二人は
だが、それと引き換えにするように、先ほどから俺の視界はずっとおかしい。
世界が二重にも三重にもブレて見えている。焦点が全く定まらない。
(感情的になりすぎたかもしれない)
今まで感情的になることは無かった。だが、ここ最近、考え事が多くなった気がする。
しかし、今はこの異変が一刻もおさまることを待つしかない。迅さんの声も近くから聞こえているので、自体は収束したのだろう。
三輪くんは
「アサギ、アサギ!」
頭上から降ってくるだ迅さんの声に、俺はなんとか顔を上げた。
「迅さんお疲れ様です」
搾り出した声はどれだけ冷静を装おうとしても、今はその余裕すら無かった。
「大丈夫じゃないね。見えてる?」
「すみません。見えてないです」
視界は真っ暗で認識できない。そんな俺の顔を覗き込んだ米屋くんが、口を開いた。
「大丈夫か~眼の模様ずっと浮いてるな」
「米屋君、どんな風に見えてるの?」
「なんか、車輪みたいな?模様だな」
「もう、それ『眼の模様』の域超えてるよ」
三巴とかなら写輪眼と一発でわかるが、車輪なんて聞いたことない。話が脱線した。まずはこの後のことを聞かないと。
「すみません。話を全然聞いてなかったです。本部に戻ればいいですか?」
「うん。それよか、アサギは綱手さんがお呼びだよ」
その名前を聞いた瞬間、医務室の壁を壊す綱手の顔が頭をよぎる。一度生身で体験済みなので考えるだけで背筋が凍る。
「怒られる覚悟はできています」
自虐交じりに呟き、歩き出すと、膝から崩れ落ちそうになった俺の身体を、誰かが慌てて受け止めてくれる。
「大丈夫ですか!?」
慌てた声で心配する声は、以前爆撃型トリオン兵で世話になった三雲くんだった。
「三雲くんだよね?」
「はい。B級隊員の三雲修です。先ほどは、空閑を助けていただき本当にありがとうございます」
「勝手に動いただけだから気にしないで」
視界は真っ暗になってしまい、なにも見えないが、俺を支えようとしてくれる真摯な声が伝わってきた。
「歩けそうですか?」
「申し訳ないけど支えてくれる?」
「はい。 もちろんです」
三雲くんの肩に体重を預けさせてもらいながら、俺は深い闇に包まれた視界の中、ゆっくりと歩き出した。
基地にたどり着くまでの道中で、白髪の少年が「空閑遊真」という名前だと知った。本当はもっと色々と話をしたかったが、今の俺にはそんな余裕すらなかった。視界は完全に潰れ、ただ立っているだけで精一杯だった。
道すがら、皆から聞かされた話に彼の強さに納得した。空閑くんが使っていたトリガーは、「黒トリガー」だったということ。アレは簡単に勝てるものじゃない。
迅さんが直接武力で止めるのではなく、「空閑くんに負かされた方が良い」と判断し、あの未来を選んだのなら、俺が余計に割って入る必要なんて本当になかったのかもしれない。
そんな風に、ぼんやりと考えているうちに、ボーダー本部へと辿り着いていた。
「アサギ、大丈夫か?まだ視界は見えないか?」
心配そうに背中を支えてくれているのは迅さんだった。心配してくれるのは心強いが、残念なことに視界が戻らないことを告げる。
「すみません。まだ回復しません」
「そっか、だそうです。綱手さん」
迅さんが声をかけると同時に、目の前の空気がピリッと張り詰めた。綱手さんの気配をなんとなく察する。その予想通り綱手さんが俺に声を掛けた。
「アサギ、私が見えるか?」
「真っ暗すぎて何も見えませんね」
「ふざける気力だけはまだあるようだな。迅、本当に良いんだな」
「大丈夫です。アサギトリガー解除してくれる?」
「あっ、はい。トリガー解除」
迅さんの促しに頷き、俺はトリガーの解除コードを口にした。 その瞬間。激しい激痛と同時に、眼の奥が沸騰したように熱を帯び、視界が赤に染まった。
「はっ……?」
反射的に自分の目元に手をやり、触れた指を引く。 見ると、指先からぽたりと赤く生温い液体が滴り落ちていた。それはまぎれもない、生身の肉体から流れる「血」だった。
〇〇〇〇
崩れ落ちるように力なく倒れ込むアサギの身体を、目の前に控えていた綱手さんが素早く受け止めた。 生身に戻った目元が、痛々しい赤い血に濡れている。
「……っ」
俺は、一歩前に踏み出そうとして、その足をピタリと止めた。 見えている。この結末は、ずっと前から未来視のビジョンの中にあった。
枝分かれの中で、最も被害が少なく、かつこの街の未来を決定的に良い方向へ変えるための「最善の選択肢」を選び抜いた結果がこれだ。
理屈では分かっている。分かっていたはずなのに、実際に目の前でアサギが血を流して倒れている姿を見るのは、やはり辛いところがある。
