獣神官ゼロスに転生した元とうらぶプレイヤーですが、なぜか三日月宗近が落ちてきました【第一章】 作:半熟ハラミ丼
襲撃は、街道が森に入ってすぐのことだった。
「……リナさん」
「分かってる」
僕が声をかけるより早く、リナさんは足を止めていた。ガウリイさんの手が剣の柄に伸び、ゼルガディスさんが無言でフードを払う。アメリアさんだけが「え? え?」と左右を見回していた。
鳥の声が、消えていた。
木々の影が、不自然に濃い。昼下がりの森にあるはずのない冷たさが、地面から這い上がってくる。
「ほう」
最後尾で、三日月さんがのんびりと呟いた。
「これは、なかなか賑やかな出迎えだな」
次の瞬間、影が弾けた。
*
木立の間から、異形が湧き出した。
山羊とも獣ともつかない頭に、ねじくれた角。黒く濁った皮膚。レッサー・デーモンが、ざっと見て十体以上。その奥に、もう一つ、ひときわ濃い気配が立っていた。
人の形をしていた。痩せた長身の男。青白い顔に、薄い笑みが張りついている。
「リナ=インバースだな」
男が言った。声は穏やかで、それがかえって気味が悪かった。
「魔竜王ガーヴ様の命により、その首、もらい受けに来た」
「お断りよ!」
リナさんの返事は、呪文の詠唱と同時だった。
「火炎球(ファイアー・ボール)!」
先頭のレッサー・デーモンが、炎に包まれて吹き飛ぶ。それが合図になった。
*
森の中は、たちまち戦場になった。
「光よ!」
ガウリイさんが光の剣を抜き放つ。刀身のない柄から、まばゆい光の刃が伸びた。一閃。レッサー・デーモンが二体、まとめて塵になる。
「魔皇霊斬(アストラル・ヴァイン)!」
ゼルガディスさんの剣が、赤い光を帯びた。魔力を込めた刃が、デーモンの胴を深々と裂く。
「正義の鉄槌を受けなさい! 霊王結魔弾(ヴィスファランク)!」
アメリアさんの拳が光り、デーモンの顔面に叩き込まれる。ごしゃり、と嫌な音がした。正義の鉄槌というより、ただの鉄拳だった。
「烈閃槍(エルメキア・ランス)!」
リナさんの光の槍が、側面から回り込もうとしていた一体を貫いた。
見事なものだ、と僕は思った。
紙の上で何度も読んだ戦い方だった。けれど、本物は文字よりずっと速くて、ずっと騒がしい。
「ゼロス! あんたも何かしなさいよ!」
「いやあ、僕は荒事は苦手でして」
へらへらと笑いながら、僕は一歩下がった。下がりながら、指先を、わずかに動かす。
アメリアさんの背後から迫っていたデーモンが、突然つんのめって倒れた。そのまま、起き上がらなかった。
「あれ? 今の、私がやりました?」
「さあ、どうでしょう」
魔族だとばれない程度に。神官が、運良く邪魔な石に気づいた程度に。そのくらいの手助けなら、千年分の手加減で十分だった。
*
戦いが中盤に差しかかった頃、青白い顔の男が動いた。
「なるほど。噂に違わぬ連中だ」
男の姿が、ふっとかき消えた。
空間を渡ったのだ。次に現れたのは、一行の最後尾。三日月さんの、すぐ背後だった。
「三日月さん!」
アメリアさんが叫ぶ。
黒い爪が、狩衣の背へ振り下ろされた。
三日月さんは、振り返りもしなかった。半歩、横へずれた。爪が、袖の端を掠めて空を切った。
「ほう。道を通らずに来るのか。便利なものだな」
男の眉が、跳ね上がった。姿が、また消えた。今度は、右。三日月さんは、また半歩ずれた。
「俺なぞ、道があっても迷うというのに」
三度目。左の木立の陰から。
三日月さんの体は、もう、そちらを向いていた。
――違う。
僕は、息を詰めた。精神世界の側から見ると、よく分かった。男が空間を渡る、その直前。行き先の空間が、ほんのわずかに波立つ。魔族の目でなければ見えないはずの、さざ波だ。
この人は、それを見ている。
「――ちっ」
男が、狙いを変えた。四度目の揺らぎは、三日月さんの周りではなかった。前線で詠唱を続ける、リナさんの背後。
本来の、仕事だ。
男が現れた。爪が、リナさんのうなじへ伸びた。
その爪の先に、藍色の背中があった。
いつ、そこへ移ったのか。僕の目でも、追えなかった。三日月さんは、リナさんと男の間に立っていた。太刀の柄に、手を添えて。
その瞬間、空気が変わった。
森のざわめきが遠のく。風が止まる。いつものんびりと細められていた目が、すっと開かれた。
三日月の浮かぶ瞳が、冴え冴えと光っていた。
夜空の月が、冬の夜に一番鋭く見えるときのように。冷たく、遠く、触れれば切れそうなほど澄んでいた。
「三度で、道は覚えた」
声さえ、別人のようだった。
