大きなクレーターの底から、大蛇丸がゆっくりと立ち上がった。
全身に土埃をまとっているものの、目立った傷は見当たらない。
先ほど心が叩き込んだ一撃は、決して手加減したものではなかった。
纏で身体を覆い、練でチャクラを練り上げ、堅で防御を固め、凝でチャクラを一点に集中させる。そして、それらの応用として、硬によって攻撃力を極限まで高めた。
念の基礎をすべて応用する、全力の一撃。
それを不意打ちで頭部に叩き込んだのだ。
普通の忍なら、ただでは済まない。
だが、目の前の男は平然と立っていた。
(……こいつ、本当に人間辞めてないか?)
心は内心で顔を引きつらせた。
前世の知識があるからこそ、大蛇丸が普通の忍ではないことは分かっている。それでも、実際に自分の全力を受けて無傷同然で立たれると、どうしても思ってしまう。
――化け物にもほどがあるだろ。
しかし、心に動揺を表に出す余裕はなかった。
大蛇丸がこちらを見ている。
その視線は、心の顔から身体へ、そして瞳へと、舐めるようにゆっくりと動いていた。
「その緋色の目……」
大蛇丸の口元が、弧を描く。
「枢流陀一族……? まさか、生き残りがいたなんてね」
心の思考が、一瞬だけ止まった。
(……あんな辺境に住んでいた一族のことを知っているのか?)
枢流陀一族。
緋の眼を持ち、感情の高まりによって身体能力やチャクラ量が大きく上昇する一族。
その特異な性質を知る者は、決して多くないはずだった。
それなのに、大蛇丸は一目で心の正体に見当をつけた。
「知っているのか、俺たちの一族を?」
心は警戒を崩さず、問いかけた。
情報を引き出す。
そして、時間を稼ぐ。
今の心にできることは、それだった。
「もちろんよ」
大蛇丸は楽しげに笑った。
「なにせ、私の研究対象の一つだったからね。あの一族は、本当に研究のしがいがあったわ」
その言葉を聞いた瞬間、心の胸に冷たいものが走った。
(……こいつが、枢流陀一族を滅ぼしたのか?)
そんな考えが脳裏をよぎる。
しかし、大蛇丸は心の表情を見て、くすくすと笑った。
「勘違いしないでちょうだい。枢流陀一族が滅んだのは、私のせいではないわ」
まるで心の考えを読み取ったかのような口ぶりだった。
「原因は、あの一族の戦闘狂たちよ。強さを求めて争い続けた結果、自ら滅びの道を選んだ。ただの自滅よ」
(……顔に出ていたか)
心は内心で舌打ちした。
相手は大蛇丸だ。こちらの反応一つから、何を考えているのか探ろうとしている。
余計な情報を与えるべきではない。
だが、大蛇丸の口から出てくる話は、心にとって無視できないものばかりだった。
「それにしても、あなたが生き残っていたとはねぇ……。しかも、その瞳。ずいぶんと興味深い変化を見せているじゃない」
大蛇丸は、心の緋色の瞳をじっと見つめた。
「あなたたちの一族について、どこまで知っているのかしら?」
「……自分の一族のことなら、ある程度はな」
心は曖昧に答えた。
すべてを知っているわけではない。
自分自身、枢流陀一族の力については、実際に鍛錬を重ねることで少しずつ理解してきたのだ。
緋の眼を長時間維持できるようになってから、心には新たな変化が起きていた。
――他者のチャクラを感じ取れるようになったのだ。
なぜそんなことができるようになったのか、心自身にも分からない。
ただ、以前は気配を消している相手を見つけることが難しかったのに、今ではチャクラの存在そのものを感じ取れるようになっていた。
第一試験のペーパーテストでも、心はその力を使い、気配を消して巡回していた暗部たちの存在に気づいていた。
あれだけ巧みに気配を消していても、チャクラまでは完全に隠しきれなかったのだ。
(あの暗部たちが第二試験にも配置されているなら、まだ望みはある)
心はそう考えていた。
おそらく、カカシが三代目火影に報告した、あの「夢」の話が関係しているのだろう。
心が原作知識を夢という形で伝えたことで、カカシは警戒を強め、三代目も試験の警備を厳重にした。
第二試験でも、暗部が森の中を巡回している可能性は高い。
そして、心は原作の知識を持っている。
大蛇丸はこの試験で、ある草忍に成り代わっていた。その本物は殺され、顔の皮まで剥がされている。
その遺体を暗部が発見すれば、異常事態としてカカシたちへ報告が行くはずだ。
そうなれば、増援が来る可能性がある。
もちろん、暗部が何人来ようと、大蛇丸を倒せるとは思っていない。
相手は伝説の三忍だ。心の全力の一撃を受けても、平然としている化け物である。
だが、増援が到着した時点で、大蛇丸は撤退せざるを得なくなるだろう。
ここで大騒ぎになれば、中忍試験そのものが中止になる可能性がある。
そうなれば、本来の目的である木ノ葉崩しどころではない。
大蛇丸にも、今すぐ木ノ葉と全面的に戦うつもりはないはずだ。
(……分の悪い賭けじゃない)
時間を稼ぐ。
隙があれば全力で攻撃する。
そして、増援が来るまで耐える。
それが、心の立てた方針だった。
しかし――。
「ふふふ……」
大蛇丸の笑い声が、思考を遮った。
「どうやら、あなたの一族は自分たちの身体についても、すべてを理解していたわけではないようね」
「……どういう意味だ?」
心は警戒を強めた。
大蛇丸は、まるで研究成果を語る学者のような口調で話し始めた。
「枢流陀一族は、緋の眼を発現している間、自然エネルギーを身体の外から取り込み、それをチャクラへと変換できる特殊な一族だったのよ」
――自然エネルギー。
その言葉を聞いた瞬間、心は目を見開きそうになった。
(自然エネルギーを……チャクラに変換していた?)
