翌朝。
心は、朱明と並んで朝食を取っていた。
昨日までの疲労は、かなり抜けている。
もともと回復力には自信があったが、ここまで長距離を走り続けたのは初めてだった。身体の疲れは回復しても、精神的な疲労はそう簡単には抜けない。
それでも、目の前に並ぶ料理を口に運んでいると、少しずつ頭が冴えてくる。
そんな時だった。
「……ところで、心よ」
「はい?」
朱明が箸を置き、真剣な表情でこちらを見た。
『昨日は言わなんだったが、ワシは枢流陀一族の変化について、ある結論……いや、仮説を持っておる』
心は、すぐに食事の手を止めた。
「仮説、ですか?」
『うむ。チャクラを分け与えられた者と、チャクラを受け継いだ者との違いじゃ』
その言葉に、心は目を細めた。
朱明はゆっくりと語り始める。
『ハゴロモからチャクラを分け与えられた者たちは、長年にわたって緋の眼を持ち、自然エネルギーを当たり前のように吸収しておった。そして、吸収した自然エネルギーによって、自らの身体を強化しておったのじゃ』
「はい」
『じゃが、子孫としてチャクラを受け継いだ者たちは違う』
朱明は、自分の腹部に手を当てた。
『子供は、母親の腹の中で育つ。その間、まだ生まれておらぬ子供が、自分の意思で外界の自然エネルギーを吸収することはできぬじゃろう。そうなれば、子供が受け継ぐチャクラは、母体にあるチャクラが基盤となるはずじゃ』
心は黙って聞いていた。
『もちろん、チャクラが受け継がれる仕組みについて、ワシがすべてを理解しておるわけではない。じゃが、生き物が環境に適応して進化していくように、新たな要素であるチャクラを身につけたことで、枢流陀一族の身体を構成する細胞にも、何らかの変化が起きたのやもしれん』
「細胞そのものが……変わった?」
『そうじゃ。自然エネルギーを吸収し、それを身体強化に利用していた性質が、チャクラを基盤とする身体へと変わったことで、別の形に変化したのではないか。ワシは、そう考えておる』
朱明は、指を一本立てた。
『本来なら、吸収した自然エネルギーによって直接、身体を強化していた。じゃが、チャクラが身体の基盤となったことで、吸収した自然エネルギーをチャクラへと変換し、そのチャクラを強化する性質へ変化したのかもしれぬ』
「つまり……自然エネルギーを使う能力自体がなくなったのではなく、自然エネルギーを利用する仕組みが変わった、と?」
『あくまでも仮説じゃ。実際にそうなったのかもしれぬし、まったく見当違いかもしれぬ。ワシには、確かめる術がなかったからのう』
朱明は肩をすくめた。
『ただ、チャクラを受け継いだ子供たちに、かつての枢流陀一族とは異なる性質が現れた。その事実から考えると、チャクラが何らかの影響を与えた可能性は高いと思うておる』
心は、しばらく考え込んだ。
(チャクラが原因……か)
前世の知識を持つ心にとって、チャクラは決して未知のものではない。
この世界の忍たちが使う術の根幹であり、身体エネルギーと精神エネルギーを練り合わせて生み出す力だ。
そして、自然エネルギーを取り込むことで、通常のチャクラとは異なる力を得る方法も存在する。
仙術。
ただし、今の心が使っている緋の眼の能力と、仙術が同じ仕組みなのかは分からない。
それでも、朱明の仮説には筋が通っていた。
(始まりは、ハゴロモがチャクラを分け与えたこと。それまで自然エネルギーを直接利用していた一族が、チャクラを受け継ぐようになったことで、身体の仕組みそのものが変化した……)
もちろん、これだけで断定はできない。
だが、緋の眼が発動型になったことと、自然エネルギーの吸収能力に変化が起きたこと。その二つが無関係だとは、心にも思えなかった。
「朱明様」
『なんじゃ?』
「俺は……その仮説、正しいのかもしれないと思います」
朱明が、わずかに目を見開いた。
「ハゴロモがチャクラを分け与えたことから始まったのなら、チャクラが原因で枢流陀一族に変化が起きた可能性は十分にあります。もちろん、細胞がどう変わったのかまでは分かりません。でも、自然エネルギーを利用する仕組みが変わった、という考え方は納得できます」
心は、自分の掌を見つめた。
「俺も、緋の眼を発動させると、普段とは比べものにならないほどチャクラが増えます。自然エネルギーが関係しているのなら、朱明様の仮説は、かなり重要な手掛かりになると思います」
『……そうか』
朱明は、嬉しそうに目を細めた。
