獣神官ゼロスに転生した元とうらぶプレイヤーですが、なぜか三日月宗近が落ちてきました【第一章】 作:半熟ハラミ丼
雲を抜けると、空が金色に光っていた。
竜だった。
巨大な翼が、陽光を弾いてきらめいている。一頭、二頭、数えきれないほどの黄金竜が、峰と峰の間をゆったりと旋回していた。
「うわあ……」
アメリアさんが、口を開けたまま空を見上げた。
「すげえなあ。でっかいトカゲがいっぱいだ」
「ガウリイ、あんたそれ、本人たちの前で絶対言うんじゃないわよ」
リナさんが、小声で釘を刺した。
竜たちの峰(ドラゴンズ・ピーク)。黄金竜の一族が住まう、カタート山脈の奥地。
人間が足を踏み入れることなど、まずない場所だ。旋回する竜たちの目が、一斉にこちらを向いているのが分かった。歓迎の色はない。侵入者を値踏みする、冷たい警戒の目だった。
「……あんまり、歓迎されてないみたいね」
「そりゃそうだろう。こっちは招かれざる客だ」
ゼルガディスさんが、剣の柄に手をかけたまま呟いた。
道案内の子供は、リナさんの後ろに隠れるようにして空を見上げていた。怯えた子供の顔だった。完璧な演技だった。
そのとき、一頭の竜が群れを離れた。
ひときわ大きな体躯。陽光を受けて燃えるような黄金の鱗。それが、まっすぐこちらへ降りてくる。
風圧で、砂利が舞い上がった。
竜は、僕たちから少し離れた岩場に降り立った。そして、その巨体が光に包まれ、みるみる縮んでいく。
光が消えたとき、そこに立っていたのは一人の男だった。
金色の髪を後ろに流した、彫りの深い顔立ちの壮年の男。長衣の袖から覗く右手が、ほんのわずかに硬質な光を返していた。
「人間たちよ」
低く、よく通る声だった。
「ここは我ら黄金竜の住処だ。人の来る場所ではない。早々に立ち去るがよい」
有無を言わせぬ口調だった。リナさんが一歩前に出かけて、言葉を探すように口を開く。
その前に、僕が前へ出た。
筋書き通りに。
「お久しぶりですね、ミルガズィアさん」
男の目が、僕を捉えた。
一瞬で、その顔から表情が消えた。
「……お前は」
声が、低く沈んだ。
「ゼロス」
空気が凍りついた。
上空を旋回していた竜たちが、一斉に動きを止めたのが分かった。何十という黄金の瞳が、僕一人に注がれる。敵意と、それを上回るほどの恐怖を込めて。
「降魔戦争以来だな」
ミルガズィアさんの声は、静かだった。静かすぎて、その下にあるものがかえってよく見えた。
「何をしに来た」
僕は、いつもの笑顔を崩さなかった。
千年前。この竜たちの同胞を、僕は滅ぼしかけた。数千の黄金竜を屠り、空を血で染めた。この人は、その生き残りだ。
そのことを、僕は何も感じずに思い出せるはずだった。
なのに今、背中に視線を感じていた。
三日月さんが、見ている。
「大したことではありませんよ」
僕は、明るい声で言った。
「こちらのリナ=インバースさんに、あなた方が守っている異界黙示録(クレアバイブル)を見せてあげてほしいんです」
「断る、と言ったら?」
「そうですねえ」
僕は、小首を傾げた。
「説得以外の方法を、考えることになりますね」
穏やかに。にこやかに。いつも通りに。
ミルガズィアさんの右手が、ぎしりと鳴った。
長い沈黙があった。上空の竜たちの羽ばたきだけが、遠くで聞こえていた。
「……いいだろう」
やがて、ミルガズィアさんが言った。苦いものを噛み潰したような声だった。
「人間たちよ、ついて来い。案内しよう」
それだけ言って、ミルガズィアさんは背を向けた。
僕は、笑顔のまま一礼した。
背中の視線は、まだそこにあった。振り返る勇気は、なかった。
*
岩場の道を、ミルガズィアさんに続いて歩いた。
しばらくは、誰も口を開かなかった。ミルガズィアさんの背中が、言葉を拒んでいた。
沈黙を破ったのは、ミルガズィアさんの方だった。
「人間の魔導士よ。一つ聞きたい」
振り返らずに、ミルガズィアさんは言った。
「なぜ、魔族と行動を共にしている」
――ああ、ここか。
僕は、心の中で目を閉じた。
「え?」
アメリアさんが、きょとんとした声を上げた。
「魔族って……誰のことですか?」
「そこの神官だ」
ミルガズィアさんは、振り返りもせずに言った。
「獣王ゼラス=メタリオムの腹心、獣神官ゼロス。千年前、我が同胞を滅ぼしかけた魔族だ」
「ええええええええええ!?」
アメリアさんの絶叫が、峰々にこだました。
「ゼ、ゼロスさんが、魔族!? 嘘ですよね!? だってゼロスさん、神官って!」
「神官ですよ。獣神官、ですけど」
「そういう問題じゃありません!!」
「……獣神官、だと」
ゼルガディスさんが、足を止めていた。その顔から、血の気が引いている。
「魔族の中でも、腹心に次ぐ高位の存在じゃないか。そんなものが、ずっと俺たちと……」
「いやあ、隠していたつもりはないんですけどね。聞かれませんでしたし」
「普通、聞かんだろう!!」
ゼルガディスさんの怒鳴り声を、僕はへらへらと受け流した。
リナさんは、驚かなかった。
「……やっぱりね」
腕を組んで、溜め息をついただけだった。
「リナさん、知ってたんですか!?」
