獣神官ゼロスに転生した元とうらぶプレイヤーですが、なぜか三日月宗近が落ちてきました【第一章】   作:半熟ハラミ丼

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第十六話 夜明けまで

 どれくらい、そうしていただろう。

 月の光が、少し傾いていた。囲炉裏の火の爆ぜる音は、いつの間にか聞こえなくなっていた。結界の向こうで、リナさんたちも眠りについたのかもしれない。

 僕は、床に座り直した。

 三日月さんは、変わらずそこにいた。横たわったまま、急かすことも、促すこともせずに。ただ、待っていた。

 考えていた。

 彼らは、今も、ここにいる。

 千年経っても、魔族に成り果てても。加護という形で、私のそばに居続けてくれている。

 なら、私は。

 彼らに、顔向けできる自分でいたかった。

 今さらかもしれない。千年分の罪は、何をしたって消えない。それでも、これから先のことだけは、彼らに恥じないものを選びたかった。

 目の前に、傷ついた刀がいる。

 三日月宗近。私の本丸にもいた、あの天下五剣。画面の中で、何度も手入れ部屋へ送った刀。

 その刀が今、血の気の引いた顔で、横たわっている。

 ――嫌だ。

 理屈ではなかった。

 三日月宗近が傷ついたままでいるのは、嫌だった。

 手入れ部屋が空くのを待ちながら、何度も画面を確かめた、あの頃と同じように。

「……三日月さん」

 声を出すのに、少し勇気が要った。

「手入れの件、ですけど」

 三日月さんの目が、わずかに動いた。

「お引き受け、します」

 言ってしまった。

 言ってから、胸がざわついた。後戻りできないところへ、一歩踏み出したような気がした。

 ――何か一つでも、自分で決めたら、もう戻れない気がして。

 ガーヴの前で、そう口走った。その通りだった。今、僕は、自分で決めたのだ。誰の命令でもなく。

「ただし」

 僕は、慌てて付け加えた。

「先に、言っておかなければならないことがあります」

「うむ。聞こう」

「僕は……私は、本丸を画面越しにしか知らないんです。手入れも、ボタン一つで済ませていました。霊力の操り方も、刀に触れてどう直すのかも、具体的なことは何一つ知りません」

 三日月さんは、黙って聞いていた。

「それに、いくら霊力があると言っても、今の僕は魔族です。魔族の手で神の側の刀に触れたら、何が起きるか分かりません。あなたに、何か悪い影響が出るかもしれない」

 言いながら、喉の奥が冷たくなった。

 直すつもりで、壊してしまったら。この人を、もっと傷つけてしまったら。

「ですから、もし少しでも様子がおかしくなったら、その時点で手入れはやめます。それが条件です。それでも、いいですか」

 三日月さんは、しばらく僕を見つめていた。

 それから、ふっと目を細めた。

「うむ。それでよい」

 あっさりとした返事だった。

「手入れのやり方なら、俺が分かる限り教えよう。おぬしは、やってみてくれればよい」

「……本当に、いいんですか」

「よいと言っているだろう」

 三日月さんは、小さく笑った。

「おぬしが、俺のために条件をつけてくれた。それで十分だ」

 胸の奥が、またざわついた。今度は、少しだけ温かかった。

 

     *

 

