俺と扉間さんが暮らしているのは、静かな場所に佇む日本家屋だ。四年前の襲撃で甚大な被害を受けた東三門市から離れていることもあり、綺麗な状態で残っている。
現代のコンクリートや鉄筋の建築は確かに丈夫で安全だが、木造建築は前世を思い出させてくれて、俺にとっては何かと落ち着く場所だった。
二人暮らしを始めてから、毎日の食事は交代で作っている。今日は俺の当番だ。4年前は仕事で忙しかった両親に代わって料理をしていたこともあり、腕前にはそこそこ自信がある。
「アサギ」
「何?」
食卓に並べられた鯖の味噌煮を箸でほぐしながら、短く答える。向かいに座る扉間さんが、静かに視線を投げてきた。
「眼の調子はどうだ?」
「今日はなんともなかったよ」
気負う様子もなくいつものように答えると、扉間さんは「そうか」と一言だけ呟き、再び静かに箸を進めた。
「何かあれば、すぐに知らせろ」
「わかった」
扉間さんが俺に対してどこか過保護なのは、なんとなく分かっていた。長兄であるマダラ兄さんと扉間さんの間に生前交流があったこと、そしてその遺された弟である俺を心配してくれているのだと察している。
それだけで、あの「合理主義」の扉間さんがここまで神経を尖らせるはずがない。別の理由があるのだろうと、俺は考えていた。
原因は、俺のサイドエフェクトだ。 四年前の侵攻を境に発現したその力は、相手の動きを一瞬でコピーし、次の挙動を予測するというもの。それが前世の「写輪眼」とあまりに酷似しているからだろう。
「写輪眼」は、うちはの人間だけが開眼する特別な瞳術だ。強い悲しみや絶望、憎しみといった過酷な感情をきっかけに力が発揮される。
前世の俺はその存在すら知らずに幼くして死んだが、扉間さんは前世のマダラ兄の写輪眼とその災いを見てきた。
忍術もチャクラも存在しないこの世界で、なぜ似たような異能が俺に宿っているのか。扉間さんが警戒するのも無理はなかった。
食事を終えると、俺は兄たちと両親の写真が飾られた仏壇へ向かう。写真の中で、兄や両親も笑っている。毎日の日課として、俺は今日あった出来事を心の中で報告した。
そして、その写真立ての隣にはもう一人、扉間さんの兄である柱間さんの写真も並んでいた。小さかった頃、俺は柱間さんにとても可愛がられていた記憶がある。
「お〜、マダラがイズナ以外を連れてくるのは珍しいな!」
「別に、俺だって連れてきたくはなかったさ」
学校のない休日。前世の記憶を微かに引きずり、家で一人読書ばかりして過ごしていた俺を心配したのだろうか。マダラ兄さんは珍しく俺の手を引き、河川敷へと連れ出してくれた。向かった先に居たのは、柱間さんだった。
「そんなこと言わずとも〜。君がアサギか?」
「は、はい」
「ははっ、そう緊張しなくても良いぞ?」
柱間さんは、人見知りで縮こまる幼い俺の目線に合わせてその場にしゃがみ込み、大きくて温かい手で優しく頭を撫でてくれた。
包み込むようなその笑顔と大らかな温もりに触れた瞬間、マダラ兄さんがなぜこれほどまでに柱間さんを慕い、心を開いているのかが分かった気がした。
「よし! 今日は川で水切りをするぞ!」
「俺たち、もうガキじゃねぇだろ」
「まだ学生ではないか?」
「うるせぇよ」
「兄さん水切り上手だもんね」
マダラ兄さんは、何かにつけて川辺で水切りをすることが多かった。後から聞いた話によると、かつて二人が出会ったきっかけも川での水切りだったらしい。
前世の記憶がないはずなのに、兄さんはどこか遠くを見るような目をしながら、決まって肌寒くなる冬の前になると、まるで願掛けでもするように平たい石を拾っては水面へ投げていたのだ。
「それは今は言わなくて良い」
照れくさそうに呟いたマダラ兄さんの大きな手が、俺の頭をわしゃわしゃと優しく撫でまわす。その微笑ましい光景を見て、柱間さんは破顔して喜びの声を上げた。
「おお、アサギは素直で可愛いぞ〜!」
「おい! 俺の弟に気安く触るな」
不機嫌そうに拳を握りしめるマダラ兄さんをよそに、柱間さんは何度も俺と笑い合い、全力で遊んでくれた。けれど、俺が大きくなるにつれて、柱間さんと会う機会は徐々に減っていった。
その理由は、まだ世間に「
当時は人員も少なく、現在の戦闘体に備わっているような「緊急脱出」機能すら存在しなかった。俺たちが平穏な日常を過ごしていた裏側で、彼らは常に命の保障がない、本当の死と隣り合わせの戦場に身を投じていたのだ。
