獣神官ゼロスに転生した元とうらぶプレイヤーですが、なぜか三日月宗近が落ちてきました【第一章】 作:半熟ハラミ丼
絶叫が、止んだ。
ガーヴの体は、斜めに断ち割られていた。裂け目から、黒い靄のようなものが絶え間なく噴き出している。
リナさんが、肩で息をしながら漆黒の刃を消した。膝が、がくりと折れかける。ガウリイさんが、その体を支えた。
「……やった、の?」
アメリアさんが、震える声で呟いた。
誰も、答えなかった。
答える前に、笑い声が聞こえたからだ。
「……くっくっく」
ガーヴが、顔を上げていた。
裂けた体のまま、獣の目がぎらぎらと光っている。
「やるじゃねえか、リナ=インバース。この俺に、ここまで傷を負わせるとはな」
「嘘……」
リナさんの顔から、血の気が引いた。
「神滅斬を、まともに受けて……まだ……」
絶望が、洞窟を満たした。
リナさんの切り札は、もう残っていない。ガウリイさんも、アメリアさんも、ゼルガディスさんも、ミルガズィアさんも、満身創痍だ。三日月さんは、岩壁にもたれたまま動けない。僕は、床に転がっている。
「認めてやるよ。てめえらは、遊び相手には上等すぎた」
ガーヴの気配が、膨れ上がった。
空気が軋む。岩壁にひびが走る。今までの比ではない、本物の殺意が洞窟を覆い尽くしていく。
本気を出すつもりだ。
――けれど。
僕は、知っていた。
この先に、何が起きるのかを。
*
ガーヴの胸から、小さな腕が生えていた。
白い、細い、子供の腕だった。
背中から、心臓のあるはずの場所を、まっすぐに貫いている。
「……が、ぁ……?」
ガーヴの目が、見開かれた。ゆっくりと、首だけを後ろへ巡らせる。
そこに、子供が立っていた。
道案内の、村の子供。岩陰で小さくなって震えていたはずの、あの子供が。
「やっと、隙を見せたね」
子供が、にっこりと笑った。
可愛らしい笑顔だった。可愛らしいからこそ、ぞっとするほど不気味だった。口の端が、子供の顔には似つかわしくない角度で吊り上がっていた。
「てめえ……っ、冥王……!」
ガーヴの声が、驚愕に歪んだ。
「いつの間に……!」
「いつの間に、って」
子供は、くすくすと笑った。
「ずっと、そこにいたよ。君が気づかなかっただけさ」
「え……?」
アメリアさんが、呆然と子供を見つめていた。
「あ、あの子……案内してくれた、あの子が……どうして、ガーヴと……」
「なんだ……何が、どうなってる……!」
ゼルガディスさんが、剣を構え直す。けれど、その切っ先は、どちらに向けるべきか迷うように揺れていた。
リナさんが、目を見開いて子供を見ていた。その顔に、少しずつ理解の色が広がっていく。
「ぐ……おおおおおっ!」
ガーヴが、吠えた。
胸を貫かれたまま、体をよじる。背後の子供を振り払おうと、裂けた腕を振り上げる。
子供は、動かなかった。
腕を、わずかに、奥へ押し込んだだけだった。
「無駄だよ。ねえ、ガーヴ。君はもう、とっくに終わってたんだ」
ガーヴの体が、内側から崩れ始めた。
黒い塵が、ぼろぼろと剥がれ落ちていく。赤い髪が、獣の目が、逞しい腕が、端から少しずつ消えていく。
最後に、その目が僕を見た。
ほんの一瞬だった。何かを言おうとしたのかもしれない。話の続きを、と。お前のその魂は、と。
何も言えないまま、魔竜王ガーヴは、塵になって消えた。
*
洞窟が、静まり返っていた。
誰も、動けなかった。
子供は、ガーヴの消えた空間から腕を引き抜くと、ぱんぱんと手を払った。まるで、泥遊びのあとのように。
「あの……」
アメリアさんが、かすれた声を出した。
「あなた、誰なんですか……? 村の子供じゃ……ないんですか……?」
「ああ、ごめんね。自己紹介がまだだったっけ」
子供は、くるりとこちらを向いた。
「ぼくは、フィブリゾ。冥王(ヘルマスター)フィブリゾ。北の魔王様の、五人の腹心の一人だよ」
空気が、凍りついた。
「冥王……!?」
ミルガズィアさんの声が、震えていた。あの竜の長老が、子供の姿をしたものを前にして、明らかに怯えていた。
「冥王、だと……ガーヴと同格の、腹心……」
ゼルガディスさんが、一歩後ずさった。
「そ、そんな……あんな小さな子が……」
アメリアさんは、まだ状況が飲み込めないように、何度も首を振っていた。
「あ、それと」
冥王様が、ちらりと僕の方を見た。
「ゼロスも、ご苦労さま。ちゃんとここまで連れてきてくれて、ありがとね」
――ああ。
全員の視線が、僕に集まった。
リナさんの、アメリアさんの、ゼルガディスさんの、ガウリイさんの。
そして、岩壁にもたれた三日月さんの。
僕は、何も言えなかった。いつもの笑顔を作ることさえ、できなかった。
*
「……全部、あんたの仕組んだことだったのね」
沈黙を破ったのは、リナさんだった。
震える膝を、ガウリイさんに支えられながら。それでも、まっすぐに冥王様を睨みつけていた。