「薄々ね。人間じゃないんじゃないかってぐらいは。……でも、まさか獣王の神官だなんて。そこまでの大物だとは、思ってなかったわよ」
「俺も、なんとなくそうかなって思ってた」
ガウリイさんが、頭を掻きながら言った。
「ガウリイさんまで!?」
「いや、なんかこう、ゼロスって、においが違うっていうか」
「においって何ですか、においって!」
アメリアさんが頭を抱える。いつもの騒がしさが、少しだけ戻ってきた。
僕は、笑っていた。笑いながら、意識の大半は別のところにあった。
三日月さんだ。
覚悟はしていた。いつか正体は明かされる。筋書きにそう書いてあったし、それ自体はどうということもない。リナさんたちに魔族だと知られても、僕の仕事には何の支障もない。
けれど、あの人は。
付喪神。末席とはいえ、神の側に属するもの。魔族を斬るための刃を持つ人。
――いや。それだけじゃない。
画面の向こうで、毎日のように眺めていた刀だ。前の私が、好きだった刀だ。
その三日月宗近に、嫌われたくなかった。
その人が、僕が魔族だと知ったら。千年前に竜を屠った者だと知ったら。そのことに、何一つ痛みを感じてこなかった者だと知ったら。どんな顔をするのだろう。
軽蔑だろうか。嫌悪だろうか。それとも、あの冴えた月のような目で、斬るべきものを見る目で、僕を見るのだろうか。
振り返って確かめたかった。けれど、怖くて、できなかった。
リナさんの陰で、道案内の子供が僕を見ていた。大きな目を、楽しそうに細めて。
あからさまに三日月さんの顔色を窺えば、あの方はきっと気づく。僕があの人を気にしていることに。それは、まずい。あの方の玩具を、自分から差し出すようなものだ。
だから僕は、アメリアさんの追及に答えるふりをして、そっと視線を流した。
三日月さんは、最後尾を歩いていた。
いつも通りの顔だった。
「三日月さんは、驚かないんですか!?」
アメリアさんが、すがるように振り返った。
三日月さんは、少し考えるように首を傾げた。
「ふむ。そうか」
それだけだった。
「そうか、って……それだけですか!?」
「うむ。まあ、そうだろうとは思っていたからな」
三日月さんは、のんびりと笑った。
「ゼロスはゼロスだ。それで、何か変わるのか?」
アメリアさんが、ぽかんと口を開けた。
僕は、前を向いた。
表情は、変わっていなかった。あの人の顔には、軽蔑も、嫌悪も、なかった。最初に出会った夜と同じ、底の見えない穏やかさがあるだけだった。
胸の奥で、何かがほどけた。
――嫌われなかった。
たったそれだけのことで、こんなにも力が抜けるのかと、自分で少し驚いた。
前の私の感傷だ。そう分かっていても、ほどけたものは、もう元には戻らなかった。
*
「それで」
ミルガズィアさんが、再び口を開いた。
「答えを聞いていないぞ、人間の魔導士。なぜ、魔族と共にいる」
リナさんは、少しの間黙っていた。
それから、顔を上げた。
「利用されてるのは、分かってるわ」
はっきりとした声だった。
「ゼロスが何を企んでるのかは知らない。でも、あたしたちを何かに使おうとしてるのは確か。それくらい、分かってて一緒にいるのよ」
「ならば、なぜ」
「利用されるだけで終わるつもりはないからよ」
リナさんは、まっすぐにミルガズィアさんの背中を見ていた。
「魔竜王ガーヴに命を狙われてる。魔族の思惑に振り回されてる。このままじゃ、いいように使われて捨てられるだけ。だからこそ、知りたいの。魔族と渡り合える力を。そのために、異界黙示録が必要なのよ」
峰を渡る風が、リナさんの髪を揺らした。
ミルガズィアさんは、足を止めた。
ゆっくりと振り返る。金色の瞳が、リナさんを見つめた。長い、長い時を生きてきた竜の目だった。
「……そうか」
やがて、ミルガズィアさんは小さく頷いた。
「ならば、言っておこう」
静かな声だった。
「我ら黄金竜は、そこの獣神官には太刀打ちできん。降魔戦争で、同胞は滅びかけた。あれから千年が経った今でも、それは変わらん」
ミルガズィアさんの視線が、一瞬だけ僕をかすめた。
「お前たちに何かあっても、我らは庇えん。私は長老として、一族を守る義務がある。異界黙示録をお前に見せるのも、断りきれなかったからにすぎん」
「……正直ね」
「嘘をついても仕方あるまい」
ミルガズィアさんは、再び前を向いた。
「だが、人間の魔導士よ。せめて人として、精一杯足掻くといい」
それだけ言って、ミルガズィアさんは歩き出した。
リナさんは、少しの間その背中を見つめていた。それから、ふっと笑った。
「言われなくても、そのつもりよ」
*
一行は、再び歩き出した。
竜たちの峰の奥へ。異界黙示録の眠る場所へ。
僕は、いつものように一行の後ろを歩いた。笑顔を顔に貼りつけて、何事もなかったかのように。
人として、精一杯足掻くといい。
ミルガズィアさんの言葉が、耳に残っていた。
僕に向けられた言葉ではない。分かっている。それなのに、なぜか胸の奥に引っかかって、抜けなかった。
人として。
前の私なら、その言葉をまっすぐに受け取れたのだろうか。
振り返ると、三日月さんと目が合った。
今度は、逸らす前に、あの人の方が先に微笑んだ。
何も言わずに。ただ、いつものように。