緋の眼を解放した心と、両脚の重りを外したロック・リー。
両者が、同時に地面を蹴った。
――次の瞬間。
二人の姿が、会場から消えた。
「なっ……!?」
観客席から驚愕の声が上がる。
いや、消えたわけではない。
ただ、速すぎるのだ。
人間の目で追うには、あまりにも速すぎた。
ドゴォンッ!!
突然、会場の壁が砕け散った。
続けざまに、反対側の壁にも大きな亀裂が走り、石片が宙を舞う。
ドガッ! バキィッ!!
何かが衝突するたびに、壁が破壊されていく。
しかし、肝心の二人の姿が見えない。
壁が壊れたことだけはわかる。
そこに何かがぶつかったこともわかる。
それなのに、誰も、何が起きているのかを正確に把握できなかった。
上忍クラスの実力者たちを除いては。
◇
「……これは、すごいわね」
夕日紅は目を細め、必死に二人の動きを追っていた。
かろうじて、見える。
心がリーの攻撃を紙一重でかわし、相手の体勢が崩れた瞬間に反撃を叩き込む。
リーは吹き飛ばされながらも、空中で姿勢を整え、すぐさま地面を蹴って再び接近する。
その繰り返しだった。
だが、ほんの少しでも集中を緩めれば、どちらかの姿を見失ってしまう。
紅は思わず息を呑んだ。
これほどの速度で動きながら、心は相手の攻撃を正確に見極めている。
しかも、ただ避けているのではない。
リーの動きを利用し、最小限の動作で反撃を叩き込んでいるのだ。
無駄がない。
まるで、リーが自ら攻撃を受けにいっているかのようにすら見える。
「……あの年齢で、あの体術……」
紅の額に、冷たい汗が浮かんだ。
心の実力については、これまでにも耳にしていた。
しかし、実際に目の当たりにするのとでは、まるで違う。
これは、単純な速さだけの問題ではない。
相手の攻撃を見切る眼。
瞬時に最適な行動を選ぶ判断力。
そして、その判断を実行できる身体能力。
そのすべてが、異常な水準に達している。
◇
「おいおい……冗談だろ」
猿飛アスマは、思わず口元の煙草を外した。
彼には、二人の動きが見えていた。
上忍として鍛え上げた動体視力と、数々の実戦で培った経験。
それらを総動員すれば、どうにか追うことができる。
だが――。
アスマは、心がリーの攻撃を受け流し、反撃を叩き込む光景を見ながら、背筋に冷たいものを感じていた。
仮に、自分があの場所に立っていたら。
果たして、あの速度に対応できるだろうか。
攻撃を見切れたとして、身体が反応するだろうか。
反応できたとして、あの正確無比なカウンターを防げるだろうか。
「……いや、簡単にはいかねえな」
認めざるを得なかった。
あの少年は、ただ速いだけではない。
速さを最大限に活かす戦い方を、すでに身につけている。
そして何より恐ろしいのは、心の表情だった。
必死に食らいつくリーとは対照的に、心には焦りがない。
呼吸すら乱れていないように見える。
アスマは、喉の奥が乾くのを感じた。
――この試合、俺が思っている以上に、とんでもないことになっているんじゃないか?
◇
一方、はたけカカシとマイト・ガイは、二人の攻防を完全に把握していた。
リーが踏み込む。
心がわずかに重心をずらす。
リーの拳が空を切った瞬間、心の掌がその腕に添えられ、流れるような動きで軌道を変える。
そして、リーの体勢が崩れたところへ、心の反撃が入る。
その一連の動作に、ガイは目を見張った。
「素晴らしい……!」
思わず感嘆の声が漏れる。
「リーの速度に、完全に対応している! それだけではない! あの柔らかな体捌き……相手の力を受け流し、最小限の動作で反撃するとは!」
ガイは興奮を隠せなかった。
リーは、ひたすら努力を重ねてきた体術のスペシャリストだ。
重りを外した今、その速度は飛躍的に上がっている。
それにもかかわらず、心は真正面から速度で対抗し、さらに体術の技術で上回っている。
普通ならば、そう簡単にできることではない。
「しかも、あの緋の眼……! あれが心君の一族に伝わる力なのか!」
ガイは驚きながらも、拳を握りしめた。
それでも、彼の表情には揺るぎない自信があった。
「だが、リーなら大丈夫だ! あいつは、努力でここまでたどり着いた男! まだまだ、こんなものでは終わらん!」
その言葉には、指導者としての誇りがあった。
そして――。
根拠などなくとも、リーならばこの壁を越えられる。
ガイは、そう信じていた。
◇
対するカカシは、静かに二人を見つめていた。
そして、心の動きに注目している。
正確には、心が何をしていないのかに。
「……やっぱり、そういうことか」
カカシは、マスクの下で小さく呟いた。
緋の眼による身体能力の強化。
重りを外したリーの驚異的な速度。
その二つがぶつかり合っている。
しかし、心の動きには、まだ余裕がある。
リーの攻撃を受け流す際も、全身を大きく動かす必要がない。
足運びは最小限。
腕の動きも必要な分だけ。
相手の力を利用し、攻撃を返す。
それは、カカシが知る一般的な体術とは、どこか異なる洗練された技だった。
そして、もう一つ。
カカシは、心の身体を注意深く観察していた。
チャクラの流れに、不自然な変化が見られない。
緋の眼を発動させ、あれほどの速度で動いているにもかかわらず、心はまだ、チャクラを身体の表面に纏わせていない。
つまり――。
「……まだ、余力を残しているわけか」
カカシは確信した。
今の段階でも、心はリーを上回っている。
速度は拮抗しているように見える。
しかし、技術、体力、そして切り札を残しているかどうか。
それらを総合すれば、心の方が明らかに上だった。
もちろん、リーがこれ以上の力を隠している可能性はある。
それでも、カカシの評価は変わらなかった。
――心は、まだ本気を出していない。
◇
ドゴォンッ!!
