目を覚ますと、見知らぬ天井が目に入った。
「……ここ、どこだ?」
知らない天井。知らないベッド。見覚えのない部屋。
身体を起こそうとした瞬間、頭に鈍い痛みが走った。
「っ……!」
思わず額を押さえる。
身体が重い。まるで何日も寝込んでいたかのようだった。
それに、何かがおかしい。
ベッドの端に手をつき、ゆっくりと足を下ろす。
床に着いた足は、妙に小さかった。
「……は?」
自分の手を見つめる。
細い指。小さな手のひら。大人のものとは到底思えない。
慌ててベッドから降り、部屋を見回した。
机も、椅子も、棚もある。だが、どれも自分の知っているものではない。
そもそも、こんな家に住んでいた覚えなどなかった。
「夢……じゃないよな?」
頬をつねる。
痛い。
どうやら夢ではないらしい。
嫌な予感を覚えながら、部屋の隅に置かれた姿見へと歩いていく。
そして、鏡に映った自分の姿を見た瞬間、言葉を失った。
「…………嘘だろ」
鏡の中にいたのは、金色の髪と青い瞳を持つ少年だった。
整った顔立ち。細い輪郭。どこか中性的で、年齢の割に端正な容姿。
その姿には、嫌というほど見覚えがあった。
「クラピカ……?」
『HUNTER×HUNTER』に登場する、クルタ族の生き残り。
クラピカに瓜二つの少年が、鏡の向こうからこちらを見つめていた。
髪の色も、瞳の色も、顔立ちも。
偶然で片づけるには、あまりにも似すぎている。
「まさか……ハンターハンターの世界なのか?」
そんな馬鹿な。
そう思いながらも、頭の中では次々と可能性が浮かんでくる。
転生。憑依。異世界。
どれも現実味のない言葉ばかりだ。
だが、鏡の中の自分は、どう見ても自分が知っている大人の姿ではなかった。
いったい何が起きている?
答えを探すように、部屋を飛び出した。
廊下を抜け、窓のある部屋へ向かう。
外を見れば、何かわかるかもしれない。
そう考えて窓の外へ視線を向けた、そのときだった。
「……え?」
道を歩いている人影。
額には金属板のついた布。
その金属板に刻まれているのは、渦を巻くような木の葉の紋章だった。
見間違えるはずがない。
木ノ葉隠れの里の額当て。
そして、その額当てを身につけているのは、忍者だった。
「木ノ葉の額当て……?」
忍者がいる。
それも、現実に存在するはずのない忍者が。
目の前の光景を理解した瞬間、背筋に冷たいものが走った。
「ここは……ナルトの世界なのか?」
ハンターハンターではない。
少なくとも、自分が知っている物語の世界とは違う。
それなのに、自分の姿はクラピカに瓜二つだ。
ならば、考えられることは一つ。
自分はクルタ族なのではないか。
しかし、外見が似ているだけで断定することはできない。
本当にそうなのか。
それを確かめる方法なら、知っていた。
「……緋色の眼」
クルタ族の特徴。
強い感情によって瞳が鮮やかな緋色へと変わる。
そのとき、身体能力をはじめとした能力が大きく引き上げられる。
クラピカが持つ、クルタ族の証。
もし自分が本当にクルタ族なら、同じことが起きるはずだ。
「試してみるしかないか……」
口にした途端、緊張が押し寄せてきた。
もし発動しなかったら。
自分はクルタ族ではないということになる。
だが、発動したら?
その先に何が待っているのかは、わからない。
それでも、確かめずにはいられなかった。
鏡の前に戻り、自分の瞳を見つめる。
青い瞳。
その奥に眠る何かを呼び起こすように、意識を集中させた。
恐怖。
困惑。
そして、自分が何者なのかわからないことへの焦り。
感情が胸の内で渦巻いていく。
「頼む……!」
その瞬間。
瞳が、変わった。
青かった両目が、鮮烈な緋色に染まる。
まるで燃え上がる炎を閉じ込めたような、鮮やかな赤。
「……っ!」
鏡の中の少年も、同じように目を見開いていた。
間違いない。
この瞳は、ただの青い瞳ではない。
「本当に……クルタ族、なのか……?」
震える声が漏れた。
自分の姿を見つめる。
緋色の瞳。
その特徴は、知っているものと完全に一致していた。
偶然ではない。
ただ顔が似ているだけでもない。
自分は、本当にクルタ族なのだ。
そう認識した瞬間、全身に異変が走った。
「ぐっ……!?」
身体の内側から、何かが膨れ上がる。
力が湧き上がる一方で、頭が割れるように痛み、呼吸が乱れた。
身体が熱い。
心臓が激しく脈打つ。
「なんだ、これ……!」
発動したばかりの緋色を制御することなど、できるはずもなかった。
幼い身体には負担が大きすぎたのだ。
視界が揺れる。
鏡の中の緋色が、ぼやけていく。
「くそ……意識、が……」
足から力が抜けた。
倒れる寸前、鏡の中の自分が何かを思い出しかけているように見えた。
そして――。
少年の意識は、暗闇へと沈んだ。
◇
――心。
誰かが、自分を呼んでいた。
――心、起きなさい。
聞き覚えのある声。
優しく、自分を気遣う声だった。
その声を追いかけるように、記憶が流れ込んでくる。
見知らぬ家。
知らない場所。
けれど、そこにいる自分は、確かにこの身体の持ち主だった。
自分の名前は、枢流陀心。
くるた・しん。
枢流陀一族の少年。
これが、自分の名前だった。
記憶が次々とよみがえる。
幼い頃の暮らし。
一族の人々。
自分を大切にしてくれた、たった一人の肉親。
そして、その肉親を失った日のこと。
胸が締めつけられる。
悲しみと恐怖。
どうしようもない喪失感。