「ガーヴがあたしを狙ってたのも、あんたがゼロスを使ってあたしをここまで連れてきたのも。あたしを囮にして、魔族に反逆したガーヴを始末する。それが、あんたの狙いだったんでしょう」
「うん。それも、一つだね」
冥王様は、あっさりと頷いた。
「さすがリナ=インバース。頭の回転が速いや」
「一つ……?」
「そう。一つ」
冥王様は、楽しそうに指を一本立てた。
「君には、まだやってもらいたいことがあるんだ」
大きな目が、リナさんを見つめた。
「使ってほしいんだよ。金色の魔王(ロード・オブ・ナイトメア)様の力を呼び出す、あの呪文を」
リナさんの顔が、凍りついた。
「……重破斬(ギガ・スレイブ)を……?」
「そう、それ」
「冗談じゃないわ!」
リナさんの叫びが、洞窟に響いた。
「あれが何なのか、あたしはもう知ってる! 金色の魔王の力は、混沌そのもの! 制御に失敗したら、世界が丸ごと混沌に呑み込まれる! そんなもの、使えるわけないでしょう!」
異界黙示録で知ったばかりの真実だった。だからこそ、リナさんの声には、恐怖と怒りが同じだけ込められていた。
「だろうね」
冥王様は、少しも気を悪くした様子もなく頷いた。
「今の君なら、そう言うと思ったよ」
それから、にっこりと笑った。
「だから、使いたくなるようにしてあげる」
次の瞬間、冥王様の姿が消えた。
「――ガウリイ!?」
リナさんの悲鳴が上がった。
リナさんを支えていたはずのガウリイさんの体が、宙に浮いていた。その首筋に、子供の細い指がかかっている。
「リ、ナ……!」
「ガウリイを放しなさい!!」
「放してほしかったら、サイラーグにおいでよ」
冥王様は、ガウリイさんを片手で吊るしたまま、のんびりと言った。
「待ってるからね。リナ=インバース」
冥王様の目が、最後に一度だけ動いた。
岩壁にもたれた、三日月さんの方へ。
楽しそうに。とても、楽しそうに。
それから、冥王様とガウリイさんの姿は、空間に溶けるように消えた。
*
「ガウリイ……ガウリイ……っ!」
リナさんが、何もない空間に手を伸ばしていた。
膝から崩れ落ち、床に拳を叩きつける。何度も。何度も。
「なんで……なんでよ……!」
アメリアさんが、リナさんの背中にすがりついて泣いていた。ゼルガディスさんが、拳を握りしめて俯いていた。ミルガズィアさんは、苦い顔で目を閉じていた。
筋書き通りだった。
ガーヴは冥王様に滅ぼされ、ガウリイさんは攫われ、リナさんはサイラーグへ向かうことになる。全部、頁の上で読んだ通りだった。
いつもなら、何も感じなかった。
筋書き通りに事が運べば、僕の仕事は順調だということだ。誰が泣いても、誰が攫われても、それは書かれていたことだから。
それなのに。
リナさんの嗚咽が、耳から離れなかった。
あの人のこと以外で、こんなふうに胸が軋むのは、初めてだった。
岩壁にもたれた三日月さんの狩衣が、赤く染まったままだった。その目が、泣き崩れるリナさんを見つめていた。それから、ゆっくりと僕の方へ向けられた。
責める目ではなかった。
それが、余計に苦しかった。
ご苦労さま、ゼロス。
冥王様の声が、頭の中で何度も繰り返された。
そうだ。僕が連れてきたのだ。リナさんを、ここまで。この場面へ。筋書き通りに。
三日月さんの傷も、リナさんの涙も、その筋書きの先にあった。
そして僕は、その全部を見ていることしかできなかった。手を伸ばすことも、声をかけることも、何一つ。
胸の奥に、何かが深く突き刺さっていた。
抜けなかった。抜き方も、分からなかった。
――ここにいられない。
そう思ったときには、もう空間を渡っていた。
誰にも、何も告げずに。
最後に聞こえたのは、リナさんの泣き声だった。
最後に見えたのは、こちらを見つめる三日月さんの、月の浮かぶ瞳だった。
*
気がつくと、カタートの峰の上にいた。
風が強かった。雲が、足元を流れていく。竜たちの姿は、どこにもなかった。
僕は、岩の上に座り込んだ。
削られた体が、軋んでいた。けれど、痛むのは体ではなかった。
筋書き通りに進んでいる。
仕事は、順調だ。冥王様に、お褒めの言葉までいただいた。
――ご苦労さま、ゼロス。
耳の奥で、あの無邪気な声が、何度も繰り返された。
皆をカタートまで連れてきたのは、誰だ。ガウリイさんが攫われるのを、知っていて黙っていたのは。三日月さんが血を流すのを、見ていることしかできなかったのは。
僕だ。
止める手立てを、考えなかったわけではない。けれど、どれ一つ、使えなかった。使えば、獣王様に背くことになる。冥王様を、敵に回すことになる。それが分かっていて、僕は、指一本、動かさなかった。
命じられた通りに動く。それで、何の不都合もなかったはずだった。
僕は、膝を抱えた。削られた体の軋みより、胸の奥の方が、ずっと重かった。
夜になれば、空に月が昇るだろう。
あの人と同じ名の月を、どんな顔で見上げればいいのか、分からなかった。