獣神官ゼロスに転生した元とうらぶプレイヤーですが、なぜか三日月宗近が落ちてきました【第一章】   作:半熟ハラミ丼

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第二十二話 待つ者たち

裂け目が閉じた後の広間は、ひどく広く感じられた。

 玉座は、空だった。頭上の水晶は砕け、床にはその欠片が、光を失って散らばっている。窓の外では、まだ白い光の粒が、ゆっくりと空へ昇っていた。

 リナも、ガウリイも、いない。

 俺は、ゼロスの胸にもたれたまま、何もない虚空を見つめていた。

「――三日月さん」

 頭の上で、声がした。

「手入れを、始めます」

 見上げると、俺の膝の上に、本体が横たえられていた。肩越しに伸びたゼロスの手が、その上にかざされている。鞘から抜かれた刀身が、薄暗い広間の中で鈍く光っている。

 刃こぼれどころではなかった。

 刀身の中ほどに、細いひびが走っていた。両腕を失ったのと同じだけの傷が、本体にも刻まれている。あと少し、何かが加われば、折れていただろう。

「このままでは、本当に折れてしまいますから」

 ゼロスは、いつものように笑っていた。

 顔色が、ひどく悪かった。ガーヴに削られた傷も、冥王の一撃を受け止めた傷も、何一つ癒えていないのだろう。神官服はあちこちが裂け、輪郭が時折、ぼやけるように揺らいでいた。

 それでも、手のひらに温もりを集め始めていた。

 山小屋の夜より、ずっと早かった。もう、やり方を覚えたのだ。

 温かな光が、刀身のひびへと流れ込んでいく。

 

     *

 

 俺は、また虚空を見ていた。

 リナは、どうしているだろう。

 己の全てを差し出してでも、と願ったのだと、あの金色のものは言った。その願いに応えて、リナは混沌の中へ連れていかれた。

 ガウリイは、それを追って飛び込んでいった。

 人の身で、あの果てのない場所へ。

 戻ってこられるのだろうか。

 あの金色のものは、それを決めるのは己ではないと言った。では、誰が決めるのか。ガウリイか。リナか。それとも。

「大丈夫ですよ」

 ゼロスの声がした。

 刀身から目を離さないまま、ゼロスは言った。

「お二人は、無事に帰ってきますよ」

「……そうか」

「ええ。ガウリイさんは、ああ見えて、リナさんのこととなると誰より諦めの悪い方ですから。リナさんの方も、混沌の中で大人しくしているような方じゃありません。きっと、今頃あちらで盛大に喧嘩でもしているんじゃないですかね」

 軽い口調だった。いつもの、少し人を食ったような。

「アメリアさんとゼルガディスさんも、さっき見てきました。今すぐ命に関わるような深い傷はありません。ただ、手入れが終わるまでは、少し眠っていてもらうことにしました。手入れのことは、お二人にも知られない方がいいですから」

「……そうか」

「ですから、三日月さんは何も心配せず、手入れを受けていてください」

 ゼロスは、笑った。

 俺は、その顔を見上げていた。

 

     *

 

 分かってしまった。

 この男は、強がっている。

 声は、軽かった。口調も、いつも通りだった。笑顔も、崩れていなかった。

 だが、その目が時折、虚空の一点へ流れるのだ。リナとガウリイが消えた、あの場所へ。ほんの一瞬だけ。それから、慌てたように、俺の本体へ戻ってくる。

 霊力を流す手が、かすかに震えていた。疲れのせいだけではないだろう。

 この男も、不安なのだ。

 いや、不安などという生易しいものではないのかもしれない。冥王の前に飛び出したときの顔を、俺は見ていた。あの金色のものに見つめられたとき、この男の体が凍りついたのを、腕の中で感じていた。

