今、何と言いました?」

 

「……あ」

 

……まずい。

 

俺は慌てて背筋を伸ばした。

 

親指の礼儀。

 

目上の人間には敬意を払う。

 

勝手に話を遮らない。

 

質問されたら、すぐに答える。

 

……覚えてる。

 

ちゃんと覚えてるぞ。

 

「お、お久しぶりです。ヴィオラさん」

 

俺は頭を下げた。

 

「……ふむ」

 

少女は俺を上から下まで眺めた。

 

以前と変わらず、赤と黒の服を着ている。

 

長い銃剣を持つ姿も、記憶にあるものと同じだった。

 

「……以前よりは、身なりがましになりましたね」

 

「……ありがとうございます」

 

……いや。

 

別に褒められるほど変わってねえけど。

 

俺はそう思った。

 

もちろん、口には出さなかった。

 

ヴィオラの隣にいた二人の構成員が、こちらを見た。

 

一人は少し不思議そうな顔をしている。

 

もう一人は、俺を見て小さく鼻を鳴らした。

 

「……お知り合いですか?」

 

構成員の一人がヴィオラへ尋ねた。

 

「以前、少し関わった子供です」

 

「……そうですか」

 

男はそれ以上聞かなかった。

 

……よかった。

 

何もされないらしい。

 

俺は少し安心した。

 

けど、その時。

 

「……レン」

 

「は、はい」

 

「今は何をしているのですか?」

 

「……仕事の帰りです」

 

「仕事?」

 

「はい。使い走りをしていました」

 

「……そうですか」

 

ヴィオラは短く答えた。

 

そして、俺の服へ視線を移した。

 

上着は相変わらず古い。

 

以前破れた部分には、自分で当て布をしてある。

 

縫い目は少し曲がっているが、穴は塞がっている。

 

……何見てんだろうな。

 

俺は少し落ち着かなくなった。

 

「あの……」

 

「何ですか?」

 

「……もう、帰ってもよろしいでしょうか?」

 

俺は頭を下げた。

 

別に、失礼なことは言っていないはずだ。

 

仕事も終わったし、早く倉庫へ戻りたい。

 

それに、腹も減っている。

 

……何より、怖え。

 

ヴィオラは少し考えた。

 

「……構いませんが」

 

「……はい」

 

……よし。

 

俺はもう一度頭を下げた。

 

「失礼します」

 

そう言って、踵を返そうとした。

 

しかし。

 

「……待ちなさい」

 

「…………」

 

……え?

 

俺は足を止めた。

 

「……はい?」

 

ヴィオラの視線は、俺の懐へ向いていた。

 

……あれ?

 

何だ?

 

俺は反射的に上着を押さえた。

 

そこには、短剣が入っている。

 

ヴィオラの目がわずかに細くなった。

 

「……その懐にあるものは、何ですか?」

 

「…………」

 

……げっ。

 

ばれた。

 

「……ええと」

 

「質問に答えなさい」

 

「……た、短剣です」

 

俺は慌てて答えた。

 

ヴィオラは少し黙った。

 

それから、俺の懐をもう一度見た。

 

「……短剣?」

 

「……はい」

 

「あなたが?」

 

「……はい」

 

……何だよ。

 

そんなにおかしいか?

 

俺だって、武器くらい持つだろ。

 

……まあ、買ったばっかりだけど。

 

ヴィオラは少し考えた。

 

「……そうですか」

 

そして、淡々と言った。

 

「では、少し話をしましょう」

 

「…………」

 

……何で?

 

俺、何かしたか?

 

俺は思わず、隣にいる二人の構成員を見た。

 

二人とも、こちらへ視線を向けている。

 

……まずい。

 

すごく、まずい気がする。

 

逃げたい。

 

……すげえ逃げたい。

 

けど。

 

目の前の少女から逃げ切れる気は、まったくしなかった。

 

俺はゆっくり頭を下げた。

 

「……かしこまりました」

 

そう答えるしかなかった。

 

ヴィオラは短く頷いた。

 

「結構です」

 

……ああ、くそ。

 

せっかく今日は、平和に仕事が終わったと思ったのに。

 

俺は懐の短剣を意識した。

 

何日も悩んで、ようやく買った武器だ。

 

昨日、初めて振ってみた。

 

木の棒に当てて慌てたり、銃剣もどきを作ってみたりもした。

 

少しだけ、強くなれたような気さえしていた。

 

けど。

 

今、目の前にいる少女に対しては。

 

これっぽっちも、安心できなかった。

 

 

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