ああ、もうこんな走行距離ですか。それに、そろそろタイヤも変えないといけないですし」
ひと通りの仕事を終え、帰路に着こうとする海鈴は駐車場に佇む自分のクルマの後方タイヤを覗きこみ、呟く。
「ウミコさぁ、なかなか尖ったシュミあるよね〜。まあまああのスポーツカー可愛がってるじゃん」
つい先ほどまでのやり取りを思い出す。
どうやら、先日の配信を祐天寺にゃむも見ていたようで、話題はその時の話になったのだ。
「そうですね。私には似合うかな、と」
「はぁ、相変わらずだなあ。ウミコは」
「そういう、祐天寺さんもまあまあ厳ついクルマ発注してませんでした?」
バンドメンバー同士の気楽な雑談であった。祐天寺にゃむはスポーツカーには興味はあまりないのだが、なんとなしに高級車を乗り回してみたくなり、祥子や事務所との押し問答を繰り広げた末に、マイカーデビューに至ったのだった。
「ま、あたしはいつまで乗るかわかんないし、とりあえず今って残クレあるじゃん?だから新車注文しちゃったの〜。最新のヴェルファイアのいっちばんいいやつ〜」
いつまで乗るかわからない、とは言ってるものの、人生初の新車、ヴェルファイアエグゼクティブラウンジの納車まで待ちきれない様子を隠しきれていない、にゃむ。
「でもさ〜、ウミコも配信やってみてよかったんじゃない?ガイシャ診てくれる専門店と繋がれたわけだし〜」
「確かに、そうかも知れませんね。祐天寺さんもメンテナンス先を探しておいても良いかもしれませんよ?」
「あ〜、あたしは良くクルマのことわかんないし〜。ま、どーせこの仕事してたら忙しくて大して乗る暇ないだろ〜しさ。買ったとこにお任せでいいかな〜って感じ。ウミコ、明日はオフなんでしょ?」
「ええ、そうですね。ま、あの子の面倒で一日潰れますが」
海鈴は苦笑を浮かべつつ、会話のキャッチボールをにゃむへ返す。
先ほどまでのやり取りをひと通り想起し、明日のクルマに使う予定を確認すると、海鈴はクルマに乗り込み、自宅へと向かうのだったーー。
翌日。
海鈴の配信を見た、アメ車専門店へ海鈴は足を運んでいた。事務所も通してあるし、海鈴としても買ったはいいものの、より確かなメンテナンス技術を持つかかりつけ医を探すのにも骨が折れていたのも現実で。
「確かに、専門店、ですね」
着いてみれば、コルベットやバイパーなどの新し目の年式のアメリカンスポーツから、フォードGTのようなスーパースポーツが敷地内に並んでいた。
先んじて、何をするかは連絡しておいたので、やり取りはスムーズで、海鈴が有名人だからといって、特別対応をされることもなく、単なる一ユーザーとしての対応だった。
海鈴には、それが心地良かった。
海鈴のコルベットはショップおすすめのオイルに交換され、劣化したタイヤも新しいものに履き替えられた。
ぼんやりと、作業を待つこと1時間程度。
コルベットは返却され、納品書を受け取る。やることなすことがスムーズで、目的を果たせた海鈴は顔には出さないものの、上機嫌で店を後にする。
「しかし、まあ、オフだと言うのにやることもありませんね……この子に30万使ってしまいましたし。夜まで、待ちますか」
時刻はまだ昼を過ぎたくらい。この時間に首都高に乗るのは自ら渋滞にハマりに行くようなものだし、特筆して行きたい場所もやることもない。体力温存の為、ベースの感覚を維持する為の自主練をして眠りに就こうかと海鈴は思案し、帰路へ再びつく。
ーー深夜、都心環状線。
「新しいタイヤも入れましたし、慣らし、と行きますか」
黄色のコルベットが、唸りを上げて疾走していく。大排気量のV8エンジンらしい力強い咆哮。
時間があるたびに、首都高に通い詰めている自分は一体なんなのだろうと、海鈴は走りながら考えるようになった。先日だって、オイルとタイヤで30万は使っている。ただでさえ、燃費性能の悪いコルベットを踏んで走らせたら、ハイオクガソリンも湯水のように消費する。
単なる気晴らしだったはずだ。
それでも走るたび、走るたび、演奏技術と同じように、改善点が見え、だんだんスムーズになっていく。ぎこちなかった、言葉を持たぬコルベットとの意思疎通が、段々とメーターや音、そしてGと言った五感を通じてできるようになってくる。
最近は、祥子のクルマを見ることもない。
リスナーが言っていたようなソレらしい他車も見かけることはない。
一人だけのリスクだらけのメリーゴーランドを自分から走っているこの時間は一体なんだろう。それでも、ココには五感で感じられるリアルと、ステージで感じられる高揚感が確かにあって。
今のスピードレンジでも他車からすれば、十分なほどに危険域で暴走行為の自覚はある。
それでも、走りを重ねるごとに、他車のかわし方、コーナーのライン取り、そして、その行為への没頭が洗練されていく。
ゾーン状態を頻繁に自ら入れるようになり、それは海鈴の音楽技術へもフィードバックできるようになってきていたことを思い出す。
「辞められませんね。コレ……」
演奏のキレも、走りのキレも上がっていく自分に気づいているからこそ、首都高へ通う。
帰り道の寄り道で、もはや自主トレーニングのように。走るために生まれたクルマを日本の道路事情の中に埋もれさすには、あまりにももったいない。
何よりも、海鈴自身が求めた信用は無機物にも宿るのだと、痛切に感じているからこそ。
コルベットはC1、江戸橋JCT前の登りストレートを猛スピードで駆け抜けてゆき、後には静寂が残ったーー。