試験会場に、紙をめくる音と鉛筆が走る音が響き始めた。
「――それでは、第一の試験を開始する」
森乃イビキの声が会場に響く。
「制限時間は一時間。試験中の私語は禁止。規則を破った者には減点、規則に従えない者は失格とする。以上だ」
その言葉を最後に、イビキは腕を組んで受験者たちを見渡した。
こうして、中忍選抜試験の第一試験――筆記試験が始まった。
心は問題用紙を手に取り、静かに目を通す。
(さて、どんな問題が出るのやら……)
そう考えながら、一問目に目を落とした心は、ほんのわずかに眉を動かした。
(……あれ?)
続けて二問目、三問目と目を通す。
そして、小さくため息をこぼした。
(最後の一問以外、普通に解ける問題ばかりじゃないか)
もちろん、簡単な問題ばかりというわけではない。忍者としての知識や計算、状況判断を求められる問題もある。
しかし、心にとっては難問ではなかった。
転生したと自覚してから、心は学校に通うようになると、学べるものは貪欲に吸収してきた。
忍術や体術の訓練はもちろん、一般教養も例外ではない。
文学もその一つだった。
授業を真面目に受け、課題をこなし、試験のたびに知識を積み重ねてきた。その結果、文学の成績では春野サクラと一位、二位を争うほどになっていた。
忍者だからといって、忍術だけを学べばいいわけではない。
情報を読み解き、相手の意図を理解し、状況を正確に判断する。そのためには幅広い知識が必要だと、心は考えていた。
(本来なら、ここで受験者に紛れ込んでいる試験官側の人間を見つけて、情報を盗むのが正解なんだろうけど……)
この試験は、単純な学力試験ではない。
忍者に必要な情報収集能力と、見つからずに情報を得る技術を試すものだ。
問題が解けないからといって、焦って不自然な行動を取れば減点される。試験官の目を盗んで情報を得ることこそが、試験の本質だった。
だが。
(これなら、わざわざカンニングする必要もないんだよな……)
少しだけ申し訳ない気持ちになった。
とはいえ、解ける問題をわざと間違える必要もない。
心は鉛筆を走らせ、次々と答案を埋めていった。
少し離れた席では、サクラも同じように問題を解いている。
彼女の鉛筆も止まることなく、流れるように答案用紙の上を動いていた。
(サクラも問題なさそうだな)
心は内心で安堵する。
彼女が日頃から努力を積み重ねてきたことは、誰よりも近くで見てきた。
忍術の訓練だけでなく、学業にも手を抜かない。もともとの優れたチャクラコントロールに加え、努力を続けられる根気もある。
今回の筆記試験で苦戦するとは思っていなかった。
心は視線をわずかに動かし、サスケの様子を確認する。
(……固まってるな)
サスケは問題用紙を睨んだまま、鉛筆を動かしていなかった。
だが、心はさほど心配していない。
(まあ、サスケならすぐに気づくだろう。写輪眼もあるしな)
問題は、もう一人だった。
心は視線を前方へ戻す。
ナルトの背中からは、焦りと絶望がありありと伝わってきた。
(……あいつ、大丈夫かな)
いや、答案の出来だけなら大丈夫ではないだろう。
何しろ心は、原作の展開を知っている。
ナルトはほとんど問題を解けない。それでも、最後まで諦めないことで合格を勝ち取る。
だからこそ、心が心配しているのは別のことだった。
(頼むから、原作と違う行動だけはするなよ……)
心は小さく息を吐き、再び問題用紙へ目を戻した。
ナルトを信じるしかない。
そして会場のあちこちでは、受験者たちがそれぞれの方法で情報を集め始めていた。
ある者は、視線だけで他人の答案を盗み見る。
ある者は、忍術を使って離れた席の答案を確認する。
またある者は、試験官の死角を見極め、巧みに情報を抜き取っていく。
その一つ一つを見れば、彼らがただの子供ではなく、忍者として試験に臨んでいることがよく分かった。
そして、ナルトは――。
* * *
◇ナルト視点◇
(やべえってばよ……!)
問題用紙を前に、ナルトは冷や汗を流していた。
何度読み直しても、問題の意味が分からない。
いや、意味が分かる問題もある。だが、答えが分からない。
(なんだってこんなに難しいんだってばよ!)
