翌日の昼前。
俺は南側の裏路地へ向かっていた。
「……こっちで合ってるよな」
昨日、バロから教えられた道を思い出す。
市場を抜けて南へ進み、古い時計塔のある通りを右に曲がる。
その先に、大きな荷車置き場があるらしい。
……四十眼、か。
俺は懐の短剣を軽く押さえた。
今日の仕事は、青い印のついた荷車を観察すること。
荷車の数と積まれている箱の印、それから運んでいる人間の特徴を覚えて帰ればいい。
少なくとも、昨日バロからはそう説明された。
……これなら、俺にもできそうだな。
ただ、少し気になることがある。
南側の裏路地。
以前、イーノを尾行していた時に、黒い上着の男から追いかけられた場所に近い。
あの時は本当に死ぬかと思った。
逃げ道を調べていなかったら、今頃どうなっていたか分からない。
「…………」
……あいつ、まだいるのかな。
俺は周囲を見渡した。
人通りはそれなりにある。
荷物を抱えた商人や、仕事を探しているらしい男たちが行き交っていた。
見覚えのある顔はない。
……まあ、いいか。
今日は人を追いかける仕事じゃない。
指定された場所で荷車を見て、覚えて、帰る。
それだけだ。
俺は人通りの多い道を選んで、目的地へ向かった。
***
荷車置き場は、思っていたよりも大きかった。
背の高い倉庫が三棟並び、その前には何台もの荷車が停まっている。
荷物を積み下ろしする男たちの怒鳴り声や、車輪の軋む音が響いていた。
「おい! そっちじゃねえ!」
「分かってるよ! 先に道を空けろ!」
「三番倉庫だ! 間違えんな!」
……忙しそうだな。
俺は通りの端で立ち止まった。
さて。
青い印の荷車はどこだ?
周囲を見渡す。
赤い印の荷車。
白い布が巻かれた荷車。
印のない荷車。
……まだ来てねえのか。
見える範囲には、青い印の荷車がなかった。
俺は少し考えた。
荷車置き場の前に立っていたら、邪魔になる。
それに、じっと荷車を眺めているガキなんて怪しいだろう。
……どこか、いい場所はねえかな。
周囲を見渡すと、少し離れた場所に古い掲示板があった。
仕事の募集や倉庫の貸し出しについて書かれた紙が、何枚も貼られている。
……あそこなら、いいか。
俺は掲示板へ歩いていった。
仕事を探しているふりをすれば、しばらく立っていても不自然じゃないはずだ。
実際、何人かが掲示板の前に立っている。
俺もその中に混ざった。
『荷物運搬。半日勤務。報酬百二十眼』
……百二十眼?
俺は思わず目を見開いた。
半日で百二十眼なら、今までの荷物運びよりずっといい。
しかし、その下に書かれた条件を読んで、すぐに諦めた。
『重量物運搬経験者。義体使用者優遇』
……ああ。
そりゃそうだよな。
俺みたいなガキに払う金額じゃねえか。
少し残念に思いながら、別の求人票へ目を向けた。
その時、通りの向こうから車輪の音が聞こえてきた。
***
最初に現れたのは、二台の荷車だった。
少し遅れて、もう一台が続いてくる。
荷車の後部には、それぞれ青い印が描かれていた。
……来た。
俺は掲示板から少しだけ顔を上げた。
三台の荷車は倉庫の前で停まり、作業員たちが集まっていく。
……三台。
まずは、それを覚える。
一台目は左側の車輪に新しい金属の補強があった。
二台目は荷台の板が一枚だけ色違いになっている。
三台目は右側の持ち手に布が巻かれていた。
……よし。
これなら見分けられるな。
続いて、作業員たちへ視線を向けた。
四人いる。
一人は背の高い男。
一人は青い帽子を被った太った男。
もう一人は左腕が義体の男。
最後の一人は、ほかの三人より若く見えた。
俺はそれぞれの服装と顔を覚えた。
……次は箱だ。
一台目には木箱が四つ。
二台目には六つ。
三台目には四つ見える。
……四、六、四。
十四箱。
ただし、奥に積まれた箱は手前の荷物に隠れている。
ほかにもあるかもしれない。
……そこは、見えねえな。
俺は確認できた数だけ覚えておくことにした。
「おい! そっち持て!」
「分かってる!」
作業員たちが荷物を下ろし始めた。
木箱には、それぞれ異なる印が描かれている。
赤い四角。
白い横線。
黄色い丸。
形は単純だが、同じ印でも大きさや位置が少しずつ違っていた。
一台目は赤い四角が二つ、白い横線が二つ。
二台目は黄色い丸が三つ、白い横線が三つ。
……三台目は。
俺は荷台へ視線を移した。
赤い四角が二つ。
黄色い丸が一つ。
それから、もう一つ。
「…………」
……あれ?
