夜明けが近づく中、鬼舞辻無惨は最後の手段に出ていた。
追い詰められた無惨は、瀕死の竈門炭治郎に自らのすべてを託し、鬼として生き延びようとした。炭治郎の身体を乗っ取り、鬼の王として再び君臨する。それが無惨の望みだった。
「私の想いも願いも、全てお前に託す」
無惨の声が、炭治郎の意識の奥底に響く。
「お前は鬼となり、太陽をも克服するのだ。誰も到達できなかった、完全な生物となれ」
だが、炭治郎は無惨の意志に屈しなかった。
「違う……俺は……!」
炭治郎の意識が、無惨の支配に抗う。
「黙れ! 私の想いを受け継げ! 私の意志を拒むことは許さん!」
無惨は必死に炭治郎を支配しようとする。しかし、仲間たちの呼びかけと、炭治郎自身の強い意志が、無惨の支配を押し返していく。
「なぜだ……なぜ私の思いどおりにならない……!」
無惨の声に、焦りが滲む。
「私は……私は……!」
やがて炭治郎は人間へと戻り、無惨の存在は炭治郎の中から消えいき鬼舞辻無惨は炭治郎の中から消滅した。
そして、地獄に堕ちた。
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「くっ…!?私は死んだはず?ここはいったい…貴様は何者だ!?」
無惨が目を覚ますと、目の前には仏教の書物に描かれていた閻魔大王を思わせる、巨大な人物が堂々とした態度で居座っていた。その大きさは人間の数倍、いや、それ以上の巨体だった。
一方、無惨は咄嗟に体を動かそうとするが壁に繋がれた鎖で、全身をぐるぐる巻きにされていた。
…身動きが取れない。
無惨は鎖を引きちぎろうと力を込めた。しかし、どれほど力を振り絞っても鎖はびくともしなかった。
自身の肉体と力に絶対の自信を持つ無惨にとって、それは到底受け入れがたい事実だった。
そのとき、巨大な人物が無惨の意識が戻ったことに気づいた。
「鬼舞辻無惨。貴様は数えきれない大罪を犯した。本来は永遠に焼くなり煮るなり裁くところだが、貴様がそれで反省するとは思えない。その無駄に高いプライドと生への執念は厄介だ」
閻魔大王らしき人物は、さも面倒そうに告げた。
「よってだが、ほれ。叶えてやろう。念願の、貴様が探し求めていた青い彼岸花だ。摂取すれば貴様は完全な存在になる」
そう言うと、目の前の生意気な存在は無惨が長年探し求めていたものを唐突に投げ渡してきた。
青い彼岸花。
無惨がどれほど長い年月をかけて探し続けたものか。それが目の前にある。
同時に無惨を拘束していた鎖が外れた。
自由になった身体を動かすよりも早く、無惨は全速力で青い彼岸花を掴み噛み砕いた。
…特殊な調合でも必要なのかと思ったが、どうやらその必要はないらしい。
…感じる。
…全身に力がみなぎってくる。
今までとは違う、圧倒的な力。何もかもを思いどおりにできるという全能感が湧き上がってくる。
…今なら、本当に何でもできる。
「(この私に青い彼岸花をくれてやったことは、感謝してやらなくもない。だが、まずはこの目の前の生意気な存在をどうしてやろうか。)
ーーそうだ。
…私は何も違わない。私は何も間違えない。全ての決定権は私にあり、私の言うことは絶対なのだ。お前にこれから起こることを拒否する権利はなく、私が「正しい」と言ったことが「正しい」のだ。
無惨は心の中でそう呟きながら、目の前の存在を見据えた。
…まずは、背中から生やした触手で四肢を潰してやるか。
そう考えた無惨は、背中から四本の触手を生やし、一斉に閻魔大王らしき人物へと襲いかかった。
しかし――。
一瞬で視界が変わった。
無惨の目の前には、巨大な足があった。
何が起きたのか分からず無惨はゆっくりと上を見上げた。
そこには、十メートル以上はあろうかという巨大な閻魔大王の姿があった。
「……?」
無惨は呆然とした。
何をされた?
分からない?
分からない!?
人間にはない五つの脳をフル回転させ、あらゆる可能性を考える。
だが、無惨には今起きた現象を理解することができなかった。
「……何をした?」
無惨の口から、低い声が漏れた。
先ほどまで目の前にいたはずの閻魔大王。その姿は、今や遥か頭上にあり足元から見上げていた。
理解できない。
柱ですらもはや何が起きたのか分からない速度で目の前の得体の知れない存在に触手を、狙いも狂っていなかった。
それなのに、なぜ自分は地面に転がっている?
