獣神官ゼロスに転生した元とうらぶプレイヤーですが、なぜか三日月宗近が落ちてきました【第一章】   作:半熟ハラミ丼

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第十三話 神滅斬

 その言葉の意味に気づいた瞬間、存在の芯が凍りついた。

 ――言ってしまった。

 朦朧とした頭で、何を口走ったのか。生きてすらいなかった。どうすればよかった。怖かった。普通に毎日を過ごしたかった。

 そして、私、と。

 あれを、この人は聞いていた。聞いて、僕の奥にあるものを嗅ぎ取った。人間の魂の匂いを。

 こんなところで。リナさんたちの前で。そして、岩陰には、冥王様がいる。

 僕は、ありったけの力をかき集めて、笑顔を作った。

「話の続き、ですか?」

 床に転がったまま、首を傾げてみせる。

「はて。何のお話でしたかねえ。記憶にございませんが」

「……ほう」

 ガーヴの目が、細くなった。

「とぼけるか」

「いえいえ。何しろ散々斬られましたから。記憶もあちこち削れてしまったようで」

 都合の悪いことは、覚えていないことにする。ずっと、上の顔色を窺いながら、そうやってやり過ごしてきた。もう、考えるより先に口が動く。――その癖を、まさか魔竜王相手に使うことになるとは思わなかった。

 ガーヴは、しばらく僕を見下ろしていた。

 やがて、鼻で笑った。

「いいだろう。後でゆっくり聞き出してやるよ」

 獣の目が、僕から外れた。

「てめえはその様だ。いつでも捕まえられる。それより先に、片付けなきゃならねえのがいる」

 視線の先には、リナさんがいた。

「リナ=インバース。てめえを始末すりゃ、冥王の企みも潰れる」

 それに、とガーヴは付け加えるように視線を動かした。

 僕の前に、誰かが立っていた。

 藍色の狩衣。肩口の金の飾り。いつの間にか、三日月さんが、倒れた僕とガーヴの間に立ち塞がっていた。

 太刀には、まだ手をかけていない。けれど、その背中は、ここから先へは一歩も通さないと言っていた。

「……そいつを先にどうこうしようと思ったら、まずそこの剣士とやり合わなきゃならねえらしいしな」

 ガーヴは、楽しげに口の端を吊り上げた。

 僕は、床に転がったまま、その背中を見上げていた。

 なぜ、と思った。

 僕は魔族だ。この人も、ついさっきそれを知ったばかりだ。神の側に属するこの人にとって、僕は本来、真っ先に斬り捨てるべき側の存在のはずだった。

 それなのに、この人は、僕を庇うように立っている。

 分からなかった。分からないまま、胸の奥がじんわりと熱くなった。

 嬉しい、と思ってしまった。こんなときに。こんな有様で。

 

     *

 

 戦いは、すぐに始まった。

「光よ!」

 ガウリイさんが、真っ先に飛び出した。光の剣が唸りを上げて、ガーヴの胴を狙う。

 ガーヴは、それを片手の剣で受け止めた。

「ほう、光の剣か。いいもん持ってるじゃねえか」

「くっ……!」

「だが、使い手がまだまだだな」

 剣が跳ね上がった。ガウリイさんの体が、木の葉のように吹き飛ばされて岩壁に叩きつけられる。

「ガウリイ!」

「獣王牙操弾(ゼラス・ブリット)!」

「崩霊裂(ラ・ティルト)!」

「覇王雷撃陣(ダイナスト・ブラス)!」

 リナさんの光の帯が、アメリアさんの青白い炎が、ゼルガディスさんの稲妻が、次々とガーヴに襲いかかる。

 どれも、届かなかった。

 光の帯は、ガーヴが手を振っただけで千切れて消えた。青白い炎は、ガーヴを包む前に、払い散らされた。ガーヴの足元に描かれた五芒星は、稲妻が落ちる前に、踏み消された。

「おいおい。これっぽっちか?」

 ガーヴは、剣を肩に担いで笑った。

 遊んでいるのだ。本気など、欠片も出していない。

 ミルガズィアさんが、竜の力を込めた拳で殴りかかる。それすら、ガーヴは片腕で受け流した。

「竜の長老も、この程度か。千年で鈍ったな」

 誰も、歯が立たなかった。

 僕は、それを見ていることしかできなかった。

 体が、動かない。削られた存在をなんとか繋ぎ止めておくだけで、精一杯だった。

 