予想外の情報だった。
だが、同時に納得できる部分もあった。
緋の眼を発現すると、身体能力が飛躍的に上昇する。
チャクラ量も増大する。
そして、心自身は他者のチャクラまで感じ取れるようになった。
前世の記憶にある、仙人モードのナルト。
自然エネルギーを取り込み、仙術チャクラを練り上げたナルトは、感知能力を大きく向上させていた。
もし枢流陀一族も自然エネルギーを取り込んでいたのなら、心に起きた変化にも説明がつく。
(……だから、俺はチャクラを感じ取れるようになったのか?)
もっとも、大蛇丸の説明だけで、すべてが分かったわけではない。
自然エネルギーを取り込むことと、緋の眼による能力の上昇。その関係は、まだ推測の域を出ない。
それでも、一族の力の秘密に近づいた気がした。
「もっとも、残念なこともあったけれど」
大蛇丸は、つまらなそうに肩をすくめた。
「枢流陀一族の遺体からは、期待したような成果は得られなかったの。緋の眼も、死んでしまえば普通の眼に戻ってしまう。くり抜いて保存してみても、何の意味もなかったわ」
大蛇丸は本当に残念そうだった。
まるで、貴重な実験材料を失った研究者のように。
(……死んだら戻る、か)
心は、自分の眼を意識した。
自分が死ねば、この力も失われる。
当然と言えば当然なのかもしれない。
だが、大蛇丸がわざわざ口にするということは、それだけこの能力を欲していたのだろう。
心は会話を続けるべきだと判断した。
大蛇丸が話すほど、情報が手に入る。
何より、時間を稼げる。
だが――。
「そうねぇ……」
大蛇丸の声色が変わった。
「最初は、うちはサスケ君だけを連れていくつもりだったのだけれど」
その瞳が、心を捉える。
「あなたも一緒に連れていこうかしら」
次の瞬間。
大蛇丸から、強烈な殺気が放たれた。
空気が、凍りついた。
皮膚を針で刺されるような感覚。
身体の奥底に直接、死を突きつけられるような圧迫感。
サスケの身体が硬直した。
サクラもまた、呼吸を忘れたかのように立ち尽くしている。
動けない。
頭では逃げなければならないと分かっているのに、身体が言うことを聞かない。
これが、伝説の三忍。
圧倒的な実力差を持つ存在が放つ、純粋な殺気だった。
(まずい……!)
心は瞬時に判断した。
このままでは、二人が原作と同じように動けなくなる。
心はサスケとサクラの前へ飛び出した。
そして、全身のチャクラを一気に練り上げる。
ただ身体を覆うだけではない。
チャクラを練り、身体の内側から力を引き出し、全身へと巡らせる。
心が独自に磨いてきた、念の基礎を応用したチャクラ操作。
その技術によって、心は大蛇丸の殺気に正面から対抗した。
――バチッ!
