獣神官ゼロスに転生した元とうらぶプレイヤーですが、なぜか三日月宗近が落ちてきました【第一章】 作:半熟ハラミ丼
あの後、僕たちは宿の食堂へ戻った。ガウリイさんの腹の虫がいつまでも鳴き止まなかったからだ。夜更けの厨房を叩き起こし、残り物のシチューを温めてもらって、それをつつきながら話を聞くことになった。
落ちてきた彼は、三日月宗近と名乗った。
本丸という屋敷の庭を散歩していたら、気づいたらあの林に座っていたらしい。本人の説明はそれだけで、それ以上はいくら聞いても「さてな」と笑うばかりだった。
そこから先は、リナさんの独壇場だった。
本丸とはどこにあるのか。その国の名前は。使われている魔法の体系は。星はいくつあるか。彼がのんびり答えるたびに、リナさんの眉間の皺が深くなっていった。
「……結論。あんたがいたのは、この世界じゃないわ」
「ほう」
「ほう、じゃないわよ! 異世界よ、異世界! もうちょっと驚きなさいよ!」
「十分驚いているぞ?」
「どこがよ!」
リナさんは、そこで一度、口を閉じた。
それから、腕を組んで、少し考えるような顔をした。
「……ねえ。あんた、帰る当てはあるの?」
「さてな。どうやって来たのかも分からんのでな」
「でしょうね」
リナさんは、テーブルに肘をついた。
「あたしたち、今、異界黙示録(クレアバイブル)の写本を探してるのよ。とんでもない知識が書いてあるって噂の代物。魔導の秘密から、世の中の成り立ちまで。もしかしたら、異界のことだって」
「ほう」
「つまり、世界と世界を渡る方法だって、載ってるかもしれないってこと。……かもしれない、だけどね」
彼の手が、湯呑みの上で止まった。
「帰れる、かもしれんと」
「保証はしないわよ。でも、あてもなく歩き回るよりはマシでしょ」
「――では、その写本探しとやらに、俺も加えてもらえるか」
僕は、黙ってシチューをすすった。
写本のいくつかが、もうこの世にないことを、僕は知っている。そのうちのいくつかを灰にしたのが、獣王様のご命令を受けた僕自身だということも。
言う必要は、なかった。
アメリアさんが「異世界から来た迷い人を見捨てるなど、正義に反します!」と拳を握り、ゼルガディスさんが「……好きにしろ」とそっぽを向き、ガウリイさんが「じゃあ一緒に行けばいいんじゃないか?」と言った。
それで、決まった。三日月宗近は、僕たちの旅に同行することになった。
僕はその話し合いの間、ほとんど口を挟まなかった。
挟む必要がなかったからだ。リナさんたちは筋書きの上でも有能で、僕が何も言わなくても話は勝手に転がっていく。僕は椅子の背にもたれ、いつもの笑顔で、皆の顔を順番に眺めていればよかった。
ただ、一つだけ困ったことがあった。
眺めていると、ときどき、彼と目が合いそうになるのだ。
そのたびに、僕は視線を逸らした。窓の外へ。シチューの皿へ。ガウリイさんの頬についたパンくずへ。
意識してやっていたわけではない。気づいたら、そうしていた。
だって、あの三日月宗近だ。画面越しに毎日眺めていた顔が、テーブルの向こうで、シチューをふうふう冷ましている。直視できるわけがない。
それに、向こうは末席とはいえ神で、こっちは魔族で。相性なんて、良いはずがない。
そうだ。きっと、それだけだ。
――本当に、それだけだろうか。
胸のどこかで、小さな声がした。僕はその声に気づかないふりをして、冷めたシチューを一口すすった。
*
翌晩、僕は冥王様に報告を上げた。
異世界から来た剣士が、リナ=インバースの一行に加わったこと。人の姿をしているが、人ではないらしいこと。報告書としては、それで十分なはずだった。
「へえ。異世界の、ねえ」
冥王様は玉座の上で膝を抱え、くすくすと笑った。
「面白そう。ゼロス、その人のこともついでに見ててよ。何ができて、何ができないのか。調べられるだけ調べておいて」
「承知いたしました」
追加の命令。業務の範囲が広がっただけだ。僕はいつも通りに頭を下げた。
冥界を辞するとき、背後で子供の笑い声がもう一度聞こえた。玩具を見つけたときの、あの声だった。
嫌な予感がした。
筋書きの上の冥王様は、異世界の剣士など知らない。知らないものに興味を持った冥王様が、この先どう動くのか。それは、どの巻にも書いていない。
カタート山脈で何が起き、サイラーグで誰が何をするのか。僕の知っている頁は、三日月宗近という一枚が挟まったことで、少しずつずれ始めている。ずれた先が今より良くなるとは、とても思えなかった。
面倒なことになりそうだ。立ち回りも結末も、変わってしまえば全部考え直しになる。知っている筋書きをなぞるだけの、楽な仕事ではなくなってしまう。
それに、あの人が、冥王様の玩具にされたら。
壊れるまで遊ばれて、飽きたら捨てられる。冥王様がそういうお方だということを、僕はよく知っている。
――それは、嫌だな。
そう思ってから、僕は首を傾げた。
嫌、とは何だろう。異世界の剣士が一人どうなろうと、僕の業務には関係ないはずだ。
魔族になってから、誰かを特別に思ったことなど一度もなかった。獣王様は主であって、それ以上でも以下でもない。冥王様は上司の上司だ。リナさんたちは、監視対象であり、筋書きの登場人物にすぎない。
誰が生きても、誰が死んでも、僕の中の何かが揺れることはなかった。
それなのに、あの人のことになると、どうしてこうも調子が狂うのか。
――前の私が、知っている人だからだろうか。
画面の向こうで、何度も見た顔。何度も聞いた声。紙の上の登場人物とは違う、私が毎日のように眺めていた刀。
それが、今さら目の前に現れたから。だから少し、昔の感傷に引きずられているだけなのかもしれない。
たぶん、そうだ。それだけのことだ。
そう結論づけて、僕は考えるのをやめた。その結論で本当に足りているのかどうかは、確かめないままにしておいた。