――暑い青春からは、逃れることができなかった。
心は、目の前の光景を見て深く後悔していた。
中忍試験の会場へ向かう途中、心たち第七班の四人は、訓練場のような広場を横切っていた。
周囲には試験を受けに来た忍たちがちらほらと見える。あまり長居する必要もない。さっさと試験会場へ向かおう。
心がそう考えていた、その時だった。
「待ってましたよぉぉぉっ!」
聞き覚えのある、やたらと熱のこもった声が響き渡った。
四人が振り向く。
そこにいたのは、黒いボディスーツにオレンジ色のゲートル、そして特徴的なおかっぱ頭の少年だった。
ロック・リー。
心は思わず天を仰ぎたくなった。
(マジかよ……。あの場面を避けたと思ったら、結局こっちで捕まるのかよ)
先ほどの建物の入口では、幻術を見破ってさっさと立ち去った。リーに見つかっていたことには気づいていたが、まさか広場で待ち伏せされているとは思わなかった。
いや、原作を知っているなら、むしろ予想すべきだったのかもしれない。
心が内心で盛大にため息をついていると、リーはまっすぐサスケの前へ進み出た。
「うちはサスケ君! そして、心君!」
二人を交互に見つめ、リーは目を輝かせた。
「お二人のことは、以前からよく知っています! サスケ君の写輪眼、そして心君の優れた実力! ぜひとも、この目で確かめたいと思っていたのです!」
「……なんだ、お前」
サスケは露骨に面倒そうな顔をした。
リーはそんな反応など気にも留めず、さらに熱弁を続ける。
「あなた方二人には、並々ならぬものを感じます! 特にサスケ君、あなたの実力をぜひこの場で確かめさせていただきたい!」
「うるさい。興味ない」
「そうですか! では、ぜひ興味を持っていただけるよう、全力でお相手しましょう!」
「人の話を聞け」
心は二人のやり取りを眺めながら、内心でため息をついた。
(できれば、ここで関わらずに通り過ぎたかったんだけどな……)
リーの熱意は本物だ。努力家であることも知っている。忍術や幻術の才能に恵まれなかった分、体術をひたすら鍛え上げた男。
そこは素直に尊敬できる。
ただし、今は関わりたくなかった。
心がそんなことを考えていると、リーの視線がふいにサクラへと移った。
そして――。
「……!」
リーの動きが止まった。
目を見開き、頬を赤く染める。
「な、なんということでしょう……!」
「え?」
サクラが怪訝そうに首を傾げた。
リーは胸の前で両手を握りしめ、感極まった様子で叫んだ。
「あなたのように美しい方が、この世にいらっしゃったとは! まさに運命! これこそ青春の奇跡です!」
「……は?」
サクラの顔から表情が消えた。
リーは構わず一歩踏み出す。
「サクラさん! どうか、僕とお付き合いしてください!」
「お断りよ」
即答だった。
だが、リーは折れない。
「その凛としたお返事も素晴らしい! しかし、僕は諦めません! あなたが振り向いてくださるまで、この熱い思いを――」
「だから、嫌だって言ってるでしょ!」
サクラは明らかに嫌そうな顔をしていた。
ナルトはぽかんと口を開け、サスケは興味を失ったように視線を逸らしている。
心はというと、すでに精神的な疲労を感じ始めていた。
(サスケに勝負を挑むだけならまだいい。なんでサクラまで巻き込むんだよ……)
しかも、ここから先の展開まで覚えている。
嫌な予感しかしなかった。
「サクラさん! 僕の気持ちを受け取ってください!」
リーは両手を広げ、爽やかな笑顔を浮かべた。
そして、唇をすぼめる。
「ん~~~~っ、チュッ!」
投げキッスが飛んだ。
「ひぃっ!?」
サクラは戦慄に凍りついた表情で身をよじり、紙一重でそれを避けた。
「な、何すんのよ、この変な人ぉぉぉっ!」
