釈然としない問答を続けたあの数週間後。
雛の店に、祥子は再び「来て」しまっていた。
「きょうび、走り屋なんて、気でも狂った?」
目の前に座る少女は何かを確かめるような口調と表情でその言葉を口にした。
「雛さん。確かに見事な仕事をしてくださいましたわ。ならば、2台目もお願いしたくなるのが道理な気がいたしますの」
踏み越えてはいけないラインを、また踏み越えようとしている。その自覚は祥子にもあった。とはいえ、何もかもを忘れて没頭できる世界をおいそれと手放す気にもなれなかった。
雛にとっても、しばらく見ていない質の客人になるかもしれない。それゆえに、意思を確かめるしかなかった。
「あまりあの世界に魅せられても破滅するわよ。厄除けに作ってあげたアレが入り口になるとは思わなかったけど。第一貴方なら、新たなファン層獲得やら、何やら、色々と話題には事欠かないのに、何にもならない遊びに本気になるの?」
火遊びの匂いしかしない事柄を持ち込まれては、流石に雛も困惑するしかないのも本音ではある。下らない内容ですぐ火がついて燃えるようなネット社会になってから、幻想少女たちだってあの遊びから身を引いたにも関わらず。
「そう、ですわね。貴方のおっしゃることも正しいかもしれません。それでも、身近に共犯者を見てしまった以上、わたくしも知ってみたいのです」
「あーあ……そっかあ。まあ、面倒見てあげるわよ。人間を見捨てられるほど、私は冷酷な神さまじゃないわ」
何かを観念したように呟くと、それから、商談へと進んでいく。雛にとっては、確かにまとまった報酬になるうえに、相手は金銭的な問題には全く無縁そうではあるが。祥子がやろうとしている世界は、芸能人生すら壊しかねない行為であって、それに加担するような行為を自分がしてしまった負い目など、色々思案した上での、雛の、あーあ、ではあった。
「祥子ちゃん。バレるか、どうかのスリルまで愉しんでない?質の悪い依存性よ、貴方」
「まだ、マシなものに依存していると思い込みたいものですわ」
「まー、確かに。まだマシかもしれないのはそう?なのかもしれないけど。演じ続けるのもものすごく疲れるかもしれないかもね」
人間社会のめんどくささを垣間見てきた雛も同情するかのように、言葉を返す。
「ま、厄除けくらいはしてあげるわ。前金、いくら作れそう?」
「500万くらいなら、ポンと」
「まあ。それじゃあ、格安で見繕ってあげるわ。昔のツテのネットワークもあるし」
商談はあっさりと成立する。祥子はさらに、お願いを続ける。
「貴方の作ったクルマをしっかりと見てみたいのですわ」
「なあんだ。それくらいならお安い御用よ、ついておいで」
ガレージへと案内される。広大とは言えず、むしろこじんまりとした面積ではあるものの、整理整頓が行き届き、スペースが有効活用されている事に祥子は感心させられる。
そして、一角にシートを被せられた物体の前へとたどり着く。あの夜、見た、体感した、あのクルマがここにある。そう思うと、少しだけ鼓動が早くなる事を自覚させられる。
「ま、もう年式も年式だから、行く宛もないけどね。この子も」
そう、シートを外された自身の相棒に雛は言うも、紛れもなく、祥子が知っている自動車なるものとは何か違う存在のように感じられた。
外観からして、年季の入った黒の5本スポークのホイールに、ワインレッドに染め上げられた無骨さを剥き出しにしたボディが、違いを主張する。フロントとリヤには見たこともない、エアロパーツが装着され、まるでそれは航空機のような翼をイメージさせる。ボンネットは黒で染まり、見た事のない機構で閉じられているようだった。
ヘッドライトは一部を円形にくり抜かれ、ダクトに加工されている。
「ボンネットの中も、見てみる?」
そう尋ねられ、無言で頷く。
ピンが外され、重たいはずのボンネットは軽く持ち上がり、静かに鎮座するエンジンがあらわになる。
「RB26を極限まで煮詰めたの。純正のレイアウトを変更して、タービンはシングルに変えて。制御は全部一から組んで。もちろん、エンジンそのものだって、何度も組み直して。早く走る為だけに、チカラを絞り出すエンジン。ま、このクルマそのものがただそれだけを求めて作られたしね。嘘偽りなく、800馬力を叩き出すわ」
「は、はあ。これが、自動車のエンジンルーム、ですの?」
自身の所有するエンジンルームにはこれほど機械らしいものは何一つ剥き出しになってなんかいない。雛のクルマは違う。機構が剥き出しで、見たことのないパイプが張り巡らされ、余計なものが何一つ見当たらない。
「だって、これ90年台のクルマだしね。祥子ちゃんのレクサスも古い、とはいえだいぶ新しいんだよ?まあ、色々絞り出しすぎて、メンテナンスばっかしなきゃいけないから、この子は」
手のかかる子どものことを話すかのように笑みを浮かべ、そう祥子に伝える。
「快適性なんかないし、走るだけで迷惑だし。でも、そこまで煮詰めて遊ぶから見られる景色もあるからね〜」
けらけらと雛は笑う。
「確かに、こんなもの、見たことありませんわ……」
祥子もそう呟く。
「本当に、こんなものが流行っていましたの?」
「まあ、そんな時代もあったんだよ。今はもう無いに等しいんじゃないかな。私もあの時代に取り憑かれただけの亡霊みたいなものかも。ま、その亡霊ネットワークを使えば、貴方にもとびきりの何かは作ってあげられるよ」
「改めて、お願いいたしますわ」
祥子は深々と礼をする。
きっと、何か戻れない世界に足を踏み入れたような気がするが、どこかに慣れてしまっている自分もいる。
それも、たまらなくおかしいのだが。
そんなものは、今更かもしれない。