中忍試験本戦まで、残り二日。
朝。
ベッドから目を覚ました心は、軽く伸びをしてから寝室を出た。
まだ少し眠気が残っている。
顔を洗い、朝食でも用意しようとダイニングテーブルのあるキッチンへ向かった。
そして――。
「…………」
心は、その場で固まった。
テーブルの上には、料理が所狭しと並べられていた。
焼き鳥、団子、たい焼き、お好み焼き、焼きそば、串カツ、握り飯。さらには見たことのない料理まである。
どれも朝から営業している屋台で売られているようなものばかりだ。
そして、その料理を一人で美味しそうに食べている人物がいた。
長い赤髪を後ろで束ね、妖艶な雰囲気を漂わせる美女。
朱明である。
人間の姿に変化している彼女は、片手に串焼きを持ちながら、もう片方の手で団子を頬張っていた。
「……何をしているんですか、朱明様」
心の声には、明らかな困惑が混じっていた。
朱明は食べる手を止めることなく、にこりと笑った。
「おお、起きたか。いやな、しばらくこちらにいることにしたんじゃ」
「…………」
「ほれ、これも美味いぞ。食べてみるか?」
「はーーー?!」
心の叫び声が、家中に響き渡った。
しばらくして。
ようやく落ち着きを取り戻した心は、テーブルの向かいに座っていた。
目の前には、朱明が買い込んできた料理の数々。
朱明は相変わらず美味しそうに食べている。
「それで……どういうことですか?」
「どういうことも何も、言葉通りじゃ」
「いや、朱明様は山に帰ったんじゃなかったんですか?」
「帰ったわけではないぞ。外の世界で食べてみたい料理を探しに行っただけじゃ」
「……それで、これだけ買ってきたんですか?」
「うむ。なかなか面白いものが多くてのう。ついつい買いすぎてしまったわ」
悪びれる様子など微塵もない。
むしろ、満足そうに頷いている。
心は額に手を当てた。
「……それで、しばらくここにいるというのは?」
「簡単な話じゃ」
朱明は串焼きを皿に置き、口元を拭った。
「枢流陀一族との約束。戻ってくるという約束は、オヌシがあの場所に来たことで果たされた」
「……はい」
「つまり、ワシがずっとあそこにいる必要もなくなったわけじゃ」
そう言って、朱明はニヤリと笑った。
「これからは好きな時に好きな場所へ行けるということじゃな!」
「…………」
心はしばらく朱明を見つめた。
呆れを通り越して、逆に感心してしまう。
(さすが朱雀一族……自由人というか、自由な鳥というか……)
朱雀一族の長である朱明がこれなのだ。
ほかの一族の者たちも、似たような性格をしているのだろうか。
心は少しだけ、口寄せの契約を結んだことを後悔しかけた。
「何じゃ、その顔は?」
「いえ……何でもありません」
「そうか。なら、これも食べるか?」
「朝からそんなに食べられませんよ」
「そうか? 美味いぞ?」
朱明はそう言って、再び串焼きにかぶりついた。
心は深く息を吐いた。
その時だった。
ピンポーン。
玄関の呼び鈴が鳴った。
「……誰だろう」
心が立ち上がろうとすると、朱明が楽しそうに笑った。
「ほう。客人か」
「ちょっと出てきます」
心は玄関へ向かい、扉を開けた。
「おはよう、心!」
そこに立っていたのは、山中いのだった。
「おはよう、いの。どうしたんだ?」
「今日は一緒に出かける約束でしょ? 忘れてないわよね?」
「ああ、もちろん覚えてるよ」
「なら、早く行きましょう!」
いのは笑顔で心の腕を取ろうとした。
しかし、その動きが止まる。
いのの視線が、心の背後へと向けられたからだ。
「……え?」
キッチンの方から、朱明が姿を現した。
「おや? 客人かのう」
その姿を見たいのは、思わず目を見開いた。
長い赤髪に、整った顔立ち。
どこか人間離れした美しさを持つ、妖艶な美女だった。
しかも、心の家から出てきた。
「……心?」
「えっと……」
「こちらの方は?」
いのの声が、少し低くなる。
朱明はその様子を見て、すぐに事情を察したようだった。
そして、口元に笑みを浮かべる。
「ほう……なるほどのう」
「?」
朱明は心の隣まで歩いてくると、自然な動作で彼の腕に自分の腕を絡めた。
「お主が、心のことを大好きなおなごか」
「なっ……!?」
いのの顔が一瞬で赤くなる。
「ちょ、ちょっと! どういう意味よ!?」
「ふふふ。顔に書いてあるぞ?」
「~~~~っ!」
朱明は心の腕にさらに密着した。
「心はなかなか面白い男じゃからのう。ワシも気に入っておるぞ」
「朱明様!?」
心は慌てて朱明を見た。
しかし、彼女はまったく気にしていない。
むしろ、いのの反応を楽しんでいるようだった。
「心……この人、誰なの?」
「いや、それは……」
「ほう? まだ紹介しておらんのか?」
朱明がわざとらしく首を傾げる。
いのの視線が、心へと突き刺さった。
(まずい……!)
