獣神官ゼロスに転生した元とうらぶプレイヤーですが、なぜか三日月宗近が落ちてきました【第一章】 作:半熟ハラミ丼
「三日月さん!? き、傷が……治ってます!?」
アメリアの素っ頓狂な声で、あたしは完全に目が覚めた。
飛び起きて奥の部屋に駆け込むと、三日月が寝床の上に座っていた。
昨日の夜、血まみれで運び込んだはずの三日月が。
包帯は解かれていた。その下の肌には、傷どころか跡一つない。狩衣にべったり染みついてた血も、きれいさっぱり消えてる。顔色だって、昨日の真っ青が嘘みたいに、いつもの涼しい顔に戻っていた。
「おはよう、皆。よく眠れたか?」
「よく眠れたか、じゃないわよ!」
あたしは、思わず三日月の肩を掴んでいた。
「どういうことよ、これ! アメリアの治癒(リカバリィ)、全然効かなかったじゃない! なんで一晩で治ってんの!?」
「はっはっは。そう揺さぶるな」
三日月は、いつものようにのんびり笑った。
「なに。優しい者が、力を貸してくれたのだ」
「優しい者?」
「うむ」
「誰よ、それ」
「さてな」
それ以上、三日月は何も言わなかった。
とぼけた顔で笑ってるけど、その目は、言う気がないって言っていた。何を聞いても、のらりくらりとかわされるのは目に見えてた。
あたしは、ふと部屋の中を見回した。
狭い寝間。三日月の寝床。枕元の太刀。それだけだ。誰かがいた形跡なんて、どこにもない。
「三日月さんがご無事なら、それでいいじゃありませんか!」
アメリアが、ぱんと手を叩いた。目の縁が、少し赤かった。
「……そうだな。今は、そっちを詮索してる場合じゃない」
ゼルが、戸口にもたれたまま言った。
その通りだった。
ガウリイが、攫われてる。
その事実が、胸の真ん中にどすんと落ちてきた。
昨日の夜は、何も考えられなかった。囲炉裏の火を見つめて、ただ、ぐるぐると同じところを回っていた。ガウリイの声。冥王の笑顔。宙に吊るされた体。何度も、何度も。
でも。
あたしは、両手で自分の頬を思いっきり叩いた。
ぱぁん、と乾いた音が響いた。
「リ、リナさん!?」
「……よし」
じんじんする頬のまま、あたしは顔を上げた。
「行くわよ。サイラーグへ」
いつまでもめそめそしてたって、ガウリイは帰ってこない。あいつを取り戻すには、こっちから乗り込んでいくしかないんだ。
「冥王だかなんだか知らないけど、あたしの相棒に手ぇ出したこと、たっぷり後悔させてやるんだから」
アメリアが、ぱっと顔を輝かせた。
「はい! 正義の鉄槌を下しに行きましょう!」
ゼルが、小さく鼻を鳴らした。その口の端が、わずかに上がっていた。
三日月は、何も言わずに頷いた。
その目が、一瞬だけ、窓の外を見た気がした。誰もいない、朝の空を。
*
サイラーグまでの旅は、ほとんど覚えていない。
歩いて、歩いて、ひたすら歩いた。休むのは、本当に必要なときだけ。誰も文句を言わなかった。アメリアでさえ、口数が少なかった。
三日月は、一度も迷子にならなかった。
いつもなら、ちょっと目を離した隙にふらっといなくなるのに。この旅の間、三日月はずっとあたしたちの真ん中にいた。のんびりした顔はいつも通りだったけど、その目は、ずっと前を見ていた。
*
サイラーグの街が見えたとき、あたしは足を止めた。
「……嘘でしょ」
そこに、街があった。
城壁があって、屋根が並んでいて、煙突から煙が上がっていた。街の真ん中には、天を突くような巨大な樹がそびえていた。
あり得なかった。
サイラーグは、滅びた街だ。
あたしは、知ってる。この目で見たんだから。コピー・レゾとの戦いで、街ごと吹き飛んだ。何もかもが消えて、後には巨大な穴だけが残った。あの神聖樹(フラグーン)だって、跡形もなくなったはずだった。
それが、全部、元に戻っていた。
「冥王の仕業、か……」
ゼルが、低い声で呟いた。
「滅びた街を、丸ごと蘇らせたっていうのか。何のために……」
「行きましょう」
アメリアの声が、少し硬かった。
*
街の中は、賑やかだった。
市場には人が溢れていた。露店の呼び込み。値切る声。子供たちの笑い声。どこにでもある、普通の街の昼下がりだった。
普通すぎて、気味が悪かった。
「いらっしゃい、旅の方! 焼きたてのパンはいかが?」
パン屋の前で、恰幅のいいおばさんが声をかけてきた。にこにこと、人の好さそうな笑顔で。
「あ、あの……」
アメリアが、戸惑ったように足を止めた。
「サイラーグって、昔……その……」
「昔? なんのことかしら。サイラーグは、ずうっと昔から、この通り平和な街よ」
おばさんは、笑顔のまま答えた。
笑顔のまま、その目から、涙がこぼれていた。
