祥子と雛を乗せたフェアレディは、華麗に幽雅に、首都高へ向け走り出す。
「昔と違ってね、今はいい時代なのよ。チューニングも」
首都高に向かう道半ばでの雑談。
「街中でも快適に走れて、身を削るようなチューニングをしなくても速さが得られる……」
そう言われ、祥子は雛のBNR32スカイラインを思い出す。
走る為だけに最適化を重ねられた車体。快適性を捨てたコクピット。ずらりと並ぶメーターとデジタルデバイス。
そして、ひとたび、アクセルを開けば、大気を揺らすような轟音とシートに縫い付けられる加速G。恐怖すら感じるような、魔に魅入られるような非現実の感覚。
「ええ……。このクルマは確かに音はわたくしのクルマよりうるさくもありますが、確かに鍵山さんのクルマに比べると快適性はあるように感じます」
街中を走る分には、引き締めた足回りの硬さはあれども、扱いやすさがある。低回転でも強大なパワーにありがちな力のなさはなく、ダイレクトに操作に反応するペダルや、ステアリング。普段乗っている、レクサスとは違い、変速時のショックは僅かにあれど、スムースに繋がる変速時。
これが地上を駆ける戦闘機のような獰猛さを持っているようにはにわかに信じ難かった。
「……チューニング、とは調律を意味する言葉ではありませんの?」
自身の音楽知識に重なる単語を祥子は自らの脳内から引き出す。
「ええ、そうよ。チューニングとは、調律。私のような存在はチューナーって言うの。メーカーの設計思想を読み取りながら、お客さんが求めるモノへ、調律していくの……。クルマはパワーだけ有っても速くは走らないわ。エンジンや足周り、ブレーキ。ボディの強さ、空力ーー。それらが有って初めて、立派な舞台装置になるの」
チューナー、調律師。
音楽に重なる概念が自動車にもある事に祥子は少しの親近感を覚える。チューニング。
「でも、昔はパワーが正義、みたいなトコロあってね。公道300km/hを真剣に追いかけてきた時代があったの。それが、技術力の証明だったし、ま、今ほど綺麗な時代じゃなかったから。それに純正状態でハイパワーなクルマがとても少なかったし」
レクサスLF-AやニッサンGT-Rが市販される前の日本車は自主規制といい、280馬力、もしくは64馬力に敢えて出力を抑えて製造される事が多かった。それでも、RB26DETTや2JZ-GTE、13B-REWを始めとするパワーユニットが大量に出回ったのも事実であり。
当時のチューナーや、当時のアフターパーツメーカーはこぞって、自主規制のその先を熱狂の最中で目指していたのだ。
そして、それに耐えうるノウハウや手法、何よりも自動車メーカーのコスト度外視の設計や仕様がそれを支えた。チューニングカーは紛れもなく文化だったのだ。
今でこそ、ヤリスGRのような車両が市販されるようになり、チューニング文化は未だに続いているが、門戸の広さは間違いなく昔のほうが広かった。
「そんな時代が、かつてあったのですね」
祥子には伺い知ることのない熱狂。最も、令嬢として生まれ育った自身が何故、このような戯れに興じているのか、自身でもわからなかったし、縁することの無い世界な気がする。水先案内人が同性で良かったとも感じる。
「でも、ね。いつの時代も、きっと魅せられる人がいる事には変わりないわ。貴方のように」
雛の表情を祥子から伺い知る事は出来なかったが、それでも、何か入り口に立つような感覚が祥子には感じ取れた。
しばらくぶりの首都高。
レクサスよりも、アイポイントの低いフェアレディZは、祥子の見慣れた風景を変える彩りの役目を果たした。
ETCゲートを潜り抜け、まずは100km/hレンジで、C1内回りをぐるりと一周する。水先案内人の指示に従い、感覚の違いを埋めていくために。
見慣れた都心環状線のハズなのに、随分違うものように感じる。礼儀正しく、ウインカーで一般車をパスし、交通の流れを思い出していく。
雛は何も言わずに、同乗したままだ。
今、豊川祥子は新しいピアノと接するような感覚で集中して、車両との対話を試みている。
チューナー、鍵山雛の懸念点はトランスミッションの強度と容量にあったが、試走時を振り返ると耐えそうな感覚はある。ECU書き換え時に、エンジンとミッションのやり取りする信号にも、レミリアが補正を入れてくれていた。
私のドライビングに音を上げなかったのなら、きっと耐えるはず。万一、壊れても、面倒は私が見てあげられる。それよりも、祥子がこの戦闘機をどれだけモノにするのか。
何か、覚悟を決めたのか。
祥子はアクセルペダルを踏み込み、ブーストを立ち上げる。
強烈な加速Gが二人を襲う。
貴婦人が、鋼鉄の戦闘機へと変貌し、矢のように駆け出す。
下りの赤坂ストレートで速度を乗せた車体をブレーキでコントロールし、谷町JCTをそのまま一ノ橋JCTへ。
高速道路とは思えない、曲率のコーナーへフェアレディZが飛び込み、綺麗にまとめ上げ、そして芝公園方面へ立ち上げてく。
祥子のドライビングに、パドルシフトが強力なアシストをもたらし、華を添える。
一般車をパスし、芝公園付近の複合コーナーをリズミカルに駆ける。そのスピードレンジは明らかに100km/h以上の世界だ。
複合コーナーを抜け、浜崎橋分岐手間。
200km/hに迫ろうかと言うスピードから、フルブレーキ。強烈な減速Gを受けつつも、ステアリングにフロント荷重を乗せきり、コーナーをパスする。
ああ、どんどん、魅入られていく。
底なしの沼に這い込んだようなーー。
それでも、手触りのある実感が、祥子を熱くさせる。
汐留方面へ、踏みちぎろうかと思った時。
「はい、ストップ。速度を落として」
雛が減速指示を出す。
祥子もそれに応じて、ブレーキペダルを踏み込み、制限速度域まで速度を落とす。
「何故、止めるのです……」
しばしの没頭から同乗者に引き戻された祥子が問う。
「確かに、ドライビングセンスはすごくあるわ。レクサスでキレた走りをしていたからってのもあるけど……メーターとか、見てる?」
「メーター……何故でしょう?」
「壊さないためのお守りなの。メーターって。特に、祥子ちゃんが運転してるこのクルマくらいになると、メーターから得られる情報がとても大切でね」
そうは言いつつも、祥子のキレた走りに生き急いでる感覚を感じ取った雛の判断もある。
棺桶にしないように、少しレッスンが必要かも。と。
それに、いくら強化、対策したとはいえ、計器でインフォメーションを把握した上で走って欲しくもあった。
「鍵山さんは、常に、メーターまで目配りして、走ってますの?」
祥子からすれば、強烈な力をねじ伏せて、思い出したラインをなぞり、一般車をパスするだけでも精一杯なのだ。もっとも、何か、が、無ければ納車初日から身を捩るように走らせる祥子も祥子だが。
「常に、だったら逆に危ないわ。それでも、把握できるようになって欲しいの。ま、一ファンのわがままに付き合ってくれたら、嬉しいな〜、なんてね」
人懐っこい笑顔で祥子をリラックスさせようとする雛。
秘密の逢引きの日々が始まるのだった。