「では、少し話をしましょう」
「……かしこまりました」
俺は慌てて頭を下げた。
……ああ、くそ。
何でこうなったんだよ。
今日は仕事も終わったし、後は帰って飯を食べるだけだったのに。
目の前にはヴィオラ。
その両脇には、親指の構成員が二人。
どちらも黒と赤を基調とした服を着ており、腰には武器を下げている。
……逃げられる気がしねえ。
ヴィオラは隣の男へ視線を向けた。
「少し時間を取ります。周囲を確認しておきなさい」
「承知いたしました、テルツォ」
二人の男が頭を下げた。
一人は少し離れて通りの様子を確認し、もう一人はヴィオラの傍に残った。
……テルツォ?
聞き慣れない言葉だった。
親指の階級か何かだろうか。
そういや、あの女って親指の中じゃどれくらい偉いんだ?
見た目は俺より少し年上の少女だ。
けど、二人の大人が当たり前のように命令に従っている。
……相当偉いのか?
まあ、聞くつもりはないけどな。
「レン」
「は、はい!」
「以前お会いした時は、武器など持っていませんでしたね」
「……はい」
「それなのに、今は短剣を持っている。少し気になりまして」
ヴィオラは俺の懐へ視線を向けた。
「その短剣を見せなさい。鞘から抜く必要はありません」
「……分かりました」
俺は慎重に懐へ手を入れた。
鞘に収まった短剣を取り出す。
「……こちらです」
両手で差し出すと、ヴィオラの傍にいた男が手を伸ばした。
「預かる」
「……はい」
俺は男へ短剣を渡した。
男は鞘を確かめてから、ヴィオラへ差し出した。
「ヴィオラ様」
「ええ」
ヴィオラは短剣を受け取り、眺めた。
……何か、緊張するな。
別に悪いことをしたわけじゃない。
自分の金で買った武器だ。
けど、親指の人間に囲まれて、短剣を調べられるなんて思わなかった。
「……随分と傷んでいますね」
「……中古なので」
「でしょうね」
ヴィオラは少しだけ刃を抜いた。
鈍い光が見える。
「刃が欠けています。柄も傷んでいる。状態のよい武器とは言えませんね」
「……はい」
……分かってるよ。
安物なんだから仕方ねえだろ。
俺だって、金があればもっといい武器を買いたかった。
「それで、なぜ購入したのです?」
「……護身用です」
「護身用?」
「はい。仕事中に危ない目に遭いまして」
「どのような?」
「……人を探す仕事をしていたんですけど、その途中で男に追いかけられました」
「捕まったのですか?」
「……いえ。何とか逃げ切りました」
「では、必要なかったのでは?」
「…………」
……そりゃ、今回はな。
でも、次も逃げられるとは限らない。
「……逃げ道がなかったら、どうしようもないので」
俺はそう答えた。
「何も持っていないよりは、ましかと思って」
「……なるほど」
ヴィオラは短剣を鞘へ戻した。
「それで、扱えるのですか?」
「…………」
……うっ。
「……まだ、練習中です」
「誰に教わっているのです?」
「……誰にも」
「独学ですか」
「……はい」
「では、何を参考に?」
「……その」
俺は少し迷った。
別に隠すようなことじゃない。
けど、本人に言うとなると、何となく恥ずかしい。
「……以前、ヴィオラさんが戦っているところを見たので」
「私の?」
「……はい。その時の動きを思い出して、真似しています」
ヴィオラは俺を見た。
「その短剣で?」
「……いえ。普段は木の棒を使っています」
「木の棒ですか」
「……はい」
「私の銃剣とは長さも重さも違うでしょう」
「……それで、棒の先に短剣をつけてみたんですけど」
「…………」
ヴィオラが黙った。
……あ。
しまった。
何でそんなことまで言っちまったんだ、俺。
「……何をつけたのです?」
「……短剣です」
「どのように?」
「……紐で縛って、銃剣みたいにしようと」
ヴィオラはしばらく俺を見ていた。
……怖え。
何か言ってくれよ。
「……それを振り回したのですか?」
「い、いえ! ぐらついたので、すぐに外しました!」
「……そうですか」
ヴィオラは短く答えた。
「そのようなものを振り回せば、自分の身体を傷つけるだけでしょう」
「……はい」
「少し考えれば分かることです」
「……申し訳ありません」
俺は頭を下げた。
……まあ、そうだよな。
実際、持ち上げただけでぐらぐらしていたし。
でも、作ってる時は結構楽しかったんだけどな。
「……そもそも」
ヴィオラが口を開いた。
「私の動きを、よく覚えていましたね」
「……見たものは、結構覚えてるんです」
「そうですか」
ヴィオラは俺へ視線を向けた。
