「第3試合、奈良シカマル! 山中いの! 両者、中央へ!」
審判の不知火ゲンマの声が競技場に響く。
観客席からは歓声が上がるが、中央に立つ二人の表情は対照的だった。
「はぁ……。なんでオレがいのと戦わなきゃいけないんだよ。めんどくせー……」
シカマルはいつも通り、頭の後ろで手を組みながら深いため息をつく。
「ちょっとシカマル! あんた何そのやる気のない顔! 本選だからって手加減しないわよ!」
いのは腰に手を当て、勝ち気な笑みを浮かべてシカマルを指差した。
だが、その視線がチラリと観戦場所へと向く。お目当てはもちろん、大好きな心だ。
(心の目の前で、無様な試合なんて絶対に見せられないわ……!)
いのの瞳に、いつになく真剣な炎が灯る。
◇
その頃、観戦場所へと続く通路では、第10班の担当上忍である猿飛アスマが、タバコをくわえたまま歩いていた。
身内同士の戦いにどっちを応援するか悩んでいたアスマはふと足を止め、手すりから身を乗り出している第七班のナルト・サスケ・サクラ、そして心の姿を見つける。
アスマは頭を掻きながら、心の隣へと自然に並んだ。
「よぅ、心。この試合、お前はどう見る?」
「術の相性だけで言えば、いのが有利に見えますけど……」
心は一瞬アスマに視線を向けて、静かに競技場を見つめながら応じる。
「シカマルの頭脳がそれをどう上回るか、この試合の見どころはそこですね」
◇
「それでは……始め!」
ゲンマの合図と同時に、シカマルはすっと後ろに飛び退き、距離を取った。
いのの得意忍術は、精神を飛ばして相手の肉体を乗っ取る『心転身の術』。一度でも食らえばその時点でシカマルの負けが決まる。
「ったく、手の内が分かってる相手ほどやりづらいもんはねーな」
シカマルは懐からクナイを取り出し、いのへ向けて数本投げつけた。
「そんなの見え見えよ!」
いのは軽やかに側転してクナイを避ける。
その着地の瞬間、シカマルの影が急激に伸びた。
「影真似の術!」
「しまっ……!」
影はいのの足元へ一直線に迫る。しかし、いのは着地と同時にさらに後方へ跳躍した。シカマルの影の限界射程を完全に把握しているのだ。
いのは不敵に微笑み、印を結ぶ構えをとる。
(ここなら私の『心転身』が狙える!)
「心転身の――」
術を放とうとしたその時、いのの視界の端で、シカマルが投げたクナイの背後に違和感があった。
避けたはずのクナイの後ろに、起爆札が仕込まれていたのだ。
ボガァン!!
起爆札が爆発し、激しい砂煙が舞う。
いのは爆風に煽られ、体勢を崩した。
(砂煙でシカマルの影がどこから来るか見えない!)
いのは咄嗟に、煙の薄い右側へと飛び退く。
しかし、砂煙の向こうで、シカマルはすでに別の印を結んでいた。
「術にかかったな、いの」
いのの足元に、信じられない角度から影が伸びていた。
シカマルは爆風で宙に舞った瓦礫の影を利用して、一瞬だけ本来の限界射程を大きく引き延ばしたのだ。
二人の影が、完全に重なる。
「……くっ、身体が……動かない……!」
いのは完全に硬直した。
観客席のナルトが叫ぶ。
「 よっしゃあ!シカマルの勝ちだってばよ!」
勝負は決したかのように見えた。シカマルが一歩前へ歩み寄り、ため息をつく。
「これでおしまいだ。悪く思うなよ、いの。お前が爆風を避ける方向まで、オレの計算通りだ」
だが、影で操られているはずのいのの口元が、わずかに歪んだ。
「ふふ……本当にそうかしら? シカマル」
「何……?」
シカマルの背後。砂煙の残骸の中から、もう一人の『いの』が飛び出してきた。
「影真似にかかったのは――こっちよ!!」
シカマルが影で捕らえていたいのの体が、一瞬にして水へと変わり、地面へバシャリと崩れ落ちた。
「水分身……!? いのの奴、いつの間にあんな術を……!」
サクラが驚愕して声を上げる。
「俺が教えたんだ」
心の言葉に、サクラが勢いよく振り返る。
「ええっ!? 心が!?」
「いのは水の性質変化の適正があったからね」
心は苦笑した。
(波の国から帰った後、デートの約束をすっかり忘れて修行していたら突然いのが来て……あの時は大変だったな……)
当時、心はいのを必死に宥めていた。なんとか機嫌を取ろうとしていた心だったが、いつの間にかいのの修行を見るという話になっていた。
その際、いのの性質変化を調べたところ、水と土に適正があることが判明したのだ。
心は波の国でカカシ先生から水の性質変化の修行方法と水遁の術をいくつか教わっており、その中に水分身もあったため、試しに教えてみたのだった。
「自分のモノにしたんだね、いの」
嬉しそうに告げる心の視線の先では、競技場の本物のいのが、シカマルの背後で指を四角い形に構えていた。
「心転身の術!!!」
逃げ場のない至近距離。いのの精神が、真っ直ぐシカマルの肉体へと吸い込まれていった。
ガクリ、とシカマルの首が傾く。
そして、ゆっくりと顔を上げたシカマルの目が、いの特有の勝気な輝きを帯びた。
「やったわ……! シカマルの身体、乗っ取った!!」
シカマルの肉体を奪ったいのは、そのまま右手を挙げてギブアップを宣言しようとした。
だが――シカマルの右腕は、ピクリとも動かない。
(え……!? な、何これ、身体が動かない……!?)
