神骸を焚べよ ~祝福なき傭兵たちは、今日も地獄の最前線を往く~ 作:匿名希望()
二日たっても、脇腹の傷は熱を持っていた。マルタの縫い目は見た目どおりに雑で、体をひねるたびに糸が突っ張る。それでもグレンは朝から塹壕に出て、ピートと二人で骸杭の手入れをしていた。
一度膜を張った杭の頭は、結晶が灰色に濁る。それを小刀でほじくり出し、新しい神骸片を押しこんで、上から松脂で固める。地味な仕事だが、これを怠けた小隊から順に杭の前で死んでいくんだよ、とピートは隊長の声色を真似て言った。
「似てないな」
「隊長の前でやったら殴られました」
杭を何本か直すごとに、ピートは手を止めて右隣の胸壁を盗み見た。第五小隊の連中が、こっちを見ながら何か話している。
「グレンさんのこと話してるんですよ。猪三頭を一人でやったって、第二のほうまで広まってるみたいです」
「査定官のところまでは広まらなかったな」
ピートは笑いかけたが、天幕でのことを思い出したのか、口を閉じて次の杭に取りかかった。
昼を過ぎたころ、塹壕の奥から騒がしい声が近づいてきた。
「だから右の分かれ道だって言ったろ」
「お前が左って言ったんだよ」
「言ってねえよ。言ったのはドミだ」
「俺がドミだ」
角を曲がってきたのは、泥まみれの男が二人だった。背丈ほどの鉄の筒を担いでいて、顔が同じで、泥のつき方まで揃っている。片方は左腕を布で吊っていた。
「隊長、戻りました。坑道は掃除どころじゃなかったです」
吊っていないほうがそう言いかけて、グレンに気づいた。筒を下ろし、上から下まで眺めてくる。もう一人も、同じ順番で同じように眺めた。
「誰だ、この人」
「新入りのグレンさんです」ピートが杭の頭をほじる手を止めた。
「新入り? どっかの小隊の古株じゃなくて?」
「今日で三日目だ」
双子は顔を見合わせた。吊っていないほうが、思い当たったように目を剥いた。
「あれか。戻る途中で第二の連中が話してた、猪を三頭やったっていう」
「二頭半だ。最後の一頭はまだ動いてたから、首を落とした」
「それを普通は三頭って言うんだよ」
壕の入口から、マルタが煙草をくわえて顔を出した。
「おかえり。核なら一個もついてないよ。全部騎士様のもんになったからね」
「またかよ」双子の声が揃った。
二人はドミとダミと名乗ったが、どっちがどっちなのか、名乗った本人たちもはっきりしていなかった。腕を吊っているほうが今日はダミということになっていて、坑道で崩れてきた梁に挟まれたのだという。
「骨は折れてないってユーリが言ってました」
「そのユーリは」
「後ろから来ます。担架を一人で引っ張ってるんで遅いんですよ」
「担架?」
双子の顔から、軽口の色が抜けた。
「第七の生き残りです。一人だけ」
しばらくして、痩せた青年が担架を引きずるようにして現れた。担架の上には、毛布にくるまれた男が仰向けに寝かされている。青年は担架を壕の前に下ろすと、膝に手をついて肩で息をした。
「坑道の奥の、横穴で見つけたんです」息が整う前に、青年は話しはじめた。
「第七小隊は掃除に入ったきり三日戻らなかったそうで、僕らが着いたときには、この人しかいませんでした」
マルタが担架のそばにしゃがんで、毛布の端をめくった。男は目を開けていたが、どこも見ていなかった。唇が動いていて、何か言っているのに、声にはなっていない。
「怪我は」
「ほとんどないんです。それが妙で」青年は毛布をもう一段めくった。
「あるのは、ここだけで」
男の右手の甲に、見慣れない痣が浮いていた。蔦が這ったような細い線が、指の付け根から手首へ広がっている。グレンは、袖の下に隠れている自分の前腕の刻印のことを考えた。線の曲がり方に、どこか覚えがあった。
青年は、そこで初めてグレンに目を向けた。
「あの、どなたですか」
「新入りのグレンだ」
「ああ、すみません。ユーリです。衛生兵の真似事をしてます」ユーリは頭を下げてから、グレンの脇腹で目を止めた。シャツの上からでも、縫い目の盛り上がりがわかる。
「それ、誰が縫いました?」
「隊長だ」
ユーリは何とも言えない顔でマルタを見た。マルタは空に向かって煙を吐いた。
「あとで縫い直しますね」
第七の男は、その日のうちに後方の施療所へ運ばれていった。人間の兵が送られる施療所に祝福の治癒はない。ユーリが担架に挟んだ容体の書き付けも、どうせ誰も読まない、と双子は言った。
その晩、ユーリはグレンの脇腹の糸を全部抜いて、縫い直した。マルタのときとは比べものにならないほど痛みがなく、グレンは途中で、本当に縫っているのかと訊いたほどだった。
「神学校では、祈りより先にこっちを教わるんですよ。人間の神学校ですけど」
「治癒が使えないからか」
「それもありますけど」ユーリは糸を切りながら笑った。「祈っても、誰も聞いてくれないので」
壕の隅では、片腕のダミにカードを配ってやるかどうかで双子が揉めていて、そのあいだにピートはもう藁の上で寝息を立てていた。マルタは入口の壁にもたれていた。
「もう一人いると言ってたな」
「リーフェだね。双子、あいつはどうしたんだい」
ドミがカードを持ったまま振り向いた。
「坑道に残りました。奥にまだ何かいる気がするって。止めたんですけど、あいつ言い出したら聞かないんで」
「一人でか」
「一人でです」ダミがカードを伏せた。「明日の朝には戻るって言ってましたけど」
マルタは返事をせずに煙草を消した。いつもなら指先でつまんで消すところを、木箱の角に押しつけて潰していた。
夜明け前、麻布の外で泥を踏む音がした。
目を開けると、入口に細い人影が立っていた。灰色の外套の頭巾から長い耳の先がのぞいていて、背中には、自分の背丈ほどもある細長い焚べ筒を背負っている。人影は壕の中を見回して、起きているのがグレンだけだとわかると、眉間にしわを寄せた。
「誰だ」
「新入りだ。グレン」
「……リーフェ」
エルフの女はそれだけ言って、手に提げていた麻袋を足元に置き、口の紐をほどいた。
「隊長を起こしてくれ。坑道の奥で、これが落ちていた」
袋から出てきたのは、年季兵が首から下げる認識札だった。第七小隊の刻みが入った鉄の札が、紐ごと何枚も絡まりあっている。そのうちの一枚は札の半分が異形の皮膚のようなものに埋まっていて、誰かが爪で引き剥がそうとした跡が残っていた。