神骸を焚べよ ~祝福なき傭兵たちは、今日も地獄の最前線を往く~ 作:匿名希望()
崩れた岩の山には、人がひとり這って通れるほどの隙間が残っていた。埋め火で崩したときに天井の岩が斜めに噛み合って、その下にわずかな空洞ができたらしい。隙間からは生温かい風が、ゆっくりと吐き出されては止まり、また吐き出されていた。
アイレンが先に入ろうとしたのを、マルタが止めた。
「騎士様は真ん中に入ってくださいよ。先頭はうちの耳ですんで」
アイレンは一瞬眉をひそめたが、何も言わずに一歩下がった。ピートが隙間に身を滑り込ませ、すぐあとにグレンが続いた。
坑道の中は、四日前よりもずっと暖かかった。
足元の湿り気は、入口から百歩も行かないうちに粘りけを帯びはじめた。壁に打ち込まれた古い支柱のいくつかは、根元のほうから肌色の何かに覆われていて、木なのか肉なのか見分けがつかなくなっている。前に来たときには、こんな入口近くまで広がってはいなかった。
「広がってるな」とドミが小声で言った。
「四日でこれかよ」とダミが続けた。
マルタは何も言わずに、通り過ぎる支柱の陰に神骸片を埋めていった。ひびを入れた欠片を泥に押し込んで導火の紐を這わせ、また次の場所へ進む。帰り道のための置き土産だった。
アイレンは列の真ん中を歩きながら、肉に覆われた支柱を一本ずつ目で追っていた。剣の柄に手をかけてはいたが、抜いてはいない。その横顔をちらりと見て、グレンは天幕で見たときと同じ違和感を覚えた。エルフの腕という言葉に、この騎士は何かを引っかけている。
ピートが足を止めた。
「来ます」
壁に耳をつけるまでもなかった。坑道の奥から、湿った足音がいくつも重なって近づいてくる。
「小さいのが、たくさんです。四つ足と、よくわかんないのが」
灯りの輪の中に飛び込んできたのは、犬ほどの大きさの異形の群れだった。どれも四つ足だったが、脚の長さが一本ずつ違っている。前脚の片方が人間の腕になっているものもいれば、背中から別の獣の頭が半分だけ生えているものもいた。湿地で見た死骸と同じ、縫い目のないつながり方だった。
「撃ちな」
マルタの声で、双子の大筒とリーフェの焚べ筒が同時に光った。先頭の数体が吹き飛んで、坑道の壁に叩きつけられる。グレンは前に出て、残りの群れに焚べ筒を向けた。一体の胴を撃ち抜き、跳びかかってきた次の一体を刃で払う。
払った異形の前脚が、半ばから切れて泥に落ちた。
落ちた前脚は、泥の上で指を動かしていた。それから切り口をこちらに向けたまま、ずるずると這って胴のほうへ戻っていく。
胴の切り口からも細い肉の糸のようなものが伸びてきて、戻ってくる前脚を迎えた。糸が触れ合うと、前脚は何事もなかったように胴へつながった。
「なんだよ、それ」とダミが言った。
グレンは同じ異形をもう一度斬った。今度は首を落としたが、さっきと同じように肉の糸が伸びて、また元に戻ろうとする。
「グレン」とリーフェの声がした。
「焼け。湿地の死骸は、焼けたものしか残っていなかった」
グレンは刃筒の、筒先の下に据えた刃の根元の窪みに神骸片を押し込んだ。刃が赤く灼けきるのを待たずに、つながりかけていた首の付け根を斬り払う。焦げる臭いがして、肉の糸は切り口のところで縮れ、それきり伸びてこなかった。首は泥に転がって、もう動かなかった。
「焼けば、つながらない」
グレンが言うと、後ろでユーリが神骸片の袋の口を開ける音がした。
「刃に焚べる分を、多めに回します」
群れを片づけるのに、それほど時間はかからなかった。ただ、ふつうの異形を相手にするときの倍は神骸片を使った。焦げた肉の臭いが坑道にこもって、ピートが何度か咳き込んだ。
戦いのあいだ、アイレンは列の後ろを守っていた。剣を抜いたのは一度だけで、背後の暗がりから這い出してきた一体を、灯りの外へ踏み込んで一太刀で仕留めた。斬られた異形の切り口が、細く白い炎を上げて焼けていた。グレンが振り返ったときにはアイレンはもう剣を鞘に戻していて、左手の指にはめた銀の指輪を、何かを確かめるように親指でなぞっていた。それきり坑道を下っていくあいだ、アイレンは魔法らしいものを一度も使わなかった。
横穴の前を通り過ぎるとき、グレンは灯りを中へ差し入れた。
第七小隊が埋まっていた奥の壁は、なくなっていた。壁ごと奥へ引きずられていったように、横穴の床から天井まで、肉の筋が一方向へ流れた跡が残っている。顔はひとつも残っていなかった。
