今日は初華が珍しく外出しているようだと、やや遅めの起床を果たした祥子は、まだぼんやりとした感覚の中、目覚めを迎えるーー。
ライブという山場が終わった安堵感もあるが。チューンドZ34に順応すればするほど、以前よりも疲労の抜けが悪くなっている感覚に苛まれる。
「こうして、完全に何もしない日など。何時ぶりでしょう……」
最低限の身支度を済ませ、紅茶を淹れ、ダイニングテーブルの椅子へと力無く座り込む。普段のあまりにもタスクまみれの日常を追想すると、たまにはこうしてのんびり過ごすことも悪くない事のように思える。
今夜、首都高へ繰り出そうかと何度か思案してみるも、ぐったりした疲労感から辞めておこうという結論を出し、数日前海鈴から送られてきた電子書籍を読んでみる事にしよう、と。
「私はなぜ走るのか、のヒントを探して、この作品を読み始めました。豊川さんもぜひ、読んでみてください」
メッセージに添付された購入済作品へのリンクを開くと、それは首都高に全てを賭ける人間たちを作品にしたものだった。
「海鈴もだいぶ染まってるではありませんの……」
そうは言うものの、結局自身も海鈴も同じ穴のムジナでしかない気がして、観念して読み始めてみる。
読み進めていくと、物語と斬って捨てるには惜しいほど、登場人物に深みがあり、思わぬ自身の境遇と不気味なほどのオーバーラップを感じた。
違いは勝った、負けたのバトルをまだしていない事くらいで。そして、幸運なことに作中で描かれる事故がまだ降りかかっていない事に気付かされる。
読みながら、勝手に頭が動き出すーー。
作品の中の登場人物も自分の社会的立場を賭けてまで、時に顧みず、首都高への覚悟を決めて命を懸ける。辞めなければいけないと思いつつも、走る事でしか分からない事を探し、追い求めてゆく。
「なるほど……確かに海鈴がわたくしに勧めてきた、何かはありますわね」
先日の睦との別れの場面が唐突にフラッシュバックし、あの時も必死で続ける理由を脳内で探していた事も鮮明に蘇る。
「わたくしは、Ave Mujicaとしては……本当のものを造っている自負はあるはず……」
卓越した人材を集め、演劇を混ぜ合わせ、演奏技術の要求水準が非常に高い楽曲を、メンバー全員で奏で、自身も常軌を逸するパフォーマンスを何年も繰り広げてきているーー。
そうすると、あの首都高で規格外の速度で走り続ける、本当や本物とどう違うのだろう。確かに、走り始めてから、神経や五感が鋭くなったのか、パフォーマンスのキレの向上はステージで舞っていたって感じられる。
「……紅茶、冷めてしまいましたわね」
一口、口に含んだ紅茶はぬるま湯くらいの温度まで下がっていて、いつのまにか、それなりの時間が経過していることを伝えてくれた。
瞳を閉じて、普段のスピードレンジの事故を強くイメージしてみる。コントロールを失って、都心環状線でいつものスピードでクラッシュしたら……。内回りなら空中回廊を抜けた後にやってくる、千代田トンネル前の左コーナー。
タイムアタックラインをなぞった先に、避けきれない場所に一般車が居たらーー。
「わたくしなどひとたまりもないかもしれませんわ……きっと」
ぐしゃぐしゃに潰れたボディに自分が挟まれて肉塊に成り果てるのかもしれない。
休日まで、走りに関わるものに触れて時間が過ぎていくのが分かる。それでも、走っている時に、自分は恐ろしいという気持ちを知らず知らず忘却して、のめり込んでいる。
棺おけを作ったわけじゃないーー。
あのフェアレディZを造った少女のセリフがリフレインされる……。
でも、今さら、辞められるのか?
不完全燃焼のまま、フェアレディを手放しても、きっと何度も買い直して、走り出す自分の姿が幻視できてしまう。
それに、わたくしのフェアレディは悪魔ではないはず。
「それでも、雛さんはあんな見た目でも地獄のチューナー……なのかも知れませんわね……」
地上の戦闘機を愉悦の表情を浮かべ踏み続けるあの造り手の姿は、何処か邪神じみていたような事も蘇る……。
自分を完全燃焼させるまでーー。終着駅が決まっただけでも幾分かマシなことのように思えた。
そして、今後はパーキングエリアなどでの情報収集も取り入れていこうと、行動目標を決める。
2台持ちが、こんなふうに生きるのは予想外ではあるが。
少なくとも首都高の自身をなるべく早く灰にしない限りーー。
Ave mujicaも共倒れになってしまう。
一番避けたい未来を造らない為に、まずは海鈴と共有していこう、そして二人とも灰になるまで、燃え尽きれば、遊園地の閉園時間になるだろうーーと。
物語の登場人物たちが燃え尽きて降りて行けるのなら、わたくしたちも真似をすれば良い。それに、予想以上にあの遊びが身体を削っている事も知ってしまったからこそ……。
まだ、オフは数日ある。
明日の夜、首都高へ上がろう。万全の状態からもう一度、走り出すのだ。終幕へ向けて。