鞘走りの音を、僕は聞かなかった。
気づいたときには、三日月さんは男の背後に立っていた。太刀は、もう振り抜かれていた。刀身に、木漏れ日がひとすじ流れて消えた。
一拍遅れて、男の体が斜めにずれた。
物質の側だけでは、なかった。精神世界の側で、男の本体――黒く凝った塊が、同じ角度で、すっぱりと断たれていた。断ち口が、白く焼けていた。月の光を、そのまま刃にしたような色だった。
「な……」
男の顔に、初めて驚愕が浮かんだ。
「馬鹿な……」
言葉は、最後まで続かなかった。男の体は、黒い塵になって崩れ、風に散った。
三日月さんは、太刀を一度だけ払った。そして、音もなく鞘に納めた。
*
親玉を失ったレッサー・デーモンたちは、総崩れになった。残りはリナさんたちがあっという間に片付けて、森に静けさが戻った。
誰も、すぐには口を開かなかった。
「……ねえ、三日月」
最初に声を出したのは、リナさんだった。
「今の、何? 魔力、込めてなかったわよね」
「うむ。込めていないな」
「じゃあ、何で魔族が斬れるのよ」
「さてな。斬れると思ったから、斬ったまでだ」
三日月さんは、もういつもの顔に戻っていた。目を細め、袖をゆらりと揺らして、穏やかに笑っている。
さっきの冴えた月は、どこにもなかった。
「斬れると思ったからって……そんな無茶苦茶な理屈があるか」
ゼルガディスさんが、呆れたように額を押さえた。
リナさんが、腕を組んで、三日月さんの太刀を睨んだ。
「……ま、異界から来たんだもんね。あたしたちの世界の決まりごとが、そのまま当てはまるとは限らない、か」
「納得はいかんがな」
ゼルガディスさんが、鼻を鳴らした。
「すごかったです! まるで別人みたいでした!」
アメリアさんが、目を輝かせて駆け寄る。
「お、おう。おじいちゃん、強かったんだなあ」
ガウリイさんが、感心したように頷いた。
「はっはっは。年寄りを褒めても、何も出んぞ」
いつも通りのやり取りが、また始まった。リナさんが「普段からあれくらいしゃきっとしてなさいよ!」と叫び、三日月さんが「それは難しいな」と笑う。
僕は、その輪の少し外に立っていた。
動けなかった。
目に焼きついて、離れなかったのだ。あの一太刀が。冴えた月のような瞳が。木漏れ日を受けて流れた、刀身の光が。
美しかった。
画面の中でなら、何度も見た。出陣して、敵を斬る、ほんの数秒の動き。けれど、本物は、比べものにならなかった。魔族として生きたこの千年、美しいと思ったものなど、一つもなかった気がする。それなのに、あの一瞬だけは、ただ見惚れていた。息をするのも忘れて。魔族に、息など必要ないのに。
――あれは、神の刃だ。
末席とはいえ、神の名を持つもの。
あの刃は、僕のようなものを斬るためにある。
画面の向こうにいた頃より、ずっと近くにいるのに。手を伸ばしても届かない。届いてはいけない人なのだと、思い知った。
「ゼロス」
名前を呼ばれて、我に返った。
三日月さんが、こちらを見ていた。いつもの穏やかな目だった。
「怪我はないか」
「……ええ。僕は後ろで震えていただけですから」
「そうか。それならよい」
三日月さんは、小さく頷いた。それ以上は何も言わず、また皆の方へ向き直る。
その袖口に、ほんの小さな裂け目があることに、僕は気づいた。
男が消える直前、苦し紛れに放った一撃が、かすめていたのだろう。三日月さん本人は、気にも留めていないようだった。
僕も、何も言わなかった。言えなかった、の方が正しいかもしれない。
*
その夜、焚き火を囲みながら、リナさんが言った。
「ガーヴの奴、本気であたしを狙ってきてるわね」
炎が、リナさんの横顔を赤く照らしていた。
「このままじゃ、いつかやられる。魔族に対抗する手段が要るわ。もっと確実なやつが」
皆が黙り込む。ガウリイさんでさえ、真面目な顔で焚き火を見つめていた。
僕は、知っている。
この先に、何があるのか。どこへ行けば、リナさんの求めるものがあるのか。そこで誰が待っていて、何が起きるのか。
『頃合いを見て、カタートへ連れておいで』
数日前、冥界から届いた声だった。それきり、理由も、その先の指示もなかった。
筋書きの上でも、ここで僕が口を開く。命令と筋書きが、同じ方を向いていた。
「でしたら」
僕は、いつもの笑顔で言った。
「カタート山脈に、心当たりがありますよ」
焚き火の向こうで、三日月さんが静かにこちらを見ていた。
僕は、今度は目を逸らさなかった。逸らさないように、笑顔の仮面を、強く被り直した。