獣神官ゼロスに転生した元とうらぶプレイヤーですが、なぜか三日月宗近が落ちてきました【第一章】   作:半熟ハラミ丼

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第五話 冴える月

 襲撃は、街道が森に入ってすぐのことだった。

「……リナさん」

「分かってる」

 僕が声をかけるより早く、リナさんは足を止めていた。ガウリイさんの手が剣の柄に伸び、ゼルガディスさんが無言でフードを払う。アメリアさんだけが「え? え?」と左右を見回していた。

 鳥の声が、消えていた。

 木々の影が、不自然に濃い。昼下がりの森にあるはずのない冷たさが、地面から這い上がってくる。

「ほう」

 最後尾で、三日月さんがのんびりと呟いた。

「これは、なかなか賑やかな出迎えだな」

 次の瞬間、影が弾けた。

 

     *

 

 木立の間から、異形が湧き出した。

 山羊とも獣ともつかない頭に、ねじくれた角。黒く濁った皮膚。レッサー・デーモンが、ざっと見て十体以上。その奥に、もう一つ、ひときわ濃い気配が立っていた。

 人の形をしていた。痩せた長身の男。青白い顔に、薄い笑みが張りついている。

「リナ=インバースだな」

 男が言った。声は穏やかで、それがかえって気味が悪かった。

「魔竜王ガーヴ様の命により、その首、もらい受けに来た」

「お断りよ!」

 リナさんの返事は、呪文の詠唱と同時だった。

「火炎球(ファイアー・ボール)!」

 先頭のレッサー・デーモンが、炎に包まれて吹き飛ぶ。それが合図になった。

 

     *

 

 森の中は、たちまち戦場になった。

「光よ!」

 ガウリイさんが光の剣を抜き放つ。刀身のない柄から、まばゆい光の刃が伸びた。一閃。レッサー・デーモンが二体、まとめて塵になる。

「魔皇霊斬(アストラル・ヴァイン)!」

 ゼルガディスさんの剣が、赤い光を帯びた。魔力を込めた刃が、デーモンの胴を深々と裂く。

「正義の鉄槌を受けなさい! 霊王結魔弾(ヴィスファランク)!」

 アメリアさんの拳が光り、デーモンの顔面に叩き込まれる。ごしゃり、と嫌な音がした。正義の鉄槌というより、ただの鉄拳だった。

「烈閃槍(エルメキア・ランス)!」

 リナさんの光の槍が、側面から回り込もうとしていた一体を貫いた。

 見事なものだ、と僕は思った。

 紙の上で何度も読んだ戦い方だった。けれど、本物は文字よりずっと速くて、ずっと騒がしい。

「ゼロス! あんたも何かしなさいよ!」

「いやあ、僕は荒事は苦手でして」

 へらへらと笑いながら、僕は一歩下がった。下がりながら、指先を、わずかに動かす。

 アメリアさんの背後から迫っていたデーモンが、突然つんのめって倒れた。そのまま、起き上がらなかった。

「あれ? 今の、私がやりました?」

「さあ、どうでしょう」

 魔族だとばれない程度に。神官が、運良く邪魔な石に気づいた程度に。そのくらいの手助けなら、千年分の手加減で十分だった。

 

     *

 

 戦いが中盤に差しかかった頃、青白い顔の男が動いた。

「なるほど。噂に違わぬ連中だ」

 男の姿が、ふっとかき消えた。

 空間を渡ったのだ。次に現れたのは、一行の最後尾。三日月さんの、すぐ背後だった。

「三日月さん!」

 アメリアさんが叫ぶ。

 黒い爪が、狩衣の背へ振り下ろされた。

 三日月さんは、振り返りもしなかった。半歩、横へずれた。爪が、袖の端を掠めて空を切った。

「ほう。道を通らずに来るのか。便利なものだな」

 男の眉が、跳ね上がった。姿が、また消えた。今度は、右。三日月さんは、また半歩ずれた。

「俺なぞ、道があっても迷うというのに」

 三度目。左の木立の陰から。

 三日月さんの体は、もう、そちらを向いていた。

 ――違う。

 僕は、息を詰めた。精神世界の側から見ると、よく分かった。男が空間を渡る、その直前。行き先の空間が、ほんのわずかに波立つ。魔族の目でなければ見えないはずの、さざ波だ。

 この人は、それを見ている。

「――ちっ」

 男が、狙いを変えた。四度目の揺らぎは、三日月さんの周りではなかった。前線で詠唱を続ける、リナさんの背後。

 本来の、仕事だ。

 男が現れた。爪が、リナさんのうなじへ伸びた。

 その爪の先に、藍色の背中があった。

 いつ、そこへ移ったのか。僕の目でも、追えなかった。三日月さんは、リナさんと男の間に立っていた。太刀の柄に、手を添えて。

 その瞬間、空気が変わった。

 森のざわめきが遠のく。風が止まる。いつものんびりと細められていた目が、すっと開かれた。

 三日月の浮かぶ瞳が、冴え冴えと光っていた。

 夜空の月が、冬の夜に一番鋭く見えるときのように。冷たく、遠く、触れれば切れそうなほど澄んでいた。

「三度で、道は覚えた」

 声さえ、別人のようだった。

 鞘走りの音を、僕は聞かなかった。

 気づいたときには、三日月さんは男の背後に立っていた。太刀は、もう振り抜かれていた。刀身に、木漏れ日がひとすじ流れて消えた。

 一拍遅れて、男の体が斜めにずれた。

 物質の側だけでは、なかった。精神世界の側で、男の本体――黒く凝った塊が、同じ角度で、すっぱりと断たれていた。断ち口が、白く焼けていた。月の光を、そのまま刃にしたような色だった。