ナルトは勉強が嫌いだった。
じっと座って授業を聞くのも苦手だし、少し難しい内容になると集中が続かなくなる。忍者学校の授業だって、何度も眠くなったし、分からない問題が出てくるたびに頭を抱えていた。
それでも、最近は以前より勉強するようになっていた。
理由は単純。
心が、うるさいくらいに勉強しろと言ってくるからだ。
『ナルト、忍者だからって勉強しなくていいわけじゃないぞ』
『でもよー! 勉強なんかできなくたって、強けりゃいいってばよ!』
『敵の術を知らずに戦うのか? 罠の仕組みが分からなくても突っ込むのか? それで仲間が危険になったらどうする?』
『うっ……』
『それに、勉強ができないからって諦めるのは、お前がいつも言ってる火影になるって夢と矛盾してるんじゃないか?』
『ぐぬぬぬぬ……!』
そんなやり取りを何度繰り返したことか。
おかげで、ナルトは渋々ながら勉強する習慣を身につけていた。
成績も、以前よりはマシになっている。
少なくとも、最下位だけは何とか回避できるようになっていた。
だからこそ、ナルトにはほんの少しだけ自信があったのだ。
(オレだって、やればできるんだってばよ! 心にだって、少しくらい成長したところを見せてやる!)
そんな意気込みで問題用紙を開いた結果が、これだった。
(……分かんねえ)
一問目。
分からない。
二問目。
もっと分からない。
三問目。
何を聞かれているのかすら怪しくなってきた。
(うそだろ……。オレ、何にも分かんねえってばよ……)
額から汗が流れ落ちる。
(やべえ……。このままじゃ、心に殺される……!)
もちろん、心が本当にナルトを殺すわけではない。
だが、試験に落ちたと知った心がどんな顔をするか。それを想像しただけで、ナルトの背筋は凍りついた。
(どうする……どうするんだってばよ……!)
そこで、ナルトはふと思いついた。
(そ、そうだ! カンニングすりゃいいんだ!)
忍者に必要なのは情報収集能力。
つまり、分からない問題の答えを盗み見るのも、立派な忍者の技術なのではないだろうか。
ナルトは恐る恐る顔を上げ、試験官の様子を窺った。
すると――。
目が合った。
試験官は、ニヤリと笑った。
(ひいいいいいいっ!?)
ナルトは慌てて顔を伏せた。
(ダメだ! 絶対ダメだってばよ! 今の、完全に見られてた!)
カンニングをしようとした瞬間に見つかる。
これでは、どうしようもない。
ナルトは頭を抱えた。
(終わった……。オレの忍者人生、終わったってばよ……)
その時だった。
隣から、そっと声が聞こえた。
「……ナルト君」
「ん?」
ナルトは顔を上げた。
そして、隣に座っている少女を見て、目を丸くする。
(あれ? ヒナタ!?)
そこで初めて、隣の席に日向ヒナタがいることに気づいた。
普段から自分を見ている気配には何となく気づいていたものの、まさか隣の席だったとは思わなかったのだ。
ヒナタは頬を赤くしながら、そっと自分の答案用紙をナルトの方へ傾けようとしていた。
「よ、よかったら……私のを……」
(おおおおっ!)
ナルトの顔がぱっと明るくなる。
(ヒナタ、天使かよ!)
これなら助かる。
そう思った瞬間、ナルトの目に別の光景が飛び込んできた。
「失格だ! お前は退場しろ!」
試験官の声が響く。
答案を盗み見ようとした受験者が、試験官に見つかり、会場の外へ連れ出されていた。
さらに別の受験者も、同じように失格を言い渡されている。
(うわああああっ! やっぱりダメだってばよ!)
ナルトは慌てて首を横に振った。
「い、いいんだってばよ! オレは大丈夫だから!」
「で、でも……」
「心配すんな! オレは平気だ!」
そう言って、ナルトは無理やり笑顔を作った。
本当は、まったく平気ではない。
問題は一つも解けそうにないし、カンニングもできない。試験官に見つかれば失格だ。
それでも、ヒナタまで巻き込むわけにはいかなかった。
彼女が自分を助けようとしてくれたことは嬉しい。
だからこそ、これ以上心配させたくなかった。
ヒナタはナルトを見つめ、少しだけ不安そうにしながらも、そっと自分の答案用紙を元に戻した。
(くそっ……!)