そして柱間さんは、四年前の第一次大規模侵攻よりも前、人知れずこの世を去っていた。
マダラ兄さんたちのように、遺体すら残っていない。
柱間さんは、残された全てのトリオンを絞り出し、己の命と引き換えに生成される「黒トリガー」となったからだ。
命を賭して生み出された黒トリガーは、規格外の強大な力を宿す代わりに、使用できる適合者が限られる。
柱間さんがその命を賭して遺した黒トリガーは今もなお、誰一人として起動させることもできず、静かに眠り続けている。
○○○○
夕食を終え、仏壇にお供えしていた小鉢を静かに下げながら、写真立ての中に収まるマダラに視線を落とす。写真の中のマダラは、前世で見せたような殺意や荒々しい感情を一切感じさせない、驚くほど穏やかな表情を浮かべていた。
「アサギは強くなったぞ、マダラ」
誰もいない部屋で独り言をこぼす。
「今日も仲間と交わし、互いに力を高め合っていた」
アサギの実力は、すでにA級隊員たちと肩を並べられる領域にある。それにもかかわらず、彼が頑なにB級ソロであり続ける本当の理由は、ボーダー内でもごく一部の人間だけだ。
あれは、ボーダーが組織されてまだ間もない頃のことだった。
実力磨きの一環として、アサギが他の隊員と組み、2対2のチーム戦による模擬戦を行った。相手も猛者で、互いに一歩も引かない互角の勝負。第三者から見れば、互いの技術を高め合う見事な模擬戦だった。
しかしその最中、アサギは自らの判断ミスによって、味方の隊員を戦闘不能に追い込んでしまった。
トリオン体での戦闘不能。生身に傷がつくわけでも、命を落とすわけでもない。誰もがアサギの健闘を称えた。
だが、アサギは模擬戦が終わった直後、その場に崩れ落ち、そのまま数日間寝込んでしまったのだ。
味方のトリオン体が弾け飛び、消失した一瞬の光景。それが前世の戦場で目の前で家族の命が途絶えたトラウマと重なり、激しいフラッシュバックとなって幼いアサギの心を容赦なく苛んだのだ。
「アサギは失うことを誰よりも恐れている」
生身の命だろうと、トリオン体だろうと関係ないのだ。自分のせいで誰かの存在が消えるその恐怖が、アサギの足枷となり続けている。
「そして、心を預けて頼れる者がいない」
自分の身を犠牲にしてでも周りを守ろうとする危うさ。それが、かつてのうちはの者たちが抱えていた狂気的な愛と同質のものであることを、俺は知っている。
「兄者なら上手く導けただろうな」
ぽつりと漏れたその言葉は、静かな部屋の空気に溶けて消えた。
お供えの小鉢を手に取り、俺はマダラたちの穏やかな笑顔に背を向けて、静かに部屋を後にした。
○○○○
顔を埋めているのは、通常の視力検査器ではなく、ボーダーが独自に改良したトリオン流測定器と連動する精密な検査用スコープだ。レンズが切り替わる音が室内に響く。
「やっぱり落ちてた?」
暗がりの中で機器を操作していた扉間さんが、手元の波形データを見つめながら、静かに息を吐いた。
「あぁ、以前よりは。やはり原因が判明するまでは、サイドエフェクトの使用は控えろ」
「それが賢明だよね。そろそろメガネでも買おうかな」
眼の前に広がる薄ぼんやりとした視界に少し苦笑しながら、ふと気になって問いかけてみる。視線は、パネルの光に照らされる扉間さんの厳しい横顔に向けられていた。
「ねぇ、マダラ兄さんは視力悪かったの?」
「マダラの場合、万華鏡写輪眼を開眼してからだな」
扉間さんは前世でマダラ兄さんと命を賭けて戦っていた。写輪眼よりもさらに強力な「万華鏡写輪眼」を開眼していたマダラ兄さんだが、その強力すぎる力と引き換えに己の視力を失っていったという。
最近自分の身におかしなことが多いのもあって、当時の記録が残っていないのかと扉間さんに問いを投げてみる。
「扉間さんって、そこらへんの記録とか取ってないの?」
「覚えているから、わざわざ記録に残す必要もないだろう」
「そっか」
前世の記憶を今も鮮明に覚えている扉間さんらしい答えに、俺は少し笑った。
その後、ボーダーを後にして急いで学校へと向かう。午前中の授業こそ抜けてしまったが、午後の授業が始まるまでには間に合いそうだ。
校舎に入り、静かな廊下を歩いているとふと、視界の隅に不自然な霞みを感じた。
(ん……?)
