走る。
ひたすら走る。
心は、妙木山の大地を全力で駆け抜けていた。
「はぁっ……はぁっ……!」
額から汗が流れ落ち、頬を伝い、顎から地面へと滴り落ちる。
すでに衣服は汗でびっしょりだった。
それでも、心は足を止めない。
目指すのは、あの蝦蟇が指し示した山。
枢流陀一族と大昔に契約した存在がいるという、遥か彼方の山頂だ。
「……一万キロって、どういうことだよ……!」
走りながら、心は恨み言を漏らした。
いくら何でも遠すぎる。
普通に考えれば、徒歩で向かうような距離ではない。
だが、ここで諦めるわけにもいかなかった。
せっかく妙木山に来られたのだ。自然エネルギーについて研究できる環境があるのなら、多少の苦労は覚悟していた。
まさか、目的地までの距離が一万キロもあるとは思わなかったが。
「……くそっ!」
心は歯を食いしばり、さらに速度を上げた。
青かった瞳が、鮮やかな緋色へと変わる。
緋の眼。
枢流陀一族に伝わる、特殊な能力だ。
身体能力が向上し、知覚や反応速度も鋭くなる。さらに、周囲の自然エネルギーを吸収し、チャクラへと変換することができるという。
大蛇丸からその秘密を聞いた時、心は一つの可能性を考えていた。
――これ、もしかして無尽蔵にチャクラを使えるんじゃないか?
周囲に自然エネルギーが存在する限り、それを吸収してチャクラに変換できる。
ならば、チャクラ切れを心配する必要もなくなるのではないか。
そう考えたのだ。
しかし、実際に試してみると、どうやらそう単純な話ではなかった。
「……やっぱり、そんな都合のいい話はないか……!」
心は息を吐きながら、緋の眼を維持して走り続けた。
自然エネルギーを吸収し、チャクラへ変換する。
その過程で、何らかの負担が自分にかかっているようだった。
筋肉を酷使すれば、疲労が蓄積する。
どれほど体力があっても、走り続ければ身体は疲れる。
それと同じように、自然エネルギーをチャクラへ変換する能力にも、何らかの限界があるのかもしれない。
そもそも、自然エネルギーを吸収することと、それを自分の力として利用することは別問題なのだろう。
吸収したものを変換するために、肉体や精神のエネルギーを消費している可能性もある。
まだ、わからないことばかりだった。
「……調べることが多すぎるだろ……」
心は苦笑した。
緋の眼を維持し続けること自体は、以前よりも楽になっている。
だが、全力疾走を続けながら自然エネルギーの吸収と変換まで行えば、負担は決して小さくない。
身体だけではなく、精神にも疲労が蓄積していく。
心は、身体の状態を確かめるように意識を向けた。
筋肉には重さがあり、呼吸も徐々に荒くなっている。
頭の奥にも、鈍い疲労が広がり始めていた。
ここで無理をすれば、せっかくの修行が逆効果になりかねない。
心は緋の眼を解除した。
そして、チャクラを全身に巡らせ、堅を発動する。
「……っ!」
身体の周囲を覆うチャクラが、肉体を支える。
だが、堅を維持できる時間は、まだそれほど長くない。
数分ほど全力で走り続けると、心は堅を解除し、再び緋の眼を発動させた。
しばらく走り、また堅を使う。
オンとオフを切り替えながら、少しでも効率よく身体を鍛えていく。
これは、自然エネルギーの研究だけが目的ではない。
堅の持続時間を伸ばすための訓練でもあった。
――大蛇丸と戦った時、俺は堅を長時間維持できなかった。
あの戦いでは、相手の動きを見極めながら、必要な場面でチャクラを集中させることで何とか対応できた。
しかし、あれを毎回できるとは限らない。
長時間の戦闘でも安定して堅を維持できるようになれば、戦い方の幅は大きく広がる。
そのためにも、今は走り続けるしかなかった。
心は前を向く。
遠くの景色を見据えた。
そこには、山が見える。
――本当に、かすかに。
地平線の向こうに、針の先ほどの大きさで山らしきものが見えていた。
あれが目的地なのだろうか。
心は目を凝らした。
「……あれか?」
走り始めてから、かなりの時間が経っている。
それなりの距離は進んだはずだった。
なのに。
山は、ほとんど大きくなっていなかった。
「…………」
心は無言になった。
気のせいだろうか。
自分が進んでいる方向が間違っているのか。
それとも、妙木山という場所そのものが、普通の空間とは違うのか。
考えれば考えるほど、不安が募っていく。
「……まさか、無限に続いてるとか言わないよな?」
返事をする者はいない。
心は、もう一度遠くの山を見た。
相変わらず、針の先ほどの大きさだった。
「…………はぁ」
心は深いため息をつき、再び走り始めた。
止まっていても、目的地には近づけない。
今は、とにかく前へ進むしかなかった。
◇
一方、その頃――木ノ葉隠れの里。
サスケは、カカシとの修行に励んでいた。
「……これで、いいか?」
サスケの右手に、青白い雷光が集まる。
バチバチバチッ!!