ナルトは拳を握りしめる。
(何とかしねえと……!)
だが、時間だけが過ぎていく。
周囲の受験者たちは、次々と答えを埋めているように見えた。
ナルトだけが、取り残されている。
それでも、彼はまだ諦めなかった。
* * *
試験開始から時間が経過していく。
会場には、緊張感が満ちていた。
カンニングを見つけた試験官が、容赦なく減点を告げる。規則に従えなかった受験者たちは、次々と退場させられていった。
心はその様子を横目で確認しながら、最後の問題を除く全ての解答を終えていた。
(やっぱり、情報収集をするまでもなかったな)
問題自体は解けた。
だが、この試験の本質が学力ではないことも理解している。
心は答案用紙を見直し、余計なことをせずに待つことにした。
サクラも、すでに大半の問題を解き終えている。
一方、サスケは途中から明らかに様子が変わっていた。
先ほどまで固まっていた手が動き始め、視線も問題用紙から離れなくなっている。
(気づいたか)
心は口元をわずかに緩めた。
サスケなら、写輪眼を使って周囲の答案を読み取るという手段にたどり着くだろう。
そしてナルトは――。
(……まだ頑張ってるな)
ナルトの答案用紙は、ほとんど白紙だった。
それでも、彼は諦めずに問題と睨み合っている。
心は心の中で、そっと応援した。
(頑張れよ、ナルト)
やがて、試験終了の時刻が近づいてきた。
イビキが会場を見渡し、静かに口を開く。
「――ここで、最後の問題を発表する」
会場の空気が、一瞬で張り詰めた。
「その前に、一つ説明しておこう」
イビキの目が、受験者たちを射抜く。
「最後の問題に答えられなかった者は、今後一切、中忍選抜試験を受ける資格を失う」
「なっ……!?」
あちこちから、驚きの声が漏れた。
「もちろん、ここで試験を辞退することもできる。辞退した者は不合格となるが、今後の受験資格を失うことはない」
受験者たちの顔に、動揺が広がっていく。
最後の問題がどれほど難しいものなのかも分からない。
答えられなければ、二度と中忍選抜試験を受けられない。
そんな条件を突きつけられれば、迷うのも当然だった。
イビキは淡々と告げる。
「辞退する者は、今すぐ手を挙げろ」
沈黙が流れた。
やがて、一人が手を挙げた。
続いて、もう一人。
さらに一人。
不安に耐えきれなかった受験者たちが、次々と辞退していく。
ナルトは、周囲の様子を見ていた。
(どうする……?)
答えられるはずがない。
今までの問題すら解けなかったのだ。
最後の問題が解けるわけがない。
しかも、答えられなければ二度と試験を受けられない。
普通に考えれば、辞退するべきだろう。
だが――。
(……ふざけんな)
ナルトの手が、机の上でぎゅっと握られた。
(ここまで来て、逃げられるかってばよ……!)
心に勉強を教えられた日々が、頭をよぎる。
何度失敗しても、心は勉強をやめさせなかった。
分からない問題があれば、何度でも教えてくれた。
ナルトが諦めそうになるたび、心は言った。
『できないことと、諦めることは違う』
その言葉が、胸の奥で響いた。
(オレは……)
ナルトは顔を上げた。
(オレは、火影になるんだってばよ!)