目に見えない何かがぶつかり合ったような感覚が、周囲に走る。
大蛇丸の殺気が、心の前で押し返された。
「……っ!」
心の額から、冷たい汗が流れ落ちる。
完全に防げたわけではない。
それでも、後ろにいる二人へ届く圧力は大幅に弱まっていた。
サスケは膝をつきかけながらも、どうにか踏みとどまった。
サクラも震える身体を必死に支え、倒れることだけは避けている。
原作のように、恐怖で身動きが取れなくなるほどの状態ではない。
しかし、二人の顔から血の気が引いているのは明らかだった。
「……心、君……」
サクラの声が震える。
「大丈夫か?」
心は振り返らずに尋ねた。
「な、なんとか……」
「……問題ない」
サスケも答えたが、その声には明らかな緊張があった。
心は小さく息を吐く。
(危なかった……)
殺気を相殺することはできた。
だが、それだけで精一杯だった。
目の前の大蛇丸は、先ほどの不意打ちを受けてもなお余裕を崩していない。
しかも、今の殺気は明らかに心たちを威圧するためのものだった。
本気で殺しに来たわけではない。
それでも、この圧力だ。
(本当に、どうやって戦えばいいんだよ……)
心は内心で頭を抱えた。
時間を稼ぐつもりだった。
大蛇丸の目的を考えれば、サスケに呪印を刻むことも計画の一部だろう。
しかし、それがすべてではない。
本来の目的は、後に控える木ノ葉崩し。
ここで大騒ぎになり、試験が中止されるような事態になれば、大蛇丸にとっても都合が悪い。
だから、暗部の増援が来れば撤退する可能性は十分にある。
そう考えていた。
だが、そこまで耐えられる保証はどこにもない。
何より、先ほどの全力の硬が通用しなかった。
不意打ちで、最大威力の一撃を叩き込んだにもかかわらず、相手はほとんど傷を負っていない。
(……あの一撃で倒せない相手に、正面から勝てるわけがない)
それでも、退くわけにはいかなかった。
背後にはサスケとサクラがいる。
そして、ナルトもどこかで戦っているはずだ。
心は改めて拳を握り締めた。
「ふふふ……」
大蛇丸が楽しそうに笑った。
「いいわねぇ。私の殺気を受けても、まだ立っていられるなんて」
その視線が、心の緋色の瞳へと注がれる。
「あなたの身体には、まだまだ秘密がありそうね。チャクラの扱い方も、普通の子供とは違う……」
「……褒めても何も出ませんよ」
心は、どうにか軽口を返した。
声が震えないようにするだけで精一杯だった。
「あら、残念。私はあなたの身体を隅々まで調べてみたいのだけれど」
「遠慮しておきます」
「そう言わないでちょうだい」
大蛇丸が一歩、前へ出る。
心は反射的に重心を落とした。
逃げ道を確認する。
周囲の地形。
木々の配置。
大蛇丸の立ち位置。
そして、サスケとサクラが逃げるための経路。
頭の中で、可能な限りの選択肢を組み立てる。
だが、どれも決定打にはならない。
大蛇丸は心の様子を眺め、舌先で唇を湿らせた。
「お話はここまでにしましょうか」
その声が、ひどく楽しげに響く。
「さあ……殺り合いましょう?」
大蛇丸の殺気が、さらに膨れ上がった。
「あなたの才能を、私に見せてちょうだい」
「……っ」
心の背中を、冷や汗が伝った。
相手は本気で興味を持っている。
自分を殺すためだけではない。
生け捕りにし、研究対象として手に入れようとしている。
それはつまり、手加減される可能性があるということだ。
だが、安心材料にはならない。
大蛇丸が心を生かしたまま捕らえようとしているとしても、その過程でサスケやサクラが傷つけられない保証はない。
(……時間を稼ぐ。隙があれば全力で仕掛ける。それしかない)
心は、緋色の瞳で大蛇丸を睨み据えた。
恐怖はある。
勝てる気もしない。
それでも、ここで退くことだけはできなかった。
◇
一方、その頃。
「うわああああああっ! なんだってばよ、ここぉぉぉっ!!」
ナルトの悲鳴が、森の中に響き渡っていた。
彼がいるのは、巨大な蛇の腹の中だった。
大蛇に飲み込まれたナルトは、狭くぬめった空間で必死にもがいていた。
「くっそー! こんなところに閉じ込めやがって! 出しやがれってばよ!!」
拳を振り回し、壁を蹴る。
だが、周囲は柔らかく、まともに力を伝えられない。
「ちくしょう……! オレは、こんなところで終わるような忍者じゃねえんだぞ!」
ナルトは歯を食いしばった。
心たちがどうなっているのか、今の彼には分からない。
ただ一つ、確かなことがあった。
ここから出なければならない。
自分の力で。
「待ってろよ、サスケ! サクラちゃん! 心!」
ナルトは再び拳を握り締めた。
「オレは絶対に、こんなところで諦めたりしねえってばよ!!」