『ワシの長年の疑問も、ようやく解ける日が来るかもしれぬな』
「そのためにも、もっと調べる必要がありますね」
『うむ。じゃが……』
朱明の表情が、突然変わった。
先ほどまでの穏やかな雰囲気が一瞬で消え、代わりに、いたずらを思いついた子供のような笑みが浮かぶ。
『仮説の話は、ここまでじゃ』
「……はい?」
朱明は立ち上がった。
『では、今のお主の実力を見せてもらうかの!』
「えっ、今からですか?」
『当然じゃ! わざわざここまで来たのじゃろう? ならば、まずはお主がどれほどの力を持っておるのか、確かめねばなるまい!』
そう言って、朱明は楽しそうに笑った。
心も、その言葉に気持ちが高まる。
自然エネルギーの研究をするにしても、自分の現在の実力を正確に把握してもらうことは重要だ。
「分かりました。では、今できることを一通りお見せします」
『ほう! その意気じゃ!』
こうして、心は朱明に自分の力を見せることになった。
◇
まずは、基礎能力。
心は緋の眼を発動させずに、身体能力と体術を披露した。
移動速度、反応速度、打撃の威力。
続いて、チャクラを身体に纏わせ、さらに練り上げる。
木々の間を瞬時に移動し、相手の動きを想定した体術を繰り出す。チャクラの制御を維持したまま、攻撃の方向を変え、無駄な動きを削っていく。
朱明は最初こそ、腕を組んで余裕そうに見ていた。
しかし、次第にその表情が変わっていった。
『……ふむ』
続いて、忍術。
心は水遁を中心に、習得している術を次々と披露した。
水遁・水陣壁。
水遁・水乱波。
そして、禁術書から覚え、完成させた水遁・渦流弾。
渦を巻く水流が標的へ向かって飛び出し、途中で軌道を変える。別の角度から再び襲いかかり、最後には狙った一点へと集中して叩きつけた。
轟音とともに、巨大な岩が砕け散る。
朱明の口が、少し開いた。
心は続けて、雷遁の性質変化を利用した攻撃も見せた。
雷の性質を帯びたチャクラを相手の身体へ流し込み、一時的に動きを阻害する。さらに、分身を使った連携や、気配を抑えた移動も披露した。
最後に、心は緋の眼を発動させた。
青い瞳が、鮮やかな緋色へと変わる。
身体の内側から力が湧き上がり、チャクラが膨れ上がる。
心はその状態で、先ほどまで披露した技を一つずつ繰り返した。
速度も、威力も、精度も、明らかに向上している。
だが、力任せに暴れるようなことはない。
必要な分だけ力を引き出し、制御し、狙った場所へと叩き込む。
それが、今の心の実力だった。
そして、一通りの披露を終えた心は、朱明へと振り返った。
「……以上です。今、俺ができることは、だいたいお見せできたと思います」
返事がない。
「……朱明様?」
心は首を傾げた。
朱明は、口をぽかんと開けたまま、心を見つめていた。
「……あの?」
『…………』
「朱明様?」
『……お主』
ようやく口を開いた朱明は、心を指さした。
『それ以上、強うなってどうするつもりじゃ?』
「えっ?」
『いや、えっ? ではないわ! 何じゃ、今のは!』
朱明は両手を広げた。
『体術も相当なもの。チャクラの制御も優れておる。忍術の威力も申し分なく、複数の性質変化まで扱える。しかも、緋の眼を発動させても理性を失わず、力を自在に操っておるではないか!』
「い、いや……」
『いや、ではない! お主、それ以上強うなって何をするつもりじゃ!?』
心は困ったように頭を掻いた。
「いえ、俺なんてまだまだですよ。自分より強い奴なら、たくさんいますし」
『…………は?』
朱明の表情が固まった。
「いや、本当に。俺より強い忍なんて、普通にいますよ」
『…………』
「それに、今の実力で満足していたら、いざという時に大切な人たちを守れませんから」
心は真面目に答えた。
自分の知る未来では、数え切れないほどの強者が登場する。
忍の世界には、常識外れの力を持つ者が何人もいる。
大蛇丸のような伝説的な忍もいれば、暁のように一人で里を脅かすほどの実力者もいる。
そして、最終的には人間の枠組みすら超えた存在が現れる。
心は、そうした未来を知っている。
だからこそ、今の実力で満足するわけにはいかなかった。
『……外の世界は、そんな化け物揃いなのか?』
「ええ、まあ……」
『…………』
朱明は、しばらく黙り込んだ。
そして、ゆっくりと額を押さえた。
『ワシらが知っておる外の世界とは、ずいぶん変わったようじゃのう……』
「……ははは」