「迅」
背筋が凍るような冷徹な声音に、俺は現実へと引き戻される。 振り返ると、アサギを抱きかかえた綱手さんが、殺気すら帯びた瞳で俺を睨みつけていた。
「次、アサギにこんな無茶をさせたら……その時は分かっているな?」
「もちろんですよ。綱手さん」
冗談や軽口は一切通じない。彼女が放つプレッシャーは尋常ではなかった。俺は真っ直ぐにその視線を受け止め、静かに頷いた。
「アサギは私が預かる。後の報告はお前たちに任せるぞ」
「迅、了解」
綱手さんは血に濡れたアサギを軽々と抱き上げると、一瞥もくれずにそのまま医務室へと急ぎ足で去っていった。その後ろ姿が完全に視界から消えるまで見送った。
〇〇〇〇
その後、遊真の処遇を巡る臨時の会議が開かれた。 出席者の一人である扉間さんから、冷たい視線が突き刺さってきた。
話し合いの末、ようやく会議がお開きになった、まさにその瞬間だった。 扉が開き、医療部の白衣を翻して綱手さんが入ってきた。
「アサギが目覚めたぞ」
「すぐに行く」
扉間さんは椅子から立ち上がると、一言だけ残し、会議室を飛び出していった。その後を追うように、綱手さんも早足で去っていく。
俺とメガネくんも会議室を後にすると、遊真は今後城戸さん派に狙われる可能性が高い。何せ俺の玉狛支部は『近界民にもいいヤツいるから仲良くしようぜ』主義。城戸さんとは真逆なのだから。まぁ、遊真のことは俺が解決策を用意しているから、良しとしよう。
「迅さん。扉間さんとうちは先輩って、何か深い関係があるんですか?」
「あぁ、扉間さんはアサギの保護者だよ。で、さっき一緒に来た怖いお姉さんは、ボーダーの医療班長の綱手さんね」
「扉間さんは……どの派閥なんですか?」
尋ねてくるメガネくんに、俺は首を横に振る。
「あの人はどこにも属してないよ。中立だから大丈夫」
「えっ……? 中立、ってことは、城戸司令の派閥から睨まれたりしないんですか? 」
無理もない、今のボーダーで完全に中立を保つなんて、それだけで相当な求心力や立ち回りがなければ生き残れない。
「まぁ、ボーダーの中でもかなり珍しいね。あの人は技術開発のトップとして絶対不可欠な存在だからこそ、誰も手出しできないってのもあるけどさ」
俺は軽く笑い、アサギが眠る医務室の方へと視線を向けた。
〇〇〇〇
「扉間さん」
「気が付いたか」
ベッドの脇に置かれた椅子に腰掛け、扉間さんが居た。気絶をする前より視界はなんとか回復していた。でも、ここに運び込まれたのならまず言うことがある。
「ごめんなさい」
「報告は聞いている。空閑を守ったそうだな」
「うん。見てられなかったから…」
何もしてないのに一方的に繋がりを断ち切るのは、間違えてる。両者の理解を得られなければ、その先はどちらかが滅びるまで続く。
「何もせずに死ぬのはもう、嫌だから」
「だからといって、お前一人の犠牲にする必要は何処にもない」
扉間さんの確かな怒りと心配の色を帯びた声が言葉を遮る。
「お前の瞳に車輪のような模様があったらしいな。あれは、『万華鏡写輪眼』と酷似している」
「どういうこと?」
「それを今調べている。だが、お前は禁止令を出しても尚戦闘へ身を投じた。だから、当面の間は療養だ」
納得の決断に俺は反論する意思も無く、大人しく「わかった」と返した。
「幸い、十分に休めば視力も体力も回復する。今は休むことに専念しろ。それと、三輪隊との交戦による隊務規定違反の処分もあるからな」
「それは、三輪くんもでしょ?」
「屁理屈を言うな。……まぁ、お前の言う『対話の必要性』という考え自体は否定せん。だからこれ以上は深く追及はしない」
扉間さんはそう言って一度息をつく。そして、俺はもう一つの疑問点を扉間さんに問いかける。
「空閑くんの黒トリガー、城戸さんは奪うつもり?」
「仮に空閑が玉狛支部に所属すれば、ボーダー内のパワーバランスが大きく崩れる」
「……」
「だが、それを力ずくで奪おうとすれば内部分裂になりかねん。これ以上事態が悪化する場合は、俺は介入を考えたが……その必要もなくなった」
「迅さんが、解決するの?」
「あぁ。あいつの未来視とやり方なら、丸く収めるだろう」
迅さんという絶対的な支えに再び安堵しながらも、自分の弱さに押し潰されそうになる。この先で戦うなら俺はもっと、もっと強くならなければならない。
※単行本風紹介
【三門探訪】
うちはコーポレーション 三門支部
ボーダーのスポンサー
・四年前の大規模侵攻より手厚い支援をしてる。
・元ボーダー隊員も在籍してる。
・飲食店からITと多岐にわたっている。アサギはうちはせんべいのザラメ味が好物