神骸を焚べよ ~祝福なき傭兵たちは、今日も地獄の最前線を往く~ 作:匿名希望()
その晩、壕の中はいつもより静かだった。双子はカードも出さずに藁の上で大筒の手入れをしていて、マルタは煙草を吸いに出たきり、なかなか戻ってこなかった。
ピートは膝を抱えて座り、包帯を巻いた足首をときどきさすっていた。ユーリが包帯を替えるために解いたとき、痣は昼間よりもいくらか濃くなっているように見えたが、ユーリは何も言わずに新しい包帯を巻いた。
「ユーリさん」
しばらくして、ピートが言った。
「神殺しって、本当にあったんですか」
ユーリは包帯の残りを丸めていた手を止めた。
「どうしたの、急に」
「昼間の司祭さんが、異形は神殺しの罪の穢れだって。それに触ったら、穢れがうつるって」ピートは足首を見下ろした。
「俺、神様なんて殺してないです。じいちゃんもばあちゃんも、たぶん殺してないです。それでも、うつるんですか」
ユーリはすぐには答えなかった。丸めた包帯を麻布の上に置いて、ピートの隣に座り直した。
「神学校では、こう習ったよ」
ユーリはそう前置きしてから、ゆっくり話しはじめた。
大昔、神はこの世界のあらゆる種族に祝福を与えていた。エルフや獣人はもちろん、人間にもだ。ところが人間だけがそれに満足できず、やがて神の座そのものを欲しがるようになった。人間たちは神に刃を向け、ついに神を殺してしまった。神は死の間際に人間から祝福を取り上げ、その亡骸は大地の裂け目の底、深淵へと沈んでいった。
「深淵に沈んだ亡骸からは、今も少しずつ罪の穢れが漏れ出してるんだって。それが形になって這い上がってくるのが異形で、異形の腹から取れる神骸片は、神様の亡骸のかけらなんだ」ユーリは自分の膝の焚べ筒を指先で軽く叩いた。「だから核は割らずに教会へ返さなきゃいけない。神様のかけらを少しでも神様のもとへ返すことが、人間の贖罪になるから」
「それで、核を割っちゃいけないんですか」
「そう教わった」
「でも、俺らその神骸片を焚べてますよね」
「うん」ユーリは少し困ったように笑った。「そこは神学校でも、上手く説明してくれる先生はいなかったな。戦場で使うぶんは、神様が罪を償う手段として人間に許してくださったんだって言う先生もいたけど」
双子の片方が、大筒の手入れをしながら鼻を鳴らした。
「都合のいい神様だな」
「お前、聞こえるとこでそういうこと言うなよ。ユーリが泣くぞ」
「泣かないよ」とユーリは言った。
「じゃあ、俺たちが年季兵で戦ってるのも」とピートが言った。
「罪を償うため、ってことになってる。教会の教えではね」
ユーリは少し間を置いて続けた。
「神殺しのあと聖連合ができたときに、人間は市民権をなくしたんだって。神を殺した種族に、市民の資格はないってね」
ピートはしばらく考えてから言った。
「だから俺ら、名字がないんですか」
「そう。家名は、市民として登録するものだからね」
「じゃあ俺、ずっとただのピートなんだ」
ピートはそう言って、なぜか少しだけ笑った。
ユーリは焚べ筒を膝から下ろして、脇に立てかけた。
「僕は、それを本気で信じてここに来たんだよ。人間がみんなで少しずつ償っていけば、いつか神様も許してくださるって。でも」
ユーリはそこで、言葉を探すように黙った。
「今日の壁の人たちは、穢れには見えなかった。グレンさんの話だと、あの人は熱いって言ってたんでしょう。穢れが、熱いなんて言うのかな」
誰も答えないでいると、入口のそばで外を見ていたリーフェが、振り向かないまま口を開いた。
「エルフの家で教わった話は、少し違った」
ピートが顔を上げた。
「神を殺したのが人間だというところは同じだ。ただ、家名を取り上げられる前に乳母から聞いた話では、その戦には……」
リーフェはそこで言葉を切った。しばらく待っても、続きは出てこなかった。
「その戦には、何だよ」と双子の片方が言った。
「忘れた」とリーフェは言った。
「子どものころの話だ」
嘘だということは、たぶん壕の中の全員がわかっていた。
グレンは壁にもたれて、黙って聞いていた。十九年も雇われてあちこちを渡り歩いていれば、神殺しの話は嫌でも何通りか耳に入ってくる。居住区の礼拝所で聞かされる話はユーリの話とほとんど同じだったし、エルフの森では、人間は生まれつき罪深い種族だというくだりだけが妙に詳しく語られていた。
毛色の違う話を一度だけ聞いたのは、竜人の山岳で雇われていたころだった。焚き火の番をしていた竜人の老兵が、酒に酔って古い歌を口ずさんでいた。神を討つために山を越えていく者たちの歌で、その中に、角のある者や耳の長い者が人間と肩を並べて歩いていたという一節があった。老兵は翌朝になると、そんな歌は知らないと言い張って、二度と歌わなかった。
「グレンさんは、どう思います」とピートが訊いた。
「何がだ」
「神殺し。本当にあったと思いますか」
グレンは少し考えてから答えた。
「あったんだろうな。神骸片がある以上、神の亡骸もどこかにはあるんだろう」
「じゃあ、俺たちは罪人なんですか」
「知らんよ。何百年も前のことまで背負える気はしないな。俺は自分の年季だけで手一杯だ」
ピートはしばらくグレンの顔を見ていたが、やがて小さく笑った。笑い方が、昼間よりは少しだけましになっていた。
マルタが戻ってきたのは、ピートが寝息を立てはじめてからだった。外から煙草の匂いを持ち込んで、壕の入口に腰を下ろす。
「ずいぶん長い一服だったな」とグレンは言った。
「考えごとをしてたんだよ」マルタは灯りを細くした。
「主席大神官様が、うちの新入りの刻印のことまでご存じだってことについてね」
グレンは答えなかったし、マルタも答えを待っているわけではなさそうだった。
ユーリはピートの毛布を掛け直そうとして、手を止めた。毛布の裾から出ていた足首の包帯が、少しずれている。ずれたところから見える痣は、くるぶしの上を越えて、脛のほうへ指一本分ほど伸びていた。
ユーリはしばらくそれを見つめてから、包帯をそっと元の位置に戻して、毛布を掛けた。テオから預かった鉄の小札は、まだユーリの胸の隠しに入っていた。