「おおっ! 見事な反応速度! さすがです、サクラさん!」
「褒めてないでやめなさいよ!」
再び飛んでくる投げキッス。
サクラは必死の形相で避ける。
右へ、左へ、時には身を屈めて。
その姿は、もはや忍の修行というより、奇妙な攻撃を回避する訓練だった。
心は片手で顔を覆った。
(勘弁してくれ……)
原作通り。
あまりにも原作通りだった。
いや、サクラの体術が以前より成長している分、投げキッスを避ける動きだけは妙に洗練されている気がする。
そんなことに気づいてしまった自分が嫌だった。
「おい、リーとか言ったな!」
とうとうナルトが我慢できなくなった。
「サクラちゃんが嫌がってるだろ! いい加減にしろってばよ!」
ナルトが前へ出ようとする。
だが、その肩をサスケが押さえた。
「お前は下がってろ」
「なっ、なんだよ、サスケ!」
「俺がやる」
サスケがリーを睨みつけた。
その瞳には、明確な対抗心が宿っている。
リーは投げキッスをやめ、サスケへと向き直った。
「どうやら、ようやく相手をしていただけるようですね」
「さっさとかかってこい」
「いいでしょう!」
リーは構えを取った。
次の瞬間、二人の姿が動いた。
最初に仕掛けたのはサスケだった。
踏み込みからの鋭い蹴り。
リーは腕で受け流す。サスケはその動きを読んで、続けざまに拳を繰り出した。
リーは半歩退いて回避し、反撃の蹴りを放つ。
サスケは身を捻ってかわし、地面を蹴って距離を詰めた。
速い。
以前のサスケなら、ここまで滑らかに攻撃を繋げることはできなかっただろう。
波の国での戦いを経て、サスケの体術は大きく成長していた。
水面歩行や木登りで培った精密なチャクラコントロール。それを戦闘中の足運びや瞬発力に応用し、さらに瞬身の術まで身につけたことで、動きの鋭さが増している。
ハクとの死闘で写輪眼を開眼したことも、相手の動きを捉える力を底上げしていた。
もっとも、写輪眼はまだ一つ巴。
すべての動きを見切れるわけではない。
「やるじゃないか、サスケ!」
ナルトが興奮した声を上げる。
サクラも投げキッスの脅威から解放されたこともあって、二人の戦いに目を向けていた。
心は黙って観察していた。
(サスケ、かなり伸びたな)
体術の基礎だけなら、すでに同年代の忍の中でも相当な水準に達している。
だが、相手はロック・リーだ。
忍術や幻術に頼らず、体術だけを徹底的に磨き上げた少年。
その差は、戦いが進むにつれて明らかになっていった。
サスケの拳がリーの頬をかすめる。
リーは頭をわずかに傾けてかわし、そのままサスケの懐へ潜り込んだ。
「なっ……!」
サスケが反応するよりも早く、リーの足が地面を蹴る。
低い位置からの蹴りがサスケの体勢を崩し、続く攻撃がその隙を狙った。
サスケは腕を交差して防御するが、衝撃で数歩後退する。
リーは追撃を止めなかった。
拳、蹴り、踏み込み。
無駄のない連撃がサスケを追い詰めていく。
「くっ……!」
サスケは歯を食いしばり、攻撃を受け流しながら反撃の機会を探す。
それでも、リーの動きは速かった。
やがて、リーの蹴りがサスケを捉え、彼の体が宙へと浮いた。
「サスケ!」
ナルトが叫ぶ。
リーはそのまま跳躍し、サスケの背後へ回り込む。
サスケの体を捕らえ、地面へ叩きつけようとした――その瞬間。
「そこまでだ!」
鋭い声が響き渡った。
リーの動きが止まる。
サスケの体を地面へ叩きつける寸前、リーは苦しげに歯を食いしばりながら、攻撃を中断した。
心は小さく息を吐いた。
(危なかったな)
リーが使おうとしていたのは、表蓮華。
相手を空中で拘束し、回転しながら地面へ叩きつける高威力の体術だ。
サスケを空中へ蹴り上げるために使ったのは、影舞葉。
