オフ期間も終わり、慌ただしい日常がまた帰ってくる。
「お疲れ様です、お先に失礼します」
八幡海鈴は、クルマの普段使いを減らし、その代わり、祥子と約束したはずの首都高に上がる頻度を少しだけ、増やした。
C1内回りもある程度、感覚も染みつき、外回りを走り始めた海鈴。
海鈴自身、昔から物事に苦労するというタイプではなく大抵のことはだいたいすんなりこなせてしまうタイプで。
それは結果的に、ドライビングの世界でも同じで、C6コルベットのベースグレードの圧倒的な戦闘力を苦労せず、手懐けた。
初のバトルは圧勝で幕を閉じ、その後も何度か挑戦を挑まれたが、アメリカンスーパースポーツのC6が持つ素性の良さと、海鈴自身のドライビングセンス、スキルにより、相手になるものは現れなかった。
それは結果としてーー。
海鈴の知らぬところで、正体不明の本気組としての知名度を上げていく。噂話として。
自分が高まっていく喜びと新調したマフラーが奏でる音。対戦相手への物足りなさが、海鈴をタイムアタッカーへと変貌させていく。自分がライバル、自分との戦い。ベストを首都高(ココ)にも刻めばいい、と。
「そろそろ、ブレーキや足回りに手を入れたくもありますが……」
ひと通り、C1外回りを走り込み、湾岸線へ向かう為に速度を落とした車内で、今宵の振り返りを始める。
……よりキレの良いドライビングが欲しくなってきた。特に、安心して踏めるブレーキ。絶大なストッピングパワー。
配信のために学んでいるアメ車の知識がチューニングの道への欲求に変わる。
グランスポーツやZ06、ZR-1と言った上級グレードへの乗り換えも考えてみるも、ラッピングまで施し、お金を注ぎ、共に過ごしてきた時間があるゆえに乗り換えまでは考えにくかった。流麗なコルベットのデザインは、マットブラックにしたゆえか、闇に紛れるような感覚もして、結果的に良いイメージチェンジの役割を果たしてくれた。
ベーシストである為にはベースが欠かせない。
ならば走り屋である為にはクルマが欠かせない。
それは愛着の湧いたものを使うほうが、海鈴には自然なことのように思えた。
「移植って、できるんですかね」
ふと、上級グレードの部材をこれに移植してしまえばいいとひらめく。また、あの店に頼むこともできるな、と。長い付き合いになりそうだと思案に耽りながら、レインボーブリッジを臨海副都心方面へと走らせる。
東京港トンネルに全開走行の音を響かせて駆け抜けていくのも悪くない。
すっかり慣れて、250km/h超の世界が日常にある非日常が一種の贅沢なのだから。
湾岸線、合流ーー。
海鈴が、クリアなレーンを選び、シフトダウン、加速していく時、一台のクルマを追い抜いたことに気付く。
水色の車体が巡航速度で駆けていた。
ーーまさか、追いかけてくるとは思わず、再びスピードの世界へ沈み込んでいく。
「うふふふっ。みぃ〜つけた」
猛然とソレと分かる音を響かせて加速していく海鈴のコルベットを見つけ、楽しそうに笑う、幽々子。
巡航を辞め、海鈴の後を追うように加速させる。
13B-REW、2ローターターボのロータリーサウンドを撒き散らし、車体はあっという間に非常識な速度の世界へと吸い込まれていく。
「今日はある程度は踏んでいけそうですね」
コルベットのスピードメーターが200km/hほどを刻む。しかし、いつもと違うことが一つ。
なぜ、この速度で走るクルマのミラーにーーライトが近づいてくるのだ、と。
「驚いたあ、この時代に200キロまで踏む子、居たんだ〜。ちょっとだけ、イタズラしちゃおうかな」
ーーパッシング。この速度域で……!!