再び、リーの身体が壁に叩きつけられた。
石壁に蜘蛛の巣状の亀裂が広がり、破片が床へと落ちていく。
心は、崩れた壁の前で静かに構えを取った。
対するリーは、すぐさま体勢を立て直し、地面を蹴る。
速い。
重りを外したリーの速度は、想像以上だった。
緋の眼によって身体能力を高めている心に、ここまで食らいついてくるとは。
心は、内心で素直に感心していた。
(さすが、体術のスペシャリストだな)
リーの攻撃は、決して単調ではない。
拳、蹴り、肘、膝。
状況に応じて攻撃を切り替え、反撃を受ければ即座に次の行動へ移る。
一度崩された体勢からの立て直しも速い。
しかも、攻撃を当てるための工夫を怠らない。
真正面からの突撃だけでなく、角度を変え、間合いをずらし、わずかな隙を狙ってくる。
それは、長年の努力によって積み重ねられた技術だった。
(まだ纏を使っていないのに、ここまでやれるのか)
心は、緋の眼を通してリーの動きを捉えながら、次の攻撃を受け流した。
拳を逸らす。
踏み込みを利用する。
そして、掌底を腹部へ叩き込む。
「ぐっ……!」
リーの身体が吹き飛んだ。
これで何十回目になるだろうか。
心は正確に数えてはいなかった。
ただ、リーが攻め、心が受け流し、反撃する。
その流れが、何度も繰り返されていた。
リーは、それでも立ち上がる。
歯を食いしばり、再び構えを取る。
その姿に、心は改めて敬意を抱いた。
(本当に、すごい努力家だよな)
だが、そろそろ頃合いだろう。
心は静かに息を整えた。
いや、整える必要すらない。
ここまで一度も、呼吸は乱れていなかった。
(そろそろ終わらせるか)
心は、体内のチャクラを高め始めた。
身体の奥で、チャクラが静かに脈打つ。
その瞬間だった。
リーの動きが、ぴたりと止まった。
「……!」
リーは、弾かれたように後方へ跳んだ。
心から一気に距離を取り、呼吸を整えようとする。
心は、その反応を見て目を細めた。
(へえ……今のを感じ取ったのか)
明確に何を察知したのかまではわからない。
だが、リーは何かを感じ取ったからこそ、距離を取ったのだろう。
(さすが、蒼き猛獣の弟子。野生の勘ってやつかな)
心は、わずかに口元を緩めた。
◇
リーは肩で息をしていた。
全身は汗でびっしょりと濡れ、額から流れ落ちた汗が顎を伝う。
腕や脚には、細かな傷がいくつも刻まれていた。
重りを外したことで速度は上がった。
それでも、心を捉えることはできなかった。
攻撃を仕掛けるたびに受け流され、反撃を受ける。
その繰り返しで、少しずつ体力を削られていた。
それに対して――。
心は、汗一つかいていなかった。
息もまったく乱れていない。
緋の眼を輝かせたまま、静かにリーを見据えている。
その姿を見れば、誰の目にも明らかだった。
このまま続ければ、リーが先に限界を迎える。
観客席も、静まり返っていた。
先ほどまでの歓声は消え、誰もが次の展開を見守っている。
やがて、ガイが口を開いた。
「……リー」
その声は、先ほどまでの熱血じみた響きとは違っていた。
真剣で、力強い。
「アレを使え!」
リーの目が見開かれた。
そして、すぐに表情が引き締まる。
「……はい、ガイ先生!」
心は、そのやり取りを聞いて、静かに息を吐いた。
(ついに来たか)
ここから先は、先ほどまでとは違う。
リーがこれまで積み重ねてきた努力。
そして、師であるガイが認めた、さらなる力。
心は、足元の床を踏みしめた。
緋の眼が、鋭くリーを捉える。
(気を引き締めないとな)
第三ラウンドが、始まろうとしていた。