また一つ、波が広がる。
Undae Tacitae ー静かな、波紋。
初華がまなとのドライブを楽しみ、眠りつく一方の出来事。
首都高ーー。
昼間はたっぷり睡眠を取り、コンディションが良好なことを自らの身体が伝えてくる。首都高行きの装いを決めて、私は走る。
「いい時間ですね……行きましょう」
深呼吸を一つ、レーシンググローブをつけた手で、ステアリングホイールを握りなおし。LS2エンジンのV8サウンドと共に、八幡海鈴のコルベットは都心環状線へ吸い込まれていく。
あの店主は良い仕事をしてくれたと、排気系のカスタマイズがもたらす変化に海鈴は笑みをこぼす。とはいえ、まずは変わったコルベットを感じ取るためにと、ライブのおかげでさらに空いてしまった走り込みの空白を埋めるべく、下見に徹する事にする。
ライブ明け、首都高に行きたい気持ちが先行した海鈴は首都高に行く代わりに、SNSを使って首都高の情報を集め、就寝まで暇を潰したのだ。
いくつか気になる書き込みもあり、それを調べるべく、三人の中で一番早くコースインを果たした。情報によると、主な原因は自分自身ではあるが、イキの良いコルベットが夜な夜な彷徨いているから、バトルを仕掛けようとする人たちがちらほらと現れているようだった。
普段の私なら、あの情報を見たら……。
立場をわきまえて行動し、今日来るーーなんて選択はしない。
それでも、薄らと待ち望んでいたバトル文化の復活を聞いてしまっては居てもたってもいられない。なんでも良いから走り続ける理由がだんだん欲しいーー。
他者と競うなら、大層な理由がいらなくなる気がしてきてーー。
祥子と行った大黒の経験が良くない方向に転んでる自覚はある。
あるのだ、きっと。
わざわざベロシティ・イエローの車体まで、マットブラックに仕立て直した。走る時の格好も今までのパンクファッションの私服を辞めて、モータースポーツに相応しいスーツへ変えた。レーシンググローブは常にクルマに乗せておく事にした、今夜から。
ティモリスのイメージは可能な限り、消すのだ。どこかに置いてくればいい。
今の私は、八幡海鈴そのものだ。ただ目の前の今夜に臨めばいい。
私こそがホンモノ、だーー。
都心環状線を下見しているはずの海鈴のコルベットを一台のスポーツカーからパッシングを送られる。今までとは明らかに、首都高の雰囲気が変わりつつある出来事に海鈴のポーカーフェイスが崩れ、ニヤリと微笑ってしまうーー。
「ふふ……遂に来ましたね……こういう時はハザード、でしたっけ」
古い走り屋文化まで暇つぶしに調べておいた甲斐があった。それに、海鈴自身、そんじょそこらのランナーに負けない自信があった。普段、礼儀正しく、距離感を保つのが海鈴の対人スタンスではあるものの、クルマという仮面を一度被れば、少しくらい大胆になりたくもあって。
海鈴のハザードを合図に、先程パッシングしてきたスポーツカーが海鈴のコルベットの背後につける。車種までは分からなかったが、どのみち負ける気がしない相手のことを考える意味はないと、海鈴は仕掛けられたケンカに備えるーー。
周囲の状況を確認し、海鈴はハザードランプを消すのをスタートの合図とし、2台は急激にスピードを上げていく。
神田橋JCT付近をスタートランプに海鈴先行のバトルが始まったーー。
「……ははっ!こんなの、豊川さんにバレたら大目玉でしょう、ねッ!」
空中回廊と呼ばれる、アップダウンを繰り返ながらビルの間を縫うような区間を、怖気付く事なく加速していき。
竹橋JCTを都心環状線方面へ駆け抜けていく中で。
急速に通い詰めたタイムアタックのような走りが蘇ってくるのを感じた。
後続車とは差が開く一方で、千代田トンネル前の曲率の狭いコーナーを迎える事を記憶していた海鈴。
200km/hオーバーから、ハードブレーキングを披露し、巧みにヒールアンドトゥを伴うシフト操作で立ち上がりスピードに合わせたギアへ、シフトレバーを叩き込むーー。
フロントに荷重を乗せ、先の見えない、ブラインドコーナーへアウト側からやや控えめなイン寄せをすると、アウト側へ車体を加速させながら千代田トンネルをほぼ全開で立ち上がる。
「うわッ!!なんだあ!?まじかよ……」
あまりのコルベットのキレた走りに驚いた仕掛けた側のドライバーは、広がっていくばかりの海鈴の乗るコルベットに水を開けられ、追う事をやめた。
「ええ……やっば……マジであんなの居んのかよ……時代違うって……ヤバすぎるって」
そうとは知らない海鈴は三宅坂JCTの左コーナーを200km/hオーバーから少し減速し、危なげなくパスし、続く霞ヶ関トンネル前のコーナーでまたもやハードブレーキの後、危なげなく立ちあがろうとしたところで、追走車がミラーから消えている事を改めて確認し、速度を落とした。
「私、勝っちゃいました……?」
いざ、バトル中のゾーン状態から戻ってみると、先程のバトルで感じたあらゆる感覚や感情に苛まれ、身体が震えるのがわかる。
それでも、これまで一人で走り回る時のだけよりも強いアドレナリンと強烈な生きた感覚が確かにあるではないかーー。
勝利を噛み締めながら、深入りしないうちに帰ろうと海鈴は思ったが、自然と新しいコルベットの咆哮が聴きたくなりーー。
霞ヶ関を過ぎた辺りの地点から江戸橋JCTまで周回してくると、湾岸線を目指してペースを上げていく。
150km/hくらいなら、スラロームで一般車もかわせるーー。
初華を同乗させた時のコルベットとはまるで違う雰囲気で、辰巳から湾岸線に合流すると、海鈴のコルベットは快音を奏でて、神奈川方面のトンネルへと消えていくーー。
海鈴が初めてのバトルを制した喜びを湾岸線で噛み締めている頃と同じくして。
鮮烈な勝利を見せつけられた走り屋により、コルベットの情報がリアルタイムでインターネットへと放流されている事を、海鈴は知るよしもないーー。