そのまま俺と三輪くんは、警戒区域外での門発生に関する緊急報告のため、会議室へと足を進めた。
自動扉が重い音を立てて開く。足を踏み入れた瞬間、室内の空気に思わず息を呑んだ。
視界の奥、中央のデスクにはボーダー最高司令官である城戸司令が深く腰掛け、その周囲を上層部の面々が取り囲んでいる。
「うちは、ただいま戻りました」
「対処ご苦労であった」
深く沈んだ静寂を破り、城戸司令が低く言葉をこぼす。その表情には一切の動揺がなく、冷静だ。俺は現場で見たままの事実を淡々と述べていく。
「門の発生以外は普段と変わらないトリオン兵でしたので、三輪隊員と対処できました。ですが、警戒区域外での門の発生はかなりまずいですね」
そこまで話して、俺は報告の最中にふと思い出した「違和感」を付け加えた。眼の奥に残る、あの不自然な光の残像。
「報告としてですが、門が発生する直前、その場所に微弱なトリオンの揺らぎのようなものが見えました。ただ、戦闘が終わったら小さくなりすぎて見えなくなってしまって、お役に立てず申し訳ございません」
「いや、それは貴重な情報だ」
言葉をこぼしたのは、本部基地システムなどボーダーの開発室長、鬼怒田さんが深く頷く。
だが、その情報を発言すると、扉間さんが席を立ち静かに歩み寄ってきた。その足音は驚くほど重い。扉間さんが纏わせる気配は先ほどまでとは一変していた。
鋭い眼光が俺の瞳の奥を射抜くように注がれ、まるで前世の戦場で『うちは』の宿敵と対峙した時のような、殺気すら混じった威圧感が会議室全体を支配した。
「アサギ、眼を使ったのか」
「申し訳ございません。サイドエフェクトは無意識に発動させてしまいました」
俺のその答えを聞いた瞬間、扉間さんの表情はさらに一段と引き締まり、氷のように冷たく硬いものへと変わった。その瞳の奥にあるのは、純粋な激怒ではなく、「事態が予期せぬ方向へ進んでいる」という明確な焦りだ。
「アサギ、綱手のところへ行くぞ」
「えっ、急に!? 大丈夫なの?」
公の報告の場であるにもかかわらず、急展開に動揺して思わず口調が砕けてしまった。
突然の提案に俺が面食らっていると、扉間さんは俺の肩を強く掴んだ。その指先には、骨が痛むほどの尋常ではない力がこもっている。それほど彼の中で余裕がなくなっている証拠だった。
「まずは自分の身に起こっていることを自覚しろ」
「気にしすぎじゃない?」
「お前は『うちは』のことを、ほとんど何も知らんからな」
「そうだけどさ」
(……知らない理由は、扉間さんが前世で俺を殺したからでしょ)
喉まで出かかったその言葉をぐっと飲み込む。ここで口に出せば、いつもの論破と説教が何倍にもなって返ってくるのは目に見えている。俺はおとなしく黙ることにした。
「城戸指令、後は頼みます」
城戸司令は扉間さんの異様な焦りを見咎めつつも、何も追及せず静かに片手を挙げて了承を示した。
扉間さんはそう短く告げると、会議室に重い空気を残したまま、俺の手首を掴んで速足で歩き出した。
〇〇〇〇
「綱手さん今日いるかな……?」
「無理にでも呼び戻す」
綱手。彼女は前世において、柱間さんの姪っ子だった。現在の彼女はボーダーの常務医を務めているものの、腕利きの医師ゆえに各地を飛び回っており、今日もボーダーに居るかどうかは賭けだった。
だが、扉間さんがスマホを数回叩いて連絡を入れると、数秒で「今すぐ戻る」と力強い返事が返ってきたあたり、さすが叔父と姪というべきか。
医務室でしばらく待っていると、盛大に音を立ててドアが開いた。薄黄色の綺麗な長い髪をなびかせながら、綱手さんが堂々と足を踏み入れてくる。
