それは、今から数十年は昔の話。
“爆炎の英雄”と“原初の黒”が邂逅した、契機となる一つの事件である。
「…絶対に許さない……」
――――深夜の人気の無い場所で、大怪我を負った冒険者の女がその血で魔法陣を作っていた。傍にはすでに息をしていない相棒が倒れており、冒険者は怒りの形相で召喚魔法に挑んでいた。
「あの悪魔め……!!」
憎悪を募らせ渾身の魔力を込めて魔法陣を敷く。
「来て!お願い!!!」
本来なら悪魔は近世種までしか喚ぶ事ができないとされている。
……しかし、運が良かったのか悪かったのか、明らかにレベルの違う存在が興味本位でその召喚に応じていた。
「クフフフフ…身の程知らずにもこの私を呼び出したのは、貴女ですか」
貴族のような出で立ちをした黒髪の悪魔が立っていた。朗々と良く通る声もその笑顔も素の感情が一切伺えなかった。
「願いを聞き遂げてくれるなら悪魔でも構わない!私の魂をあげる!だからお願い、あいつを、あいつらを…!」
悪魔好みの強い意志を怯える事なく示した冒険者の願いを悪魔は引き受けた。
「いいでしょう。暇潰しにその願いを聞き届けて差し上げます」
「ありがとう……報酬は、」ドサッ
既に瀕死だった冒険者は命を使い果たし倒れる。
「クフフフフ、契約は成立です。貴女の感情はとても美味でした。ですので、これは大サービスですよ?」
悪魔は最期の美しい輝きを放つ魂に思わず見惚れ、夫婦であろう二人の魂を見送ったのだ。悪魔としては相当なサービスと言えるだろう。
「ですが、この程度では持って三日という所……足りない分はまぁ、
絶望と憎悪の味に満足した悪魔―――
「久しぶりの現世です!せいぜい楽しむとしましょうか……!」
月夜を背に悪魔は嗤った。
*
「ここが、フィルトウッド王国…」
悪魔討伐の依頼を受けたシズは、冒険者が集まっている王城に向かった。
門の前で金髪の男に歓迎され王の広間へつく。
「よぉシズさん!」
「久しぶりね、クーガーさん」
知り合いの冒険者に出会ったシズは穏やかに返事をする。
「今回は厄介だぜ。なにせ、腕利きが十人以上やられたらしい」
「そう…面倒ね」
そんな話をしていると大臣が喋り始めた。
「よくぞ参った!……残念な知らせじゃ。我らが英雄、銀嶺の翼のお二方が亡くなられた。遺体は跡形もなく食いつくされたようじゃ」
「……その悪魔は名乗っているのですか?」
挙手をしたシズが尋ねる。
魔物は“名前”を得る事によって進化する。ネームドは通常よりも危険度が跳ね上がるのだ。
悪魔となれば基礎能力から高いし尚更危険だろう。
「いや、悪魔が名乗った記録はござらん」
(ネームレスなのか…?)
その返答にシズは違和感を覚えた。
城の警備の状況も、冒険者達を敵だと思っていると感じとる。すると危険性を察して逃げようとした冒険者が騎士団長に斬られた。
死体から湧き出たのは
「まずいな、パニックになってやがる。悪魔が知らずに憑依してるかもしれねーからな。シズさんも俺も例外じゃねぇ」
(これはまさか……私たちを争わせて悪魔をいぶりだそうとしている…!?)
完璧に疑惑を持ち始めたその時だった。
「クフフフフ……」
フードを被った人物が笑い始めた。
「貴様、何がおかしい!?」
「シズさん」
「えぇ、かなりの実力者ね。魔法使いのようだけど…」
(信じられない……今の今まで気配がなかった!)