「では、さっそく」

 僕は、枕元の太刀に目を向けた。

 鞘に納められた、一振りの太刀。三日月宗近の、本体。

「ああ、待て待て」

 手を伸ばしかけた僕を、三日月さんがのんびりと制した。

「その前に、一つやることがある」

「はい?」

「仮の主従を結ばねばならん」

「…………はい?」

「手入れというのは、主が己の刀にするものだからな。主従の繋がりがなければ、霊力を刀に通すこともできん。仮初めでよいから、おぬしが俺の主にならねばならんのだ」

「はあ!?」

 思わず、大きな声が出た。結界を張っておいてよかった、と頭の片隅で思った。

「ちょ、ちょっと待ってください! そんな話、さっきは一言も!」

「うむ。言っていなかったな」

「言ってくださいよ! そういう大事なことは先に!」

「はっはっは。すまんすまん。うっかりしていた」

 うっかり、という顔ではなかった。

 細められた目の奥で、月が、明らかに楽しそうに揺れていた。

 ――この人。

 分かっていて、黙っていたのだ。先に言えば、僕が尻込みすると見越して。引き受けると言わせてから、後出しで。

「……三日月さん」

「うん?」

「わざとですよね」

「はて。何のことかな」

「とぼけないでください」

「年寄りは物忘れが多くてな」

 記憶にございません、と同じ顔だった。ついさっき、僕が魔竜王相手にやってみせた、あれと同じ。

 言い返す言葉が、見つからなかった。

 

     *

 

「……本当に、大丈夫なんですか」

 結局、僕はそう聞くしかなかった。

「僕は魔族ですよ。魔族が、神の側の刀と主従を結ぶなんて。そんなこと、聞いたこともありません」

「大丈夫だ」

「あなたの本丸には、本当の主がいるんでしょう。その方との繋がりに、何か障りが出たりは」

「大丈夫だ。仮初めのものだからな。主との縁は、そう容易く切れはせん」

「僕の魔力が、主従の繋がりを通してあなたに流れ込んだりしたら」

「大丈夫だ」

「本当の本当に、ですか」

「本当の本当に、大丈夫だ」

 何度聞いても、三日月さんは同じ答えを返した。

 少しも迷わずに。少しも疑わずに。

 僕は、黙り込んだ。

 魔族だと知っている。冥王様の手先だったと知っている。この傷の原因の一端が僕にあることも、きっと分かっている。

 それでもこの人は、僕に主になれと言う。自分の本体を、僕の手に預けると言う。

 刀にとって、主従を結ぶということが、どれほど重いことなのか。画面越しにしか知らない私にも、それくらいは分かった。

 ――どうして、そこまで。

 信じてくれるのだろう。

 魔族の、僕を。

「……分かりました」

 根負けしたように、僕は言った。

 根負けしたのか、それとも別の何かに押されたのか、自分でもよく分からなかった。

 

     *

 

 主従の結び方は、思っていたよりずっと簡素だった。

 三日月さんの指示で、僕は太刀の鞘に片手を添えた。三日月さんが、その上に自分の手を重ねた。

 冷たい手だった。血の気が引いているせいだろう。

「仮初めなれど、この身、しばしおぬしを主と仰ごう」

 三日月さんが言った。

「おぬしは、ただ、受けると言えばよい」

 僕は、息を吸った。

「……受けます」

 その瞬間、何かが繋がった。

 胸の奥の、どこか深いところで。細い、細い糸のようなものが、一本、すっと通った気がした。

 痛みはなかった。熱さも、冷たさもなかった。ただ、何かが通った、という感覚だけがあった。

「……今の、ですか」

「うむ。通ったな」

 三日月さんが、満足そうに頷いた。

「主従の繋がりだ。これで、おぬしの霊力が俺の本体へ届くようになる」

 僕は、自分の胸に手を当ててみた。

 よく分からなかった。何かが変わったような気もするし、何も変わっていないような気もする。魔族としての僕は、相変わらずここにある。

 けれど、その奥に、確かに一本、新しい何かが通っていた。

 

     *

 

 手入れは、困難を極めた。

「まずは、己の霊力を感じるところからだな」

 三日月さんは、そう言った。

 言うのは簡単だった。

 魔力なら分かる。ずっと使ってきたものだ。息をするより容易く操れる。けれど、霊力となると、まるで勝手が違った。

 そもそも、どこにあるのかが分からない。持っていると言われても、実感すらない。

「目を閉じて、己の内を探ってみよ」

 目を閉じる。内を探る。

 魔力がある。いつもの、冷たく、暗く、底のない力が。それ以外には、何も。

「……分かりません」

「ふむ」

 三日月さんは、横たわったまま、少し考えるように目を細めた。

「では、糸の方を辿ってみよ」

「糸、ですか」

「今しがた結んだものだ。俺の側から、少しだけ引く。おぬしの側の端が、どこに結ばれているか、感じてみよ」

 胸の奥の、細い糸。

 それが、くい、と、かすかに引かれた。

 引かれた先を、追った。

 冷たい魔力の、さらに奥。千年、一度も覗いたことのない場所。

 そこに、何かがあった。

 小さな、温かいもの。

 冬の朝、布団の中に残っている温もりのような。消えかけた熾火のような。

「……何か、温かいものが、あるような……?」

「それだ」

 三日月さんの声が、弾んだ。

「それが、おぬしの霊力だ」

 