「それで、叔父…じゃなかった、扉間兄さん。コイツはどうなっているんだ」
「今から話す」
「綱手さん、相変わらず言葉の端々に前世の癖が抜けてないね」
「今は関係ないだろう」
一触即発の空気を察して口を閉ざした俺の隣で、扉間さんが静かに切り出した。
「単刀直入に言う。アサギの『眼』の症状が悪化している」
扉間さんは淡々とした口調のまま、開発室での精密検査の結果や、ここ最近アサギの視力が目に見えて低下している事実を一つずつ説明し始めた。
最初は腕を組んで眉をひそめながら聞いていた綱手さんだったが、話が進むにつれてその眼光が鋭さを増していく。そして、すべての報告を聞き終えた瞬間。
「自分の体を何だと思っているんだ!!」
診察室に響き渡ったのは、雷のような怒号だった。原因が解明できない焦りも相まって、俺は綱手さんから恐ろしいほどこぴっと怒られた。
長年一緒に暮らしている扉間さんに対してはもう「怖い」という感情は薄れているのだが、綱手さんの容赦のなさは別格だ。
「当面の間、防衛任務もランク戦も一切禁止!!」
「えっ、休み!? さすがにそれは!」
思わず抗議の声を上げると、怒りに任せて綱手さんが振り下ろした拳が、診察室の分厚いコンクリートの壁に真っ直ぐ叩きつけられた。
メリメリと凄まじい音を立てて壁全体に巨大なひびが走り、パラパラと白い粉塵が舞い散る。
不気味に大きくひび割れたその壁は、まるで「未来の俺の悲惨な末路」を暗示しているような気がした。
俺はそれ以上何も言えず、おとなしく綱手さんの指示に従うのだった。
〇〇〇〇
授業が終わり、放課後の静まり返った教室。机に突っ伏して露骨に落ち込んでいるアサギを見て、アタシは思わず声を掛けた。
「おーおーアサギどうしたんだよ」
「暫く戦闘禁止を言い渡された」
言葉こそいつも通り淡々としているけれど、伏せられた顔やわずかに硬くなった声の端々に、普段の冷静な彼からは想像もつかないほどの「焦り」が滲み出ていた。
何事にも余裕を崩さないアサギが、こんなにも余裕をなくして動揺しているなんて、昨日か今日、一体何があったのだろう。胸の奥がざわざわと嫌な予感で波立つ。
「どうして、そんなのことになったんだ?」
「サイドエフェクトの原因が分かるまでとりあえず今はなにもするなって綱手さんに言われた」
ボーダーの医療班長の綱手手。あの人は腕は超一流だけど、ものすごく美人で、同時に恐ろしいことで有名な人だ。そんな人に直接ストップをかけられるなんて、事態は思っている以上に深刻なのかもしれない。
「ただでさえ、最近視力おちて嫌な気分なのに」
「そうだったのか」
眉をひそめてぼやくアサギは、机に突っ伏したままぐったりと肩を落としている。防衛任務も没収されて、相当ショックだったらしい。
「結構俺ってボーダーに依存していたんだなって痛感する」
「元気出せよほら、今日はいちご味」
カバンから引っ張り出したイチゴ味のお菓子を目の前に突き出すと、アサギはスッと顔を上げ、わずかに目を輝かせた。アタシはわざとおちゃらけた動作で差し出す。
「ありがとう。食べて良い?」
「甘いものはやっぱいつ食べても美味しい」
包装を破って嬉しそうに口に運ぶ姿は、さっきまでの焦りや深刻さが嘘みたいに年相応だ。そんな彼の横顔をこっそり盗み見ながら、アタシはホッと胸を撫で下ろす。
「影浦隊って防衛任務ある?」
「いや、ないな」
「良かったらだけど、テスト勉強してく?時間あるし」
「本当か!?」
思わず素で大声を上げてしまい、自分で自分の両手を口に押さえた。なんで嬉しそうなの、とアサギが首をかしげる。
(だって、アサギと二人で勉強できるなんて思ってもみなかったし!)