 それでも、こうして笑っている。

 俺が、不安にならないように。

 大丈夫です、と。無事に帰ってきます、と。何度も、何度も、言い聞かせるように。

 それは、俺に向けた言葉であると同時に、己に向けた言葉でもあるのだろう。

 刀身のひびが、少しずつ、温かな光の中で閉じていく。

 手入れをしながら、俺を元気づけて。己の不安を押し殺して。疲れ切った体で、それでも手を止めずに。

 不器用な男だ、と思った。

 魔族だという。冥王の手先だったという。千年、命じられるままに多くを奪ってきたのだと、この男は己を責めていた。

 己の意に添わないことでも、命じられれば、黙ってやる。やりたくないと、顔に書いてあるのに。そして、魔族だからと、俺たちの前で、いつも一歩、線を引いて立っている。

 だが、今ここにいるのは、震える手で刀を直しながら、懸命に笑ってみせる一人の者だった。

 彼なりに、必死なのだ。

 

     *

 

 肩のあたりに、かすかな感覚が戻ってきた。

 まだ、腕はない。けれど、失ったはずの場所に、何かが通い始めている。本体のひびが閉じるにつれて、人の身もまた、少しずつ形を取り戻そうとしているのだろう。

 本丸の主のことを、ふと思った。

 汝の主は、汝を忘れてはおらぬ、と。あの金色のものは言った。

 いつか、還る日が来るのだろう。あの庭へ。主のもとへ。

 そのとき、この男は。

 考えかけて、やめた。今は、その時ではない。

「ゼロス」

「はい?」

 言いたいことは、いくつもあった。

 無理をするな、と。おぬしこそ休め、と。強がらずともよい、と。

 だが、それを言えば、この男が懸命に張っている何かを崩してしまう気がした。

 だから、別のことを言った。

「そうだな。信じて、待とう」

 ゼロスの手が、一瞬だけ止まった。

「……ええ」

 小さな声だった。

「待ちましょう。一緒に」

 俺は、ゼロスの胸に、少しだけ深くもたれかかった。

 腕がないから、それくらいしかできなかった。それでも、伝わればよいと思った。おぬしは、一人で待っているのではない、と。

 ゼロスの体が、かすかに強張って、それから、ゆっくりとほどけていった。

 刀身の上を、温かな光が流れていく。

 広間の向こうで、アメリアが小さく呻く声がした。窓の外では、最後の光の粒が、空の青に溶けていくところだった。

 俺たちは、何もない虚空を見つめながら、静かに待っていた。

 

     *

 

 最後のひびが、光の中で閉じた。

 刀身から、温もりがすっと引いていく。後に残ったのは、一点の曇りもない刃だった。

 同時に、肩の先に、確かな重みが戻ってきた。

 腕だった。

 右も、左も。指の先まで。握って、開いてみる。思う通りに動いた。痛みもない。狩衣の袖も、染みついていた血も、何事もなかったかのように元に戻っていた。

「……うむ。すっかり、元通りだ」

 調子がよかった。山小屋の朝と同じだ。いや、それ以上かもしれない。

「よかった……」

 頭の上で、ほっとしたような声がした。

 それから、ずるりと何かが傾いた。

「ゼロス?」

 振り返ると、ゼロスの体が、床に崩れ落ちるところだった。

 慌てて、戻ったばかりの腕で受け止めた。

 軽かった。

 顔は真っ白で、目の焦点が合っていなかった。輪郭が、さっきよりもずっと危うく揺らいでいる。俺の膝の上の本体から、手を離さずにいたのが、不思議なくらいだった。

「……あはは。すみません、ちょっと……力が、入らなくて」

「無理をしおって」

 俺は、ゼロスの上半身を抱き起こして、自分の胸にもたれかからせた。

 さっきとは、逆だった。

「……三日月さん、腕が戻ったばかりなのに」

「戻ったばかりの腕だからこそ、使うのだ。おぬしが直してくれた腕だぞ」

 ゼロスは、何か言い返そうとして、結局何も言わずに目を閉じた。

 

     *

 

