防衛任務が終わり、影浦隊の作戦室。オペレーターの仁礼光は、デスクの上にドサッと顔を伏せて「ううー」と唸っていた。
その光景を見て、影浦雅人は心底呆れたように「はぁ…」と大きなため息を吐く。この不毛で切ない光景は、かれこれ一年ほど前からずっと続いている日常だった。
「なあ……アタシ、もうアサギになんも思われてねぇのかなぁ?」
机に頬を押し付けたまま、ぶつぶつとぼやく光。そこで、北添が困ったように眉を下げてフォローを入れた。
「そんなことないでしょ〜。アサギくん、ちょっとそういうとこ天然だしさ?」
「つーか、あいつそもそも『恋愛』なんてするタマかよ?」
影浦が乱暴に吐き捨てる。アサギは誰に対しても優しい。お菓子をあげれば柔らかく笑うし、勉強も丁寧に教えてくれる。
だが、その優しさの根底にあるのは「大切な仲間」への情愛であり、そこに一線を超えるような甘い熱量は微塵も感じられないのだ。続くように絵馬ユズルが、静かに口を開く。
「でも、アサギさんは無駄なことしないし、あの人が身内にいるなら尚更」
「あの『合理主義の権化』なら、あり得るな」
「ちょっと〜! 口が悪いよ二人とも!」
北添が抗議するが、絵馬と影浦の言わんとすることは痛いほど分かっていた。
アサギの保護者は、彼はボーダー内でも屈指の合理主義者だ。だが、ただの冷徹な男ではない。ボーダーの未来と街の平穏のためなら、誰よりも熱い情熱と覚悟を秘めている男だった。
何より、彼はボーダー内の派閥争いにおいて、唯一「完全な中立」を保ち続けている。
時に冷酷とも言える選択を迫られた際、状況を冷酷かつ客観的に見極めて最適な答えを出せるのが、アサギの保護者だ。
「じゃあさ、まずあの人のガードを緩めさせたらいいんじゃねぇのか?」
影浦が思いついたように言うと、光は再びデスクに沈没した。
「できたら苦労しねぇよ〜っ!!」
光の悲痛な叫びが部屋に響く。アサギの保護者は、何だかんだ言ってアサギに対してかなり「過保護」気味だ。それは周囲から見れば一目瞭然なのだが、アサギ本人は全くの無自覚である。
何しろ、4年前の侵攻で亡くなったアサギの兄たちは、保護者と深い親交があったらしい。大切な友人であり、自分を守って散っていった兄たちの「残された唯一の弟」であるアサギを大切に想い、影で見守り、傷つけまいとガードを固めている。
その背景を知っているからこそ、光も無茶なアプローチはできずにいた。
「さっさと言えよ」
恋に悩むオペレーターを横目に、影浦は本日何度目になるかわからない溜息を、深く吐き出すのだった。
○○○○
そろそろ帰ろうかとスマートフォンの画面に目を落とした瞬間、まるでこちらの時間を測っていたかのようなタイミングでメッセージが届く。
『今から帰るか?』
「なんでいつも、こんなにタイミングが良いんだろう?」
画面に表示された差出人は、[[rb:あの人 > 保護者]]であり、俺は首を傾げながら『帰るよ』と短く返信を打ち、ロビーの大型モニターを見上げた。
ロビーのモニターには、他の隊員たちのランク戦の映像が映し出されている。A級1位の太刀川さんが、今日も相変わらずの熱量でランク戦に明け暮れていた。
「待たせたか、アサギ」
後ろから響いた厳かな声に振り向くと、スーツ姿で立っていた。
「ランク戦の映像を見てたから全然大丈夫」
「そうか。なら、帰るとしよう」
「そうだね帰ろう。扉間さん」
○○○○
静かなエンジン音だけが響く車内には、血で血を洗う死闘を繰り広げた者同士とは思えないほど、穏やかでな空気が流れていた。
ハンドルを握るのは千手扉間。彼は現在、ボーダーの上層部で技術開発や作戦立案の中枢を担い、日々多忙を極めている。
だが、その真の正体は忍界で「忍の神」と称えられた千手柱間の弟であり、木ノ葉隠れの里の二代目火影だった男だ。そして前世の戦場で、アサギの幼い命を奪った当本人でもあった。
けれど、助手席に座るアサギと扉間の間に、過去の凄惨な因縁は一切存在しない。
アサギ自身、前世の記憶はあるものの、幼すぎるうちに命を落としたため「敵を憎む」という感情そのものを知らなかった。
フロントガラスの向こう、夕闇に包まれていく見慣れた街並みが流れていく。赤信号で静かに車が止まると、扉間が前を見据えたまま口を開いた。
「今日、影浦とソロのランク戦をやったそうだな」
