その彼女の執着がモンスターを引き寄せるーー。
初華の購入したMR2は、油脂類も入れ替えられ整備、点検も済み。シャーシダイナモによる、出力テストを迎えた。
「いやあ、このクルマが出ていくなんてな。珍しくパチュリーさんも同席してますし」
「ええ……。ちょっとしたリプロもしなければならないわ。それにしてもこの子が目覚めるのも数年ぶりね」
動かない大図書館と呼ばれた少女、パチュリー・ノーレッジも見守るようにして作業風景を見つめていた。
MR2は駆動軸に大型の測定機が取り付けられ、出力テストを今かと待つのみになる。車両前方、後方に大型の送風ダクトが設置され、準備をしていたスタッフの合図とともに、3S-GTEの目覚めを告げるスターターモータ音が響き、爆音をピット内に響かせる。
その爆音にもパチュリーは怖気付く事も、取り乱す事もなく冷静に食い入るように見つめていた。
MR2は目覚めの後、しばしの暖気運転の時間が取られ、チーフメカニック含む数人のスタッフが測定前の最終チェック及び打ち合わせを済ませる。
ドライビングシートに座るスタッフも緊張を隠せない。
「水温、油温、適温です!」
一人の掛け声が、測定の開始を告げる。アクセルペダルを踏み込まれたMR2は爆音を撒き散らしながら、測定条件へと向かい、測定器を回し続ける。
シャーシダイナモのモニターをパチュリーは見つめ、パワー、トルクの立ち上がりを確認する。補正値抜きでの測定結果は402馬力、トルクは約47kgf•m。
「……上出来ね」
動態保存と言えども、展示されていた数年のタイムラグ明けで当時の記録に近しい出力を見せつけたマシンをパチュリーは褒め称える。
同席したメカニックたちからしても、パチュリーの言葉は嬉しいもので。レミリアの力を借りず自分たちで作り上げたマシンにECUチューニングの魔女から太鼓判を押して貰える。当時、お蔵入りにはなったもののそれでも製造者冥利に尽きるものだった。
「さて……みんな確かに良い仕事はしてくれたけど。この出力は封印させてもらうわ」
パチュリーのセリフにその場に居たスタッフたちに異論は誰も唱えない。
「出力を落とすわ。今から、これをセッティングするから手伝ってくれるかしら」
初華のMR2の為のサービスとも言える作業が始まるーー。
確かにこのMR2はお蔵入りさせるにはあまりにももったいない。レミィが関わらずとも非公認ながら筑波1分切りを果たすだけの完成度はある。内製スタッフの技術力の高さを思い知らせるだけのマシンだ。
それでも、どうしてか、リヤがブレイクしやすい危ない特性だけは抑え込めなかった。一度滑り始めると、立て直せる時間が短く、安定性に欠ける。シャーシ設計のハンデはあれども、ここ一発の速さを見せつけた。
それでも、安定した周回が望めないことや、他にもスーパーラップに向いた車両があることから、開発は凍結されたが、非公認とは言えどもSW20での筑波サーキット59秒台は雑誌の取材のタネや広報にも繋がったことは確かだ。
「危なすぎたもんな……」
当時を思い出しながら、出力を落とす為のプログラミングを続けるパチュリーをチーフメカニックの男は見守りながらそう呟く。
ーーそんな出来事があった数日後、なにわ自動車検査登録事務所にて中古新規予備検査をパスしたSW20は初華の待つ、東京へと陸送されていく。
一台のクルマが旅立つまで、様々な人間模様と手続きを経て、ユーザーの元へ届けられるのだ。
ーー納車当日。
わざわざオフにし、初華は首を長くして納車の時を待つことにした。一目惚れで買ったようなものだからこそ、待ち遠しくて仕方なかった。
「あの時、マニュアルで取っておいて良かったなあ〜」
限定解除の為に再び教習所に通わなければいけないと聞き、二度手間を嫌い、初華はMTに挑み特に苦労せず、取得したことを思い出す。
取得後はペーパードライバーではあったものの、なんとなく技能講習の時間は嫌いではなかったな、と。
