木ノ葉隠れの里を出発して、しばらくが経った。
第七班の四人は、依頼人であるタズナを囲むようにして歩いていた。
タズナは酒瓶を片手に、いかにも不機嫌そうな顔をしている。
「まったく、木ノ葉の忍者ってのは随分と若いんだな。こんなガキどもに護衛が務まるのか?」
「なんだとーっ!? オレたちは立派な忍者だってばよ!」
ナルトが即座に反論した。
「ふん。口だけなら何とでも言える」
「このクソジジイ!」
「ナルト、依頼人に向かってクソジジイはないだろ」
心が苦笑しながらたしなめる。
「だってよ、心! こいつ、オレたちのこと全然信用してねーじゃん!」
「信用してもらえるかどうかは、これからの仕事次第だよ」
「うぐっ……!」
ナルトは言葉に詰まり、悔しそうに唸った。
その様子を見て、サスケが鼻を鳴らす。
「騒ぐな。実力で黙らせればいいだけだ」
「お前まで偉そうに言うなってばよ!」
「何だと?」
「はいはい、喧嘩しない!」
サクラが二人の間に割って入った。
カカシは少し離れたところから、そのやり取りを眺めていた。
「いやぁ、元気があっていいねえ」
「どこがだ!」
ナルトが振り返って叫ぶ。
「おっと、依頼人より先に君たちが疲れちゃ困るからね。ほどほどにね」
「……絶対、面白がってるだろ」
心が呟くと、カカシは片目を細めた。
「さあ、どうだろうね」
心は小さく息を吐いた。
このやり取りだけを見れば、いつもの任務と大差はない。
しかし、心の意識は周囲にも向けられていた。
道の脇に生える草。
木々の隙間。
地面に残る足跡。
そして、妙に静かな空気。
原作の記憶が正しければ、そろそろだ。
そのとき。
「……ん?」
心の視界に、水たまりが入った。
雨の降った形跡はない。
それなのに、道の真ん中にだけ、不自然な水たまりができている。
心は視線を向けたまま、歩調を変えなかった。
――来たか。
心は隣を歩くサスケに、ごく自然な調子で声をかけた。
「サスケ。少し周囲を警戒しておけ」
「……何かいるのか?」
「まだ確証はない。でも、用心しておいたほうがいい」
サスケの表情が引き締まる。
「わかった」
反対側では、ナルトも二人の会話に気づいていた。
「心、何か見つけたのか?」
「静かに。今は普通に歩いていてくれ」
ナルトは一瞬だけ口を閉じた。
普段ならすぐに騒ぎ出すところだが、修行を通して心から何度も教えられてきた。
戦いでは、相手に自分の意図を悟らせないことも大切だ。
ナルトは自然に歩き続けながら、周囲へ注意を向けた。
その変化に、カカシも気づいた。
心が何かを察知したらしい。
そして、ナルトとサスケもそれに反応している。
カカシは内心で感心した。
二人とも、以前ならこうした場面で周囲を警戒するより、目の前の出来事に反応していたはずだ。
心との修行が、確実に二人を変えている。
だが、まだ油断はできない。
カカシはさりげなくタズナとの距離を詰めた。
次の瞬間だった。
――バシャッ!
水たまりが弾けた。
二つの影が、地面から飛び出す。
「っ!」
黒い装束に身を包んだ二人の忍が、鎖で繋がれた刃物を振り回しながら、カカシへと襲いかかった。
「死ねぇっ!!」
刃がカカシの身体を切り裂く。
いや――正確には、切り裂いたように見えた。
「なっ!?」
二人の忍が目を見開く。
カカシの身体が崩れ、地面に倒れ込んだ。
「水……分身!?」
サクラが驚きの声を上げる。
しかし、敵の動きは止まらない。
二人は鎖を引き、刃を再び振り回す。
その標的は、カカシではなかった。
タズナだ。
「依頼人を狙っている!」
心は瞬時に判断した。
敵の刃がタズナへ届くより早く、心の身体が動く。
緋の眼が、鮮やかに輝いた。
敵の動きが、わずかに遅く見える。
鎖の軌道。
刃の角度。
踏み込みの位置。
すべてが、明瞭に視界へ飛び込んできた。
心は地面を蹴った。
「させるか!」
一人目の忍が刃を振り下ろす。
心は身をひねって回避し、相手の懐へ踏み込んだ。
掌底を鳩尾へ叩き込む。
「ぐっ……!」
敵の身体がくの字に折れた。
そのまま腕を掴み、相手の体勢を崩す。
もう一人の忍が、鎖を引いて刃を戻した。
心は倒れかけた敵の身体を押し出し、飛んできた刃の軌道をずらす。
金属音が響いた。
「チッ!」
敵が距離を取ろうとする。
