獣神官ゼロスに転生した元とうらぶプレイヤーですが、なぜか三日月宗近が落ちてきました【第一章】 作:半熟ハラミ丼
セイルーンを訪れたのは、それから三か月ほど経った頃だった。
監視の任務とは別に、獣王様からの仕事がいくつか重なって、なかなか足を向けられずにいた。言い訳のように、そう自分に言い聞かせていた。
本当は、少しだけ怖かったのだ。
サイラーグの城を出たあの夕暮れ、三日月さんの腕の中で目を閉じた。皆でご馳走を食べて、その夜のうちに、僕は黙って姿を消した。お別れも言わずに。
あれから、どんな顔をして会えばいいのか、分からなかった。
*
聖王都セイルーンは、街そのものが巨大な六芒星を描くように造られている。白魔術の本場であり、魔族を退ける聖なる結界の都だ。
もっとも、僕ほどの者になれば、そんなものは何の障りにもならない。
障りになるのは、むしろ別のものだった。
アメリアさんは、僕が魔族だと知っている。そして、アメリアさんが知っているということは、その父上もまず間違いなく聞かされているということだ。
フィリオネル=エル=ディ=セイルーン殿下。平和主義を掲げながら、悪と見れば素手で叩き伏せる、正義の塊のようなお方だと聞いている。
そんなお方の城に、獣神官がのこのこ顔を出したらどうなるか。
考えるまでもなかった。正義の鉄拳と、長い長いお説教が待っているに決まっている。それはそれで、ひどく面倒だ。
だから、王宮には近づかないことにした。
人の姿で城門をくぐり、神官の装いで、城下の人混みに紛れる。
街は、賑やかだった。
広場の噴水の縁で、洗濯籠を抱えた女たちが立ち話をしていた。
「ねえ聞いた? 昨日もフィル様が、あの迷子のお侍さんとお城の縁側でお茶してらしたんだって」
「またあ? あのお二人、本当に仲がいいわよねえ」
「フィル様があんまり大きな声でお笑いになるもんだから、お庭の鳥がみんな逃げちゃったって、お城勤めの姪が言ってたわ」
「お侍さんの方は、にこにこ聞いてるだけなんでしょう?」
「そうそう。何を話してるのか、さっぱり噛み合ってないらしいのよ。それでもお二人とも楽しそうなんだって」
女たちは、くすくすと笑い合った。
僕は、噴水の向こう側で足を止めて、その話を聞いていた。
なんとなく、その光景が目に浮かんだ。
王宮の縁側で、豪快な王子殿下と、のんびりした天下五剣が、並んでお茶をすすっている。話が噛み合っているのかいないのか分からないまま、二人とも楽しそうに笑っている。
思わず、口元が緩んだ。
「最初の頃はさ、お侍さんがいなくなるたびに、お城の兵隊さんが総出で街中を探し回ってたじゃない」
「あったあった。フィル様まで先頭に立って、裏路地の樽の中まで覗いてらしたわよね」
「今じゃ誰も慌てないものねえ。夕方には誰かが連れて帰ってくるって、みんな分かってるから」
……そんなことになっているのか。
僕は、小さく笑って、その場を離れた。
目を閉じて、気配を探る。
この世界の理から外れた、あの気配。どこにいても、浮き上がって見える。夜空の月を探すように。
――いた。
街の南の方。市場の外れのあたりだ。
探さなくても、すぐに分かった。けれど、僕はあえて歩いて向かった。
大通りを歩いていると、八百屋の店先で、主人が客と立ち話をしていた。
「そういや、今朝も見かけたぞ。迷子のお侍さん」
「ああ、三日月さんね。南の方へ歩いていったよ。帰りに道を間違えなきゃいいけどねえ」
「間違えたら、また誰かが連れてくるさ」
二人は、のんびりと笑っていた。
少し先の路地では、子供たちが走り回っていた。
「ねえ、迷子のお侍さん、今日どこ行ったか知ってる?」
「南の茶屋のとこにいたよ! さっき、おばあちゃんにお団子もらってた!」
「えー、ずるい! ぼくも行く!」
子供たちは、歓声を上げて駆けていった。
僕は、その後をゆっくりと追った。
*
南の市場の外れに、小さな茶屋があった。
店先の縁台に、その人は座っていた。
藍色の狩衣。肩口の金の飾り。湯呑みを両手で包み込むようにして、のんびりと空を見上げている。
周りを、子供たちが取り囲んでいた。
「お侍さん、またお城に帰れなくなったの?」
「うむ。どうも、この街は道が入り組んでいてな」
「入り組んでないよー! まっすぐだよー!」
「はっはっは。そうか、まっすぐか」
茶屋のおばあさんが、奥から盆を持って出てきた。
「はいはい、三日月さん。今日の分のお団子、取っておきましたよ」
「おお、すまんな。ありがたくいただこう」
「帰りはね、この先の角を右ですよ。右。いいですか、右ですからね」
「うむ。右だな」
「この前も右って言ったのに、左に曲がって港の方まで行っちゃったでしょう」
「はっはっは。そうであったかな」
「もう。しょうがない人だねえ」
おばあさんは、呆れたように笑いながら、三日月さんの湯呑みにお茶を注ぎ足した。
僕は、少し離れた場所から、その光景を眺めていた。
――すごいなあ、と思った。
この街に来て、まだ一年も経っていない。異界から落ちてきた、言葉遣いも身なりも少し変わった剣士だ。それなのに、街の人たちは、皆、当たり前のようにこの人を受け入れている。