もう二度と、その人の声を聞くことはできない。
その現実を受け入れられず、心は泣き続けた。
一族の者たちが暮らしていた場所を離れ、木ノ葉隠れの里へとたどり着いたこと。
そこへ来てからも、心の心身は回復しなかったこと。
そして、ついには高熱を出して寝込んでしまったこと。
――そうだ。
この身体の持ち主は、ずっと苦しんでいた。
大切な人を失い、慣れない場所で一人になった。
幼い心には、あまりにも大きな出来事だった。
高熱にうなされながら、心は眠り続けていた。
そこへ、自分が入り込んだのだろうか。
いや、それとも――。
考えようとしても、意識はまだ曖昧だった。
それでも、一つだけ確かなことがある。
自分は枢流陀心。
そして、今までの自分とは別の記憶も持っている。
日本で生きていた記憶。
大人として暮らし、人生を送っていた記憶。
『NARUTO』という作品を知っていた記憶。
『HUNTER×HUNTER』という作品を知っていた記憶。
二つの物語を知っている自分が、なぜか今、ナルトの世界にいる。
しかも、ハンターハンターのクルタ族と同じ特徴を持つ少年として。
「……そういう、ことか」
声にならない声が、意識の奥で響いた。
まだ、すべてを理解したわけではない。
自分がどうしてこの世界に来たのか。
なぜ心の身体にいるのか。
前世の自分は、どうなったのか。
答えは何一つわからない。
だが、心の記憶が戻ったことで、今の自分が置かれている状況は見えてきた。
枢流陀心は、たった一人の肉親を失った。
その悲しみから立ち直れず、高熱で寝込んでいた。
そして今、その身体の中で自分は目を覚ました。
――だったら。
この身体で生きていくしかない。
心が生きてきた時間も、失ったものも、なかったことにはできない。
彼が抱えていた悲しみを、自分の都合で切り捨てるつもりもなかった。
この身体を借りたのなら。
枢流陀心として生きるのなら。
せめて、もう二度と大切なものを失わないために。
「……強く、ならないと」
その決意を最後に、意識はゆっくりと浮上していった。
◇
目を覚ましたとき、窓から朝日が差し込んでいた。
「……朝か」
どうやら、自分はベッドに寝かされていたらしい。
身体にはまだ倦怠感が残っている。
けれど、先ほどまでの激しい痛みは治まっていた。
自分の手を見つめる。
小さな手。
幼い身体。
それでも、もう自分が何者なのかはわかっていた。
「枢流陀心……か」
口に出してみる。
不思議な響きだった。
前世の自分としての記憶もある。
しかし、この身体で過ごした記憶も確かに自分の中にある。
今は、その両方を抱えて生きるしかない。
「まずは、状況を整理しよう」
自分がいるのは、木ノ葉隠れの里。
『NARUTO』の世界だ。
そして、自分は枢流陀一族の生き残り。
緋色の眼を発動できることも、先ほど身をもって確かめた。
だが、発動した途端に意識を失った。
今のままでは、使いこなすどころではない。
緋色の眼によって身体能力が上がるとしても、身体が耐えられなければ意味がない。
それに、この世界には忍術がある。
チャクラがあり、忍者がいる。
自分が知っている物語の知識が、どこまで役に立つかはわからない。
物語と現実が完全に同じとは限らないからだ。
それでも、何も知らないよりはいい。
「体を鍛える。チャクラについて学ぶ。忍術も覚える」
一つずつ、やるべきことを決めていく。
「それから……緋色の眼を、自由に使えるようにする」
あの力を恐れて、使わずにいるわけにはいかない。
制御できなければ、自分自身を傷つけることになる。
だが、制御できるようになれば、大きな力になるはずだ。
強くなる。
そのために、できることから始めよう。
そう考えながら、窓の外へ目を向けた。
里の道を、子供たちが歩いている。
忍者らしい格好をした少年もいれば、普通の服を着た少年もいる。
その中に、一人だけ目を引く姿があった。
黒い服。
独特の髪型。
そして、目元を覆うサングラス。
「……あれは」
見覚えがある。
油女シノ。
虫を操る一族の少年で、ナルトたちと同じ世代の忍者だ。
シノは何事もない様子で道を歩いていた。
心は、その姿をじっと見つめた。
サングラス。
目元を隠すためのもの。
「……そうか」
ふと、一つの考えが浮かんだ。
自分の緋色の眼は、発動すれば瞳の色が変わる。
あの色を見られれば、普通ではないと気づかれる可能性がある。
まして、自分は木ノ葉に来たばかりの、身元も事情も複雑な子供だ。
余計な騒ぎは起こしたくない。
ならば、せめて目の色だけでも隠せればいい。
「サングラスを使えば……」
もちろん、それだけですべてを隠せるわけではない。
緋色の眼を発動したときの身体能力の変化や、チャクラの異変まで覆い隠せるわけではないだろう。
それでも、何もしないよりはましだ。
「まずは、サングラスを手に入れよう」
新しい目標が一つできた。
強くなること。
緋色の眼を制御すること。
そして、自分が何者なのかを知ること。
やるべきことは多い。
だが、焦る必要はない。
この世界で生きていくと決めたのなら、一歩ずつ進めばいい。
枢流陀心は、もう一度窓の外を見た。
朝日に照らされた木ノ葉隠れの里。
その向こうには、まだ知らない未来が広がっている。
「……待ってろよ」
誰に向けた言葉なのか、自分でもわからなかった。
ただ一つ、胸の中に確かな決意があった。
今度こそ、自分の力で生き抜いてみせる。