英雄と呼ばれるほどの実力者であるシズでさえも気配に気付けなかった。その事実に警戒心が強まる。
「いえねぇ?あまりにも早く依頼が達成できそうなもので」
慇懃無礼なノワールを前に不思議と誰も動けない。
「さて、騎士団長様。先ほど不審な者は容赦なく切り捨てるとおっしゃいましたが、どうします?私は貴方達に従う気など毛頭ありませんし」
「――――――下級悪魔を召喚したのは貴方達でしょう」
とんでもない事を言い放った。
「国家の方針に逆らうつもりか!?」
「いいえ?仕事が早く進むので大賛成です」
思わず反抗した騎士団長もあっさりとした発言に困惑している。
「悪魔の討伐とは言いますが、なにも悪魔以外を殺してはならないとは言ってませんよねぇ?この国の方針も同じみたいですし」
既にこの国がどういう状態か分かっているノワールは滑稽な茶番を見るように周囲を見渡してそう言った。
その時、不穏な事を言うノワールの前にシズが立ちはだかる。
「……貴方は、この場にいる冒険者を皆殺しにして悪魔をあぶりだすつもり?」
「正解です」
「私はシズ。貴方、何者?」
「……クロ、とでもお呼びください。古き知人からの呼称のもじりです」
少し考えて“黒”と名乗る。ノワールは自身の呼び名が好きではなかったが故に、必要時は略称で呼ばせていた。
「クロ。あなたの行動は許容できないわ」
「では、あなたから始末するとしましょうか」
次の瞬間、炎がシズに向かう。
威力は高かったが『炎熱攻撃無効』を持つシズにはダメージが無い。
「効かないわよ、その程度」
ユニークスキル『大賢人』で解析したノワールは成程、とすぐにシズが何者か理解した。
(
「少々厄介ですが問題ないレベルです。少しだけ遊びに付き合って差し上げますよ」
「なめないで」
シズが刀を構え、ノワールが両手を鈎爪に変化させ、両者が激突した。魔素が荒れ狂い、肉眼では観測できない速度で戦っている。
しかし当人同士では話が違った。
シズは本気を出していると言うのに、ノワールは手加減した上で余裕を保っているのだ。
「貴方、一体……!?」
「死にゆく者がそれを気にしますか?知っても絶望するだけですよ。……知っていたらの話ですがね!」
炎と剣撃をものともせず不可思議な事を言う。
「もっとも、私が誰であれ、貴女には関係ない事でしょう?」
「確かに関係ない。でも、貴方を野放しにするのはあまりに危険よ。悪いけど、本気を出させてもらうわね!」
後ずさったシズは再び刀を構えた。
「『
何も見えなくなるほどの爆炎が炸裂した。
悪魔の天敵たる精霊の力による最大威力の一撃。これに耐えられる者などいない――――――
「マジかよ!?」
「……ッ!?」
「クフフフフ……」
――――――はずだった。
フードは外れたが本人は大したダメージもなく立っている。
黒髪に金と紅の差し色、強膜が黒く金の瞳と紅い瞳孔の特徴的な眼。そして黒い蝙蝠のような翼が盾のように展開されていた。
「まさか、
「見事です。たかが人間が、イフリートの力をここまで行使するとは……久々に戦っているという気がしますよ」
「あの爆炎を喰らって無傷かよ!?」
その声を聴いたノワールはわざわざ返事をした。妥協できない性格が故だろうか。
「いいえ、訂正を一つ。無傷ではなく、多少の痛みは感じました。これだから戦いは面白い…」
事実、始祖の中でも実力者であるノワールに痛みを与えられる者は少ない。
同じ原初でも「緑」「青」には余裕で勝てるし「黄」「紫」あたりも少し手こずるが勝てるだろう。「白」は面倒だが。
楽しいと思える戦いができるのは、引き分けにまで持ち込んだ「赤」と、異様なまでの殺意で腕一本を喰い千切るまではできた一人の従者くらいだろう。
「さて――――――そろそろ終わらせましょうか」
ほんの一瞬で間合いを詰めたノワールが鉤爪でシズの頭を串刺しにしようとした。
―――――キィィィン!!!!
しかし、それは誰も予想していない形で防がれた。
「「ッ!?」」
鈎爪が仮面に触れた途端に、ノワールの片腕が吹き飛ばされたのだ。その事実に思わず驚愕する。
「バカな、その仮面、その時間厚は、まさか、無限?無限だと!?」
ノワールに言わせれば、時間という概念は止める事なら可能だろうが巻き戻す事はできない。存在した経年年数は蓄積する。
抗魔の仮面は無限の時間厚が積み重なり干渉を弾いているらしい。ノワールの攻撃すら弾き返したという事は、すなわち“原初の悪魔”よりも永く存在している物体ということになる。
そんな永い時を刻むなど、時空を超えてループしていると言われた方が現実味がある。ノワールは驚くと同時にそんな奇物を持つシズに興味を持った。
「その仮面、時を超えているとしか思えませんね。そんな代物を扱う人間がいるとは…」
「クフフフフ…実に興味深い!いいでしょう。今日はここまでにいたしましょう……」
次の瞬間、ノワールはその場から消え失せた。