     *

 

「――では、俺が相手をしよう」

 静かな声がした。

 三日月さんが、前に出ていた。

 太刀の柄に、手がかかる。いつもの穏やかな目が、すっと開かれた。

 冴え冴えとした、月の目だった。

 ガーヴの顔に、初めて本物の笑みが浮かんだ。

「ほう。てめえは、少しは歯ごたえがありそうだな」

 次の瞬間、二人の姿が消えた。

 剣戟の音が、洞窟に響き渡った。

 速すぎて、目で追えなかった。金属がぶつかり合う音と、火花だけが、あちこちで弾けている。ガーヴの豪剣を、三日月さんの太刀が受け流す。返す刃が、ガーヴの喉元を狙う。それをガーヴが紙一重で躱し、また斬りかかる。

「す、すごい……」

 アメリアさんが、呆然と呟いた。

「あの魔竜王と、互角にやり合ってる……」

 リナさんも、息を呑んで見つめていた。

 美しかった。

 こんなときなのに、僕はまた見惚れていた。藍色の袖が舞い、太刀が閃き、月の目が冴える。森で見たあの一太刀が、今度は絶え間なく続いている。

 けれど、僕には分かった。

 互角ではない。

 三日月さんの方が、少しずつ押されている。

 ガーヴの一撃は、重すぎるのだ。受け流すたびに、三日月さんの足が半歩ずつ後ろへ下がっている。太刀を握る手に、わずかな震えが走っている。

「てめえ、この世界の奴じゃねえな」

 鍔迫り合いの最中、ガーヴが言った。

「なかなかやるじゃねえか。気に入ったぜ」

「それは光栄だな」

「一つ聞かせろ」

 刃を押し込みながら、ガーヴが問うた。

「なんでリナ=インバースに与する。異界から来たてめえに、この世界の行く末なんざ関係ねえだろう。何の利もねえはずだ」

 三日月さんは、刃を受け止めたまま、ふっと笑った。

「利など、考えたこともないな」

「なに?」

「仲間を守るのは、当たり前のことだろう」

 迷いのない声だった。

 ガーヴは、一瞬だけ目を見開いた。

「仲間、ね」

 刃を押し込んだまま、獣の目がちらりと僕の方へ流れた。

「あの獣神官もか? あいつは魔族だぞ。てめえらを利用しようとしてる、獣王の犬だ。それでも仲間だってのか」

 息が、止まった。

 三日月さんは、振り返らなかった。ガーヴの刃を受け止めたまま、まっすぐに前を見ていた。

「あやつの事情は知らん。何を抱えているのかも、な」

 静かな声だった。

「だが、俺は仲間だと思っているぞ」

 僕は、息を呑んだ。

 魔族だと知っていて。利用されていると知っていて。それでも、この人は。

 何かが、胸の奥でひび割れる音がした。固く、分厚く、積み上げてきた何かが。

 ガーヴは、ぽかんと口を開けた。

 それから、腹の底から大笑いした。

「はっはっはっは! お人好しなのか、ただの馬鹿なのか!」

 笑い声が、洞窟中に響き渡った。嘲笑ではなかった。心底おかしくてたまらない、という笑い方だった。

「……まあいい」

 ひとしきり笑ってから、ガーヴは笑みを収めた。

「なら」

 ガーヴの剣に、力が籠もった。

「仲間と一緒に、死ね」

 一閃。

 それまでとは、桁が違った。

 三日月さんの太刀が、その一撃を受け止めきれずに弾かれた。藍色の体が、宙を舞う。岩壁に叩きつけられ、そのまま崩れ落ちた。

 肩から胸にかけて、深い傷が走っていた。

 狩衣が、赤く染まっていく。

「三日月さん!」

 アメリアさんが、悲鳴を上げて駆け寄った。

「しっかりしてください! 今、治します! 治癒(リカバリィ)!」

 アメリアさんの手が、白く光った。

 光は、傷に触れた。けれど、何も起きなかった。

 傷は、塞がらなかった。血は、止まらなかった。

「え……? なんで……? どうして、効かないんですか!?」

 アメリアさんの声が、震えた。