この程度で逃げるわけにはいかない。
たとえ今回落ちたとしても、次がある。
いや、そもそも落ちると決まったわけではない。
最後までやってみなければ、何も分からないのだ。
ナルトは机を叩き、勢いよく立ち上がった。
「オレは辞退なんかしねえぞ!」
会場中の視線が、一斉にナルトへ集まった。
「たとえ一生下忍のままだろうと、オレは中忍選抜試験を受け続けてやる! 逃げたりなんかしねえ!」
ナルトの声が、会場に響き渡る。
「それがオレの忍道だってばよ!」
心は思わず、目を細めた。
(……よし)
心の中で、小さく拳を握る。
やっぱり、ナルトはナルトだ。
どんな状況でも、最後まで諦めない。
それこそが、うずまきナルトという忍者の強さなのだ。
サスケは呆れたように息を吐き、サクラは驚いた顔でナルトを見つめていた。
ヒナタは、頬を赤くしながらナルトを見ている。
そしてイビキは、しばらくナルトを見つめた後、口元をわずかに緩めた。
「……よし」
その一言で、会場の空気が変わった。
「最後の問題は、出さない」
「……は?」
ナルトが目を丸くする。
「今の時点で、残った者は全員合格だ」
「えええええええっ!?」
ナルトの叫びが、会場に響いた。
「どういうことだってばよ!? 問題は!? 最後の問題はどうなったんだ!?」
イビキは、そんなナルトを見ながら説明を始めた。
「今回の試験の目的は、知識を問うことだけではない。最後の問題を前にして、危険を承知で判断を下せるかどうか。それもまた、忍者に必要な資質だ」
受験者たちは、静かに耳を傾けていた。
「そして、最も重要なのは情報を集める能力だ。お前たちは、試験官に見つからずに答えを盗み見ることで、情報収集能力と隠密行動を試されていた」
心は内心で頷く。
(まあ、そういうことだよな)
「仲間の情報を得るために危険を冒すこともある。だが、情報を得ることに夢中になり、自分の身を危険にさらせば意味がない。忍者は状況を判断し、任務を遂行しなければならない」
イビキは、会場を見渡した。
「そして、最後の問題。どんな不利な状況でも、最後まで任務を諦めない覚悟があるか。それを見極めるためのものだった」
ナルトは、ぽかんと口を開けていた。
「じゃあ……オレ、合格したのか?」
「そうだ」
「よっしゃああああああっ!」
ナルトは両手を突き上げた。
「やったってばよ! オレ、合格だってばよ!」
その姿を見て、心は苦笑した。
(本当に、最後まで心配させてくれるやつだ)
だが、悪くない。
ナルトは自分の力で、この試験を乗り越えたのだ。
心は、そっと視線をサクラとサスケへ向けた。
二人とも、無事に合格した。
これで、チーム七の四人全員が第二試験へ進める。
そう安堵した、その時だった。
――ドォォォンッ!!
突然、会場の窓が派手な音を立てて破られた。
「うおおおおおおっ!?」
ナルトが飛び上がる。
破られた窓の向こうから、巨大な布が広がり、その中央に大きな文字が躍った。
第二試験、開始!!
そして、布を突き破るようにして、一人の女性が姿を現した。
派手な服装に、鋭い眼光。
口元には不敵な笑みが浮かんでいる。
「アタシは御手洗アンコ! 第二試験の担当教官よ!」
彼女は勢いよく着地すると、受験者たちを見回した。
「いつまでこんなところで座ってるつもり? さっさと外に出なさい!」
「い、いきなり何なんだってばよ……!」
ナルトが呆然と呟く。
アンコはそんなナルトを見て、ニヤリと笑った。
「文句があるなら、第二試験で生き残ってから言いなさい!」
会場に、再び緊張が走る。
心はアンコを見つめながら、静かに息を吐いた。
(来たか……第二試験。死の森、そして大蛇丸)
原作を知る心にとって、ここから先は決して油断できない場所だった。
第一試験は、無事に突破した。
だが、第二試験は違う。
ただ知識や覚悟を試されるだけではない。
命そのものが危険にさらされる。
そして、心の知る未来では――この試験で、サスケに呪印が刻まれる。
(今度こそ、原作通りに進むとは限らない。だけど……)
心は仲間たちを見た。
ナルトはまだ驚いているが、すでに目には闘志が戻っている。
サスケは静かにアンコを観察し、サクラは緊張した面持ちで話を聞いていた。
この三人を守る。
ただし、何もかも自分一人で背負うつもりはない。
仲間を信じ、共に進む。
それが、今の心の決めたやり方だった。
「よし、みんな。行こう」
心が声をかけると、三人は頷いた。
「おう! 第二試験も楽勝だってばよ!」
「油断するなよ、ナルト」
「分かってるってばよ、サスケ!」
「二人とも、今はアンコ先生の話を聞きましょう」
サクラの言葉に、ナルトとサスケは口を閉じた。
心は小さく笑い、仲間たちと共に会場を後にする。
中忍選抜試験、第二試験。
舞台は、死の森へ。
そして、彼らを待ち受ける危険は、まだ誰にも見えていなかった。