「ボーダー行くとランク戦誘われそうだしやることは勉強しかないからね」
「私は暇つぶし要因か」
「そんなつもりないけど。普通に光さんと勉強したかったし」
ふっと柔らかく笑ったアサギの笑顔に、心臓が跳ねる。アサギは誰にでも優しい。それはボーダーでも学校でも誰もが知っていることで、困っている人がいれば静かに手を差し伸べ、その瞳で真っ直ぐ向き合ってくれる。
アタシだって、その優しさに救われた一人だった。
だけど、アタシは、アサギのことを知っているようで、何も知らない。
これだけの戦闘実力があるのに、なぜかA級を目指さずB級ソロのまま上に行こうとしない。気になってカゲに尋ねた時も「本人に聞け」の一点張りだった。
それをアサギに直接ぶつけても、いつも話題を上手に逸らされてしまう。そして今日見せた、あの隠しきれていなかった焦燥感。
もっとアサギのことを知りたいと思うのは、アタシの勝手なワガママなのだろう。でも、どうしてもその背中を目で追ってしまうのだ。
「光さん?」
「なにもない!」
自分の思考を追い払うように大きな声を張り上げた。今は余計な心配をさせず、少しでも彼の気持ちを晴らしてあげたい。
アタシは慌ててカバンからノートとペンを取り出し、気を取り直すように頭を振る。そして、まずは自分の苦手な科目から教科書を開き、勉強をはじめるのだった。
〇〇〇〇
「そろそろ帰ろうか」
「疲れたー」
外は薄暗くなっており、時間が経過していたことがわかる。ノートやペンをカバンにしまい込み、教室を出た。コツコツと響く足音だけが、静まり返った道に響く。
「なぁ、アサギはなんでアタシの勉強見てくれるんだよ」
ずっと胸の奥で燻っていた疑問を、アタシは意を決して口に出してみた。ふっと前を歩いていたアサギが、わずかに足を緩める。
「知人だから?」
「知人?」
「うん、今俺がこうして生きているのは、人の繋がりがあるから」
アサギはふと立ち止まり、夜空に浮かぶ星を仰ぎ見るように首を少し傾げた。その横顔は、街灯の冷たい光に照らされて、硝子細工のようにどこか儚げだ。
「死んだ兄さんや俺を保護した扉間さんやボーダー、学校の皆」
アサギは自分の周りにある温もりを数えるように語る。だけど、その「兄」という言葉の響きには、計り知れないほどの喪失感が感じられた。
「せめて知っている人だけは、悲しい思いはできるだけしてほしくない」
誰かを悲しませないために、アサギがこれまで歩んできた過去や、背負っている物の重さが伝わった。
「まぁ、これは柱間さんの影響があるからかも」
ふっと笑ったアサギの横顔は、どこか遠くの懐かしい誰かを見つめているように優しかった。
「柱間さん?」
聞き慣れない名前に小首をかしげるアタシに、アサギは言葉を続ける。
「扉間さんのお兄さんだよ、あの人すっごいお人好しでね、よく扉間さんに「兄者は甘い」って怒られてたんだよね。生かされた命だから使い方は、有意義にしないと」
その言葉の裏に隠された、深い覚悟。目の前にいるアサギが、まるでいつの間にか誰にも触れられない遠くへ消えていってしまいそうで、怖いと感じてしまった。
だが、その考えを中断するようにパキッと何かが、割れる音が頭上に響く。
「門!? なんでここに!?」
警戒区域でもない場所に異世界の門が開いた。夜空を切り裂く黒い空間が、広がっていく。
「市街地!? ごめん光さん、俺、市街地へ行ってくるね」
引き止めたら駄目だ。さっきの会話でアサギを知ってしまったからこそ、ここで足を引っ張るような真似は絶対にできなかった。
「わかった! アタシはボーダーに連絡する!」
「ありがとう!」
言葉に頷くが否や、アサギは路面の石を強く蹴り飛ばし、漆黒の闇が広がる街中へともの凄い勢いで駆け出していった。
あっという間に夜の闇へと溶けていく背中を見送りながら、アタシは冷え切った指先で端末を強く握り締める。爪が食い込み、手のひらが痛むほどに力を込めた。
※単行本風カバー裏紹介
綱手
美人で怖いお医者さん
普段はボーダーの医療班長。腕利きの医者で各地を飛び回りながら、サイドエフェクトの研究に励んでいる。今世は扉間は従兄弟関係のため、呼び方に癖が抜けていない。前世の怪力もご顕在。
引き続き観てくれますと嬉しいです。