リーは影舞葉で相手の背後を取り、表蓮華へと繋げようとしていたのだ。
このまま続いていれば、サスケは大きなダメージを負っていた可能性が高い。
もちろん、原作通りの展開だった。
ただし、サスケの成長を考えれば、リーも決して余裕だったわけではない。
サスケは地面に降ろされると、すぐに体勢を立て直した。
悔しそうに唇を噛み、リーを睨みつける。
「……まだだ」
「サスケ、もういい!」
ナルトが声を上げた。
だが、サスケは納得していない様子だった。
「うるさい。まだ終わってない」
「お前なぁ!」
「そこまでだと言っている!」
再び響いた声に、全員が振り向いた。
そこには、緑色のボディスーツを着た大柄な男が立っていた。
太い眉に、特徴的な髪型。
そして、全身から溢れ出す圧倒的な熱気。
「ガイ先生!」
リーが姿勢を正し、勢いよく敬礼した。
「申し訳ありません! 僕はつい、青春の炎を燃やしすぎてしまいました!」
「リーよ! 若さゆえの情熱は素晴らしい! だが、時には自分を抑えることも必要だ!」
「はいっ!」
二人は互いに親指を立て、白い歯を輝かせた。
眩しい。
とにかく眩しい。
心は無言で視線を逸らした。
(暑苦しい……。予想していたけど、実物は想像以上だ)
ナルトは目を丸くし、サクラはようやく解放されたとばかりに胸を撫で下ろしている。
サスケは不満そうに顔を背けていた。
ガイはそんな教え子を一瞥した後、ナルトたちへと向き直った。
「君たち、うちのリーが迷惑をかけたようだな。すまない!」
「い、いえ……」
サクラは引きつった笑顔で答えた。
その顔には、先ほどの投げキッスの恐怖がまだ残っていた。
ガイは豪快に笑い、次の瞬間、拳を握りしめた。
「しかし! 君たちもなかなかの実力者のようだ! 特にサスケ君! そして心君!」
ガイの視線が心へ向く。
「君のことも、ぜひ覚えておきたい!」
心は曖昧に笑った。
「……どうも」
できれば、これ以上目をつけられたくない。
心の本音は、もちろん口には出さなかった。
その時だった。
ガイの姿が消えた。
「えっ!?」
ナルトが驚きの声を上げる。
サクラもサスケも、一瞬何が起きたのかわからなかった。
次の瞬間、ガイは四人の背後に立っていた。
まるで、最初からそこにいたかのように。
「青春とは、出会いだ!」
ガイは親指を立て、白い歯を輝かせた。
「君たちの未来に、熱い青春が訪れることを願っているぞ!」
心以外の三人は、完全に言葉を失っていた。
だが、心だけは違った。
ガイが動き出した瞬間、その姿を目で追っていたのだ。
もちろん、完全に見切れたわけではない。
ただ、動き始めから移動の軌道、そして停止するまでの流れを、かろうじて捉えていた。
ガイは四人の反応を確かめるように笑っていたが、ふと心へ視線を向けた。
「……ほう?」
その目が、わずかに細められる。
「心君。今の私の動きを、見ていたのか?」
「ええ。完全に捉えられたわけではありませんが」
心は正直に答えた。
「動き出しと、移動した方向くらいなら」
ガイの表情が変わった。
先ほどまでの豪快な笑顔はそのままに、瞳の奥に鋭い光が宿る。
「素晴らしい!」
ガイは心の前へ歩み寄った。
「君はまだ若い。それでいて、あの動きを目で追えるとは! 日頃から相当な鍛錬を積んでいるのだろう!」
「まあ、それなりには」
「それなり、か!」
ガイは大きく頷いた。
「謙遜もまた美徳! だが、若者よ! 鍛錬の成果は、決して嘘をつかない!」
(いや、謙遜というか、説明するのが面倒なだけなんだけどな……)
心は心の中で呟いた。
写輪眼のように動体視力そのものが強化されているわけではない。
心が見ていたのは、鍛え上げた反応速度と観察力、そしてチャクラの流れを捉える感覚を総動員した結果だ。