心は何とか誤解を解こうと口を開いた。
その瞬間。
『このおなごに喋ったら、超重要なことを教えてやらんぞ』
「……っ!?」
突然、頭の中に声が響いた。
心は思わず朱明を見る。
朱明は何食わぬ顔で、いのに微笑んでいた。
『ふふふ。驚いたか?』
(今の声……朱明様!?)
『うむ。朱雀一族と契約を結んだ者は、テレパシーで会話できるのじゃ』
(そんな能力まであるんですか!?)
『当然じゃ。口寄せは呼び出して終わりではないからのう。離れた場所でも意思疎通できるのは便利じゃぞ』
(いや、今はそれどころじゃ……!)
『それと、先ほど言った超重要なことじゃが……』
(……っ!)
心は言葉を飲み込んだ。
超重要なこと。
昨日、朱明が口にした言葉だ。
それを教えてもらえなくなるのは困る。
(……分かりました。余計なことは言いません)
『よろしい』
朱明の声が、どこか満足そうに響いた。
心は仕方なく、いのへと向き直った。
「この人は……俺が修行を見てもらっている先生だよ」
「先生?」
「うむ。そういうことじゃ」
朱明は心の腕を離さないまま、にこやかに頷いた。
「ふふふ。よろしく頼むぞ、おなご」
「……山中いのです」
いのは笑顔を作って答えた。
ただし、その笑顔は少し引きつっていた。
心は思った。
(今日のデート……無事に終わるんだろうか)
その予感は、残念ながら的中することになる。
その後。
心といの、そして朱明の三人は木ノ葉の町へと出かけていた。
本来なら、心といのの二人きりのデートになるはずだった。
しかし、朱明は当然のようについてきた。
しかも、心の片腕にはいの。
もう片方の腕には朱明。
二人に腕を組まれた状態で、町を歩いている。
「心、あっちのお店に行きましょう!」
「おお、あれは何じゃ? 美味そうな匂いがするぞ!」
「朱明様、さっきも食べてましたよね!?」
「別腹じゃ!」
「別腹って……!」
「心、私もあれ食べたい!」
「……分かった。買ってくるよ」
「ワシも同じものを頼むぞ!」
「はいはい……」
心は両側から引っ張られながら、屋台を巡ることになった。
いのは朱明に対抗するように、心へと積極的に話しかける。
朱明はそれを見て、さらに心へとくっつく。
「心、今日は随分と優しいのう」
「普段から優しいわよ!」
「ほう。そうかそうか」
「何よ、その言い方!」
「ふふふ」
朱明は楽しそうに笑っている。
心は何度も誤解を解こうとしたが、そのたびに朱明が意味深な言葉を挟んでくる。
結局、いのの機嫌を損ねないように気を遣いながら、朱明の悪戯にも付き合う羽目になった。
(……俺の胃が爆発しそうだ)
デートというより、修羅場だった。
夕方。
ようやくデートが終わり、心たちは家へ戻ってきた。
いのは少し疲れた様子だったが、心と別れる頃には笑顔だった。だが、声にいつもの明るさがなかった。
「今日は楽しかったわ、心!」
「うん。また今度出かけよう」
「絶対よ!」
いのは嬉しそうに手を振り、帰っていった。
扉を閉めた心は、その場で大きく息を吐いた。
「……疲れた」
『ふふふ。なかなか面白いおなごじゃったな』
「朱明様……」
『十分楽しんだ。もうよかろう』
心の頭の中に、朱明の声が響く。
『話してよいぞ』
「……本当にいいんですね?」
『うむ』
「いのには、朱明様が俺の口寄せの契約獣だと説明しておきます」
『そうじゃな。それでよかろう』
心はすぐにいのの元へ向かった。
朱明が人間ではなく、口寄せの契約を結んだ朱雀一族の長であること。
修行を見てもらっていること。
その説明を聞いたいのは、ようやく納得したようだった。
「なによ、そういうことだったのね! もう、だったらもっと早く言ってよ!』
いのの声えがいつもの明るい声に戻っていた。
誤解は解けた。
どうやら一件落着らしい。
……ただし。
翌日から、木ノ葉の町では妙な噂が広まることになる。
枢流陀心が、二人の美女を侍らせて町を歩いていた。
しかも、両腕にそれぞれ一人ずつ。
二股をかけているのではないか。
そんな噂だった。
心が否定しても、噂はなかなか消えなかった。
しばらくの間、町を歩くたびに妙な視線を向けられることになる。
そして、その原因を作った本人はというと――。
「ふふふ。人間の町は面白いのう」
などと、まったく反省していなかった。