「では、あの時、私が最初に相手をしたのは誰です?」
「……え?」
「覚えているのでしょう?」
「……はい」
俺は少し考えた。
いや、考えるまでもなかった。
あの日のことは、今でも覚えている。
「……最初に近づいてきた、刃物を持った男です」
「その後は?」
「……横から別の男が来ました。腕に金属の部品がついていた奴です」
ヴィオラは黙って聞いていた。
「……あと、全部で三人いました」
「……なるほど」
ヴィオラは少しだけ目を細めた。
「随分と細かく覚えていますね」
「……まあ」
「ですが、動きを覚えただけで、真似できると思ったのですか?」
「……いえ」
「なら、軽率な真似は控えなさい」
「……はい」
俺は頭を下げた。
……やっぱり、駄目か。
あの女がどう動いたのかは覚えている。
でも、なぜそう動いたのかまでは分からない。
木の棒で真似しても上手くいかないのは、そのせいなのかもしれない。
……そういや。
イーノを尾行した時も似たようなものだった。
あいつが何度も道を変えていたことは覚えている。
黒い上着の男と目を合わせていたことも。
けど、その意味には気づかなかった。
……覚えてるだけじゃ、駄目なのか。
「レン」
「……はい」
「ぼんやりしないことです」
「す、すみません!」
俺は慌てて姿勢を正した。
……危ねえ。
考え事に夢中になってた。
ヴィオラは短剣を傍の男へ渡した。
「返しなさい」
「承知いたしました」
男が俺へ短剣を差し出した。
「……ありがとうございます」
俺は両手で受け取り、懐へしまった。
……終わりか。
ようやく帰れる。
そう思った。
けど。
「…………」
俺はヴィオラを見た。
……今なら、頼めるか?
いや。
やめとけ。
あの女は仕事中だ。
余計なことを言って怒らせたら、どうすんだよ。
……でも。
次はいつ会えるか分からない。
俺は懐の短剣を軽く押さえた。
買ったばかりの、小さな武器。
これを持っていたって、使い方が分からなきゃ意味がない。
それなら。
「……あの、ヴィオラさん」
「何ですか?」
「……一つだけ、お願いがあるのですが」
「言いなさい」
俺は唾を飲み込んだ。
「……少しだけ、戦い方を教えてもらえませんか?」
ヴィオラが俺を見た。
「……なぜ?」
「……自分の身を守れるようになりたいので」
「…………」
「……もう、何度も危ない目に遭っているんです。だから、少しでも強くなれたらと」
「お断りします」
「…………」
……あ。
即答だった。
「あなたは親指の人間ではありません。私が時間を割いて教える理由もないでしょう」
「……はい」
「それに、私は任務中です」
「……申し訳ありません」
俺は慌てて頭を下げた。
「失礼なお願いをしました」
「分かれば結構です」
……ちぇっ。
少しくらい、教えてくれてもいいじゃねえか。
そんなことを思った。
もちろん、口には出さなかった。
俺は親指の人間じゃない。
あの女と親しいわけでもない。
断られることくらい、最初から分かっていた。
……分かってたんだけどな。
ヴィオラは懐から時計を取り出した。
文字盤に目を落とす。
「……時間ですね」
時計をしまい、二人の構成員へ視線を向けた。
「行きましょう」
「承知いたしました」
二人は姿勢を正した。
俺も慌てて頭を下げる。
「……お時間を取らせて、申し訳ありませんでした」
「ええ」
ヴィオラは一歩進みかけて、足を止めた。
「……レン」
「は、はい」
「あなたの記憶力は、何かの役に立つかもしれませんね」
「……え?」
俺は思わず顔を上げた。
「ですが、覚えているだけでは不十分です。見たものの意味を考えなさい」
「……はい」
「それでは」
ヴィオラはそれだけ言い残し、踵を返した。
二人の構成員も後に続く。
「……失礼します!」
俺は頭を下げた。
三人の足音が遠ざかっていく。
ようやく顔を上げた時には、赤い服が人混みの向こうへ消えかけていた。
「……はぁ」
疲れた。
ただ話しただけなのに、随分と疲れた。
俺は懐の短剣を確かめた。
……ちゃんと返してもらえて、よかった。
それから、もう一度だけ通りの向こうを見た。
ヴィオラは二人の構成員を従え、迷いなく歩いている。
「…………」
……やっぱり、かっこいいな。
戦い方を教えてもらえなかったのは残念だった。
けど、俺みたいなガキに時間を使う理由なんて、あの女にはない。
分かっていたことだ。
それでも、少し悔しい。
俺は懐の短剣を軽く押さえた。
「……遠いな」
赤い背中は、もう見えなくなっていた。