次の瞬間、脳裏に妙な既視感が走る。この場所で、誰かと出会って会話をする。そんな、まるで短い予感のようなものが頭をかすめた。
わずかに目を押さえていると、前方の曲がり角から、聞き覚えのある足音が近づいてきた。
「よおー! アサギ、午前中いなかったけどどうしたんだ?」
現れたのは、光さんだった。先ほど脳裏をかすめた予感通りの登場に、俺は心の中で小さく息を呑む。
「うん、少しボーダーのほうで検査があってね。サイドエフェクトのことで色々」
「そういえば午前中に小テストの返却があったんだ」
俺の不安とは裏腹に光さんが明るい笑顔を浮かべる。
「アサギのお陰で無事に補講回避できた!」
「やっぱり光さんは、やればできる人だからね。この調子で期末テストも頑張ろう」
「おう! テストが終わったら、カゲのところでお好み焼き食べような!」
「うん」
会話はスムーズに進むが、俺の中で嫌な予感が消えない。光さんに察せられないように平常心を心掛ける。前触れもなく頭をかすめた予感の正体が気になって、俺はそっと自分の目を伏せた。
○○○○
午後の授業が終わっても、胸の奥のもやもやは消えないままだった。少し視界が霞む眼と、時折頭をかすめる妙な「予感」を抱えながら、俺は一人で家路につく。
「……ッ!?」
ガラスが割れる音が突然響く。音の根源へ眼を向ける小さなトリオン反応が移動していた。反応を追うと思った矢先、警戒区域外で異世界の門が開いた。
「トリガー起動」
すぐさまトリガーを起動し、戦闘体へと換装する。同時に、耳元の通信機へ本部へ通信を繋げる。
「こちらうちは、警戒区域外にて門発生を確認」
その瞬間、目の前の景色がぐにゃりと重なった。重なった像が鮮明になると、そこには一頭のトリオン兵、三対のブレード付きの腕があるモールモッドの姿。
「モールモッドを確認、対処にあたります」
通信機越しに、聞き覚えのある声が飛んできた。
『アサギ、他にも門が開いている終わり次第他の対処も頼む』
扉間さんだ。普段の冷徹な彼にしては珍しく、声に焦りが混ざっている。他の場所でも同時に門が発生しているのだと直感した。
「うちは、了解」
刃を構えた瞬間、またしても「それ」が起きた。モールモッドの動きが見えるいや、違う。
『その後の動き』がまるで映像のようにあらかじめ視界に重なって見えるのだ。右の巨大なブレードを振るう残像が、現実に先駆けて浮かび上がる。
予測された軌道の先へ先回りし、足元の地面を強く踏み抜く。相手のブレードが空を切るコンマ数秒前、スコーピオンを一気に叩き込む。コアを一撃で撃ち抜かれ、モールモッドの動きが停止した。
普段はもう少し時間が掛かる対処を早く終われた。今は自身の異変よりも周りを優先させる。通信機に完結に報告する。
「こちらうちは、トリオン兵を撃破しました。他の隊員の元へ向かいます」
屋根へ登っていき戦闘地へ移動する。屋根を飛び越えるたび、視界の先で激しい衝撃音と土煙が立ち上るのが見えた。
「あれは三輪くん?」
細い路地の中心で片手に拳銃、もう片手に『弧月』を持ち、二体のトリオン兵と戦っている姿があった。その正体はA級6位。三輪隊隊長の三輪秀次だった。他の隊員の姿は見えず、彼も偶然トリオン兵に遭遇したのだろう。
三輪くんは路地の壁を蹴り、空中から『弧月』を一閃させて一体のバンダーの目を切り落とす。さらに着地と同時に連続射撃を叩き込み、敵の態勢を完全に崩していた。
もう一体のバンダーが、路地の反対側から三輪くんの死角を狙って巨体を前傾させていた。
「三輪くんの邪魔にならないようにしないとね」
俺は空中で体勢を捻り、屋根の上からバンダーの直上へと飛び降りた。眼が勝手に熱を帯びる。『未来の瞬間』がコンマ数秒先の残像としてクリアに視覚化された。
スコーピオンをバンダーの弱点へ的確に投げ込んで目をを打ち抜く。一瞬の静寂の後、バンダーの巨体は光の粒子となって爆散した。
ほぼ同時に、三輪くんの『弧月』が残る一体の胸部を横一文字に切り裂く。二体のトリオン兵が完全に消失し、路地には硝煙の匂いと静けさだけが残された。
「遅れてごめん」
スコーピオンを消しながら俺が声をかけると、三輪くんは短く答え、刀を収めた。
「いや。被害が減ったから好都合だ」
三輪くんはふと俺の顔をじっと覗き込んできた。その鋭い眼光が、俺の目元に注がれる。
「うちは、サイドエフェクトを使うような有事でもあったのか?」
「え? 勝手に発動してる?」
自分の眼に手をかざすと、確かに特有の熱とトリオンの巡りを感じた。視界の端がわずかに揺らめいている。
「無意識に使っていたのか?」
「ごめん、ハッキリわかってないんだ。数日前から視界がぼやけちゃって、今日も午前中休んで検査してたんだけど……あ、戻せたかな?」
意識を眼の奥へ集中させると、感覚が戻っていき視界もいつも通りに戻る。
「あぁ。早めに扉間さんへ相談した方がいい」
「そうだね。報告もしないとダメだし本部に戻ろうか」
ボーダー本部に帰還し、俺と三輪くんは司令室へ報告に向かった。