激しい音とともに、雷のチャクラが手の周囲を走った。
カカシは、その光景を見つめながら、内心で驚きを隠せずにいた。
――もう、ここまで来たのか。
千鳥。
雷の性質変化と大量のチャクラを一点に集中させ、高速で突進して敵を貫く術。
その習得には、相応のチャクラコントロールと、身体能力、そして動体視力が必要になる。
使い方を誤れば、術者自身が危険にさらされる。
だからこそ、カカシも慎重に指導するつもりだった。
ところが、サスケは想像以上の速さで術の要領を掴み始めていた。
「……サスケ。お前、以前から雷遁を練習していたのか?」
「……基礎を少しだけだ」
「……少しだけ、ね」
カカシは額に手を当てた。
これだから、天才というものは困る。
もちろん、術を一度成功させただけで完成とは言えない。
実戦で使いこなすには、まだまだ反復練習が必要だ。
それでも、この習得速度は驚異的だった。
サスケは右手の雷光を消し、静かに息を吐いた。
そして、心との戦いを思い出す。
中忍試験予選。
心とロック・リーの戦い。
あの時、サスケは写輪眼を通して二人の動きを見ていた。
常人ならば目で追うことすら難しい速度。
それでも、写輪眼は二人の動きを捉えていた。
身体の使い方。
重心の移動。
攻撃を受け流す角度。
相手の動きに合わせて、最小限の動作で反撃する技術。
すべてが、サスケの脳裏に焼きついている。
――見た動きを、自分のものにする。
それが、今のサスケの目標だった。
もちろん、写輪眼で見たからといって、すべてをすぐに再現できるわけではない。
筋力も、反射速度も、経験も必要になる。
だが、心がこれまでの修行で教えてくれた基礎がある。
身体の使い方も、チャクラコントロールも、以前より格段に上達していた。
ならば、あとは自分のものにするだけだ。
「……カカシ。もう一度だ」
サスケは顔を上げた。
カカシは、その目に宿る強い意志を見て、小さく笑った。
「いいよ。ただし、無茶はするなよ。呪印のこともあるからね」
「ああ」
「本当に?」
「……わかってる」
少しだけ間が空いた。
カカシは苦笑する。
どうやら、無茶をしないという約束については、あまり期待しない方がよさそうだった。
それでも、サスケの成長は目覚ましい。
この調子なら、本戦までの一ヶ月で、さらに大きく成長するだろう。
カカシはそう確信していた。
◇
一方、別の修練場では――。
「……すごいわね、サクラちゃん」
夕暮れの光が差し込む森の中。
夕日紅は、目の前の少女を見つめていた。
サクラは、紅の幻術を受けた直後だった。
視界が歪み、周囲の景色が別のものへと変化する。
普通なら、突然の変化に戸惑い、何が起きたのかわからずに動きを止めてしまうだろう。
だが、サクラは違った。
違和感を察知すると、すぐに自分のチャクラの流れを確認する。
そして、チャクラを乱すことで幻術を解除した。
「……これで、合っていますか?」
「ええ。今のは、かなりよかったわ」
紅は、感心したように頷いた。
サクラは嬉しそうに微笑む。
「よかった……!」
しかし、すぐに表情を引き締めた。
「もう一度お願いします!」
「えっ? もう?」
「はい!」
紅は、思わず苦笑した。
教えたことを、スポンジのように吸収していく。
それだけではない。
サクラは、ただ技術を覚えるだけでは満足していなかった。
教わった技術を、自分の戦い方にどう組み込むか。
そこまで考えているのだ。