 ほとんど、その直後だった。

「……ん……」

 広間の向こうで、アメリアが身じろいだ。少し離れた場所で、ゼルガディスも呻いて、肘をついて身を起こそうとしていた。

 手入れが終わるのを、待っていたかのような目覚めだった。

 俺は、腕の中のゼロスを見下ろした。目を閉じたまま、何食わぬ顔をしている。

 手入れの間は眠っていてもらうと、この男は言っていた。術が解ける頃合いを、手入れの終わりに合わせていたのだろう。抜かりのないことだ。

「三日月さん……?」

 アメリアが、ふらふらと起き上がった。額に大きな痣ができていた。ゼルガディスも、壁に手をついてどうにか立ち上がる。二人とも、ひどい有様だった。

 それでも、ゼロスの言った通り、命に別状はないようだった。

「……待て」

 ゼルガディスが、低く言った。

 その目が、俺の腕の中のゼロスを射抜いていた。

「そいつは、冥王の手先だったんだろう。カタートで、冥王がはっきりそう言った。リナをここまで連れてきたのも、そいつだ」

 ゼルガディスの手が、剣の柄にかかった。

「なぜ、そんな奴がここにいる。なぜ、三日月がそいつを抱えている」

 殺気、とまではいかない。それでも、明らかな敵意だった。

 無理もない、と思った。この男の立場からすれば、当然の疑いだ。

 だが。

「下がれ、ゼルガディス」

 俺は、静かに言った。

 ゼルガディスの目が、俺に向いた。

「この男は、命を懸けて俺を助けてくれた。冥王の前に飛び出して、止めの一撃を受け止めた。それだけは、確かだ」

「……何だと」

「信じられんなら、それでもよい。だが、この場は収めてくれ。頼む」

 ゼルガディスは、しばらく俺を見つめていた。

 やがて、舌打ちを一つして、剣の柄から手を離した。

「……お前がそう言うなら、今は引いてやる」

「すまんな」

「ゼロスさんが……三日月さんを、助けた……?」

 アメリアが、目を丸くして呟いた。

 信じられない、という顔だった。いや、顔だけではない。全身で、信じられないと言っていた。ゼルガディスも、引きはしたものの、胡散臭いものを見る目を少しも緩めていなかった。

 これが、日頃の行いというやつか。

 胸の内で、小さく嘆息した。

「いやあ」

 腕の中から、間延びした声がした。

「たまたま、そうなっただけですよ。成り行きです、成り行き」

 目を閉じたまま、ゼロスはへらへらと笑っていた。

「……おぬしな」

 全く、困ったものだ。

 命懸けで飛び出しておいて。己の立場を危うくしておいて。一晩かけて、震える手で刀を直しておいて。それを、たまたまの一言で片付けようとする。

 この男は褒められることにも、感謝されることにも、まるで慣れていないのだ。

「ほら、やっぱり成り行きじゃないですか」

「ふん。そんなところだろうと思った」

 アメリアとゼルガディスが、妙に納得したように頷いていた。

 俺は、もう一度、深々と嘆息した。

 それから、アメリアが、はっと我に返ったように顔を上げた。

「冥王は……リナさんは、ガウリイさんは……!」

「どうなった。何があった」

 俺は、ゼロスと交互に答えた。ゼロスはまだ起き上がれなかったが、口だけは達者だった。

 リナが重破斬を唱えたこと。冥王がそれを暴走させたこと。金色の魔王が現れ、冥王を滅ぼしたこと。サイラーグの人々が解放されたこと。ガウリイが目覚め、リナを追って混沌へ飛び込んでいったこと。

 ただ、手入れのことだけは、口にしなかった。俺の腕のことも。山小屋で、ゼロスと交わした約束だ。二人は俺の腕が飛んだところを見ていない。冥王にひどく痛めつけられた、とだけ伝えた。

 二人は、言葉もなく聞いていた。

 

     *

 

 それから、アメリアとゼルガディスの手当てをした。

 アメリアが、ふらつきながらも己とゼルガディスに治癒(リカバリィ)をかけた。俺の体には効かなかった術も、人の身にはよく効くらしい。俺は、裂いた布で二人の傷を縛るのを手伝った。戻ったばかりの手で。

 手当てが終わると、俺たちは、広間の中央に集まった。

 リナとガウリイが消えた、あの虚空の前に。

 誰も、何も言わなかった。言わなくても、皆、同じことを考えていた。

 俺は、太刀を膝に置いた。直してもらったばかりの、己の本体を。

 隣で、ゼロスが、天井を見上げていた。

 俺は、黙って、その隣に座り続けた。

 待とう。

 皆で。

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