祥子がフェアレディZを手に入れる少し前に時は遡る。
「三角さん。たまには一緒に帰りませんか?」
八幡海鈴の思いがけない提案に、三角初華は頷く。
「海鈴ちゃん、ありがとう。いつもタクシーだから新鮮かなって」
助手席に座る初華は笑みを浮かべて、呟く。
「いえ。今日も色々遅くなってしまいましたし……誰かをたまには送り届けてみたかったんです」
満更でもない表情を浮かべ、海鈴はボールを返した。
「……そういえばね。さきちゃん、最近帰りが遅くて。何してるんだろう、って心配になるんだ」
どこか不安げな初華の口調。ステージ上の雰囲気と違い、三角初華はとても人当たりの良いタイプなのだ。そんな彼女は同居人の帰りが遅い事を良く口にしていた。
「さきちゃん、いつも根詰めてるから。健康に良くない!って言ってあげなきゃ、って」
そう言うと、おどけた様子で両手の指でバツを作る初華。
「……ああ、丁度いいです。三角さん、少し時間あります?」
海鈴は妖しく笑う。
「うん。良いけど、寄り道するの?」
初華の記憶が正しければ、二人を乗せたクルマは首都高方面へ向かっている気がした。
「海鈴ちゃん……首都高、行くの?私の家、首都高乗らなくても帰れるよ」
「大丈夫です。三角さん。私、運転上手いですし、豊川さんの秘密、教えてあげますから」
「さきちゃんの秘密……?」
それが首都高にどうして関係あるのだろうか。初華からすれば理解に苦しむ話だった。
初華と海鈴を乗せたクルマは首都高へ合流し、湾岸線方面へとクルージングしていた。
「最近は、豊川さん見かけませんが、こうして夜な夜な首都高を意味もなく、走り回ってるんですよ」
湾岸線へと合流し、普段の海鈴の走りからは考えられないほど、クルージングのようにナイトドライブを続ける。
「意味もなく……?さきちゃんも?」
「ええ。ま、私もそうなんですけどね。今は三角さんを乗せているからセーブしてますが……」
セーブ?初華がちらりと海鈴の方を見ると、メーターは100km/h程度を指している。
「え〜っと。それって、これよりもまだまだ速いスピードで走り回ってるの?」
100km/hだって、十分普段クルマを運転しない初華からしたら速いものに感じられる。免許だけは、身分証としての利便性があるから取ってはあるものの、自分から進んで運転する気には初華にはなれなかった。
「そうです。三角さんには信じられないかも知れませんが、走る事で何か分かるような気がするんですよ」
「それを、さきちゃんも、探しているの?」
祥子のことを理解したい初華の欲望が海鈴への質問へと変わる。
「豊川さんが、何を追い求めて走っているか、は私には答えられません」
「海鈴ちゃんも、何かを求めて、これより速く走ってるの?」
「多分、きっとそうかも知れません」
コルベットはレインボーブリッジを緩やかに渡る。普段の海鈴なら、レインボーブリッジは屈指のストレートにしか映らないが、こうしてのんびり走ると、確かに新鮮な気持ちを味わえて、自然に表情が緩むのが分かった。
「そっか……この場所にそんな魅力があるなんて、初めて知ったかな」
誰にも言わず、祥子は一体何を求めて走っているのだろう。重たい感情を傾ける、祥子のことに初華は思いを馳せる。
「寄り道、付き合ってくれてありがとうございました。三角さんをきちんと送り届けますから」
どうにもこうにも、この八幡海鈴という存在に大柄な車体はとても似合っているように、初華は感じた。左ハンドルという初華自身もあまり見たことのない自動車を手慣れたように扱う海鈴の運転に、右側が助手席という慣れない体験にも関わらず、初華は安心感を憶えた。
「ありがと、海鈴ちゃん。また乗せてくれたら嬉しいな、って」
別れ際、三角初華はそう言い残し、二人のドライブは終わりを告げた。
「ま、三角さんの心配事を減らしてあげることもできたのではないでしょうか」
たまには、こんな時間も悪くないな、とポーカーフェイスながら海鈴は満足気に呟くと、帰路へついていく。
まさか、初華まで、この世界に来ることはないだろう。だから、海鈴は教えてあげたつもりだった、のだが。
「さきちゃん……こんな危ない世界で、何を考えてるんだろ」
一人きりの自宅で、海鈴とのドライブ以降、祥子が沼に沈んでいる世界のことを調べ出す日々が始まった。
YouTubeで、ネット記事で。調べればいくらでも情報は出てきた。
ルーレット族、暴走族、湾岸族、C1ランナー。
様々な呼び名はあれど、公道で暴走行為に興じている存在が身近にいる事が初華には到底受けいられるものではなかったが。
それでも、さきちゃんを知りたい。知ってあげたい。私の全てを捧げたい。
ああ、でも、さきちゃんに知られたら、きっと、またさきちゃんに迷惑をかけちゃう、嫌われちゃう。
でも、知りたい。
調べながら、初華は様々なことを思案する。
あの女の子が、どんな気持ちで、走っているんだろうって。
それに、動画で見るクルマの世界は、初華の知っている自動車とは随分違うもののように感じられた。
どれもうるさいし、常識で考えたら迷惑でしかないのに。
不思議と見ているうちに、何かを忘れられそうな感覚がしてくる。
何か、選ばなきゃいけない気がするような。そうでないような。
……気が付けば、初華はチューンドカーを調べ、漁っていた。
グーネットやカーセンサーにもそんな片鱗を残すクルマがちらほら見受けられた。
真っ赤なボディに、黒のホイールやウイングで引き締められた、一台のクルマ。初華はそれに強烈に惹かれた。
所在地は、大阪府ーー。
ちょうど、数日後に仕事で大阪に行く予定があったはず。
見積もり無料に誘われて、初華は問い合わせを飛ばすのだったーー。
さきちゃんが、海鈴ちゃんが、何にそこまで首都高に惹かれて走っているのか、私も知りたい。
ただ、それだけがきっかけだった。