いのがシカマルの脳内でパニックになる。無理に腕を動かそうとした瞬間、あっちにある自分の本当の肉体の関節がミシミシと軋み、凄まじい激痛がいのの精神へと走った。
「審判! 奈良シカマル、ここでギブアップ……っ、う、あぐっ……!?」
ギブアップを言い切る前に、シカマルの身体が激痛に耐えるようにガタガタと震えだす。
会場は、何が起きたのか分からず静まり返った。
「なんだってばよ? いのの奴、術を決めたのになんで固まってんだってばよ!?」
ナルトが不思議そうに身を乗り出す。
だが、アスマはタバコをくわえたまま、ニヤリと笑って心の肩を叩いた。
「なぁ、心。お前にはみえてるんだろ?」
「ええ。むしろ……ここからがシカマルの『詰み』です」
その言葉通り、震えるシカマルの口から漏れ出たのは、冷徹なシカマル自身の意識の声だった。
「……あーあ。やっぱりそこまで読んでたか。さすがにオレの幼馴染なだけはあるわ」
《え……!? な、なんで意識を取り戻せるのよ!?》
シカマルの精神世界で、いのは驚愕した。
観客席のナルトも頭を抱えて叫ぶ。
「え!? な、なんでだよ! 乗っ取られてるのに、なんでシカマルの奴が勝手に喋れてんだってばよ!?」
「ナルト、シカマルの影を見て」
心が冷静に指をさす。
「シカマルは、いのの精神が自分の身体に入るコンマ数秒の直前に、自分の影を、あっちの抜け殻になったいのの本物の肉体に繋ぎ直したんだ」
「繋ぎ直した……?」
サクラが眉をひそめる。
「そう。今、いのの精神がシカマルの身体を動かそうとすると、影真似で繋がっている向こうの自分の肉体も同じ動きを強制される。でも、向こうの肉体は地面に直立して固定されている状態だ。無理にシカマルの身体を動かせば、あっちの自分の本物の肉体の関節が変な方向に曲がって壊れてしまう」
サスケがハッと目を見開いた。
「……そうか。『心転身の術』は、乗っ取った肉体が受けたダメージが、術者自身の精神にもそのまま返ってくる。シカマルの身体を無理に動かした瞬間、影で固定されている自分の肉体が自滅する罠にハメられたってわけか」
「その通りだ、サスケ」
心が頷く。
「動かせば、あっちの肉体が壊れる激痛が今いるシカマルの身体の中の自分にも返ってくる。だから、いのは恐怖して、シカマルの肉体のコントロール権を完全に失ってしまったんだ。命令が通らなければ意味がない。だから、シカマルの意識が主導権を奪い返して喋ることができているんだよ」
「……とんでもない思考速度だ。あいつ……」
サスケが冷や汗を流し、ゾッとしたように呟いた。
ナルトもガタガタと震える。
「ひええ……あいつ、頭良すぎて逆に気持ち悪りぃってばよ……」
アスマは嬉しそうに声を立てて笑った。
「ははは! さすが心だ、完璧に見抜いてやがる」
競技場では、心の解説通りの冷徹なチェックメイトが、最終局面を迎えていた。
精神が抜けて倒れるはずだった『いのの肉体』が、シカマルの『影真真似の術』によって、ピシッと直立不動のまま固定されている。
シカマルは意識の主導権を握ったまま、懐からもう一本のクナイを取り出した。
影真似で繋がっているため、抜け殻になっているいのの肉体も、全く同じ動作でクナイを取り出す。その刃先は、いの自身の喉元に向けられていた。
「このままオレが自分の喉にクナイを突き立てれば、お前の肉体も同じように自分の喉を突く。……お前が術を解くのが先か、オレの身体を道連れにするのが先か……どうする?」
完全に逃げ道を塞がれたいのは、シカマルの脳内で歯噛みした。
(せっかく、心の目の前で格好いいところ見せたかったのに……! 水分身まで使ったのに、あんたって奴は……!)
「……ハァ。あんたには、いっつも敵わないわね」
いのの精神が、シカマルの肉体からスッと抜けていく。
スタスタと自分の肉体に戻ったいのは、悔しそうに観客席の心の方を一度チラリと見てから、大きなため息をつきながら両手を挙げた。
「審判! 私の負け! ギブアップよ!」
「勝者、奈良シカマル!」
ゲンマの声が響き渡る。観客席からは、見事な心理戦に割れんばかりの拍手が送られた。
シカマルは影を解き、いつものように気だるげに頭の後ろで手を組みながら控室席へと歩き出す。
「見事な二転三転の化かし合いだったね」
心が拍手を送りながら呟くと、アスマは戻ってきた二人の頭をクシャクシャと撫でた。
「ああ。シカマルの頭脳は相変わらずだが、そこを引っ掛けにいこうとした いの の度胸と、心から盗んだ水分身の作戦も見事だった。オレの自慢の生徒たちだぜ。いの、よく頑張ったな」
アスマに褒められ、いのは少し照れくさそうにしながらも、すぐに心の元へと駆け寄った。
「心! 私の水分身、どうだった!? 格好良かった!?」
「うん、すごく綺麗にコントロールできてたよ。びっくりした」
心から笑顔で褒められ、いのは「やったぁ!」と一瞬で敗北の悔しさを吹き飛ばして大喜びするのだった。