駐車場も契約したし、確かに出費は増えるけれど。それでも、自分の感覚に導かれて買った相棒を大切にできたらな良いなと。
初華が待ち望んだ、納車の知らせ。
再び、対面する自分名義になった自動車に初華は胸の高鳴りを確かに感じた。
やや長めの納車説明と、鍵を受け取り、納車の済んだキャリアカーが初華の元を去る。契約した駐車場に収まる愛車を眺めたのち、まずは渡された書類の確認をするべく、自宅へと引き返す。
「これが、車検証で、これが自賠責……」
テーブルの上に書類を広げ、添えられたパンフレットに従い、必要書類の確認を進めていく。任意保険の証券も同じタイミングで送ってくれたようだった。
「ん……なんだろ、これ……」
インターネットで調べて、学んだ必要書類以外にももう一つ冊子のような書類を見つけ、手に取って開いてみる。
「この車両は、競技用車両として作られており……えっ、競技用……?」
そこには自身が買った自動車の取り扱いの注意点が並んでいた。自動車のことに詳しくない初華でも伝わるような言葉遣いの冊子。
「そういえば、買う時ほとんど聞いてなかった……」
はやる気持ちと祥子に近づけそうな喜びで、何か言われてたような気がするけれど、あまり聞いた記憶がない。
そんな、初華のためなのか、お店としてのサービスかはわからないが、この冊子に書いてあることを守ったほうが良さそうな気もした。
大阪で買ったのにも関わらず、こちらでメンテナンスの相談を受け付けてくれるお店の連絡先まで同封されている。
「でも、なんか買って良かったな」
気遣いが随所に感じられるサービスにも初華の心が温かくなるのを感じ、一人口に出し、再確認する。車検証名義や保険の契約名義は戸籍と同じ、三角初音(みすみはつね)になっているが、それは致し方ない事だと思い直す事にした。
「そうだ。せっかく買ったんだし、少しくらい乗ってもいいよね……」
コーヒーを飲み干したマグカップをシンクに置くと、初華は再び愛車の待つ駐車場へと向かう。
いざ、愛車を目の前にすると、先程の競技用というワードも相まって、緊張が高まる。
意を決して、運転席へ乗り込む。相変わらず、ロングスカートの足の可動域も相まって運転席に納まるのにもちょっとした苦労を感じる。
運転席に座り、背もたれに体を沿わせて座ると、初華がいつも見ている視界がずいぶん下に来ていることに気付くが、初めてこのクルマに座ったときの安心感は変わらずにある事が初華へ勇気を与えた。
ゴクリ、と生唾を飲み込み、教習所で教わったことを思い出しながら、エンジンを始動する動作を進めてみる。
「クラッチを踏んで……って、硬った……」
左足でクラッチペダルを踏み込んで見るが、記憶の中のクラッチとは重さが違う。なんとか、クラッチペダルを奥まで踏み込み、エンジンを始動するべく、鍵を回す。
「え……こんなにうるさいの!近所迷惑になっちゃうな〜……」
いかに車検対応とはいえ、競技車両らしい音量と質のサウンドに内心、慌てる初華。それでも、走らせてみようとギアを1速に入れ、クラッチを繋ぐと、あのうるさかった音がいきなり消える。
「久々だもんね……」
再始動し、再発進しようと、再度エンジンをかけるも何回かエンストを繰り返す。今度はクラッチペダルを戻す前に、少しだけアクセルを踏んでみようと決めてから、もう一度再始動する。
先ほど、イメージした動作をしてみると、一瞬回転数は跳ねたものの、なんとか走り出すことができた。ステアリングホイールを切って、駐車場の出口へ向かおうとすると、車体の下側からパキパキと音が聞こえてくる。
「壊れてる……のかな」
それでも、さきちゃんを知りたくて買ったクルマなのだから、慣れるしかないと初華は決意を固めた。
「何も知らないで買っちゃったけど。でも、よろしくね」
初華本来の優しさが、そんな言葉を紡ぐ。
不思議と慣れたら、何か乗れそうな感覚も初華の中に芽生えていた。