獣神官ゼロスに転生した元とうらぶプレイヤーですが、なぜか三日月宗近が落ちてきました【第一章】   作:半熟ハラミ丼

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第十七話 月、満ちる

 最後の刃こぼれに、霊力を流し込んだ。

 温かな光が刀身を包み、消えていく。

 その後に残ったのは、一点の曇りもない刃だった。

 僕は、息を詰めたまま、それを見つめた。

 朝の光が、窓の隙間から斜めに差し込んでいた。その光が、刀身の上を滑っていく。反りの深い、優美な姿。地鉄に浮かぶ、細やかな模様。そして、刃文に沿って散らばる、いくつもの三日月の形をした打除け。

 天下五剣の一。三日月宗近。

 画面の中で、何度も見た刀だった。美しい刀だと、知っていたはずだった。

 けれど、こうして目の前で、朝の光を受けて冴え冴えと輝くその姿は、知っていたどんな美しさよりも、ずっと美しかった。

「……終わりました」

 かすれた声が出た。

「全部、直りました」

 

     *

 

 顔を上げると、三日月さんが身を起こしていた。

 寝床の上に、ゆっくりと座る。その動きに、昨夜のようなぎこちなさはなかった。

 三日月さんは、自分の胸元に手を当てた。包帯を、するりと解いていく。

 その下の肌には、傷一つなかった。

 肩から胸へと走っていた、あの深い裂け目。どこにも、跡すら残っていなかった。

 それだけではなかった。

 狩衣を染めていた、あの赤黒い染みが、消えていた。乾いて黒ずんだ血の跡が、まるで最初からなかったかのように、藍色の生地は元の深い色を取り戻していた。

 本体が直れば、人の身も、衣も、元に戻る。

 画面の中では、当たり前のことだった。手入れが終われば、立ち絵は元に戻る。それだけのことだった。

 けれど今、目の前で起きたそれは、奇跡のようにしか見えなかった。

「うむ」

 三日月さんが、軽く肩を回した。

「すっかり元通りだ」

 その顔に、血の色が戻っていた。昨夜の、陶器が透けるような青白さはどこにもない。いつもの、穏やかで、少しとぼけた、三日月さんの顔だった。

 三日月の浮かぶ瞳が、朝の光を受けて、柔らかく輝いていた。

 ――よかった。

 胸の奥から、その言葉が湧き上がってきた。

 本当に、よかった。

 

     *

 

 安堵した途端、体から力が抜けた。

 座っていたはずなのに、ぐらりと視界が傾く。慌てて床に手をついた。

「ゼロス?」

「……いえ、大丈夫です。ちょっと、目が回っただけで」

 大丈夫ではなかった。

 ガーヴに削られた存在は、まだ少しも癒えていなかった。その状態で、一晩中、慣れない力を使い続けたのだ。

 霊力というものは、魔力とはまるで違った。使えば使うほど、体の芯から何かが抜けていく。冷たい疲れではなかった。温かいものを、少しずつ手放していくような疲れだった。

 指先が、かすかに震えていた。輪郭が、ところどころ曖昧になっているのが分かる。気を抜けば、物質世界に留まっていることさえ難しくなりそうだった。

 三日月さんとは、まるで逆だった。

 元気になった三日月さんと、ぼろぼろの僕。

 それでも、不思議と、嫌な気分ではなかった。

 満足していた。

 命令をこなしても、こんな気持ちになったことはなかった。

 

     *

 

「それより、三日月さん」

 僕は、床に手をついたまま顔を上げた。

「どこか、おかしなところはありませんか」

「ないぞ」

「本当ですか? 魔族の僕が手入れしたんですよ。何か、変な感じがするとか。体が重いとか。どこか、ちくちくするとか」

「せんな」

「霊力に、僕の魔力が混じってたかもしれないんです。途中で何度も失敗しましたし。もし、どこかに悪い影響が出ていたら」

「出ていないぞ」

「刀の方も、もう一度よく見てもいいですか。見落としがあるかもしれませんし」

「ゼロス」

 三日月さんが、苦笑していた。

「おぬし、存外に心配性なのだな」

「……だって」

 言葉に詰まった。

 だって、何だというのだろう。

 直したかった。早く元気になってほしかった。それが叶ったのに、今度は、自分が何か壊してしまっていないかが気になって仕方ない。

 画面の中なら、手入れが終われば、それで終わりだった。

 ここは、画面の中ではない。だから、怖いのだ。

「案ずるな」

 三日月さんが、穏やかに言った。

「調子がよいぞ。むしろ、ここへ来てから一番よいくらいだ」

 そう言って、三日月さんは手を伸ばした。

 その手が、僕の頭の上に、ぽんと置かれた。

「……え」

 そのまま、撫でられた。

 ゆっくりと。髪をかき混ぜるように。子供を褒めるときのように。

 僕は、固まった。

「よう頑張ったな、ゼロス」

 三日月さんの手は、温かかった。昨夜握られたときの、あの冷たさが嘘のように。

「あ、あの……三日月さん……?」

「うん?」

「これは、その……」

 戸惑っていた。

 頭を撫でられるなど。一度も、なかった。獣王様が部下の頭を撫でるはずもない。冥王様に至っては、想像するだけで恐ろしい。

 子供にするようなことを、されている。魔族の、それも獣神官の僕が。

 抗議するべきだと思った。いつものように、へらへらと笑ってかわすべきだと思った。

 けれど、できなかった。

 なんだか、くすぐったかった。

 前の私は、最後に誰かに頭を撫でられたのは、いつだっただろう。もう思い出せないほど昔のことだった。大人になれば、誰もそんなことはしてくれなくなる。褒められることも、少なくなる。

 それを今、千年越しに。

「……子供扱い、しないでくださいよ」

 ようやく出た言葉は、それだけだった。声に、少しも力が入っていなかった。

「はっはっは。俺から見れば、まだまだ子供よ」

 三日月さんは、楽しそうに笑って、もう一度だけ僕の頭を撫でた。

 それから、手を離した。

 僕は、俯いたまま、しばらく顔を上げられなかった。

 

     *

 

 窓の外で、鳥が鳴き始めていた。

 朝の光が、狭い寝間を満たしていた。枕元の太刀が、その光を受けて静かに輝いている。傷一つない、美しい姿で。

 僕は、その輝きを見つめた。

 体は、くたくただった。指先の震えは、まだ止まっていなかった。今すぐ横になりたいくらいだった。魔族に、眠りなど必要ないのに。

 それでも。

 胸の奥が、温かかった。

 自分の手で、直した。

 誰に命じられたのでもなく。筋書きに書かれていたのでもなく。自分で決めて、自分の手で。

 千年在って、初めて、何かを成し遂げた気がした。

 壊すのではなく。奪うのではなく。直すことを。

「……よかった」

 小さく、呟いた。

 三日月さんは、何も言わなかった。ただ、隣で穏やかに笑っていた。

 朝日の中で、その笑顔は、満ちた月のように見えた。

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