「どうしてナルトに、こんなことをさせた?」
森の中に、心の静かな声が響いた。
サングラスの奥で、心の瞳が鮮やかな緋色に輝いている。
その正面に立つミズキは、心と、その背後にいるナルトを交互に見た。
「……へえ。まさか、お前もいたとはな。枢流陀心」
ミズキは口元を歪めた。
「だが、今日はお前に用はない。俺が欲しいのは、その巻物だけだ」
「なら、ナルトをそそのかす必要はなかったはずだ」
「黙れ!」
ミズキが地面を蹴った。
巨体に似合わない速さで距離を詰め、手にした苦無を心の首へと突き出す。
心は半歩だけ身体をずらした。
苦無が頬の横を通り過ぎる。
そのまま相手の手首をつかみ、体勢を崩そうとした瞬間、ミズキの膝が飛んできた。
「っ!」
心は腕を交差させて受け止め、後方へ跳ぶ。
着地と同時に、地面を蹴った。
一瞬で間合いを詰め、ミズキの脇腹へ拳を叩き込む。
鈍い音が森に響いた。
「ぐっ……!」
ミズキがよろめく。
しかし、倒れない。
「ガキのくせに……!」
「それなりに鍛えているからな」
心は冷静に答えた。
ミズキの動きは、アカデミーの教師らしく基礎ができている。力もある。真正面から力比べをすれば、子供の身体である心には不利な面もあった。
だが、心には緋色の瞳がある。
感覚が鋭くなり、相手の動きがよく見える。筋肉のわずかな動きから、次の攻撃を予測することもできた。
それでも――。
(こいつ、最初から本気で殺すつもりだ)
ミズキの目に、教師としての穏やかさは欠片もなかった。
その視線が、心の後ろにある巻物へ向く。
「邪魔をするなら、お前から殺してやる!」
ミズキが懐から手裏剣を取り出した。
心が身構えた、そのとき。
「心! ナルト!」
森の奥から、声が響いた。
駆けつけたのは、うみのイルカだった。
「イルカ先生!」
ナルトが振り返る。
イルカはナルトの姿と、地面に広げられた巻物を見て、すぐに状況を察したようだった。
「ミズキ……! やっぱり、お前が!」
「来たか、イルカ!」
ミズキは舌打ちした。
「ちょうどいい。まとめて始末してやる!」
「ナルト、巻物から離れろ! 心も下がるんだ!」
イルカが叫ぶ。
だが、ミズキはその隙を見逃さなかった。
右手を大きく振りかぶる。
巨大な手裏剣が、イルカへ向かって飛んだ。
「危ない!」
ナルトが叫ぶ。
イルカはナルトをかばうように前へ出た。
次の瞬間。
ドスッ!
巨大な手裏剣が、イルカの背中に突き刺さった。
「イルカ先生!」
ナルトの顔から血の気が引いた。
イルカは苦痛に顔を歪めながらも、ナルトの前に立ち続けていた。
「……大丈夫だ、ナルト」
「何やってんだよ! なんで、俺なんかをかばったんだよ!」
「なんか、じゃない」
イルカは振り返り、ナルトを見た。
「お前は……俺の大切な教え子だ」
「でも……俺は……」
ミズキが、愉快そうに笑った。
「はっ! まだそんなことを言っているのか、イルカ!」
その声には、隠しようのない悪意があった。
「そいつが何者なのか、忘れたのか? そいつの中には、十二年前に木ノ葉を襲った九尾の妖狐が封印されているんだぞ!」
森の空気が凍りついた。
「……え?」
ナルトの声が震える。
「九尾……?」
「そうだ! お前のせいで大勢の人間が死んだ! 里の人間がお前を嫌っている理由が分かったか? お前は化け物なんだよ!」
ミズキの嘲笑が、夜の森に響く。
ナルトは動かなかった。
いや、動けなかった。
ずっと感じていた。
大人たちの冷たい視線。
自分が何かをすれば、必要以上に警戒する人々。
理由も分からず向けられる嫌悪。
それらの意味が、一つにつながってしまった。
「……俺が、九尾?」
ナルトの手が震える。
「だから……みんな、俺のこと……」
心は奥歯をかみしめた。
(やっぱり、ここは原作と同じ展開になるのか……!)
