獣神官ゼロスに転生した元とうらぶプレイヤーですが、なぜか三日月宗近が落ちてきました【第一章】 作:半熟ハラミ丼
峰の奥深く、切り立った岩壁に、その洞窟は口を開けていた。
中は、ひんやりと静かだった。外の風の音が嘘のように遠のき、自分たちの足音だけが岩肌に反響する。
奥へ進むほど、空気が変わっていった。澄んで、重く、どこか張りつめている。人間の皆さんにも分かるのだろう。誰も、無駄口を叩かなかった。ガウリイさんでさえ、黙って歩いていた。
やがて、ミルガズィアさんが足を止めた。
行き止まりだった。正面の岩壁に、淡い光が揺らめいている。目を凝らすと、それは岩そのものではなかった。空間が、水面のように波打っているのだ。
「この先が、異界黙示録の在る場所だ」
ミルガズィアさんが言った。
「ここから先は、我ら黄金竜にとっても神聖な場だ。案内するのは、人間の魔導士、お前一人とする」
「えっ、あたしだけ?」
「そうだ」
「待て」
声を上げたのは、ゼルガディスさんだった。
「俺も異界黙示録に用がある。この体を元に戻す方法を、ずっと探してきたんだ。ここまで来て、門前払いはないだろう」
ミルガズィアさんは、ゼルガディスさんを一瞥した。
「そこの獣神官の頼みは、その魔導士に異界黙示録を見せることだった。それ以上を聞く義理はない」
「なっ……」
「これでも譲歩しているのだ。不満なら、帰るがいい」
取りつく島もなかった。ゼルガディスさんは歯噛みして、それ以上は何も言わなかった。言えなかった、のだろう。この竜が引いた一線を越えれば、何もかもが台無しになる。
さて。
ここで、僕の出番だ。
「では、僕も同行させていただきましょうか」
ミルガズィアさんの眉が、ぴくりと動いた。
「……何だと」
「いやあ、一応これも仕事でしてね。リナさんが異界黙示録をご覧になるところを、最後まで見届けるようにと言われているんですよ」
嘘ではない。冥王様のご命令は、リナさんを都合のいい方へ転がすこと。その要が、この先にある。
「それに、ほら。魔竜王ガーヴがリナさんの命を狙っているでしょう? こんな奥まで来られるとは思いませんけど、念のための護衛ということで」
「貴様が、護衛だと」
ミルガズィアさんの顔に、隠しようのない嫌悪が浮かんだ。
神聖な場に、魔族を入れる。しかも、千年前に同胞を屠った張本人を。長老として、竜として、これ以上の屈辱はないだろう。
僕は、にこにこと笑って待った。
断れないことは、お互いに分かっていた。
「……好きにしろ」
やがて、ミルガズィアさんが吐き捨てるように言った。
「ただし、余計なことをすれば、たとえ敵わずとも、この身を賭して止める」
「肝に銘じておきます」
僕は、恭しく一礼した。
*
「リナさん! お土産、お願いしますね!」
扉の前で、アメリアさんが元気よく手を振った。
「お土産って何よ。観光じゃないのよ」
「異界黙示録の切れ端とか!」
「持って帰れるわけないでしょ!」
「おーい、リナー。俺にも何か頼むぞー。食えるやつ」
「あるわけないでしょうが!!」
ガウリイさんとアメリアさんの呑気な声に、リナさんが叫び返す。ゼルガディスさんは壁にもたれて腕を組み、そっぽを向いていた。それでも、口の端がわずかに緩んでいた。
張りつめていた空気が、少しほどけた。
「リナ」
三日月さんが、声をかけた。
「気をつけてな」
「……ええ。ありがと」
リナさんが、少し照れくさそうに頷いた。
三日月さんの目が、それからゆっくりと僕に移った。
「ゼロスも」
「……僕も、ですか」
「うむ。気をつけてな」
いつもの穏やかな声だった。
魔族だと知られたあとで、それでも、何も変わらない声だった。
「……ええ。行ってきます」
それだけ返すのが、精一杯だった。
*
ミルガズィアさんが、光の揺らめく岩壁の前に立った。何かを唱えると、波紋が大きく広がり、向こう側へと続く道が開いた。
「行くぞ」
ミルガズィアさんが、光の中へ踏み込んだ。リナさんが、一度だけ皆を振り返って、それに続いた。
僕も、足を踏み出しかけた。
そのとき、視線を感じた。
洞窟の隅。アメリアさんの陰に隠れるようにして、道案内の子供が立っていた。
何も言わなかった。笑ってもいなかった。ただ、大きな目でじっと僕を見ていた。
――ちゃんと、やってね。
声には出ていない。頭の中に響いたわけでもない。それでも、はっきりと分かった。あの目は、命令していた。
僕は、小さく頭を下げた。誰にも気づかれない程度に。
子供の目が、満足そうに細くなった。
それから、その目がすっと横へ流れた。
三日月さんの方へ。
心臓のない胸の奥が、ひやりと冷えた。
三日月さんは、扉の方を見ていた。リナさんと僕を見送るように、穏やかな顔で。子供の視線に気づいているのかいないのか、その横顔からは何も読み取れなかった。
大丈夫だ、と僕は自分に言い聞かせた。
冥王様は今、正体を隠している。ただの道案内の子供として、ここにいる。リナさんたちの目の前で、表立って何かをするはずがない。それは筋書きの上でもそうだった。
大丈夫なはずだ。
それなのに、足が重かった。
あの方と、あの人を、同じ場所に残していく。たったそれだけのことが、どうしてこんなに落ち着かないのだろう。
「ゼロス、何してるの! 置いてくわよ!」
光の向こうから、リナさんの声がした。
「……はいはい、今行きますよ」
僕は、いつもの笑顔を作り直した。
振り返らないように、光の中へ踏み込んだ。
振り返ってしまえば、あの子供に気づかれる。僕が何を気にしているのかを。
背後で、波紋が静かに閉じていく気配がした。
最後に聞こえたのは、アメリアさんの「いってらっしゃーい!」という明るい声と、ガウリイさんの腹の虫の音だった。
その中に、子供の笑い声が混じっていなかったことだけが、せめてもの救いだった。