…いや、違う。
「(そもそも、先ほどまであったはずの感覚がおかしい。)」
無惨は自身の身体に意識を向けた。
そして――気づいた。
「……は?」
首から下が、なかった。
腕も、胴体も、脚も。
青い彼岸花を摂取し、圧倒的な力を手に入れたはずの肉体が、首から下にかけて跡形もなく消し飛ばされていた。
傷口から血が噴き出すことすらない。
まるで、最初から存在していなかったかのように。
「な、何だ……これは……?」
理解が追いつかない。
何をされたのか。
いつ攻撃されたのか。
そもそも、攻撃を受けたという認識すらなかった。
無惨の五つの脳が、必死に答えを探す。
だが、どれだけ考えても答えは出なかった。
「おい……何をした!」
無惨は怒鳴った。
しかし、閻魔大王は平然とした顔で無惨を見下ろしている。
「何をしたも何も、貴様の首から下を消し飛ばしただけだが?」
「なっ……!」
あまりにもあっさりと告げられた言葉。
無惨は絶句した。
首から下を消し飛ばしただけ。
その言葉の意味を理解できないわけではない。
だが、理解したくなかった。
…この私が?青い彼岸花を手に入れ、完全な存在へと至ったこの私が?何もできず一瞬で?
「ふ、ふざけるな……!」
無惨の首から下が再生を始めた。肉が盛り上がり、骨が形成され、筋繊維が編み上がっていく。
しかし――。
「……なに?」
再生が止まった。
いや、止められたのではない。
再生に必要な力はある。肉体を構築するための能力も失われていない。
それなのに、首から下が一向に戻らないのだ。
無惨は目を見開いた。
「どういうことだ……! なぜ再生しない!」
「おや。再生できないのか?」
閻魔大王は、まるで他人事のように首を傾げた。
「貴様が完全な存在になったというのは本当らしいな。首だけになっても意識を保っている」
「黙れ!」
「だが、再生できることと、再生させてもらえることは別の話だ」
その瞬間、無惨は悟った。
この存在は、自分の理解できる範疇にいない。
血鬼術でもない。
鬼の力でもない。
少なくとも、無惨がこれまで知ってきたどんな力とも違う。
「貴様……いったい何者だ……!」
閻魔大王は、ようやく口元を緩めた。
「何者か。貴様ら人間が勝手に名付けた存在の一つだよ。閻魔大王、とでも呼べばよかろう」
「やはりか!架空の存在ではないのか!?」
…聞き覚えはある。
人間どもが語り継いできた死者を裁く存在。
だが、そんなものは所詮人間の恐怖が生み出した想像上の存在にすぎないと思っていた。
少なくとも、無惨はそう考えていた。
「そうだ。そして貴様は死んだのだ鬼舞辻無惨。地上での生は終わり貴様はこの地獄に落ちた」
「黙れ!」
無惨は吠えた。
首だけの身体から怒りに満ちた声が響く。
「私は死んでなどいない! この私がこんなところで終わるはずがない! 青い彼岸花を摂取した私はもはや完全な存在だ! 貴様ごときに裁かれる道理などない!」
閻魔大王はしばらく無惨を見つめていた。
そして、深々とため息をついた。
「……やはり、こうなるか」
「何だと?」
「青い彼岸花を与えれば、少しは己の限界を知るかと思ったのだがな。どうやら、貴様に必要なのは力ではなく自分より強い存在を理解する頭だったらしい」
その言葉に、無惨の顔が歪んだ。
…許せない。
許せるはずがない。
この私を愚弄するなど。
「殺す……!」
無惨は首だけの身体で、なおも殺意を剥き出しにした。
「この私を見下したこと、後悔させてやる! 必ず貴様を殺し、私の方が上だと証明してやる!?」
閻魔大王はそんな無惨を見て小さく笑った。
「その意気は結構。だが、今の貴様に何ができる?」
「貴様ぁぁぁ!」
見下されたことに怒り無惨は叫んだ。
その瞬間、閻魔大王が片手を軽く持ち上げた。
「さて。貴様には永遠というものがどれほど辛いものかを身をもって体験させてやろう。見事耐え抜き人の代までその精神で辿り着けば後は好きにするが良い。」
「何を――」
言い終える前に、無惨の周囲が光に包まれた。
「待て! 貴様、何をするつもりだ!」
「貴様の望みは叶えてやったのだ。今度はその力を使って何をするのか、じっくり見せてもらうだけだ」
閻魔大王の声が遠ざかる。
「待て! まだ話は終わっていないぞ! 私をどこへ送るつもりだ!」
無惨の叫びもむなしく、光はますます強くなっていく。最後に見えたのは、巨大な閻魔大王の笑みだった。
「せいぜい、楽しんでくるがいい。鬼舞辻無惨」
そして。
無惨の姿は、地獄から消えた。