「……サクラちゃんは、幻術を使うこと自体が目的じゃないのね」
「はい」
サクラは迷いなく答えた。
「幻術だけを使えるようになっても、私が本当に強くなれるとは思いません。私は、今まで心やナルト、サスケ君と一緒に修行してきました。体術も、チャクラコントロールも、少しずつ身についてきています」
サクラは、自分の両手を見つめた。
「だから、今まで覚えたことを全部組み合わせたいんです」
「組み合わせる?」
「はい。体術で相手の隙を作って、幻術で動きを止めたり、逆に幻術だと思わせて別の攻撃を仕掛けたり……。まだ、はっきりとは形になっていませんけど」
サクラは、少し照れくさそうに笑った。
「でも、何となく完成形が見えているんです。あとは、それを実際にできるようにするだけです」
紅は、目を見開いた。
この年齢で、ここまで考えているとは。
幻術の適性が高いだけではない。
自分の長所と短所を理解し、習得した技術をどう活用するかまで考えている。
その姿勢に、紅は驚きを通り越して感心していた。
「……いい考えね。幻術は、単独で使わなければいけないものではないわ。体術や忍具、ほかの忍術と組み合わせれば、相手の判断を狂わせることもできる」
「本当ですか!?」
「ええ。ただし、組み合わせる技術が増えるほど、状況判断も大切になる。まずは基本を確実に身につけましょう」
「はい!」
サクラは、拳をぎゅっと握りしめた。
――絶対に強くなる。
もう、仲間の後ろで震えているだけの自分には戻りたくない。
心が大蛇丸と戦っていた時。
サスケが震える身体を奮い立たせて立ち上がった時。
自分もまた、恐怖に負けずに一歩を踏み出した。
あの時の決意を、無駄にはしない。
「よしっ……!」
サクラは気合を入れるように声を上げた。
「しゃんなろー!」
「ふふっ。元気がいいわね」
紅は微笑んだ。
サクラの成長は、まだ始まったばかりだ。
だが、この少女ならば、自分だけの戦い方を見つけられるかもしれない。
紅はそう感じていた。
◇
そして、木ノ葉の里から少し離れた場所。
「風の性質変化……!」
ナルトは、多重影分身の術を使って修行していた。
周囲には、何人ものナルトがいる。
それぞれがチャクラを練り、風の性質を与えようと集中していた。
しかし――。
ヒュウッ。
わずかな風が吹いただけで、変化は止まってしまう。
「……くっそぉ! また失敗だってばよ!」
ナルトが頭を抱えた。
影分身たちも、同じように悔しそうな顔をしている。
「もっと強い風を出せねえのかよ!」
「いや、だからどうやってだよ!」
「お前らもオレだろうが!」
「そっちもオレだってばよ!」
自分同士で言い争いを始めるナルトたち。
その様子を、少し離れた場所から自来也が眺めていた。
「……まだまだじゃのぉ」
もっとも、風の性質変化は簡単に身につくものではない。
チャクラに性質を与えるという感覚そのものを理解し、自在に操れるようになるには、時間がかかる。
ナルトはまだ、そよ風程度の変化しか起こせていなかった。
それでも、以前よりは確実に進歩している。
心から渡された修行メニューも、きちんと実践していた。
多重影分身によって経験を積み重ねる。
ナルトの特性を活かした、理にかなった方法だった。
「よしっ! 次だってばよ!」
ナルトは気合を入れ直した。
だが、やがてチャクラが底をつき始める。
影分身が次々と消え、経験と疲労が本体へ戻ってくる。
「……う、うう……頭が……」