心は苦笑するしかなかった。
実際、忍の世界は危険な場所だ。
力がなければ、大切な人を守れない。
それが、心の知る現実だった。
◇
しばらくして、朱明はようやく落ち着きを取り戻した。
『……まあ、よい。お主の実力は、十分に分かった』
「ありがとうございます」
『じゃが、強いて言うなら、一つ気になることがある』
「何でしょう?」
朱明は、心の緋色の瞳をじっと見つめた。
『お主は、緋の眼を発動させた時、自然エネルギーをきちんと把握しておるか?』
心は、すぐには答えられなかった。
『緋の眼を発動させると、自然エネルギーが身体に流れ込んでくる感覚があるはずじゃ。それを自分の意思で吸収し、どれだけ取り込むか調整しておるのか、と聞いておる』
「……いえ」
心は、正直に答えた。
「自然エネルギーらしきものを感じることはあります。ただ、自分の意思で吸収しているという感覚は……ありません」
言いかけて、心は口を閉じた。
(……呪印の時は、別だったけどな)
大蛇丸の呪印に触れた時、心は自然エネルギーに似たものを感じた。
そして、緋の眼を使って、その力を吸収したことがある。
だが、あれは自分から自然エネルギーを取り込もうとしたわけではない。
呪印という特殊なものがあったからこそ、できたことだ。
少なくとも、普段の自分は自然エネルギーを意識的に吸収しているわけではない。
それに、呪印のことを今ここで詳しく話す必要もないだろう。
『なるほど、なるほど……』
朱明は何度か頷き、顎に手を当てた。
『ならば、話は早い』
「……というと?」
朱明は、にやりと笑った。
『お主の修行内容が決まったぞ』
「本当ですか!」
心の顔が明るくなる。
ようやく、ここまで来た目的に取りかかれる。
自然エネルギーを自分の意思で吸収する方法。
それを制御し、チャクラへと変換する仕組み。
さらに、緋の眼の力を安全に扱うための訓練。
ここで学べることは、きっと多いはずだ。
「よろしくお願いします、朱明様!」
『うむ! これからみっちり鍛えてやるから、覚悟するのじゃぞ!』
「はい!」
心は力強く返事をした。
しかし――。
『……ところで、心よ』
「はい?」
朱明が、ふと思い出したように首を傾げた。
『お主、最初に目覚めた時、帰りの時間がどうのこうのと言っておらなんだか?』
「…………え?」
心は、ぽかんとした。
帰りの時間?
何の話だろう。
昨日、ここへ来た時に、そんな話をしただろうか。
いや、確かに何か言ったような気もする。
だが、今は自然エネルギーの修行のことで頭がいっぱいだった。
「えっと……何のことでしたっけ?」
『ほれ、何やら時間がないとか、帰らねばならぬとか……』
「…………」
帰る。
時間がない。
本戦。
本戦――。
「…………あ」
心の顔から、すっと血の気が引いた。
そうだ。
自分は、何をしにここへ来たのだったか。
中忍試験の予選を終え、仲間たちがそれぞれの修行に励んでいる間に、自然エネルギーを学ぶためにここへ来たのだ。
そして、山の麓から頂上まで、二週間近く走り続けた。
朱雀一族の里へたどり着いた後は、三日間も眠り続けた。
昨日は一日中、枢流陀一族の歴史を聞いていた。
そして、今朝は朝食を食べながら、朱明の仮説について話していた。
つまり――。
「…………本戦まで、あと何日だ?」
心は、震える声で呟いた。
朱明が首を傾げる。
『さあのう? ワシには分からぬが……』
「…………」
心の脳裏に、試験会場で待っている仲間たちの姿が浮かんだ。
ナルト。
サスケ。
サクラ。
そして、カカシ。
さらに、試験当日に起こるはずの大事件。
大蛇丸の襲撃。
三代目火影の死。
それを防ぐために、準備しておかなければならないこともある。
なのに、自分は今、こんな遠くの山奥で修行を始めようとしていた。
「…………うわあああああああああああああああああああっ!!」
心の絶叫が、朱雀一族の静かな山に響き渡った。
『な、なんじゃ!? 突然どうしたのじゃ!?』
「本戦! 本戦があるんです!! 中忍試験の本戦がああああああっ!!」
『……は?』
「帰らないと! 今すぐ帰らないと間に合わないかもしれない!!」
心は頭を抱えた。
朱明は、しばらく彼を見つめた後、ぽつりと呟いた。
『……お主、なかなか愉快な奴じゃのう』
「笑い事じゃないですよおおおおおおおおおおっ!!」
山の中に、心の悲鳴がいつまでも響き続けたのだった。