     *

 

 感じられたからといって、操れるわけではなかった。

「その温もりを、手のひらに集めてみよ」

 集めようとする。

 温もりは、言うことを聞かなかった。掴もうとすると逃げ、追いかけると散る。ようやく少し集まったかと思えば、次の瞬間、手のひらに冷たいものが満ちていた。

 魔力だった。

「……あっ」

 慌てて引っ込める。

 染みついた癖だった。力を使おうとすると、体が勝手に魔力を引き出してしまう。気を抜くと、すぐにそちらへ流れていく。

「すみません、また……」

「よい。焦るな」

 三日月さんは、少しも苛立った様子を見せなかった。

「もう一度だ。温もりの方だけを、ゆっくりとな」

 もう一度。

 また、魔力が混じる。

 もう一度。

 今度は、温もりが途中で霧散する。

 もう一度。

 もう一度。

 何度失敗しても、三日月さんは同じ調子で「もう一度」と言った。

 傷が痛むはずだった。顔色は青白いままで、時折、言葉の途中で小さく息を詰めることがあった。それでも、一度も声を荒げなかった。一度も、休もうとは言わなかった。

 僕も、弱音は吐かなかった。

 吐けなかった。

 早く治ってほしかった。この人の顔に、早く血の気を戻したかった。そのためなら、千回でも、万回でも、やり直す気でいた。

 何かを本気で頑張ったことなど、一度もなかったのに。

 

     *

 

 窓の隙間から差し込む光が、月の白から、夜明け前の青へと変わっていった。

 そして、空が東の端から明るみ始めた頃。

「……あ」

 手のひらに、温もりが集まっていた。

 魔力は、混じっていなかった。小さく、頼りなく、けれど確かに、温かい光が、僕の手のひらの上で灯っていた。

「うむ。それだ」

 三日月さんが言った。

「そのまま、刀へ」

 僕は、鞘から少し抜かれた刀身に、そっと手をかざした。

 あの刃こぼれがあった。月明かりの下で見たときよりも、ずっと痛々しく見えた。

 温もりを、流し込む。

 ゆっくりと。慎重に。壊さないように。

 手のひらから、刀身へ。光が、細い糸のように伝っていく。主従の繋がりを通して、その先へと届いていくのが分かった。

 刃こぼれの一つが、ふっと、光に包まれた。

 光が消えたとき、そこには何の傷もない、滑らかな刃があった。

「……直った」

 声が、震えた。

「直りました、三日月さん」

「うむ」

 顔を上げると、三日月さんがこちらを見ていた。

 その頬に、うっすらと、血の色が戻っていた。

「上手いぞ、ゼロス」

 三日月さんが、目を細めて笑った。

「よくやった」

 胸が、熱くなった。

 褒められた。それだけのことなのに。命令をこなせば、ご苦労さま、と労われることはあった。獣王様から、お褒めの言葉をいただいたことだってある。けれど、そのどれも、胸に残ったことなどなかった。今、この一言だけが、こんなにも。

「……教え方が、良いからですよ」

 僕は、目を逸らして言った。

 照れくさかった。照れくさい、という感情も、随分と久しぶりだった。

「はっはっは。そうか、そうか」

 三日月さんは、楽しそうに笑った。

 傷は、まだ残っている。刃こぼれは、まだいくつもある。一つ直しただけだ。

 けれど、今度はできる。もう、やり方は分かった。

 僕は、もう一度、手のひらに温もりを集めた。さっきよりも、少しだけ速く。少しだけ、確かに。

 夜明けの光が、窓の隙間から差し込んでいた。

 その光の中で、僕は、次の傷へと霊力を注いでいった。

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