知識として知っていた出来事。
しかし、目の前で友人が傷つけられ、心を折られようとしている光景は、記憶の中の物語とはまったく違っていた。
心が一歩踏み出そうとしたとき、イルカが声を張り上げた。
「違う!」
その声に、ナルトが顔を上げる。
「ナルト! お前は九尾じゃない! うずまきナルトだ!」
イルカは背中の傷を押さえながら、必死に言葉を続けた。
「確かに、お前は悪戯ばかりするし、授業中に騒ぐし、手のかかる生徒だ! 何度叱っても懲りないし、いつも余計なことをする!」
「イルカ先生……」
「だがな!」
イルカは、まっすぐナルトを見つめた。
「お前が誰よりも努力していることを、俺は知っている! 失敗しても何度だって立ち上がることも、いつか火影になるって本気で思っていることも、全部知っている!」
イルカの声が、少しだけ震えた。
「俺にとってお前は、化け物なんかじゃない。大切な教え子だ!」
ナルトの瞳が揺れた。
「……イルカ、先生……」
心は、ナルトの横顔を見つめた。
そして、小さく息を吐く。
(大丈夫だ。こいつは、こんなことで折れる奴じゃない)
ミズキは不快そうに顔を歪めた。
「くだらん! そんな言葉で何が変わる!」
彼は再び苦無を構えた。
「ナルトを始末して、巻物を持ち帰る! それだけだ!」
「させるか!」
心が前へ出る。
ミズキの苦無を受け流し、反撃の蹴りを放った。
ミズキは腕で防いだものの、衝撃で数歩後退した。
「くそっ! ガキが!」
「ナルトには手を出させない」
心の瞳が、眼鏡の奥で赤く輝く。
だが、ミズキは距離を取ると、印を結び始めた。
「水遁・水乱波!」
口から放たれた水が、激しい奔流となって心に襲いかかる。
心は横へ跳んだ。
水が地面をえぐり、木々の根元を激しく叩く。
(威力が高い……!)
着地した心の前に、さらに水の刃が迫る。
「水遁・水刃!」
心は身をひねって回避したが、袖が切り裂かれた。
「心!」
ナルトが叫ぶ。
「下がってろ、ナルト!」
心は声を返した。
しかし、ミズキは攻撃を止めなかった。
次々と水遁を放ち、心の逃げ道を狭めていく。
(このままじゃ、ナルトを守りながら戦うのは厳しい……!)
緋の眼によって反応速度は上がっている。
それでも、相手の攻撃をすべて避け続けることはできない。
まして、イルカは負傷している。ナルトもまだ動揺から抜け出せていない。
そのとき、ナルトの視線が地面に置かれた巻物へ落ちた。
巻物には、まだ習得できていない術が記されている。
その中の一つ。
自分が先ほど挑戦していた、多重影分身の術。
ナルトは拳を握った。
「……俺は」
声は、まだ震えていた。
「俺は、化け物なんかじゃねえ!」
ミズキが振り返る。
「何だと?」
「俺はうずまきナルトだ! いつか火影になる男だってばよ!」
ナルトは巻物の前に立った。
心が一瞬だけナルトを見る。
その表情には、先ほどまでの怯えが残っていた。
それでも、瞳には強い光が戻り始めている。
「心!」
ナルトが叫んだ。
「そいつは俺が倒す!」
心は、わずかに目を見開いた。
「……分かった」
心は一歩だけ横へ移動した。
「なら、見せてみろ。お前が努力してきたことを」
ナルトは大きく息を吸い込んだ。
そして、印を結ぶ。
「多重影分身の術!」
ボンッ!
白い煙が、森の中に広がった。
一人。
二人。
十人。
二十人。
さらに、数が増えていく。
煙が晴れたとき、ミズキの前には数え切れないほどのナルトが並んでいた。
「なっ……!」
ミズキの顔が引きつる。
「ば、馬鹿な! こんな数の影分身を……!」
それは、実体を持たない通常の分身ではない。
チャクラによって生み出された、実体のある影分身。
それぞれが独立して動き、攻撃することができる。
そして何より――。
ナルトのチャクラ量は、アカデミーの生徒としては異常なほど多かった。
「へへっ……」
大勢のナルトが、一斉に笑った。
「今度はこっちの番だってばよ!」
「や、やめろ! 来るな!」
ミズキは水遁の印を結ぼうとした。
だが、遅かった。
「うおおおおおっ!」
ナルトたちが一斉に駆け出した。
前方から飛びかかる者。
左右に回り込む者。
背後へ回って足を狙う者。
ミズキが一人を殴り飛ばしても、影分身は消えずに次々と襲いかかってくる。
「ぐあっ!」
拳が頬にめり込む。
「がっ!」
蹴りが腹部に突き刺さる。
「このガキどもがぁっ!」
ミズキは必死に抵抗した。
水遁で数人を吹き飛ばし、苦無を振るって攻撃をしのぐ。
しかし、影分身の数は圧倒的だった。
一人を倒しても、別のナルトが襲いかかる。
防御すれば、反対側から殴られる。
距離を取ろうとすれば、足にしがみつかれる。
「これで……終わりだってばよ!」
大勢のナルトが、一斉に跳び上がった。
「うおおおおおおっ!」
拳と蹴りが、ミズキに降り注ぐ。
最後の一撃を受けたミズキは、地面に叩きつけられた。
「ぐ……っ!」
そのまま、動かなくなった。
森に静寂が戻る。
やがて、影分身たちが次々と消えていった。
最後に残ったナルトは、荒い息を吐きながらミズキを見下ろした。
「……やった、のか?」
「やったな、ナルト」