俺は少し首を傾げた。
最後の木箱だけ、印が見当たらなかった。
いや。
よく見ると、側面に何かを削り取ったような跡がある。
木の表面が、そこだけ明るい色になっていた。
周りには赤い塗料がわずかに残っている。
……印を消したのか?
義体の男と背の高い男が、二人がかりでその箱を下ろしていた。
ほかの箱より大きいようにも見える。
……何で、あれだけ消してあるんだ?
間違えて印をつけたからだろうか。
それとも、中身が違うのか。
少し気になった。
もう少し近づけば、何か分かるかもしれない。
そう考えて、掲示板から離れかけた。
けど。
『余計なことをするな』
昨日のバロの言葉が頭に浮かんだ。
「…………」
……ああ。
そうだった。
俺が頼まれたのは、荷車と木箱を観察することだけだ。
中身を調べろなんて言われていない。
……でも、気になるな。
俺は少し迷った。
ほかの箱とは明らかに違う。
もしかしたら、何か重要な情報になるかもしれない。
……いや。
やめとこう。
四十眼のために危ない橋を渡る必要はない。
俺はその場に留まり、削られた部分の形と位置を覚えた。
その時だった。
義体の男が顔を上げた。
こちらを見た気がした。
「……っ!」
俺は反射的に掲示板へ顔を戻した。
……今、目が合ったか?
心臓が少し速くなる。
俺は求人票に書かれた文字を読むふりをした。
『倉庫管理補助。経験者優遇』
……落ち着け。
別に、何もしてねえ。
仕事を探しているだけだ。
……そう見える、よな?
しばらくしてから、もう一度だけ荷車の方を見た。
義体の男は、ほかの作業員と一緒に箱を運んでいる。
こちらを見ている様子はなかった。
……気のせいか。
いや、分からない。
たまたま目が合っただけかもしれないし、俺が怪しいと思われたのかもしれない。
……これ以上いるのは、やめとこう。
俺は荷車へもう一度目を向けた。
三台とも荷物を下ろし終え、作業員たちは木箱を倉庫へ運び始めている。
指定されたものは、見える範囲で確認できた。
これ以上残る必要はない。
俺は掲示板から離れた。
……よし。
帰ろう。
***
帰り道。
俺は覚えたものを頭の中で確認していた。
一台目。
左の車輪に金属の補強。
箱は四つ。
赤い四角が二つ、白い横線が二つ。
二台目。
色違いの荷台の板。
箱は六つ。
黄色い丸が三つ、白い横線が三つ。
三台目。
右の持ち手に布。
箱は四つ。
赤い四角が二つ、黄色い丸が一つ。
それから、印が削られた箱が一つ。
……うん。
覚えてる。
作業員たちの顔も思い出せる。
ただ、木箱を見ている間に何を話していたのかは分からなかった。
……まあ、仕方ねえか。
そっちに注意を向けていなかったんだから。
覚えていないことを、無理に思い出そうとしても仕方がない。
それより、報告する時に間違えないようにしよう。
……四十眼が懸かってるんだしな。
俺は歩く速度を上げた。
***
「……失礼します」
紙屋の二階。
昨日と同じ部屋へ入ると、バロは机に向かって書類を書いていた。
傍には、昨日の大男が立っている。
「来たか」
「……はい」
「報告しろ」
バロは顔を上げずに言った。
……ちゃんと聞いてんのか?
