数週間が過ぎた。
心の生活は、すっかり修行中心になっていた。
朝は早く起きて体力作り。走り込みに筋力トレーニング、柔軟運動。最初は少し走っただけで息が上がっていたが、今では以前よりも長い距離を走れるようになっている。
幼い身体も、少しずつ鍛えられてきた。
「よし、今日はここまで!」
最後の腕立て伏せを終え、心は地面に座り込んだ。
全身から汗が流れている。
疲労はあるが、以前ほど身体が重くない。体力がついてきた証拠だろう。
そして、もう一つ。
心は顔を上げ、近くに置いていた鏡を手に取った。
「次はこっちだな」
緋色の眼。
この数週間、心は毎日のように発動と解除を繰り返してきた。
最初は感情を高ぶらせなければ発動できなかった。しかも、一度発動すれば身体への負担が大きく、すぐに意識を失いかけていた。
だが、今は違う。
心は鏡に映る自分の青い瞳を見つめた。
ゆっくりと意識を集中させる。
以前のように恐怖や怒りを無理やり呼び起こす必要はない。
緋色の眼が発動したときの感覚を思い出し、その状態へ自分を切り替える。
「……よし」
青い瞳が、鮮やかな緋色へと変わった。
「できた!」
思わず声が弾む。
以前は偶然に近かった発動が、今ではある程度、自分の意思で行えるようになっていた。
まるでスイッチを切り替えるように、通常の状態から緋色の状態へ移行できる。
もっとも、まだ完璧ではない。
発動までに集中が必要だし、維持できる時間も短い。
長く続けようとすると、頭痛や倦怠感が強くなってくる。
「……十秒くらいか」
心は緋色の眼を解除した。
青い瞳に戻る。
たった十秒。
しかし、最初は一度発動しただけで意識を失っていたのだ。それを考えれば、大きな進歩だった。
「焦るな。少しずつ伸ばしていけばいい」
この力を自在に使いこなせるようになれば、忍者としての可能性も大きく広がるはずだ。
そう考えると、修行にも力が入る。
だが、緋色の眼ばかりに時間を使うわけにはいかない。
心には、もう一つの課題があった。
チャクラだ。
◇
午後。
心は公園へ向かった。
いつもの木の下では、シカマルが寝転がっている。
「よう、シカマル」
「……またお前かよ」
シカマルは片目を開けた。
「今日はチャクラの練習を見てほしいんだ」
「昨日もやっただろ」
「だから、今日もやるんだよ」
「熱心なこった……」
面倒くさそうにしながらも、シカマルは起き上がった。
最初に教わった頃と比べれば、心のチャクラ操作はずいぶん進歩していた。
身体エネルギーと精神エネルギーを意識し、それらを練り合わせる感覚も少しずつつかめている。
ただ、チャクラを練ることと、それを必要な場所へ正確に流すことは別だった。
「じゃあ、今日は流す練習だな」
シカマルは近くの木を指さした。
「チャクラを練ったら、身体の中を移動させるイメージをしてみろ。まずは手のひらに集めるところからだ」
「手のひらに……」
心は目を閉じ、チャクラを練る。
腹の奥にある感覚を意識し、そこから腕へ、そして手のひらへ。
最初はうまくいかなかった。
途中で感覚が途切れたり、必要以上に力んでしまったりする。
だが、何度も繰り返すうちに、手のひらに微かな熱のような感覚が生まれた。
「おっ……!」
「感じたか?」
「ああ。少しだけだけどな」
「なら、今度はその状態を維持してみろ。無駄にチャクラを使いすぎないようにな」
心は頷いた。
以前なら、チャクラを練ることだけで精いっぱいだった。
それが今では、練ったチャクラを意識して動かし、一定の状態を維持する練習までできるようになっている。
まだ忍術を使える段階ではない。
だが、確実に前へ進んでいた。
「ありがとう、シカマル」
「礼なんていいって。オレも復習になるしな」
「本当に助かってるよ」
「……お前、そういうところは素直だよな」
シカマルは少しだけ笑った。
「ま、変な無茶だけはすんなよ。チャクラの扱いを間違えると面倒だからな」
「ああ、わかってる」
心は緋色の眼のことを思い出した。
あの力も、使い方を間違えれば自分を傷つける。
力を得ることだけを考えるのではなく、制御することも同じくらい大切なのだ。
それを忘れないようにしよう。
◇
ナルトとも、ほぼ毎日顔を合わせていた。
最初は一緒に遊ぶ程度だったが、今ではお互いに気兼ねなく話せる間柄になっている。
「シン! 今日も修行か?」
「ああ。ナルトもやるか?」
