獣神官ゼロスに転生した元とうらぶプレイヤーですが、なぜか三日月宗近が落ちてきました【第一章】   作:半熟ハラミ丼

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第十八話 分かれ道

 板戸の向こうで、何かが身じろぎする音がした。

 結界越しに、かすかに伝わってくる。床板の軋み。誰かが寝返りを打つ気配。小さな欠伸。

 リナさんたちが、目を覚まし始めたのだ。

 胸の奥の温かさが、すっと引いていった。

 現実に、引き戻された気がした。

 僕は、ここにいていい存在ではない。冥王様の手先として皆をここへ導き、あの顔をさせた魔族だ。一晩、この狭い寝間で過ごしたからといって、それが変わるわけではなかった。

 見つかる前に、退散した方がいい。

 僕は、ふらつく体をなんとか支えて立ち上がった。

「行くのか」

 三日月さんが言った。

 引き留める響きではなかった。ただ、確かめるような声だった。

「ええ」

 僕は、いつもの笑顔を作ろうとした。うまくいったかどうかは、分からなかった。

「冥王様のご命令は、まだ終わっていませんから」

 

     *

 

 言ってから、しばらく黙った。

 それから、聞いた。聞かずにはいられなかった。

「三日月さんも、リナさんたちと一緒に、サイラーグへ行くんですね」

「そうだな」

 あっさりとした返事だった。

 分かっていた。聞くまでもなかった。この人が、行かないはずがない。

 それでも。

「……貴方には」

 声が、かすかに揺れた。

「貴方には、行ってほしくない。……と言ったら」

 三日月さんが、僕を見上げた。

「貴方は、行かないでいてくれますか」

 狭い寝間に、沈黙が落ちた。

 板戸の向こうから、アメリアさんの寝ぼけた声が聞こえた気がした。結界が、それを遠くくぐもらせていた。

 三日月さんは、すぐには答えなかった。

「……理由を、聞いてもよいか」

 穏やかな声だった。

 僕は、目を伏せた。

「冥王様は、貴方に興味を持っています」

 言葉を、選んだ。選びながら、喉の奥が冷たくなった。

「異界から来た剣士だと知って。カタートに登る途中から、ずっと貴方を見ていました。あの方にとって、貴方は……新しい玩具なんです」

 玩具。

 口にすると、その言葉はひどく生々しかった。

「冥王様は、北の魔王様の腹心の中でも、一番残虐なお方なんですよ。気に入ったものは、壊れるまで遊ぶ。壊れたら、飽きて捨てる。千年、ずっとそうでした。僕は、それをよく知っています」

 三日月さんは、黙って聞いていた。

「いくら三日月さんでも……あの方にかかったら、壊されるかもしれない」

 膝の上で、拳を握った。

「それは、嫌なんですよ」

 言ってしまった。

 これまで、何かを嫌だと思ったことなどなかった。嫌だと口にしたことなど、一度もなかった。

 それが今、こんなにもはっきりと。

 

     *

 

 三日月さんは、しばらく僕を見つめていた。

 三日月の浮かぶ瞳が、朝の光の中で、柔らかく揺れた。

「……そうか」

 小さく、息をつくように言った。

「心配してくれているのだな」

 責める響きも、からかう響きもなかった。ただ、僕の言葉をそのまま受け取って、大事に胸にしまうような声だった。

「ありがたいことだ」

 三日月さんは、目を細めて微笑んだ。

 それから、首を横に振った。

「だが、行かねばならん」

 迷いのない声だった。

「ガウリイが攫われた。リナが泣いている。仲間が、助けを待っているのだ。俺が行かん道理はない」

 ガーヴの前で言ったのと、同じ声だった。

 仲間を守るのは、当たり前のことだろう。

 この人は、そういう人だ。

 知っていた。最初から、分かっていた。

「……貴方なら、そう言うだろうと思いました」

 僕は、小さく笑った。

 笑うしかなかった。

 止められない。止めてはいけない、と思った。

 この人が仲間を見捨てて、安全な場所で縮こまっている姿など、想像もできなかった。そんなことを望むのは、この人を、この人でなくしてしまうことだ。

 それに、正しいのは、きっとこの人の方なのだ。

 ガーヴが言っていた。自分の意志で選んで、そこへ向かって進む。それが生きるということだと。

 三日月さんは、今、それをしようとしている。

 僕に、それを止める資格はなかった。

 

     *

 

「……僕が言うことじゃ、ないかもしれませんけど」

 板戸の向こうで、リナさんの声がした。何を言っているのかまでは聞き取れない。けれど、もう時間がないことだけは分かった。

「気をつけてください」

 扉の前で、この人が僕に言ってくれた言葉だった。

 今度は、僕が言う番だった。

 三日月さんは、一瞬だけ目を見開いた。

 それから、ふわりと笑った。

「あいわかった」

 穏やかな、いつもの声だった。

「大丈夫だ」

 大丈夫だ。

 昨夜、何度聞いても同じ答えを返してくれた言葉だった。少しも迷わずに、少しも疑わずに。

 今は、その言葉を信じたかった。

「……それと、三日月さん。一つ、お願いがあります」

 僕は、声を落とした。

「僕が手入れをしたことは、リナさんたちには、黙っていていただけませんか」

 三日月さんが、首を傾げた。

「なぜだ」

「魔族の僕が、神の側の刀を直した。それが知れたら、きっと詮索されます。なぜそんなことができるのか。どうやったのか。……そこを突き詰められると、僕の、その、昔のことまで辿られかねないんです」

 前世のこと。異界の人間だったこと。ずっと隠してきたものが、そこから綻びかねない。リナさんは、勘の鋭い方だ。

「それに、手入れの仕組みそのものも、なるべく知られない方がいいと思います。刀剣男士の傷は、本体を霊力で直さなければ癒えない。主従を結べば、本体に力を通せる。そういうことが良くない輩の耳に入ったら、悪用しようとする者が出てこないとも限りません」

 魔族の中には、そういうことを思いつく方々が、いくらでもいる。僕は、それをよく知っていた。

 三日月さんは、しばらく僕を見ていた。

 それから、ゆっくりと頷いた。

「相わかった。おぬしが、そう言うなら」

「すみません。助かります」

「なに。おぬしが俺を案じて言ってくれているのは、分かっている」

「……では」

 僕は、一礼した。

「うむ。またな、ゼロス」

 またな、と。

 この人は、当たり前のようにそう言った。

 僕は、何も答えなかった。答えられなかった。

 結界を解くのと同時に、空間を渡った。

 

     *

 

 最後に見えたのは、朝の光の中に座る、藍色の背中だった。

 傷一つない狩衣。枕元で静かに輝く、美しい太刀。

 そして、こちらを見送る、三日月の浮かぶ瞳。

 板戸の開く音が、背後で小さく聞こえた。

「三日月さん!? き、傷が……治ってます!?」

 アメリアさんの、驚いた声だった。

 僕は、振り返らなかった。

 行かないでほしいと願った。それでも行くと言われた。それを、止めなかった。

 お互いに、譲れないものがあった。

 あの人には、仲間がいる。守るべきものがある。

 僕には――。

 僕には、何があるのだろう。

 冥王様のご命令。筋書き。千年、流されてきた道。

 それだけ、だろうか。

 分からないまま、僕は精神世界の暗がりを、ひとりで進んでいった。

 またな、という声が、いつまでも耳の奥に残っていた。

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