五日後に世界が終わるらしいから好き勝手に生きた結果   作:青春草男

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第二話

 デートにいくら持っていけばいいのか、わからなかった。

 なので、五万円おろした。

 

 たぶん、多い。

 でも、少なくて困るよりはいい。

 貯金していたって、あと四日で使えなくなるのだ。

 今こそ使うべきだろう。

 

 財布がこんなに頼もしく見えたのは初めてだった。

 持ち主のほうは、待ち合わせの四十分前から駅前に立っている。

 

 昨日の夜も、あまり眠れなかった。

 朝倉とのやり取りを読み返して、天気予報を調べて、着ていく服を考えて、もう一度やり取りを読み返した。

 天気より、そっちのほうが気になった。

 

『保存した』

 

 その一言だけで、何回でもにやけられた。

 おかげで今日は少し眠い。

 彼氏になって最初の仕事が寝坊だったら、さすがに嫌われると思って、目覚ましを五個かけておいた。

 

 駅の時計を見る。

 まだ二分しか経っていない。

 

 俺はスマホを開き、今日の予定を確認した。

 

 まず映画を観る。

 昼飯を食べる。

 電車で移動して、水族館に行く。

 そのあと、夜景が見える店で晩飯を食べる。

 

 完璧だ。

 映画の上映時間も、水族館の閉館時間も調べた。

 駅から歩く時間まで計算してある。

 期末レポートにもこれくらい真剣に取り組んでいれば、朝倉に怒られずに済んだと思う。

 

 まあ、もう書かないけど。

 

 そこまで考えたところで、佐藤からメッセージが来た。

 昨日、告白の結果だけは報告しておいたのだ。

 

『今日は俺を呼ぶなよ』

 

 呼ばない。

 さすがに俺も、同じ失敗はしない。

 

『今度、飯おごる』

『今度っていつ』

『四日以内』

『急だな』

 

 事情がある。

 地球のほうに。

 

 返信して顔を上げると、駅の改札から朝倉が出てくるところだった。

 まだ待ち合わせの二十分前だ。

 

 薄い色のカーディガンに、普段はあまり見ないスカート。

 俺を見つけた朝倉が、少しだけ足を速める。

 

「おはよう。早いね」

「朝倉も」

「電車、一本早いのに乗っちゃって」

 

 そう言ってから、朝倉は俺の顔を見た。

 

「……どうかした?」

「いや、かわいいなと思って」

 

 言えた。

 昨日の夜、頭の中で練習しておいてよかった。

 

「え」

 

 朝倉がカーディガンの袖を引っ張った。

 

「そういうの、会ってすぐ言う?」

「あとから言うほうがいい?」

「そういう意味じゃなくて」

 

 目をそらされる。

 言う時間を間違えたのかと思ったけれど、耳が赤かった。

 たぶん、大丈夫らしい。

 

「……ありがと」

 

 小さい声だった。

 昨日あれだけ大きなことを言ったくせに、それだけで俺まで恥ずかしくなる。

 

 駅前で黙って見つめ合っていても仕方ないので、俺は映画館のほうを指さした。

 

「行こうか」

「うん」

 

 歩き出す前に、手を出してみた。

 朝倉が一瞬だけその手を見て、それから握ってくれる。

 

 昨日とは、つなぐ手が逆だった。

 どっちも同じくらい嬉しいという、どうでもいいことがわかった。

 

 

   ***

 

 

 映画館は普通に混んでいた。

 

 家族連れもいるし、俺たちと同じくらいの年齢のカップルもいる。

 売店には行列ができていて、壁には来月公開の映画のポスターが並んでいた。

 

 みんな、本当に来月があると思っているらしい。

 

「あ、これ」

 

 朝倉が一枚のポスターの前で足を止めた。

 

「前に話したやつ。原作、すごく面白かったんだよ」

「へえ」

「映画も気になってるんだよね」

 

 公開日は来月の十日だった。

 俺はその数字を見て、何と答えるか少し迷った。

 

「……じゃあ、これも一緒に観よう」

 

 朝倉が俺を見る。

 

「いいの?」

「うん」

 

 世界が終わらなかったら、という言葉はつけなかった。

 そんな条件をつけて誘うのも、変な気がした。

 

「じゃあ、その前に本貸すね」

「映画観てからじゃだめ?」

「先に読んでほしい」

 

 意外と強かった。

 来月の予定を一つ作っただけで、読む本まで決まってしまった。

 