迷子になれば、誰かが道を教える。お腹が空いていそうなら、誰かが団子を取っておく。子供たちは懐き、大人たちは呆れながら笑う。
この人の、人柄なのだろう。
穏やかで、のんびりしていて、誰に対しても分け隔てなく。そういう人だから、自然と人が集まってくる。
千年在って、誰にも好かれなかった僕とは、まるで違う。
ただ、眩しかった。
*
「――ゼロス?」
名を呼ばれて、我に返った。
三日月さんが、こちらを見ていた。湯呑みを手にしたまま、目を丸くして。
子供たちも、一斉に僕の方を振り返った。
「お侍さんの知り合い?」
「神官さんだー」
「なんか、にこにこしてて胡散臭いー」
子供は、正直だった。
「……どうも。お久しぶりです、三日月さん」
僕は、いつもの笑顔を作って、縁台の方へ歩み寄った。
三日月さんは、しばらく僕を見上げていた。
それから、ふわりと笑った。
「久しいな。息災であったか」
「ええ、まあ。おかげさまで」
「傷は、もうよいのか」
「……とっくに治りましたよ」
「そうか。それはよかった」
三日月さんは、隣の空いた場所を、ぽんぽんと叩いた。
「座れ。団子があるぞ」
僕は、少し迷ってから、その隣に腰を下ろした。
子供たちが、興味津々といった顔で僕たちを見比べている。茶屋のおばあさんが、もう一つ湯呑みを持ってきてくれた。
「お連れさんかい? あんたも、三日月さんを迎えに来たんだろう?」
「ええ、まあ。そんなところです」
「ありがたいねえ。この人、放っておくと夜まで帰らないからね」
おばあさんは笑って、奥へ戻っていった。
*
しばらく、黙って団子を食べた。
甘さの控えめな、素朴な味だった。カタートへ向かう前、川の土手で三日月さんに分けてもらった団子を、ふと思い出した。あのときは、結局一口も食べられなかった。
「……サイラーグの夜は、すみませんでした」
口から、言葉がこぼれていた。
「何も言わずに、出ていってしまって」
「なに」
三日月さんは、湯呑みを傾けながら言った。
「おぬしにも、都合があるだろう。それに、あれきりにはならんと思っていた」
「……どうして、ですか」
「繋がっているからな」
三日月さんは、自分の胸に軽く手を当てた。
仮初めの主従の糸。今も、僕たちの間に、細く通っている。
「時折、おぬしの気配が近くを通るのは、分かっていた。顔を見せんのは、忙しいのだろうと思っていたが」
――気づかれていた。
何度か、セイルーンの近くまで来ては、引き返していたことを。
顔が熱くなった。魔族に、そんな機能があるのかは知らないけれど。
「……実は」
僕は、湯呑みに目を落とした。
「上から、あなたの様子を定期的に見に来るように言われまして」
全部は、言えなかった。監視だということも。報告を上げているということも。何を伏せているのかも。
それでも、嘘はつきたくなかった。この人にだけは。
三日月さんは、少しの間黙っていた。
それから、穏やかに笑った。
「そうか」
咎める響きは、どこにもなかった。
「では、これからは、時折会えるのだな」
「……え」
「それは、嬉しいことだ」
三日月さんは、本当に嬉しそうに目を細めた。
僕は、何も言えなかった。
監視されると知って、嬉しいと言う人がいるだろうか。
この人は、きっと、全部分かっている。僕がただ様子を見に来るだけではないことも。それを言えないことも。分かっていて、それでも、会えることを喜んでくれている。
「……僕も、です」
ようやく、それだけ言えた。
小さな声だった。三日月さんに聞こえたかどうかは、分からなかった。
*
夕陽が、セイルーンの白い街並みを染め始めていた。
「さて」
三日月さんが、湯呑みを置いて立ち上がった。
「そろそろ戻らねば。フィル殿が、夕餉を一緒にと言っていた」
「ああ、そうですね。この先の角を右、でしたっけ」
「うむ。右だな」
三日月さんは、自信満々に頷いて、歩き出した。
左へ。
「三日月さん。そっちは左です」
「おや」
三日月さんが、きょとんと振り返った。
子供たちが、どっと笑った。
僕は、溜め息をついて立ち上がった。
「……送っていきますよ。王宮の近くまで」
「はっはっは。すまんな、ゼロス」
「いえ。慣れてますから」
並んで歩き出した。
右の角を曲がって、夕暮れの大通りを、王宮へ向かって。
三日月さんの袖が、時々僕の腕に触れた。あの旅の頃と、同じ距離だった。
王宮の白い城壁が見えてきたところで、僕は足を止めた。
「僕は、ここまでにしておきます」
「寄っていかんのか。フィル殿も、きっと喜ぶぞ」
「いやあ、それはどうでしょう」
僕は、苦笑した。
「アメリアさんから、僕のことはお聞き及びでしょうし。魔族が城門をくぐったなんて知れたら、正義の鉄拳が飛んできそうですから」
「ふむ。フィル殿なら、ありうるな」
三日月さんは、楽しそうに笑った。否定はしなかった。
「では、またな、ゼロス」
「ええ。また」
三日月さんが、城門の方へ歩いていく。藍色の背中が、夕陽の中で少しずつ小さくなっていく。
門の前で、一度だけ振り返った。
僕は、軽く手を上げた。
三日月さんも、袖を揺らして応えた。
それから、門の向こうへ消えていった。
今度は、まっすぐに。迷わずに。
僕は、その背中が見えなくなるまで、通りの角に立っていた。