雛と祥子のバトルを目の当たりにした初華は、あのバトルのあとどうしても居を同じくする、祥子の元へ帰る気にもなれなく、アテもなくクルマを走らせる事にしていた。
バトルの後、首都高から雛の工場へ戻ってきた後、そのまま事務所で仮眠をさせてもらった。雛にお礼と考える時間が欲しいと伝えた後、今日で終わりを迎えるオフを、初華は考え事に宛てることにした。
確かに、さきちゃんを問い詰めれば、理由は聞けるかもしれない。わざわざ自分まで危ない思いをして、追うよりは、早いことのような気もする。でも、きっとそれは、さきちゃんを真に知ることにも、この子を知ることにも繋がらないような感覚もある。
自身は名前を偽って、存在を偽ってまで、さきちゃんのそばに居たかった。だから、私の本名は初音で初華、ではない。どこか借り物で、仮面のような人生。
でも、あの首都高の時間やまなと過ごした箱根ドライブの時間は借り物?
ううん、熱に浮かされ導かれるようにこの子と出会ってから、借り物じゃない時間を過ごしているようなーー。
慣れた初華からすれば、クルマで彷徨きながら考え事をするのも造作はなくなってきていて、自分だけが知るプライベートルームになりつつもあった。
「ああ、さきちゃん、それにしても速かったなあ。あんなに運転、上手かったんだ」
怖かった、冗談抜きに。
でも、あんなに速度を出しても全く危なさがない走りを見せつけるさきちゃんは、きっといつの間にか運転もプロ級になっていたんだね。
雛さんも、言っていた。走る事でしか見えない景色があると。
さきちゃんに、追いつけたら、さきちゃんの見てる景色が少しだけでも私も見られるのかな。
でも、追いつけるかな?私が……。三角初華でもなく、ドロリスでもなく、三角初音として。
でも、知らなかった。深夜のただの高速道路でしかない首都高速道路に、こんな事を考えてしまうセカイがあるなんて。そして、このセカイはさきちゃんにぜんぶあげられるような、セカイじゃなくて、自分と自分の愛機とともに走るしかないんだ。
幸いにして、走り続けるための切符はある。マシンに、お金に、そして先駆者。
コレが400万円で手に入った事が奇跡なのだと、雛さんは教えてくれた。奇跡……?ああ、私はデビューシングルで、グループ名を冠する曲で歌っていたじゃないか。
奇跡を日常にって。
「この右手〜あなたが掴むのなら〜漆黒の〜悦楽の〜O…宿命は産声を上げるぅ」
デビューシングルのAve Mujicaの歌詞を歌詞を口ずさんだ時、決意が固まった気がした。
「気兼ねなく、口ずさめるっていいかもしれないね」
穏やかな表情で呟いてみる。私はあの時感じたこの子への安心感に全てを委ねる決意を決めた。
「初華、まだ帰ってきておりませんの?」
雛とのバトルを繰り広げ、初めて撃墜されるという感覚を噛み締めたあと、気が抜けたように首都高を去り、眠りについた。
同居人は、オフの最終日だと言うのに居なかった。
「まさか。初華まで、この世界に来てしまったとでも?」
だが、それを知り、仮にそうだとしても、わたくしに初華を止める権利があるのだろうか。すでに八幡海鈴、あの子とは共犯関係であるのだから、このバンドを組んだ時のように共犯者がまた一人増えるだけ。
とはいえ、露呈した時、どうする?社会的制裁が免られない行為にいつまで興じるつもりなのか。そんな事を考えていたはずなのに。
「それにしても、あの赤いクルマ。見事でしたわ」
レクサスからフェアレディに乗り換え、ずいぶんわたくしも上達したはず。少なくとも、海鈴、あの子に迫るほどには。きっとーー。
それでも、あのコンクリートの遊具にはわたくしを上回る存在が確かにいた。全身を突き抜ける感覚が尾を引いている。
そして、あの限界へ迫る時間がただ、ただ楽しかった。子供の頃のような、わんぱくで居ていい、ただの豊川祥子として遊べる場所があの時間にはあった。
「ああ、あんな時間、本当に久しぶりでした。もう少しだけ、遊んでいたいな」
気付けば、インターネットでスポーツドライビングの概念と駆け引きのやり方を調べている。純粋に面白い。そして、上手くなりたいーー。早くもこなれてきたし、今のフェアレディの次、を見たい。
「……どうやら、強化ミッションがございますのね、雛さんにご相談ですわね。タイヤも変えなければ……」
誰が言ったか、チューニングは麻薬ーー。
でも、仕事にも張りが出るし、自身の腕で遊べる麻薬なら、言うほど悪くない。
フェアレディZを預けている間のスケジュールを思案し出す。クルマにもう少し、確実な信頼性が欲しい。一度預けて、楽しみを作るのも悪くない気がする。
1分の1スケールのミニ四駆を手にして、無邪気に遊ぶような少女の顔が祥子を彩っていた。