 でも、朝倉は嬉しそうだった。

 俺はポスターの題名を覚えておいた。

 

 売店で飲み物とポップコーンを買い、席に座る。

 二人分の席を予約した画面は、さっきから三回確認していた。

 ちゃんと隣同士だ。

 間に佐藤はいない。

 

 座ってすぐ、朝倉がこちらに少し体を寄せた。

 

「今日、これにしてよかったね」

「え?」

「この前、話してたほう。そっちは満席になってた」

 

 何でもない話だった。

 ただ、声が近かった。

 

 俺は昨日、朝倉の手が温かいことを知った。

 今日は、隣から小声で話しかけられるだけで、飲み物のストローを見失うことを知った。

 

 映画が始まった。

 

 面白かったと思う。

 途中までは、ちゃんと観ていた。

 

 問題は、ポップコーンを取ろうとした手が重なったことだ。

 俺が引っ込めようとすると、朝倉は小さく笑って、そのまま俺の指を握った。

 

 画面の中では、主人公がどこかへ走っていた。

 大変そうだった。

 こっちも、ちょっと大変だった。

 

 エンドロールが流れるまで、手はつないだままだった。

 

「面白かったね」

 

 明るくなった客席で、朝倉が言う。

 

「うん」

「最後、どうなるかと思った」

「うん」

 

 俺もそう思った。

 できれば、途中のどこであの二人が仲直りしたのかも知りたかった。

 

 今度、一人で観直そう。

 佐藤に同じ映画を二回観せた罰が、こんな形で返ってくるとは思わなかった。

 

 

   ***

 

 

 昼飯は、映画館の近くのカフェに入った。

 朝倉が前から気になっていた店らしい。

 

 本当は、もう少し高い店も調べてあった。

 せっかくの初デートなのだから、奮発しようと思っていたのだ。

 でも、店の前に出ていたオムライスの写真を見て朝倉が立ち止まったので、ここにした。

 

 俺もオムライスは好きだ。

 五万円持っていても、食べたいものは案外変わらない。

 

 運ばれてきた皿を見て、朝倉がスマホを出した。

 

「食べる前に撮っていい?」

「どうぞ」

「三浦のも。ちょっと寄せて」

 

 二つの皿が、一枚の写真に収まる。

 朝倉は撮った画面を確かめて、満足そうにスマホを置いた。

 

 俺も撮ればよかった。

 そう思ったときには、もうスプーンを突っ込んでいた。

 

「あとで送るよ」

「……顔に出てた?」

「うん」

 

 付き合って一日で、だいぶ読まれている。

 

 オムライスはうまかった。

 朝倉の頼んだソースも気になったけれど、「一口ちょうだい」の難易度が高くて言えなかった。

 一生大事にするとは言えたのに。

 

 食べ終わって、俺は時計を見た。

 予定より二十分ほど遅れている。

 今出れば、一本あとの電車には間に合うはずだった。

 

「このあとなんだけど、水族館行かない?」

「水族館?」

「うん。そこからなら、夜景が見えるところにも行けるから」

「今日?」

「今日」

 

 朝倉は少し驚いたようだった。

 

「そんなに考えてくれてたんだ」

「せっかくだし。行けるところ、行っとこうと思って」

 

 あと四日しかないのだ。

 普通のカップルみたいに、一週間後も、一か月後もデートができるわけじゃない。

 その分、できることは全部しておきたかった。

 

 俺が鞄を持ち上げると、朝倉はテーブルの隅にあったメニューに目を落とした。

 

「……もうちょっと、ここにいてもいい?」

 

 手が止まった。

 

「疲れた?」

「ううん」

「水族館、あんまり好きじゃない?」

「好きだよ。行きたいけど」

 

 朝倉はメニューをこちらに向けた。

 チーズケーキの写真を、指で示す。

 

「これ、半分こしない?」

 

 電車の時間が頭をよぎった。

 今から注文すると、次の一本にも間に合わない。

 そうしたら、水族館を出る時間も遅くなる。

 

「三浦」

「うん」

「私、もう少し話したい」

 

 朝倉が、メニューから顔を上げた。

 

「映画の間、全然しゃべれなかったし」

 

 当たり前だ。

 しゃべるために映画館に入ったわけじゃない。

 けれど言われてみると、待ち合わせてからずっと、次にどこへ行くかばかり気にしていた気がする。

 

