獣神官ゼロスに転生した元とうらぶプレイヤーですが、なぜか三日月宗近が落ちてきました【第一章】   作:半熟ハラミ丼

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第十一話 生きるということ

 どれくらい、そうしていたのか分からない。

 刺される。抜かれる。また刺される。

 ガーヴの剣は、決して急所を狙わなかった。存在の芯には触れずに、その周りだけを丁寧に削り取っていく。消えない程度に。けれど、確実に。

 視界が、ぶれていた。

 光の満ちていたはずの空間が、滲んで見える。音が遠い。自分の形が、ところどころ曖昧になっているのが分かった。精神世界に置いた本体が、ひび割れた器のように軋んでいる。

「まだ喋る気にならねえか」

 ガーヴの声が、どこか遠くから聞こえた。

「しぶとい野郎だ。獣王の犬にしちゃ、根性あるじゃねえか」

 根性。

 そんなものではない、と思った。ただ、言えないだけだ。言ったら筋書きが変わる。変わった先が分からない。分からないのが、怖い。それだけのことだった。

 岩壁にもたれて、僕はずるずると座り込んだ。

 笑顔は、まだ貼りついているだろうか。もう、よく分からなかった。

 

     *

 

「……ガーヴ」

 口が、勝手に動いていた。

「一つ、聞いてもいいですか」

「あ?」

 剣先が、僕の喉元で止まった。

「なんで、反逆なんてしたんです」

 ずっと、どこかにあった疑問だった。頁の上で読んだときから。この人の生き方を知ったときから。

「おとなしく、魔王様に従っていれば……よかったじゃないですか。いずれ滅びは来るにしても……全部を敵に回すより、ずっと……長く、生きていられたのに」

 言葉が、途切れ途切れになった。

「命令に従って、流されて、余計なことをしなければ……少なくとも……魔族にも、神族にも、全部に追われる身になんて、ならなかった」

 ガーヴは、しばらく黙っていた。

 やがて、鼻で笑った。

「……お前、生きるってのが何か、分かってねえな」

 剣先が、わずかに下がった。

「命令に従って、言われた通りに動いて、それで長く在り続けたところで、そいつは生きてるって言わねえんだよ。ただの奴隷と変わりゃしねえ」

 獣のような目が、まっすぐに僕を見下ろしていた。

「てめえがやりたいことを、てめえの意志で選んで、そこへ向かって進む。たとえそれで全部を敵に回してもな。それが、生きるってことだ」

 静かな声だった。

 人間の輪廻を、何度も繰り返してきた人の声だった。生まれて、生きて、死んで、また生まれて。その中で掴み取った、たった一つの答えを語る声だった。

「……分かりませんねえ」

 僕は、笑おうとした。

「だろうな」

 ガーヴは、短く言った。

 その一言が、思っていたよりずっと深く刺さった。

 剣が、また振り下ろされた。

 問答は、それで終わりだった。ガーヴは、もう何も言わなかった。黙って刺し、黙って抜き、また刺した。急所は外したまま、端から少しずつ、削っていく。

 避けようとした。避けきれなかった。空間を渡ろうとすれば、その前に剣先が逃げ道を塞いだ。反撃の術を編もうとすれば、編み終わる前に、腕ごと斬り払われた。

 攻防、と呼べるようなものではなかった。

 時間の感覚が、薄れていった。削られた存在の端から、黒い靄が零れ落ちていく。そのたびに、頭の芯が、少しずつ遠くなっていった。

 それでも、あの言葉だけは、消えなかった。

 ――お前、生きるってのが何か、分かってねえな。

 刺されるたびに。抜かれるたびに。同じ言葉が、頭の中で、繰り返された。

 

     *

 