「な……」

 男の顔に、初めて驚愕が浮かんだ。

「馬鹿な……」

 言葉は、最後まで続かなかった。男の体は、黒い塵になって崩れ、風に散った。

 三日月さんは、太刀を一度だけ払った。そして、音もなく鞘に納めた。

 

     *

 

 親玉を失ったレッサー・デーモンたちは、総崩れになった。残りはリナさんたちがあっという間に片付けて、森に静けさが戻った。

 誰も、すぐには口を開かなかった。

「……ねえ、三日月」

 最初に声を出したのは、リナさんだった。

「今の、何? 魔力、込めてなかったわよね」

「うむ。込めていないな」

「じゃあ、何で魔族が斬れるのよ」

「さてな。斬れると思ったから、斬ったまでだ」

 三日月さんは、もういつもの顔に戻っていた。目を細め、袖をゆらりと揺らして、穏やかに笑っている。

 さっきの冴えた月は、どこにもなかった。

「斬れると思ったからって……そんな無茶苦茶な理屈があるか」

 ゼルガディスさんが、呆れたように額を押さえた。

 リナさんが、腕を組んで、三日月さんの太刀を睨んだ。

「……ま、異界から来たんだもんね。あたしたちの世界の決まりごとが、そのまま当てはまるとは限らない、か」

「納得はいかんがな」

 ゼルガディスさんが、鼻を鳴らした。

「すごかったです! まるで別人みたいでした!」

 アメリアさんが、目を輝かせて駆け寄る。

「お、おう。おじいちゃん、強かったんだなあ」

 ガウリイさんが、感心したように頷いた。

「はっはっは。年寄りを褒めても、何も出んぞ」

 いつも通りのやり取りが、また始まった。リナさんが「普段からあれくらいしゃきっとしてなさいよ!」と叫び、三日月さんが「それは難しいな」と笑う。

 僕は、その輪の少し外に立っていた。

 動けなかった。

 目に焼きついて、離れなかったのだ。あの一太刀が。冴えた月のような瞳が。木漏れ日を受けて流れた、刀身の光が。

 美しかった。

 画面の中でなら、何度も見た。出陣して、敵を斬る、ほんの数秒の動き。けれど、本物は、比べものにならなかった。魔族として生きたこの千年、美しいと思ったものなど、一つもなかった気がする。それなのに、あの一瞬だけは、ただ見惚れていた。息をするのも忘れて。魔族に、息など必要ないのに。

 ――あれは、神の刃だ。

 末席とはいえ、神の名を持つもの。

 あの刃は、僕のようなものを斬るためにある。

 画面の向こうにいた頃より、ずっと近くにいるのに。手を伸ばしても届かない。届いてはいけない人なのだと、思い知った。

「ゼロス」

 名前を呼ばれて、我に返った。

 三日月さんが、こちらを見ていた。いつもの穏やかな目だった。

「怪我はないか」

「……ええ。僕は後ろで震えていただけですから」

「そうか。それならよい」

 三日月さんは、小さく頷いた。それ以上は何も言わず、また皆の方へ向き直る。

 その袖口に、ほんの小さな裂け目があることに、僕は気づいた。

 男が消える直前、苦し紛れに放った一撃が、かすめていたのだろう。三日月さん本人は、気にも留めていないようだった。

 僕も、何も言わなかった。言えなかった、の方が正しいかもしれない。

 

     *

 

 その夜、焚き火を囲みながら、リナさんが言った。

「ガーヴの奴、本気であたしを狙ってきてるわね」

 炎が、リナさんの横顔を赤く照らしていた。

「このままじゃ、いつかやられる。魔族に対抗する手段が要るわ。もっと確実なやつが」

 皆が黙り込む。ガウリイさんでさえ、真面目な顔で焚き火を見つめていた。

 僕は、知っている。

 この先に、何があるのか。どこへ行けば、リナさんの求めるものがあるのか。そこで誰が待っていて、何が起きるのか。

『頃合いを見て、カタートへ連れておいで』

 数日前、冥界から届いた声だった。それきり、理由も、その先の指示もなかった。

 筋書きの上でも、ここで僕が口を開く。命令と筋書きが、同じ方を向いていた。

「でしたら」

 僕は、いつもの笑顔で言った。

「カタート山脈に、心当たりがありますよ」

 焚き火の向こうで、三日月さんが静かにこちらを見ていた。

 僕は、今度は目を逸らさなかった。逸らさないように、笑顔の仮面を、強く被り直した。

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