 いろんな場所に連れていけば、いいデートになると思っていた。

 

 目の前に、朝倉が座っている。

 ほかの誰かと一緒ではなく、俺と二人で。

 

 もう少しここにいたいというのは、俺だって同じだった。

 

「……食べようか」

「いいの?」

「うん。俺も食べたい」

 

 鞄を下ろして、もう一度メニューを開く。

 電車は、あとでも来る。

 今日乗らなきゃいけない理由も、別になかった。

 

 ケーキを一つと、飲み物を追加した。

 

「昨日、帰ってから何してた?」

 

 朝倉が聞いてくる。

 

「今日のこと調べたり、服選んだり」

「三浦も?」

「も?」

 

 朝倉が、自分で言ってしまってから困った顔をした。

 

「……私も、服が決まらなくて」

 

 カーディガンの袖を、また少し引っ張る。

 駅で会ったときと同じ仕草だった。

 

「いつも大学で会ってるのに、何着ていけばいいんだろうって。変に気合い入ってると思われるのも嫌だし」

「思わないよ」

「でも、何も考えてないと思われるのもちょっと嫌で」

 

 難しいらしい。

 俺の場合は、持っている服の枚数からして、そこまで複雑な悩みにはならなかった。

 

「その服、すごくいいと思う」

「……さっき聞いた」

「何回言ってもいいだろ」

 

 朝倉は飲み物に手を伸ばした。

 ストローをくわえるまで、少し時間がかかった。

 

「三浦は、緊張しないの?」

「してるけど」

「全然そう見えない」

「映画、半分くらい覚えてない」

 

 言ってしまった。

 

 朝倉は目を丸くして、それから笑った。

 

「私も、ちょっと」

「え?」

「途中から」

 

 その先は言わなかった。

 俺も聞かなかった。

 どのあたりからなのか、たぶんわかったからだ。

 

 運ばれてきたケーキには、フォークが二本ついていた。

 朝倉が片方を俺に渡す。

 

「次は、ちゃんと観ようね」

「うん」

 

 できるかどうかは、わからないけど。

 次も隣に座るつもりだから、あまり自信はなかった。

 

 

   ***

 

 

 結局、水族館には行かなかった。

 カフェを出たあと、駅の向こうまで歩いた。

 店をのぞいたり、川沿いの道を歩いたりしているうちに、いつの間にか夕方になっていた。

 

 夜景が見える店も、今日はやめた。

 その代わりに、川が見えるベンチに二人で座っている。

 こっちは無料だった。

 

「写真、撮らない?」

 

 朝倉が言った。

 

「川?」

「私たち」

 

 そうだった。

 普通に考えれば、そういうことだった。

 

 朝倉がスマホを持ち上げる。

 画面に映った俺は、妙に姿勢がよかった。

 

「もうちょっと、こっち」

 

 肩が触れる。

 朝倉の髪が頬に当たった。

 

「三浦、顔が硬い」

「今、頑張ってる」

「頑張らなくていいから」

 

 そう言われても困る。

 頑張らないと、たぶんもっと変な顔になる。

 

 撮れた写真を、二人でのぞき込んだ。

 俺はやっぱり少し硬かった。

 でも、朝倉は笑っていた。

 

「これでいい?」

「うん。送って」

 

 すぐにメッセージが届いた。

 昼飯の写真も、一緒に送られてきていた。

 

 たった半日で、スマホの中に朝倉が増えた。

 俺は写真を保存してから、メモを開いた。

 

『彼女とデートする』

 

 この項目にも、ようやくチェックがつけられる。

 

「一個、できたね」

 

 隣から言われて、うなずいた。

 

「うん」

「そういえば、昨日隠したところって、何だったの?」

 

 指が止まった。

 

 忘れていなかったらしい。

 俺のほうは、ついさっきまで忘れていたのに。

 

「いや、あれは」

「見せられないやつ?」

「見せられなくは、ないけど」

 

 ないけど。

 見せたあと、どういう顔をすればいいのかわからない。

 

 朝倉は画面を勝手にのぞこうとはしなかった。

 その代わり、俺の顔を見て待っていた。

 そっちのほうが、逃げ道がなかった。

 

 俺は観念して、画面を少し下にずらした。

 

『彼女とキスをする』

 

 朝倉が黙った。

 俺も黙った。

 

 川の向こうから、自転車のベルの音が聞こえた。

 遠くの音が、やけによく聞こえる。

 