「もう一回! 治癒(リカバリィ)!」

 やはり、何も起きなかった。

「……はは。大丈夫だ」

 三日月さんが、岩壁にもたれたまま、いつものように笑った。

「なに、かすり傷だ」

 どう見ても、かすり傷ではなかった。笑うたびに、肩の傷から血が溢れ出していた。

 画面の向こうでは、傷ついた刀は、手入れ部屋に入れて直した。

 刀剣男士の傷は、人の術では癒えないのかもしれない。彼らの本体は、刀だ。人の身の傷が本体の傷の写しなら、直すべきは、本体の刀の方だ。

 けれど、ここに、手入れ部屋はない。

 僕は、三日月さんの傍らに落ちた太刀を見た。

 刀身に、細い刃こぼれが走っていた。

 

     *

 

 動けなかった。

 動けたとしても、何もできなかった。

 満身創痍の体では、立ち上がることすらおぼつかない。声をかけようにも、岩陰から、冥王様の目がこちらを見ている。

 ここで僕が三日月さんに駆け寄れば。ここで僕が、魔族らしくない声を上げれば。あのお方は、きっと気づく。気づいて、面白がる。

 だから、何もできなかった。

 床に転がったまま、ただ見ていることしかできなかった。

 歯がゆかった。

 初めて感じる感情だった。何かをしたいのに、何もできない。手を伸ばしたいのに、伸ばせない。

 三日月さんの狩衣が、少しずつ赤く染まっていく。

 僕は、拳を握りしめた。握りしめることしか、できなかった。

 

     *

 

「……やるしかないわね」

 リナさんの声がした。

 顔を上げると、リナさんが前に出ていた。その横顔は、青ざめていた。さっき異界黙示録で真実を知って、震えていたのと同じ顔だった。

 それでも、その目は、まっすぐにガーヴを見据えていた。

 リナさんの唇から、呪文が紡がれ始めた。

 低く、重く、長い詠唱だった。言葉の一つ一つが、空間を軋ませる。洞窟の空気が、震え始める。

 僕は、その呪文を知っていた。

 頁の上で、何度も読んだ。

 金色の魔王の力を、一振りの刃として借り受ける術。

 リナさんの掲げた両手の間に、闇が生まれた。光を呑み込むような、底のない漆黒の刃。この世界のどんなものとも違う、混沌そのものの欠片だった。

「……ほう」

 ガーヴの顔から、笑みが消えた。

「ガウリイ!」

「おう!」

 岩壁から立ち上がったガウリイさんが、光の剣を構えてリナさんの隣に並んだ。

 二人が、同時に地を蹴った。

「神滅斬(ラグナ・ブレード)!」

 漆黒の刃が、ガーヴに迫る。

 ガーヴが、剣で受け止めた。

 受け止めた、はずだった。

 剣が、折れた。

 魔竜王の剣が、まるで枯れ枝のようにあっさりと砕け散った。漆黒の刃は止まらない。そのまま、ガーヴの体へと肉薄していく。

「くっ……!」

 ガーヴの手が、リナさんの腕を掴んだ。

 刃の軌道が、止まる。

 二人の力が、ぎりぎりと拮抗した。リナさんの小さな体が、ガーヴの膂力に押し返されそうになる。歯を食いしばった顔が、苦しげに歪む。

「リナ!」

 ガウリイさんの光の剣が、ガーヴの脇腹を斬りつけた。

 ガーヴの体勢が、わずかに崩れる。

 その一瞬を、リナさんは逃さなかった。

「――っ、この……!」

 掴まれた腕を、根性だけで振り抜いた。

 漆黒の刃が、ガーヴの体を斜めに断ち割った。

「があああああああっ!!」

 ガーヴの絶叫が、洞窟を、峰を、空を揺るがした。

 渾身の一撃だった。

 僕は、床に転がったまま、それを見ていた。

 筋書き通りの場面だった。

 けれど、その向こうの岩壁にもたれた三日月さんの、赤く染まった狩衣だけは、どの頁にも書かれていなかった。

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