「湾岸でバトル、ですか……」
海鈴はそう呟くと、コルベットのアクセルペダルをさらに踏み込んでいく。C1とは違う超高速バトルへの欲求が、そうさせる。
それにしても、さっきのあの水色のクルマは自分を狙っていたのか……?それでも、標準グレードでも300km/hを出すような、私のクルマなら勝てるはず、と
「……うふふふっ、そうよ、そうこなくちゃね。ココ(首都高)は命を賭けて踏み切ってこそ」
逃がさない、とにやりと笑みを浮かべ追従してあげる幽々子。これは小手調べなのだ、彼女にとって。旧来の首都高ランナーとして、久々に現れたランナーの力量を調べるための、お遊び。
「……嘘、まだ離れないんですか……!」
空港北トンネルへ、先行していた海鈴は背後の挑戦者が付かず離れずで自身のクルマに追従してくる現実にただ驚くしかなかった。
「ふふっいいセンス。超高速コーナーもレーンチェンジも、よくそこまで踏めるものだわあ。懐かしい〜」
対する幽々子からすれば、この速度域でさえもまだ余裕があった。だからこそ、先行するドライバーの力量を見極める余裕すらある。
広大な路線と、直線をメインに構成された首都高湾岸線エリアーー。
荒れた路面や他車を予測しながら踏み切って行くには、非常に難易度が高く、コーナーも幾つか存在する。
そして、そのコーナーを踏みながら、超高速でのレーンチェンジを続けて、トップスピードを維持、目指していくには絶大な精神の消耗と胆力をどこまでも試され、さらに技量やマシンスペックも要求されるステージ。
280km/h。
羽田空港を抜け、空港南トンネルを過ぎ、多摩川トンネルの下りへ差し掛かる。緩やかな弧を描き、多摩川の下を潜り、そこから先はまた地表へと上がっていくロングトンネル。
そこの下りで、幽々子により決着がもたらされる。
「すごいですね。この速度は初めてです」
とはいえ、自身もマシンも限界を感じた頃。
ミラーから、ふっと追従者の姿が消えた。それから、数秒も経たないうちに……。違うレーンから、水色の車体が先行していくのが見えるではないかーー。
280km/hを悠然と抜いていく?
目の前の現実が夢のように感じつつも、限界からか、戦意を喪失した海鈴は緩やかにクルマを減速させていく。
「なかなかやるわね〜今の子も。ちょっとお話ししてみたいなあ〜」
減速したコルベットの姿を確認した幽々子は、その減速ペースに合わせて、減速しつつハザードランプを点灯させる。
「ん……?ハザード?」
何から何まで理解できない動きをするクルマの意図は分からなかったが、自分が初めて負けたことだけは、理解できた。
200km/hを下回り、だんだん巡航速度域へと近づいてくる頃、水色の車体が海鈴の走行するレーンに、頃合いを見計らって飛び込んでくる。
それは、先導するからついておいでと手招きしているようで、海鈴は先導されるままに、鶴見つばさ橋を渡った。
この行き先は大黒であろう。
自分を打ち負かした存在と話すことになるかもしれないとは思っていなかった海鈴だったが、旧来の走り屋文化を楽しんでいるようで、撃墜された悔しさはあれど、悪い気はしなかった。
ーー大黒PA。
程なくして、2台は人気の少ない場所へクルマを停める。
「驚いたあ。女の子だったのね〜」
「……驚いたのはこちらのセリフですよ。あの速度域で抜かれるなんて経験、した事ないですから」
クルマを降りて、先ほどのバトルを振り返りながらの談笑。
海鈴からすれば、自分を打ち負かした相手が、なぜこんな闘気剥き出しのチューニングカーに乗っているのか分からないほど、柔らかでどこかお気楽そうな女性だった事が1番の驚きだった。
「……それにしても、貴方は私を見て驚かないんですね」
黒の無字のレーシングスーツに身を包んでいるが、見る人が見ればそれは人気バンドAve mujicaのティモリス、八幡海鈴だと分かる。
「うふふふ。貴方が誰でもいいの。久しぶりに首都高に面白い人を見つけて、話したかっただけ。それに、ここは秘密の遊び場よ?貴方の正体がどうなんて無粋だわ」
「それにしても〜。湾岸であそこまで踏める人を久しく見ていなかったから、それでつい」
「久しく?ココ(首都高)長いんですか?」
「そうね〜。首都高に取り憑かれた亡霊、かしら。でも、私はまだ本気を出していないから……。再戦したかったらいつでも連絡くださいな。私のRX-7を貴方はきっと満足させてくれそうだもの」
「は、本気じゃない?」
280km/hを出しても、それをブチ抜いて行って、本気じゃない……?正気かこの女……?何を言っているんだ?
「私の連絡先はこれ。じゃあ、またね〜。次も一緒に走れたら嬉しいわ〜」
そう言うと、幽々子は会話を切り上げ、クルマに乗り込むと、エンジンをかけレーシーなサウンドを忍び足に抑え込んだようにして、走り去る。
貰った連絡先の名刺を先にサンバイザーに差し込んでから、海鈴もクルマへ乗り込み、大黒を足早に去る事にした。