ナルトが額を押さえた。
「そろそろ休むかのぉ」
自来也が近づいてくる。
「えっ、もう休憩か!?」
「いや、次の修行じゃ」
「……え?」
ナルトの顔が引きつった。
「口寄せの術をやるぞ」
「ええええええっ!?」
ナルトの叫びが響き渡った。
◇
修行場所を変え、ナルトは自来也の前に立っていた。
「いいか、ナルト。お前には、二種類のチャクラがある」
自来也は真剣な表情で説明した。
「一つは、お前自身が持つチャクラ。そしてもう一つは、お前の中に封じられている九尾のチャクラじゃ」
「九尾の……チャクラ?」
「そうじゃ。詳しいことは、いずれ教える。今はまず、自分のチャクラを使って口寄せの術を成功させてみろ」
ナルトは頷いた。
「よっしゃあ! やってやるってばよ!」
ナルトは指先を噛み、血をにじませた。
そして、地面に手をつく。
「口寄せの術!」
煙が立ち上る。
自来也は腕を組み、その結果を待った。
やがて煙が晴れると――。
地面の上に、小さな生き物がちょこんと座っていた。
「……?」
ナルトは目を丸くした。
そこにいたのは、緑色の小さなおたまじゃくしだった。
ぴょこぴょこと身体を動かし、つぶらな目でナルトを見上げている。
「…………」
ナルトは固まった。
自来也も固まった。
しばらくの沈黙。
やがて、自来也が深いため息をついた。
「……お主、才能ないのぉ」
「なんだとぉぉぉぉぉ!?」
ナルトの絶叫が響き渡った。
「ちきしょおおおおおおおおおっ!!」
おたまじゃくしが、ぴょこりと跳ねた。
自来也は、額に手を当てる。
実のところ、彼はナルトに九尾のチャクラを引き出させるため、あえてチャクラがほとんど残っていない状態で口寄せの術を使わせていた。
ナルト本人には、その狙いを伝えていない。
今はただ、自分のチャクラだけでは大きな口寄せ獣を呼び出せない状況を作っているのだ。
もっとも、今のところ成果はおたまじゃくし一匹だったが。
「……まあ、焦ることはない。何度でもやってみるんじゃ」
「おう! 次こそ絶対に成功させてやるってばよ!」
ナルトは拳を握りしめた。
悔しそうではあるが、諦める気はまったくないらしい。
自来也は、その様子を見て口元を緩めた。
「……ふむ。そういうところは、なかなか見どころがあるのぉ」
ナルトは、まだ知らない。
自分の中に眠る力が、これからどれほど大きな意味を持つのかを。
◇
それぞれの場所で、三人は修行に励んでいた。
サスケは千鳥を習得し、写輪眼で見た動きを自分のものにしようとしている。
サクラは幻術を学び、これまで身につけた技術を組み合わせた独自の戦い方を模索している。
ナルトは風の性質変化に苦戦しながらも、口寄せの術に挑み続けている。
そして――。
妙木山では。
「はぁっ……はぁっ……はぁっ……!」
心が、まだ走っていた。
汗は止まらない。
身体は重い。
精神的な疲労も、確実に蓄積している。
それでも、彼は前を向く。
遠くに見える山は、相変わらず小さかった。
「…………」
心は無言で山を見つめた。
そして、静かに呟いた。
「……本当に、近づいてるんだよな?」
当然、返事はない。
心は再び走り出した。
こうして、四人それぞれの一ヶ月が始まった。
中忍試験本戦まで、残された時間は少ない。
それぞれが強くなるために、今できることを積み重ねていく。
だが、心だけはまだ知らなかった。
妙木山で待ち受けているものが、ただの長距離走では済まないということを。