けたたましい電子音が一定周期で部屋に響く。その音に驚いて、先ほどまで死んでいた人間が、突然意識を取り戻したかのように飛び起きる。ゆっくりと室内を見回す。今の今まで、何か恐ろしい夢にうなされていたような気がするが、そんなことを考えているうちにも、夢の内容は記憶の手のひらからとめどなくこぼれ落ちていく。一体何がそんなに怖かったのか、悲しかったのだろうか。背中をぐっしょりと濡らす汗と頬を伝う涙だけが、確かにその存在を示している。
夜が明ける少し前。群青色の幽かな陽の光と、それとは比べものにならないほど強く白い蛍光灯の明かりが窓から差し込む。そうして部屋の中のものに輪郭が与えられている。こんな時間でも、あるいはこんな時間だからこそと言うべきか、自転車のスタンドを蹴り上げる音や原付のエンジン音がよく聞こえる。
得体の知れない寂しさを紛らそうと、隣にある温もりに手を伸ばす。しかし、私の手は空を切った。そのまま、預けた体重に引かれて、左半身を再び布団に押しつける。妻は既に起きているらしい。彼女が眠っていた僅かな窪みを指先でなぞってみる。そこに残る微かな体温と甘い香りを錯覚して、私はようやく布団から出た。
今日は南海が我が家を訪れる予定だ。南海は中学時代、部活の後輩だった男で、今は刑事をしている。当時から私のことを兄貴と呼んで慕ってくれている。いつから、どうしてそう呼ぶようになったのかは2人とも覚えていない。それでも20年近くそうしていれば、どんなことも馴染んでしまうものだ。
南海が来る時間までには、まだ随分余裕がある。口内の妙な味を消し去りたいのと、そうして方が良いという理由から、歯磨きと洗顔は起きてすぐに済ませるようにしている。合理的に考えるならば、洗面所に来たこのタイミングで、現代アートさながらの、3次元空間を存分に活かした、わけのわからぬ跳ね具合の頭髪も整えるべきなのだろうが、面倒なので後回しにする。数時間もすれば多少は落ち着くだろうという淡い期待を抱いて、妻のいるリビングに向かう。
朝食を済ませてから、本を片手にソファーに向かい寛ぐ。最近は『神曲』の煉獄篇を読んでいる。趣味の時間ではあるが、仕事の役に立つかもしれないと期待もしている。しばらく耽ってから、客間へ移動し片付けを始める。そうしているうちにインターホンの音が耳に入る。南海が来たのだろう。出迎えに行く妻の足音が聞こえる。時計を見る。約束の5分前。相変わらず律義な男だ。大方、10分前には家に着いたが、門の前で待っていたのだろう。私も玄関まで出迎えに行く。
「兄貴、いくら兄貴の頼みとはいえ、めちゃくちゃ大変だったんすよ、こいつを持ってくるのは。」
南海は溜め息混じりに力無く、脇に置いてある鞄から封筒を取り出す。
「ああ、ありがとう。助かるよ。お茶とお菓子を持って来させよう。紅茶でいいか?何か好みのものがあれば聞くが。」
「いや、大丈夫っす。今思い出すだけでも吐き気がするんで。兄貴も僕の話聞いたら、食欲失せると思いますよ。」
僅かな静寂。
「ふむ、そうか。」
しばしの静寂。次に紡ぐ言葉を、思考する。
「で?その食欲の失せる光景ってのは、どんなだったんだ?こいつの中身より先に聞かせてくれよ。無様なあいつの最期だ。是非とも詳しく聞きたいね。」
南海の差し出した封筒を手に取り、ひらひらと振りながら前奏を依頼する。