「……え」
アメリアが、息を呑んだ。
おばさんは、気づいていないみたいだった。いや、違う。気づいてる。気づいてるのに、笑顔を止められないんだ。口はにこにこ笑ってるのに、目だけが、必死に何かを訴えていた。
「さあ、どうぞ。今日のパンは、とっても美味しく焼けたのよ」
パンを差し出す手が、小刻みに震えていた。
その唇が、声にならない声で、何かを形作った。
た、す、け、て。
あたしは、拳を握りしめた。
周りを見回した。
露店の主人も。値切っている客も。走り回っている子供たちも。みんな、笑っていた。笑いながら、その目の奥で、泣いていた。
死んだ人たちだった。
あのとき、この街と一緒に消えたはずの人たちだった。
冥王は、彼らを蘇らせた。意識を残したまま。自分が死んでいることも、操られていることも、分かったまま。それでも、冥王の思い通りに笑って、喋って、暮らしているふりをさせられている。
「……ふざけんじゃないわよ」
声が、震えた。
怒りで。
「なんなのよ、これ。死んだ人を、こんなふうに……こんなふうに弄んで……っ」
「許せません……!」
アメリアが、拳を震わせていた。その目から、ぼろぼろと涙がこぼれていた。
「こんなの、絶対に許せません! 正義の名において、絶対に!」
ゼルは、何も言わなかった。ただ、剣の柄を握る手が、白くなるほど力が籠もっていた。
そして、三日月。
三日月は、パン屋のおばさんの前に立っていた。
震える手から、そっとパンを受け取った。それから、おばさんの涙で濡れた目を、まっすぐに見つめた。
「……すまんな」
静かな声だった。
「今は、何もしてやれん。だが、必ず」
おばさんの目が、わずかに見開かれた。笑顔は、変わらなかった。でも、その目の奥で、何かがかすかに揺れた気がした。
三日月が、振り返った。
その目を見て、あたしはぞくりとした。
いつものぼんやりした目じゃなかった。森で、洞窟で、魔族と戦ったときの、あの冴えた月の目でもなかった。
もっと静かで、もっと冷たくて、底が見えないほど深い目だった。
「死者を弄ぶか」
三日月が、呟いた。
「――許し難いな」
怒っていた。
いつも穏やかな三日月が、本気で怒っていた。声を荒げるでもなく、顔を歪めるでもなく。ただ、静かに、底冷えするほどに。
*
街の中心へ向かって、あたしたちは歩き出した。
神聖樹の根元に、城が建っていた。
前にはなかった城だ。白い壁が、昼の光の中で妙に眩しかった。窓という窓が、こっちを見下ろしているような気がした。
あそこに、冥王がいる。
あそこに、ガウリイがいる。
「行くわよ、みんな」
あたしは、振り返らずに言った。
「おう……じゃなかった。はい!」
アメリアが、涙を拭って答えた。ガウリイの口癖を真似しかけて、慌てて言い直したのが分かった。
誰も、笑わなかった。でも、少しだけ、空気が和らいだ。
ゼルが、黙って隣に並んだ。三日月が、後ろについた。
笑いながら泣いている人たちの間を、あたしたちは歩いていった。
冥王の城へ。
待ってなさいよ、ガウリイ。
今、迎えに行くから。
*
冥王様の城の、玉座の間。
僕は、精神世界の側から、そこにいた。
「ゼロス」
玉座の上で、冥王様が膝を抱えていた。足元には、水晶に閉じ込められたガウリイさんが横たわっている。
「もうすぐ、リナ=インバースが来るよ。楽しみだね」
「はい」
「ここまで、よく連れてきてくれたよ。最後まで、ちゃんと見届けてね」
冥王様が、にっこりと笑った。
「……承知いたしました」
頭を下げた。いつも、そうしてきたように。
*
筋書きは、知っている。
この先、ここで何が起きるのかも。頁の上で、何度も読んだ。
頁の上では、そう書いてあった。
けれど、その頁のどこにも、あの人はいない。
あのお方にとって、あの人は玩具だ。玩具をあのお方がどう扱うのか、僕はよく知っている。
城の外に、気配が近づいてきた。
リナさんの、怒りに燃えた気配。アメリアさんの、震えながらも前を向く気配。ゼルガディスさんの、張りつめた気配。
それから、この世界の理から外れた、あの気配。
月を探すように、すぐに分かった。
僕は、そこから意識を外した。
見ているだけだ。それが、僕の仕事だ。
千年、そうしてきた。今日も、そうする。
――そう、言い聞かせた。
杖を握る指に、いつの間にか、力がこもっていた。
外したはずの意識が、気づけば、またあの気配の方へ戻っていく。何度外しても。胸の奥の糸に、手繰り寄せられるように。
見ているだけだ。
三度目にそう繰り返したとき、それが仕事の言葉なのか、自分への言い訳なのか、もう、分からなかった。
「来たね」