「……そっか」

 

 朝倉が、自分の膝に視線を落とした。

 

「いや、別に、今日じゃなきゃとか、そういうわけじゃなくて」

 

 聞かれてもいないのに説明する。

 

「書いたの、付き合う前だし。そもそも付き合えると思ってなかったし」

 

 じゃあ何のつもりで書いたんだ。

 自分でもわからない。

 希望を書くのは自由だと思っていた。

 

 言い訳ばかりしていても仕方ない。

 俺は一度口を閉じて、それから言った。

 

「朝倉と、したい」

 

 今度は、朝倉の顔を見て言った。

 言ったあとで、遅れて恥ずかしさが来た。

 

 メモを見せるより、はっきり言ってしまっている。

 

 朝倉が袖口を握る。

 しばらくして、その手が、俺の服の裾に移った。

 

「……じゃあ」

 

 声が小さくて、その先は聞こえなかった。

 でも、朝倉は離れなかった。

 

 俺はスマホをしまった。

 辺りを見た。

 さっきまで向こうのベンチにいた人は、もういなくなっていた。

 

 何を確認しているんだ、と思う。

 いや、確認は大事だ。

 

「してもいい?」

 

 聞くと、朝倉は一度だけ、うなずいた。

 

 近づいたら、朝倉が目を閉じた。

 俺の服をつかんだ指に、少し力が入った。

 

 唇が触れて、すぐに離れた。

 

 本当にそれだけだった。

 それだけなのに、顔を戻したあと、どこを見ればいいのかわからなくなった。

 

 とりあえず、川を見た。

 朝倉も川を見ていた。

 

 たぶん、二人とも川には興味がなかった。

 

「……一瞬だったね」

 

 朝倉が言った。

 

「ごめん」

「謝らなくていいけど」

 

 小さく笑う声がした。

 俺も、少しだけ笑った。

 

 ちゃんとできたのかどうか、自信はない。

 でも、朝倉が俺の手を探して、指を絡めてくれたので、少なくとも嫌ではなかったのだと思う。

 

 メモには、まだチェックをつけていなかった。

 今スマホを出すために、この手を離すのは嫌だった。

 

 

   ***

 

 

 家に帰ってからも、俺は何度か川の景色を思い出した。

 

 いや、川はどうでもいい。

 その前だ。

 

 ベッドに座って、今日撮った写真を見る。

 朝倉はかわいかった。

 俺は、もう少し何とかならなかったのかと思う。

 

 次は、ちゃんと笑おう。

 映画も、もう少し覚えて帰ろう。

 オムライスも、一口もらおう。

 

 一度やったら満足するものだと思っていた。

 実際は、次にやりたいことが増えただけだった。

 

 財布を開けると、張り切っておろした金は、ずいぶん残っていた。

 今日いちばん嬉しかったことには、一円もかかっていない。

 

 スマホが震えた。

 

『今日はありがとう。楽しかった』

 

 朝倉からだった。

 俺も同じようなことを返す。

 ついでに、明日も会えないかと打ちかけたところで、次のメッセージが来た。

 

『明日、うちに来ない?』

 

 手が止まる。

 

 うち。

 朝倉の家。

 

 今日の次は、家なのか。

 いや、落ち着け。

 家に行くというだけで、別に、何があるわけでもない。

 

『貸すって言ってた本、渡したいし』

 

 そうだった。

 本だった。

 俺は何を考えていたんだろう。

 

『行きたい』

 

 返信は、すぐに来た。

 

『よかった。お母さんが、ご飯も食べていってって』

 

 今度こそ、完全に手が止まった。

 

『お母さん?』

『うん。今日、三浦と出かけるって話したから』

『前から名前は出してたし、会ってみたいって』

 

 どういう話をしていたのか、非常に気になる。

 ノートを借りる男だろうか。

 レポートに泣きつく男だろうか。

 どちらも事実なので、訂正できない。

 

『嫌だった?』

 

 続けて送られてきた文字を見て、慌てて返す。

 

『嫌じゃない』

『お邪魔します』

 

 朝倉から、嬉しそうなスタンプが来た。

 

 俺はスマホを持ったまま、しばらく天井を見ていた。

 それから検索画面を開いた。

 

『彼女の親 初対面 手土産』

 

 世界が終わるまで、あと四日。

 彼女の親に会うまで、あと一日。

 

 なぜか今は、後者のほうが切実だった。

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