「映像見てたの?」
アサギが不思議そうに顔を向けると、扉間は前を見つめたまま淡々と答えた。
「業務中に見れるわけがないだろう。他の隊員から聞いた」
「だよね。そういえば扉間さん、また新しいトリガーを作ってるの?」
「ああ。ボーダーの防衛体制はもう安定している。そろそろテスト用の新規格トリガーを完成させたいと思ってる」
流れるようなハンドリングで曲がり角を曲がる扉間に、アサギは感心したように目を細めた。
「流石、術の開発者だった人は伊達じゃないね」
「褒めているのか?」
「本気で尊敬してるよ。俺は忍だった頃、小さすぎて何も残せずに死んじゃったけど……『影分身の術』や『穢土転生』みたいな術をゼロから生み出したんでしょ? 概念そのものを創り出すなんて、本当にすごいと思う」
「そうか」
わずかに気恥ずかしさを覚えたのか、扉間は横顔のまま少し視線を逸らし、静かに前方の道路を見据えた。
かつては一族の運命を懸けて殺し合った二人が、今ではこうして一つの車に乗り、他愛もない会話を交わしている。
一方、扉間の胸中には、アサギには明かせない冷徹で重厚な思考が巡っていた。乱世の中、一族のために刃を振るい続けた日々。
幼い子供が相手であっても、敵であれば迷わず刀を振り下ろした。感情を捨てなければ生き残れなかった時代だ。
その後、兄である柱間が宿敵、うちはマダラと同盟を結び、木ノ葉隠れの里を創設した。
しかし、歴史は綺麗事だけでは進まず、自分は二代目火影として里の礎を築き、次の世代へと後を託して死んだ。
そして現代この世界に生まれ変わり、再び記憶を取り戻した時、扉間は眩暈を覚えた。
目と鼻の先に、命を削り合って死闘を繰り広げた宿敵、うちはマダラとその一族が生まれ変わって、この世にいたからだ。
最初は警戒した。忍術もチャクラもないこの平和な世界で、彼らが前世の憎しみを抱いていれば大変な事態になる。
だが、共に転生していた柱間は、穏やかに笑ってこう言ったのだ。
『大丈夫ではないか、扉間? マダラたちから憎しみの気が何も感じられん』
柱間の見立て通り、現世のマダラをはじめとするうちは一族は、争いを知らず、家族を愛する穏やかな人々だった。
互いに憎み合う必要のない世界。これこそが、かつて柱間とマダラが夢見た平和の形なのだと実感できた。
しかし、平和は長くは続かなかった。
異世界からの侵略者、
だが、あの惨劇の瓦礫の中で、たった一人だけ生き残った者が存在した。末の弟アサギだ。
瓦礫を押しのけてアサギを発見したあの日、扉間は息を飲んだ。恐怖で震えるアサギの瞳が紅く、妖しく光り輝いていたからだ。
(あの時……俺はこの時代に来て初めて、心の底から『恐ろしい』と思った)
この現代には、忍術を発動させるためのエネルギー『チャクラ』は存在しない。
にもかかわらず、家族の死に直面したアサギの目には、間違いなく前世の「写輪眼」と同じ災いの光が宿っていた。
そこからの動きは早かった。身寄りを失ったアサギを過酷な孤児院に入れさせず、扉間は保護者としてアサギを引き取り、同じ屋根の下で暮らす道を選んだ。
すべては、アサギを一人にさせず、その存在を近くで見守り続けるために。
もし、アサギの眼に宿るものが本当に「写輪眼」であるならばそれが何を引き起こすか、扉間には容易に想像がついた。
うちは一族は深い「愛」を知る一族だ。しかし、その強い愛を失った時、それは反転して世界を滅ぼしかねない凄絶な「憎しみ」へと変貌する。
前世で狂気に奔走したマダラで、それを身をもって思い知らされていた。
(だからこそ命を賭してアサギを守り抜いたマダラたちの代わりに、俺がこの子を見届ける責任がある)
チャクラも忍術もないこの世界で、うちはの呪いと異能を理解できる人間など、自分以外に存在しないのだから。
「どうしたの、急に黙って」
不思議そうに顔を覗き込んでくるアサギの瞳は、今は澄んだ黒色に戻っている。
「何でもない」
前世では決して相容れることのなかった千手とうちは。けれど今、二人は静かに温かな夕闇の街へと帰っていく。
※単行本風カバー裏紹介
千手扉間
改造トリガーは大体この人。
旧ボーダー時代からのメンバー。現ボーダーでは技術開発/指揮担当。いつかトリガーで飛雷神の術の再現が出来ないかと考えいる。だが、トリガー開発は多忙のため後回し気味。