少し不安だったが、俺は話し始めた。
「……青い印の荷車は三台でした」
「箱は?」
「……確認できたのは十四箱です。奥の分は見えませんでした」
「続けろ」
俺は荷車の特徴を順番に説明した。
一台目の車輪。
二台目の荷台。
三台目の持ち手。
バロは時折質問を挟みながら、紙に何かを書き込んでいく。
「印は?」
「……一台目は赤い四角が二つ、白い横線が二つです」
「二台目」
「……黄色い丸が三つ、白い横線が三つでした」
「三台目は?」
「……赤い四角が二つ、黄色い丸が一つ。それから……」
俺は少し迷った。
「……一つだけ、印を削られたような箱がありました」
バロの筆が止まった。
「どこだ?」
「……三台目の右側です」
「どんな跡だった?」
「……四角く削られていて、周りに赤い塗料が少し残っていました」
「…………」
バロは俺を見た。
それから、書類に何かを書き込んだ。
「ほかには?」
「……作業員が四人いました」
俺はそれぞれの特徴を説明した。
背の高い男。
青い帽子を被った太った男。
左腕が義体の男。
茶色い作業着の若い男。
「顔は覚えてるか?」
「……はい」
俺は顔立ちや髪型、服装についても話した。
バロは最後まで聞くと、筆を置いた。
「……荷車を追ったか?」
「……いえ」
「箱には触ったか?」
「……触っていません」
「そうか」
バロは椅子にもたれかかった。
「掲示板の前にいたらしいな」
「…………」
……え?
俺は顔を上げた。
「……何で知ってるんですか?」
「お前が知る必要はねえ」
「……はい」
……また、見られてたのか。
荷車置き場で義体の男と目が合ったことを思い出した。
あいつだったのか。
それとも、別の誰かか。
……分からねえな。
バロは引き出しを開けた。
硬貨を取り出し、机の上に置く。
「四十眼だ」
「……え?」
「報酬だ。持っていけ」
俺は思わず硬貨を見つめた。
……本当に払ってくれるのか?
何か難癖をつけられると思っていた。
「……ありがとうございます!」
俺は慌てて硬貨を受け取った。
ちゃんと四十眼ある。
……よし!
「明後日、また来い」
「……え?」
「次の仕事を頼むかもしれねえ」
俺は顔を上げた。
「……本当ですか?」
「嫌なら来なくていい」
「い、いえ! 来ます!」
俺は慌てて頭を下げた。
「よろしくお願いします!」
バロは面倒くさそうに手を振った。
「もう行け」
「……失礼します!」
俺は硬貨を懐へしまい、部屋を出た。
***
紙屋を出ると、夕方の風が頬に当たった。
俺は懐から硬貨を取り出した。
「……四十眼」
安い。
荷物運びでも、もう少し稼げる。
けど、今回は違う。
前の人探しの仕事は、向こうから依頼されたものだった。
今回は自分で考えて、自分から売り込んで、手に入れた仕事だ。
……まあ、危うく殺されかけたけど。
「……へへっ」
俺は小さく笑った。
明後日、また仕事があるらしい。
バロは次も頼むかもしれないと言っていた。
それなら、しばらくは荷物運び以外でも稼げるかもしれない。
「……次は五十眼くらい欲しいな」
俺は硬貨を懐へしまった。
その足で市場へ向かう。
今日は少しくらい、いいものを食べてもいいかもしれない。
……いや。
やっぱり、いつもの安い飯にしよう。
せっかく稼いだ金だ。
無駄にはしたくねえからな。