しかし、その進路にはすでにサスケが回り込んでいた。
「逃がすか!」
サスケがクナイを投げる。
敵は身をひねって避けたが、その一瞬の隙を、ナルトは見逃さなかった。
「影分身の術!」
煙が弾け、ナルトの分身が現れる。
複数のナルトが左右から迫り、敵の逃げ道を塞いだ。
「なっ、ガキが……!」
敵が鎖を振り回す。
ナルトたちは散開しながら攻撃を避け、一斉に距離を詰めた。
「こっちだってばよ!」
本体のナルトが低い姿勢から踏み込み、敵の足を払う。
相手が体勢を崩した瞬間、サスケのクナイが首元へ突きつけられた。
「動くな」
もう一人の忍も、心によって地面へ押さえつけられている。
戦闘開始から、ほんのわずかな時間だった。
サクラは呆然とした顔で、三人を見ていた。
「……うそ」
下忍になって間もない少年たちが、正体不明の襲撃者をあっという間に制圧したのだ。
しかも、心だけではない。
ナルトもサスケも、敵の動きに的確に対応していた。
以前の彼らなら、こうも落ち着いて連携することは難しかっただろう。
カカシは水分身を解き、本体の姿を現した。
「いやあ、驚いたね」
いつもの調子だったが、その目は真剣だった。
「三人とも、よく動けた。特に心、よく敵の狙いを見抜いたね」
心は緋の眼を維持したまま、敵の腕を押さえていた。
「最初から先生を狙っているようには見えませんでした。動きがタズナさんのほうへ向かっていたので」
「なるほどね」
カカシは倒れている二人へ視線を向ける。
「さて、と。君たちは何者かな?」
敵は答えなかった。
だが、忍具や装束から、普通の山賊ではないことは明らかだった。
カカシは二人を拘束し、武器を取り上げた。
「この二人は、こちらで調べる必要がありそうだ。任務中に依頼人を狙うとは、穏やかじゃないね」
心は、タズナの様子を確認した。
「タズナさん、お怪我はありませんか?」
「あ、ああ……大丈夫だ」
タズナは胸を押さえながら頷いた。
しかし、その額には汗が浮かんでいる。
「まさか、いきなり襲われるとは……」
「先生。これは、ただの護衛任務ではないんじゃないですか?」
心の問いかけに、カカシの目がわずかに細くなった。
タズナの表情が、一瞬だけ強張った。
その変化を、心は見逃さなかった。
「……タズナさん?」
「な、何だ?」
「何か、俺たちに伝えていないことがありませんか?」
タズナは口をつぐんだ。
ナルトも、いつになく真剣な顔で依頼人を見ている。
サスケはクナイを下ろしながらも、警戒を解いていない。
カカシは静かに告げた。
「タズナさん。今の襲撃を見れば、あなたが狙われている可能性は高い。依頼人として、こちらに必要な情報を伝えてもらいたい」
「…………」
タズナはしばらく沈黙した。
やがて、諦めたように息を吐く。
「……わかった。話そう」
その声には、先ほどまでの強がりがなかった。
「だが、ここでは話せん。波の国へ向かいながら、すべて説明する」
カカシは少し考え、頷いた。
「わかりました。ただし、これ以上危険が増すようなら、任務の継続について判断し直す必要があります」
「……ああ」
一行は再び歩き始めた。
だが、空気は先ほどまでとは明らかに違っていた。
ナルトは拳を握りしめている。
「くそっ……あいつら、タズナのおっちゃんを殺そうとしてたんだな」
「そういうことだろうな」
心は答えた。
「でも、何のために?」
「それを、これから聞くんだ」
サスケが静かに言った。
彼の表情には、戦闘の興奮よりも、警戒心が強く浮かんでいる。
心は前を向いた。
――原作の流れなら、この襲撃は始まりにすぎない。
そして、ここから先は本当に危険な任務になる。
心は緋の眼を解除し、周囲への警戒を続けた。
* * *
それからしばらく歩いたころ。
タズナは、波の国の現状について語り始めた。
波の国は、海に囲まれた小さな国だ。
かつては貧しくとも、人々が力を合わせて暮らしていた。
しかし、今は違う。
ガトーという大富豪が、海運会社を利用して国の経済を支配し、人々を苦しめている。
タズナは、そんな波の国を変えるために、大きな橋を造ろうとしていた。
「橋が完成すれば、波の国は変わる。ガトーの支配から抜け出せるかもしれん」
その声には、強い決意があった。
「だが、あいつは橋を完成させたくない。だから、わしを消そうとしているんだろう」