「持っていかれたね」とマルタが言った。
その先で、主坑道は急に下り坂になった。
坂を下るにつれて、壁から岩肌が消えていった。土も支柱も見えなくなり、灯りが照らすのは、膨らんではしぼむ肉の壁ばかりになった。床は柔らかく、踏むたびに沈んで温かい。どこかで水の滴る音がしていたが、よく聞くと水よりもっと粘ったものだった。
ピートが立ち止まって、壁に耳を当てた。しばらくそうしていたが、やがて顔を上げてグレンを見た。
「近いです。この先で坑道が広くなってて、たぶん、そこにいます」
「心臓の音か」
「はい。前よりずっとたくさん」
坂の終わりで、坑道はたしかに開けていた。灯りを掲げても天井が見えないほどの空洞で、昔の鉱夫たちが掘った広間なのか、深淵の裂け目が坑道を食い破ってできた穴なのかは、もうわからなかった。
床の真ん中に、それはいた。
四日前に坑道の闇の中で一瞬だけ見たものが、今は灯りの下にそっくり横たわっていた。獣の胴がいくつも縫い目なくつながった、小屋ほどもある肉の塊だった。表面のあちこちから人間の腕やエルフの脚が生えていて、ゆっくりと宙を掻いている。塊の真ん中には裂け目のような大きな口があり、その縁に並んだいくつもの顔は、どれも目を閉じていた。第七小隊の顔も、たぶんその中にあった。
アイレンが息を詰める音が聞こえた。
グレンが横目で見ると、アイレンは塊の表面の一か所をじっと見つめていた。そこから突き出しているエルフの手の細い指に、銀の指輪がはまっている。灯りが遠くて、指輪に何が刻まれているのかまでは見えなかった。
塊が身じろぎして、閉じていた顔のいくつかが目を開けた。
「双子」とマルタが言った。
大筒が二発続けて火を噴いた。光の塊が肉の表面で弾けて、塊の脇腹が大きく抉れる。だが抉れた肉は、見ているうちに盛り上がって元の形に戻っていった。焼けて縮れた部分だけが黒く残り、そのまわりから新しい肉が押し出されてくる。
「焼いても、まわりから埋めてくるのかよ」とダミが言った。
「なら、埋まるより早く焼き続けるまでだ」
アイレンはそう言って、剣を抜いた。
グレンは右の腿の刻印に神骸片を押し当てた。脚に熱が駆け上がり、泥のように柔らかい床を蹴って塊の側面へ回り込む。宙を掻いていた腕の一本が、こちらへ伸びてきた。灼けた刃でそれを付け根から斬り落とし、切り口に筒先を押しつけて撃つ。光の杭が肉の奥へ潜り込んで内側で弾け、塊全体が身をよじった。空洞の壁が、びりびりと震えた。
反対側では、アイレンが同じように塊に斬りかかっていた。剣の切り口が白く燃えて、肉が焦げて縮れていく。ただ、その炎は斬るたびに少しずつ細くなっていった。
どれだけ焼いても、塊は小さくならなかった。焼けたところを捨てるように脇へ押しやって、内側から新しい肉を押し出してくる。リーフェが離れたところから撃ち込む杭も、双子の大筒も、塊の表面を抉るだけで奥までは届かなかった。
「グレンさん」
後ろから、ピートの声がした。振り返ると、少年は空洞の入口で床に膝をつき、両手で耳を押さえるようにしていた。ユーリがその肩を支えている。
「心臓、いっぱいあるんです。数えられないくらい。でも」
ピートは顔を上げた。目に涙がにじんでいた。
「ひとつだけ、ずれてるんです。ほかのは全部、そのひとつに合わせて打ってて、そのひとつが打つと、ほかのがみんな少し遅れて同じように打つんです」
ピートは包帯の上から自分の脛を押さえた。
「俺の足の中のも、そのひとつに合わせて打ってます」
グレンは塊を見上げた。腕や脚や顔が生えた肉の山のどこかに、ほかの心臓を全部従えて打っているものが、ひとつだけある。
「どこだ」
「奥です。真ん中の、いちばん深いところ。左側から近いです」
耳の奥で、あの声が鳴りはじめていた。脚の刻印を焚べたせいなのか、この空洞のせいなのかはわからない。今までになく近くて、はっきりしていた。言葉はまだ聞き取れなかったが、声が塊の奥の、ピートの言うそのひとつと同じところから響いていることだけは、なぜかわかった。
グレンは左手で右の前腕の袖をまくり上げ、腰の袋から神骸片を二粒つまみ出した。
「隊長」
「なんだい」
「帰り道の置き土産は、まだ残ってるか」
マルタは煙草をくわえ直して、しばらくグレンの顔を見ていた。それから、短く答えた。
「全部残ってるよ。」