 分からない、と言った。

 嘘だった。

 分かってしまったのだ。分かってしまったから、笑えなかった。

 千年。

 命令が下れば、それをこなした。何を命じられても、そうした。自分が何をしたいかなど、考えたこともなかった。

 考える必要がなかった。流されていれば、それで在り続けられたから。

 それを、この人は奴隷と呼んだ。

 生きてすらいない、と。

 他の誰かの言葉なら、聞き流せた。

 リナさんに言われたのなら、人間だから言えることだと、笑ってやり過ごせただろう。神族に言われたのなら、なおさらだ。

 けれど、この人は違う。

 魔王様に生み出され、命じられるままに在った者。僕と同じ側から始まった者だ。

 降魔戦争で、水竜王の手によって人の器に封じられ、それから千年、人として生まれ、生きて、死んで、また生まれてきた。魔でありながら、人の器で。

 僕は、その逆だ。人の魂のまま、魔の器で、千年。

 人と魔の、混じり物。

 入っている器が逆なだけで、この人と僕は、よく似ていた。

 同じところから始まって、この人は選んだ。主に背き、全てを敵に回すことを。

 僕は、選ばなかった。

 だから、言い返せなかった。

 この人は、僕が選ばなかった方の、答えだった。

「……そう、ですか」

 声が、震えた。

 朦朧とした頭では、もう、取り繕う力が残っていなかった。

「じゃあ、僕は……今まで、生きてすらいなかったんですね」

 ガーヴの眉が、わずかに動いた。

「千年も……在ったのに。ずっと……何もしてこなかったんですね、僕は」

 言葉が、止まらなかった。

「なら……どうすれば、よかったんですかね」

 喉の奥から、何かがせり上がってくる。

「あなたほどの力も、ないんですよ、僕は。獣王様の、ただの部下で……足掻いたところで、消されるだけでしょう。逆らったら、一瞬で……それくらい、分かってたから……だから」

 だから、流されてきた。

 怖かったのだ。

 ずっと。思い出したあの日から。この世界で、たった一人だということが。いつ気づかれて、消されるか分からないことが。何かを選んで、それが間違っていたらと考えることが。

 だから、何も選ばなかった。選ばなければ、間違えることもない。

「……怖かったんですよ」

 ぽつりと、言葉がこぼれた。

「何か一つでも、自分で決めたら……もう、戻れない気がして。私は、ただ……普通に、毎日を過ごしたかっただけなのに」

 ――私。

 口にしてから、気づいた。

 千年、一度も使わなかった一人称だった。

 

     *

 

 ガーヴの剣が、止まっていた。

 獣の目が、見開かれている。

「……お前」

 声に、困惑が滲んでいた。

 ガーヴは、僕を見ていた。

 いや、僕ではなかった。僕の奥にあるものを見ていた。

 この人は、知っているのだ。人間の魂というものを。千年、人間として生まれては死んできた人だ。人の匂いを、誰よりもよく知っている。

「魔族のくせに……なんで、人間の――」

 その瞬間、剣先が完全に下がった。

 隙だった。

 狙ったわけではなかった。計算も、駆け引きもなかった。ただ、体が勝手に動いていた。

 空間を渡った。

 削られてぼろぼろの存在を、無理やり精神世界の裂け目にねじ込む。形が崩れかける。それでも構わなかった。

「てめえ、待ちやがれ!」

 ガーヴの怒声が、遠ざかっていく。

 振り返らなかった。振り返る余裕など、どこにもなかった。

 

     *

 

 灰色の虚無の中を、僕は落ちるように進んでいた。

 方向は、分からない。帰り道を知っているのはミルガズィアさんだけだ。それでも、僕は魔族だ。この空間の外へ出ることくらいは、できるはずだった。

 逃げている。

 命令も、筋書きも、もう頭になかった。

 ただ、死にたくなかった。

 このまま消えたくなかった。

 まだ、何もしていないのに。千年在って、何一つ自分で選ばないまま、ここで終わるなんて。

 まだ、生きてすらいないのに。

 崩れかけた意識の中で、浮かんだのは一つの顔だった。

 三日月の浮かぶ瞳。袖を揺らして、のんびりと笑う人。

 ――会いたい。

 理由は、分からなかった。

 会って何を言いたいのかも、何をしたいのかも、分からなかった。ただ、無性に会いたかった。あの穏やかな声を聞きたかった。気をつけてな、と言ってくれたあの声を。

 それだけだった。

 本当に、ただそれだけだった。

 灰色の向こうに、かすかな光が見えた。

 僕は、その光へ向かって、ぼろぼろの手を伸ばした。

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