ナルトの表情が険しくなる。
「そんなの、ひでえってばよ!」
「だからこそ、皆さんに頼んでいるんだ」
タズナは苦々しい顔で続けた。
「……本当は、Cランクの護衛任務として依頼した。だが、あの男が忍を雇っているとなれば、話は変わる」
サクラが不安そうにカカシを見る。
「先生……」
「そうだね。忍が本格的に関わっているなら、Cランクの範囲を超える可能性がある」
カカシはタズナに視線を向けた。
「依頼人の説明が最初から正確であれば、こちらも別の判断ができたんですがね」
「……すまん」
タズナは目を伏せた。
しばらく沈黙が続いた。
ナルトは悔しそうに拳を握りしめていた。
「……でも、オレたちはもう引き返さねえぞ」
「ナルト?」
心が隣を見る。
ナルトはタズナをまっすぐに見つめていた。
「依頼を受けたんだ。だったら、最後まで守る! そうだろ、心!」
心は少しだけ目を見開いた。
原作のナルトらしい、まっすぐな言葉。
しかし、今のナルトは以前よりも、少しだけ冷静だった。
危険があると知っても、ただ勢いだけで突っ走っているわけではない。
それでも、自分の意思で守ると決めたのだ。
「……そうだな」
心は頷いた。
「ただし、危険があることは忘れるな。先生の指示を守り、全員で帰ること。それが条件だ」
「わかってるってばよ!」
サスケも短く口を開いた。
「俺も異論はない。敵が来るなら、返り討ちにするだけだ」
「二人とも……」
サクラは不安そうにしながらも、二人の言葉を聞いて顔を上げた。
「私も、ちゃんとやるわ」
カカシは教え子たちを見渡し、静かに頷いた。
「……よし。では、任務を継続しよう。ただし、ここから先は一層警戒を強める」
四人は返事をした。
そして、再び波の国へ向かって歩き出した。
* * *
森の中。
道の両側には、背の高い木々が立ち並んでいる。
風が吹き抜け、枝葉が揺れた。
そのとき、カカシが足を止めた。
「……全員、止まって」
低い声だった。
ナルトたちも、すぐに足を止める。
「先生?」
サクラが小声で尋ねた。
カカシは答えず、前方へ視線を向けていた。
心も、空気の変化を感じ取っていた。
先ほどの襲撃者たちとは違う。
もっと重い気配。
そして、明確な殺意。
森の奥から、ゆっくりと人影が現れた。
巨大な剣を肩に担いだ男。
口元を覆う包帯のような布。
額当てには、横一文字の傷。
霧のように静かな足取りで、男は道の上に立った。
「……ようやく見つけたぜ」
低く、冷たい声。
「橋造りのジジイを渡してもらおうか」
タズナの顔から、血の気が引いた。
「ま、まさか……!」
カカシの目が鋭くなる。
「……桃地再不斬」
霧隠れの抜け忍。
かつて暗殺部隊でも名を知られた、危険な忍。
再不斬は巨大な断刀・首斬り包丁を肩から下ろした。
「へえ……俺の名を知ってるとはな。木ノ葉の忍も、少しは物知りらしい」
その視線が、カカシから心たちへと移る。
「だが、ずいぶんと若いガキを連れているじゃねえか。こんな連中で俺を止められると思っているのか?」
ナルトが一歩前に出ようとした。
だが、心は手を軽く伸ばし、それを制した。
「ナルト、待て。相手は今までの敵とは違う」
「……わかってるってばよ」
ナルトは悔しそうにしながらも、踏みとどまった。
サスケもクナイを構え、再不斬の動きを観察している。
心は緋の眼を発動した。
鮮烈な赤が、森の薄暗さの中で浮かび上がる。
再不斬の目が、わずかに細くなった。
「……ほう。そいつは何だ?」
心は答えない。
ただ、相手の一挙手一投足を見逃さないよう、意識を集中させていた。
再不斬から放たれる殺気は、先ほどの二人とは比べものにならない。
経験も、実力も、明らかに上だ。
だが、恐怖に呑まれるつもりはなかった。
自分には、緋の眼がある。
積み重ねてきた修行がある。
そして、守るべき仲間がいる。
カカシは額当てをずらし、左目を露わにした。
「……みんな、下がっていろ」
その声は、いつもの気の抜けたものではなかった。
「こいつは、俺が相手をする」
再不斬は口元を歪めた。
「面白え……。まずはお前から始末してやるよ、写輪眼のカカシ」
森を吹き抜ける風が、ぴたりと止んだように感じられた。
そして――。
霧隠れの抜け忍、桃地再不斬との戦いが始まろうとしていた。