「もちろんだってばよ!」
ナルトは元気よく答えた。
二人で走り込みをしたり、身体を動かしたりすることも増えた。
もっとも、ナルトは体力がある一方で、細かい動きや集中を要する練習は苦手なようだった。
「だから、力任せにやるんじゃなくて……」
「こうか?」
「違う違う。もっと力を抜いて」
「む、難しいってばよ!」
「ははっ、慣れればできるようになるさ」
そんなやり取りを繰り返すうちに、二人の距離はさらに縮まっていった。
心にとって、ナルトはもはや物語の主人公というだけの存在ではない。
一緒に笑い、遊び、時には修行をする友達だ。
そして、ナルトにとっても心は、自分と気兼ねなく接してくれる同年代の友人になりつつあった。
ただし、心は自分の秘密をすべて明かしてはいない。
緋色の眼のことも、枢流陀一族の詳しい事情も、まだ話していなかった。
いつか話すべきときが来るかもしれない。
だが、今はまだ、そのときではないと思っていた。
◇
その日の夜。
心は夕食を済ませると、再び家を出た。
昼間の修行だけでは、まだ時間が足りない。
体力作りと緋色の眼の訓練、そしてチャクラの基礎。
やりたいことはいくらでもあった。
「さて、もう少しだけやるか」
夜の里は静かだった。
昼間の賑やかさが嘘のように、人通りは少なくなっている。
心は人目につきにくい場所を選び、木々に囲まれた空き地へ向かった。
そこで、チャクラのコントロールを練習する。
チャクラを練る。
手のひらへ流す。
その量を調整する。
余計な力を入れず、必要な分だけを維持する。
何度も繰り返すうちに、集中力が研ぎ澄まされていく。
「……もう少し、安定させたいな」
心は手のひらを見つめた。
目に見える変化はない。
だが、自分の中では確かに感覚が変わりつつあった。
あと少し。
もう少しで、何かをつかめそうな気がする。
そのときだった。
「ほっほっほ。夜遅くまで、ずいぶん熱心じゃのう」
「っ!?」
心は瞬時に振り返った。
いつからそこにいたのか。
まったく気配を感じなかった。
少し離れた場所に、一人の老人が立っていた。
白い髪と髭。
穏やかな表情。
そして、額に刻まれた皺。
その姿には、見覚えがあった。
いや、忘れるはずがない。
猿飛ヒルゼン。
木ノ葉隠れの里を治める、三代目火影。
「……火影様?」
思わず口から言葉が漏れた。
ヒルゼンは目を細め、優しく微笑んだ。
「おや、わしのことを知っておるのか」
「えっ、あ……その、里の人たちが話しているのを聞いたことがあって」
「なるほどのう」
ヒルゼンはそれ以上追及せず、心の近くまで歩いてきた。
心は内心、激しく動揺していた。
なぜ火影がこんな場所にいるのか。
偶然通りかかっただけなのか。
それとも、自分を見に来たのか。
枢流陀一族の生き残りである自分を。
「ところで、心くんと言ったかの?」
「……はい」
「夜遅くまで、何の練習をしておったのじゃ?」
心は一瞬、答えに迷った。
隠す必要はあるだろうか。
チャクラの練習自体は、忍者を目指す子供なら不自然なことではない。
しかし、自分はまだ忍者学校にも通っていない。
「チャクラのコントロールを練習していました」
「ほう。まだ忍者学校には通っておらぬと聞いておるが、自分で学んでおるのか」
「はい。知り合いに基本を教えてもらって、それから自分で練習しています」
「知り合い、とな?」
「奈良シカマルです」
ヒルゼンは、少しだけ目を見開いた。
「シカマルくんか。なるほどのう」
その表情には、意外そうな色が浮かんでいた。
だが、すぐに元の穏やかな顔へ戻る。
「では、心くん。一つ聞いてもよいかの?」
「何でしょうか?」
「なぜ、そこまでして強くなりたいのじゃ?」
心は黙った。
予想していなかった質問だった。
強くなりたい理由なら、いくらでもある。
この世界で生き抜くため。
緋色の眼を制御するため。
枢流陀一族の力を正しく扱うため。
そして、二度と大切なものを失わないため。
だが、それをすべて口にするべきなのか。
心は少し考え、静かに答えた。
「自分の身を守れるようになりたいからです」
「自分の身を、か」
「はい。力がなければ、守りたいものができても守れません。だから、強くなりたいんです」
ヒルゼンは黙って心を見つめた。
その眼差しは穏やかだが、決して軽いものではない。
「……では、強くなるためなら、何をしてもよいと思うかの?」
