獣神官ゼロスに転生した元とうらぶプレイヤーですが、なぜか三日月宗近が落ちてきました【第一章】   作:半熟ハラミ丼

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第九話 上の空

 扉の向こうは、上も下もない場所だった。

 足元に道がある。淡く光る、細い一本の道だ。その両側には、何もなかった。闇とも霧ともつかない灰色が、どこまでも果てしなく広がっている。見上げても、見下ろしても、同じ灰色があるだけだった。

「……何よ、ここ」

 リナさんが、思わず足を止めた。

「亜空間だ」

 先を行くミルガズィアさんが、振り返らずに答えた。

「異界黙示録は、通常の空間には存在しない。この道は、そこへ至るために我らが維持しているものだ」

「へえ……」

「一つ、言っておく」

 ミルガズィアさんの声が、低くなった。

「決して、私から離れるな。ここで逸れれば、二度と合流はできん」

 リナさんの顔が、わずかに強張った。

「二度とって……大げさじゃない?」

「大げさではない。私とて、知っているのは行きと帰りの道だけだ。それ以外の場所がどうなっているのか、どこへ通じているのか、誰も知らん。一歩踏み外せば、それきりだ」

 ミルガズィアさんは、ちらりと僕を見た。

「……もっとも、そこの獣神官なら、そんなこともないのかもしれんがな」

 含みのある言い方だった。

 リナさんが、じとっとした目で僕を見る。

「そうなの?」

 僕は、答えなかった。

 聞こえていなかったのだ。

 

     *

 

 三日月さんは、今どうしているだろう。

 扉の向こうに残してきた、あの洞窟。アメリアさんがいて、ガウリイさんがいて、ゼルガディスさんがいる。そして、道案内の子供がいる。

 冥王様は、何かしていないだろうか。

 表立っては動かないはずだ。それは分かっている。けれど、あのお方の「表立って」の範囲が、どこまでなのか。

 退屈しのぎに、少し話しかけるくらいなら。少しからかうくらいなら。少し、試してみるくらいなら。

 あの人は、気づいている。気づいていて、それでも穏やかに笑っている。冥王様の目の前で、子供の手から太刀を遠ざけてみせた人だ。

 もし、あのお方がそれを面白がって、もう一歩踏み込んだら。

 もし、あの人がそれに、あの冴えた月の目で応えてしまったら。

 ――そうなったら、僕はどうするつもりなのだろう。

「ゼロス」

 止められるわけがない。それは分かっている。分かっているのに、さっきから同じところをぐるぐると回っている。

「ゼロスってば」

「……はい?」

 顔を上げると、リナさんが腰に手を当てて僕を睨んでいた。

「はい、じゃないわよ。さっきから何回呼んだと思ってんの」

「おや、呼ばれてましたか」

「呼んでたわよ! ミルガズィアさんの話も聞いてなかったでしょ、あんた」

「いやあ、聞いていましたよ。逸れたら二度と会えない、でしたっけ」

「その後よ!」

 リナさんは、大きく溜め息をついた。

「護衛だなんだって偉そうに言ってたくせに、さっきからずーっとぼーっとして。あんたらしくないわよ。何考えてんの?」

「ひどいなあ。僕だって、こう見えて色々と考えることがあって忙しいんですよ」

「その色々が胡散臭いって言ってんの」

「それは秘密です」

「出たわね、それ」

 リナさんは、呆れたように肩をすくめた。それ以上は追及せず、またミルガズィアさんの背中を追って歩き出す。

 ミルガズィアさんは、黙って前を見ていた。けれど、その背中が、どこか怪訝そうに見えた。

 

     *

 

 僕は、二人から半歩遅れて歩いた。

 らしくない。

 リナさんの言葉が、耳に残っていた。

 その通りだった。仕事の最中に、上の空になる。これまで、一度もなかったことだ。命令を受ければ、それだけを考えた。余計なことは考えなかった。考える必要がなかった。

 それが今は、ここにいない人のことばかり考えている。

 ――どうして、こんなに気になるのだろう。

 前の私が、知っている人だから。画面の向こうで毎日眺めていた刀だから。その感傷に、引きずられているだけだ。冥界での報告のあと、そう結論づけたはずだった。

 けれど、感傷にしては、少し度が過ぎている。

 このままでは、まずい。

 仕事に支障が出る。冥王様のご命令は、リナさんを導くこと。今まさに、その要のところにいる。ここでしくじれば、筋書きそのものが狂う。それは、あの人にとっても良くないはずだ。

 魔族として、獣神官として、もっと割り切らなければ。あの人は、たまたまこの世界に迷い込んできた異物にすぎない。監視対象の一人にすぎない。

 そう、言い聞かせた。

 言い聞かせて、背筋を伸ばして、笑顔を作り直した。

 それなのに。

 胸の奥の、ざわざわとした落ち着かなさは、少しも消えてくれなかった。

 この先、リナさんたちが、冥王様にどこまで追い詰められるのかも、僕は知っている。

 それについては、何も感じなかった。書かれていることだからだ。

 なのに。

 今この瞬間も、扉の向こうで、あの人が何をしているのか。あの子供の目が、どこを見ているのか。それを思うだけで、足取りが重くなる。

 考えるのをやめよう、と思った。いつもそうしてきたように。

 けれど今度ばかりは、うまくいかなかった。

 

     *

 

「着いたぞ」

 ミルガズィアさんの声で、我に返った。

 光の道が、途切れていた。

 その先に、空間が開けていた。

 灰色の果てしない虚無の中に、そこだけぽっかりと、静かな光が満ちている。澄んだ水の底を覗き込んだときのような、冷たく、深く、どこまでも透き通った光だった。

 空気が違った。重いのに、澄んでいる。古いのに、今も息づいている。何かとてつもなく大きなものが、ここで長い長い眠りについている。そんな気配がした。

 リナさんが、息を呑む音が聞こえた。

「……ここが」

「そうだ」

 ミルガズィアさんが、静かに頷いた。

「ここに、異界黙示録が在る」

 筋書き通りの場所だった。

 僕が何度も頁の上で読んだ、物語の要。リナさんが真実に触れ、この先のすべてが動き出す場所。

 僕は、ここで仕事をしなければならない。

 分かっている。

 分かっているのに、僕の意識の片隅は、まだ扉の向こうに置き去りにされたままだった。

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