それでも、ガイの動きを完全に追えるほどではなかった。
目の前の男は、体術の専門家だ。
しかも、将来的には忍界でも指折りの体術使いとなる人物である。
今の自分が簡単に勝てる相手ではない。
――だからこそ、心は余計なことを言わないようにした。
「心君!」
「はい?」
「いつか、ぜひ君とも手合わせを願いたい!」
「……機会があれば」
心は笑顔で答えた。
内心では、全力で機会が訪れないことを祈っていた。
しかし、ガイはその返答を前向きに受け取ったらしい。
「よし! その日を楽しみにしているぞ!」
再び親指が立てられる。
隣ではリーも、目を輝かせていた。
「心君! 僕も、あなたとの手合わせを諦めてはいませんからね!」
「……そうか」
心は遠い目をした。
サスケは悔しさを隠そうともせず、拳を握りしめている。
ナルトは、リーとガイの熱血ぶりに若干引きながらも、サスケの戦いを見て何かを感じ取ったようだった。
サクラはというと、リーと目が合わないよう、心の背後へそっと移動していた。
「それでは、失礼する!」
ガイはリーの肩を叩き、豪快に笑いながら去っていった。
「サクラさぁぁぁん! 僕はいつでもあなたのことを――」
「二度と投げキッスしないで!」
サクラの怒声が広場に響く。
リーは少しだけ肩を落としたが、すぐに顔を上げた。
「これも青春の試練……! 僕は決して諦めません!」
「諦めなさいよ!」
サクラの叫びを背に、リーたちは遠ざかっていった。
心は深く息を吐く。
(……やっと終わった)
そう思ったのも束の間だった。
「心」
サスケが声をかけてきた。
「なんだ?」
「今のガイという男。お前には、どの程度の強さに見えた?」
心は少し考えた。
「体術に関しては、相当なものだと思う。少なくとも、さっきのお前が正面から勝つのは難しいだろうな」
「……そうか」
サスケは悔しそうに視線を落とした。
「だが」
心は続けた。
「お前も、十分に強くなっている。今日負けたからといって、今までの努力が無駄になるわけじゃない」
「慰めはいらない」
「慰めじゃない。事実だよ」
サスケは返事をしなかった。
それでも、拳を握る力が少しだけ緩んだ。
ナルトはそんな二人の会話を聞きながら、むっとした顔をする。
「なんだよ、二人とも! オレだって強くなるからな!」
「わかってるよ、ナルト」
心は笑った。
「だからこそ、これからも鍛錬を続けるんだろ?」
「おう! 絶対にサスケにも負けねーってばよ!」
「ふん。口だけにならないようにしろ」
「なんだとー!」
二人が言い合いを始める。
サクラは呆れたようにため息をついた。
心は三人を眺めながら、気持ちを切り替えた。
リーとの遭遇は、予想していた展開だった。
そして、ガイの動きもまた、今の自分にとって貴重な参考になった。
中忍試験には、各国から優秀な忍が集まっている。
サスケだけでなく、ナルトもサクラも、そして自分も、この試験を通して何かを得ることになるだろう。
だが、心の脳裏には、別の光景も浮かんでいた。
大蛇丸。
我愛羅。
そして、これから起こるはずの数々の事件。
中忍試験は、ただの昇級試験ではない。
木ノ葉の里にとって、極めて危険な転機となる。
(……気を引き締めないとな)
心は歩き出した。
「ほら、行こう。試験に遅れるぞ」
「おう!」
「わかってるわよ」
「……ああ」
四人は再び試験会場へと向かった。
その背後では、少し離れた場所から、リーが心たちの姿を見つめていた。
特に、心とサスケ。
そして、ガイもまた、先ほどの心の反応を思い返していた。
若い忍たちの中に、興味深い才能がいる。
それも、一人ではない。
中忍試験は、まだ始まったばかりだった。