「いいえ」
心は即答した。
「力を得ることが目的になってしまったら、きっと間違えると思います。強くなるのは、何かを守るためです。強くなることそのものに夢中になって、周りが見えなくなったら意味がありません」
その言葉を口にしたとき、心は枢流陀一族についての噂を思い出していた。
戦闘狂。
悪魔。
緋色の眼の力に溺れ、戦いそのものを求めるようになった者たち。
自分は、そうなりたくない。
力に振り回されるのではなく、自分の意思で力を使いたい。
ヒルゼンは、しばらく何も言わなかった。
やがて、ふっと表情を和らげる。
「よい答えじゃ」
「……ありがとうございます」
「しかし、心くん。自分の力を正しく知るには、独学だけでは限界もある。知識も、技術も、適切な指導を受けることで大きく変わるものじゃ」
心は頷いた。
それは自分でも感じていたことだった。
シカマルのおかげでチャクラの基礎は理解し始めているが、専門的なことを学ぶには限界がある。
「そこでじゃ」
ヒルゼンは、ゆっくりと続けた。
「心くん。忍者学校に通ってみる気はないかの?」
「忍者学校……ですか?」
「そうじゃ。チャクラの基礎から忍術の知識、歴史や実技まで学べる。おぬしが本気で強くなりたいのなら、よい場所になると思うがのう」
心は驚いた。
まさか、火影本人からそんな話を持ちかけられるとは思っていなかった。
枢流陀一族の生き残り。
周囲から恐れられ、噂されている自分が、普通に忍者学校へ通えるのだろうか。
「……俺でも、入れるんですか?」
気づけば、そんな言葉が口から出ていた。
ヒルゼンは心の目を見た。
「もちろんじゃ。おぬしが学びたいと望むのなら、その機会を与えるのが里の役目でもある」
「でも、俺は……枢流陀一族です」
心はサングラスに触れた。
この一族の名が、どれほど恐れられているかは、もう知っている。
「周りの人たちが、俺を怖がるかもしれません」
「そうかもしれぬな」
ヒルゼンは、否定しなかった。
「人は、知らぬものを恐れることがある。噂だけを聞き、その者自身を知ろうとしないこともあるじゃろう」
老人は静かに言葉を続けた。
「じゃが、心くん。おぬしは、まだ幼い。これから何を学び、何を選び、どのように生きていくか。それは、おぬし自身が決めていくことじゃ」
心は黙って聞いていた。
「生まれた一族だけで、その者のすべてが決まるわけではない。わしは、そう考えておる」
その言葉は、心の胸に深く響いた。
火影は、自分を恐れていないのだろうか。
いや、少なくとも、噂だけで自分を判断するつもりはないらしい。
「……ありがとうございます」
心は、自然と頭を下げていた。
「忍者学校に通いたいです。もっといろいろなことを学びたい」
「うむ。では、手続きを進めるとしよう」
ヒルゼンは満足そうに頷いた。
「ただし、学校に入れば楽なことばかりではないぞ。勉強も訓練もある。周囲との関係に悩むこともあるじゃろう」
「わかっています」
「それでも通うかの?」
「はい」
心は迷わず答えた。
「強くなりたいですから」
ヒルゼンは、今度こそ声を上げて笑った。
「ほっほっほ! よい心がけじゃ」
◇
その夜、心はヒルゼンと別れ、家へ戻った。
忍者学校への転入。
思いがけない話だったが、心にとっては大きな一歩になる。
独学では学べなかった知識を得られる。
チャクラの扱い方も、忍術の基礎も学べる。
そして何より、木ノ葉の忍者たちと同じ環境で学ぶことができる。
もちろん、問題がなくなるわけではない。
枢流陀一族への偏見は残っている。
緋色の眼の秘密も、簡単には明かせない。
それでも、立ち止まっている理由にはならなかった。
心は窓辺に立ち、夜空を見上げた。
「忍者学校か……」
ナルトも、いずれそこへ通うことになる。
シカマルも、すでにそこで学んでいる。
これからは、二人との関係も変わるかもしれない。
特にナルトとは、同じ学校で過ごす時間が増えるだろう。
「明日、ナルトにも話してみるか」
きっと、驚くだろう。
もしかしたら、自分も通うと言い出すかもしれない。
そんなことを考え、心は小さく笑った。
そして、もう一度、自分の瞳に意識を向ける。
青い瞳。
まだ、緋色を自在に操れるわけではない。
だが、以前より確実に進歩している。
身体も、チャクラも、少しずつ鍛えられている。
ここからだ。
忍者学校への転入は、心にとって新たな始まりになる。