心が近づき、ナルトの肩を軽く叩いた。
「お前の勝ちだ」
「へへっ……だってばよ!」
ナルトは笑った。
しかし、その笑顔は少しだけぎこちなかった。
先ほど聞かされた言葉が、まだ胸に残っているのだろう。
心は何も言わず、ナルトの隣に立った。
すると、背後からイルカの声が聞こえた。
「ナルト……」
二人が振り返る。
イルカは苦痛に顔をしかめながらも、ゆっくりと立ち上がっていた。
「お前は……本当に、よく頑張ったな」
「イルカ先生……」
ナルトの顔がくしゃりと歪んだ。
「俺……本当に、ここにいていいのかな?」
小さな声だった。
いつもの騒がしさはない。
ただ、長い間抱えてきた不安が、ぽつりとこぼれ落ちた。
「みんな、俺のこと嫌ってるんだろ? 俺の中に九尾がいるから……」
イルカは首を横に振った。
「少なくとも、俺はお前を嫌っていない」
「……でも」
「お前が何者であろうと、お前がこれまで努力してきたことは変わらない。お前が友達を大切にしていることも、火影を目指していることもな」
イルカは、ナルトの頭に手を置いた。
「俺はお前を信じている。これからも、お前の先生でいるつもりだ」
ナルトの目から、涙がこぼれた。
「……うっ……イルカ先生ぇ……!」
ナルトはイルカに抱きついた。
イルカは痛みに顔をしかめながらも、しっかりとナルトを抱きしめ返した。
「馬鹿野郎……泣くな。お前は立派にやり遂げたんだ」
「だって……だってよぉ……!」
ナルトは泣きながら、何度もイルカの服をつかんだ。
心はその光景を、静かに見守っていた。
(よかった……)
原作で知っていた場面。
それでも、実際に目の前で見ると、胸に込み上げるものがあった。
ナルトが欲しかったもの。
それは、誰より強くなることだけではない。
自分を認めてくれる誰か。
自分を信じてくれる誰か。
そして、自分がここにいてもいいのだと思わせてくれる居場所。
イルカは、その最初の一人だった。
心は、ふと自分の手を見つめた。
自分にも、もう一人、友達がいる。
「……ナルト」
呼びかけると、ナルトが涙で濡れた顔を向けた。
「ん……?」
「お前は、お前だろ」
心は穏やかに微笑んだ。
「九尾が封印されていることと、お前がナルトであることは別の話だ。俺は、お前と一緒にアカデミーで過ごしてきた。お前が努力していることも知っている」
ナルトは、じっと心を見つめた。
「だから、これからもよろしくな」
一瞬の沈黙。
そしてナルトは、勢いよく涙をぬぐった。
「当たり前だってばよ!」
いつもの大きな声が、森に響く。
「俺は絶対に火影になる! そしたら、里の全員に認めさせてやるんだ!」
「そうか。なら、俺も負けていられないな」
「なに言ってんだよ! 火影になるのは俺だってばよ!」
「はいはい」
「はいは一回だってばよ!」
心は思わず笑った。
イルカも、痛みに耐えながら小さく笑った。
やがて、里から駆けつけた忍たちが森へ到着した。
気絶したミズキは拘束され、禁術の巻物も回収されることになった。
心が巻物の中で見つけた術。
イルカが巻物を確認している間、心はその内容を思い返していた。
巻物に記されていた水遁の術。
それは、単なる水流弾ではなかった。
水遁・水流弾の術――改式。
通常の水流弾は、口から水を放ち、敵へぶつける攻撃術だ。
しかし、巻物に記されていたのは、水をただ撃ち出すための術ではない。
チャクラによって水流の内部に渦を作り、放出した水の塊を複数の流れに分け、対象の動きに合わせて軌道を変える。
直線的な攻撃を避けられても、分かれた水流が横や背後から追い込む。
さらに、水流の密度と回転を調整することで、打撃にも拘束にも使える。
術の名は、こう記されていた。
水遁・渦流弾(かりゅうだん)。
ただし、巻物の記述は未完成だった。
水流を分岐させる制御方法には、まだ改善の余地がある。複数の流れを同時に操るには、繊細なチャクラ操作も必要だった。
心が先ほど実際に放った水流弾は、基本の術にすぎない。
渦流弾を完全に使いこなすには、さらに研究と修練が必要だろう。
(面白い術だな……)
心は巻物を見つめた。
水の性質を利用して攻撃の軌道を変える。
ただ威力を上げるのではなく、相手の回避そのものを攻略する発想だ。
自分なら、さらに発展させられるかもしれない。
もっとも、今はそれより優先すべきことがある。
心はナルトとイルカへ視線を向けた。
ナルトはまだ目元を赤くしていたが、先ほどまでの暗い表情は消えていた。
イルカはナルトの肩に手を置き、何かを話している。
その光景を見ながら、心は胸の中で決意した。
(これから先、何が起きても……俺は、こいつの友達でいよう)
この世界には、まだ知らないことが多い。
自分の一族の真実も。
緋の眼に隠された力の正体も。
そして、忍の世界でこれから待ち受ける数々の戦いも。
だが、少なくとも今は。
目の前の友人が笑っている。
それだけで、十分だった。
その夜、うずまきナルトは多重影分身の術を習得し、ミズキを打ち破った。
物語は原作と少しだけ違う道を進み始めた。
けれど、ナルトとイルカの絆は変わらない。
それは、どんな力にも代えられないものだった。