嬉しさのあまり初投稿です!
社の扉が、ゆっくりと開いていく。
軋む音が森の中に響く。
その隙間から漏れる白い光は、次第に強さを増していた。
湊は恋珀の背後に立ちながら、社の中を見つめていた。
やがて、光の向こうから小さな足音が聞こえてくる。
一歩。
また一歩。
そして、扉の前に姿を現したのは、一人の少女だった。
年の頃は十歳にも満たないように見える。
長い黒髪に、白い着物。裸足のまま地面に立ち、こちらをじっと見つめている。
しかし、その姿にはどこか違和感があった。
少女の足元には影がない。
風が吹いても髪は揺れず、周囲の草木だけが音を立てている。
「……お主は何者じゃ」
恋珀が低い声で尋ねた。
少女は少し首を傾げた。
「分からない」
「分からぬじゃと?」
「自分が何なのか、もうずっと覚えていないの」
少女は自分の手を見つめた。
「名前も、どこから来たのかも。ここにいることだけは覚えているけれど」
「この社に封じられておったのか?」
「うん」
少女は小さく頷いた。
「ずっと、ここにいたよ」
湊は少女の姿を見つめた。
見た目は幼いが、声には年齢を感じさせない不思議な響きがある。
「どうして封じられていたの?」
湊が尋ねると、少女は彼の方を向いた。
「あなたは、優しいね」
「え?」
「私のことを怖がらないんだ」
「怖くないわけじゃないよ。ただ、話を聞いてみたいと思ったんだ」
少女は少しだけ笑った。
その笑顔は、どこか寂しそうだった。
「そっか……」
しかし、恋珀は警戒を解かなかった。
「マスター、あまり気を許すでない。こやつからは、妙な気配がする」
「分かってる」
湊は恋珀の隣に並んだ。
少女は二人を交互に見つめた。
「あなたたち、契約しているんだよね」
「そうじゃ」
「命を分け合っているの?」
「そうじゃ。じゃが、それがどうしたというのじゃ」
少女は少し考え込むように俯いた。
「珍しいね」
「何がじゃ?」
「妖と人間が、そこまで深く繋がること」
少女は湊の胸元を見つめた。
「あなたの中に、恋珀の力が流れている。恋珀の中にも、あなたの命がある」
「……それが見えるのか?」
「うん。私には分かるよ」
少女はゆっくりと手を伸ばした。
「少しだけ触れてもいい?」
湊は恋珀を見た。
恋珀はすぐに首を横に振る。
「許すわけにはいかぬ」
「どうして?」
「お主が何者か分からぬ以上、触れさせる理由がない」
少女は手を下ろした。
「そっか。恋珀は慎重なんだね」
その呼び方に、恋珀の表情が変わった。
「……なぜ、ワシの名を知っておる」
「さっきから呼んでいたよ」
「そうではない。ワシの名を知っている理由を聞いておる」
少女は不思議そうに目を瞬かせた。
「だって、知っているもの」
「いつ、どこで知った?」
「覚えていない」
恋珀は少女をじっと見つめた。
彼女の記憶に、このような存在はない。
少なくとも、五千年という長い年月の中で、社に封じられた少女と出会った覚えはなかった。
「……マスター」
恋珀は湊にだけ聞こえるような声で呟いた。
「この者、ただの妖ではないぞ」
「うん。僕もそう思う」
「じゃが、敵意があるようにも感じぬ」
少女は二人の会話を聞いていたのか、少しだけ微笑んだ。
「私、あなたたちにお願いがあるの」
「お願い?」
湊が尋ねる。
少女は頷いた。
「ここから出してほしい」
「どうしてじゃ」
恋珀が問い返す。
「ここにいるのは、もう嫌なの」
少女は社の中を振り返った。
その瞳には、長い年月を過ごしてきた者のような寂しさが浮かんでいた。
「ずっと一人だった。誰も来ないし、誰も話しかけてくれない。外の景色も、ほとんど見えない」
「封印を解けば、お主は自由になるのか?」
「分からない」
「分からぬことばかりじゃな」
「ごめんなさい」
少女は俯いた。
「でも、ここから出たいの」
その声を聞き、湊は社の周囲を見回した。
古びた石柱には、文字のようなものが刻まれている。
苔に覆われていて読み取れない部分も多いが、何かを封じるためのものだということは分かった。
「恋珀、この文字は読める?」
「少し待つのじゃ」
恋珀は石柱へ近づいた。
指先で苔を払うと、古い文字が姿を現す。
恋珀の表情が徐々に険しくなった。
「……これは」
「何か分かった?」
「古い封印の術式じゃ。じゃが、普通のものとは違う」
「どう違うの?」
「封じる対象を閉じ込めるだけではない。外からの力を遮断し、同時に内側の存在を眠らせ続ける仕組みになっておる」
恋珀は別の石柱にも目を向けた。
「しかも、かなり強固じゃ。これほどの術式を組める者は、そう多くはおらぬ」
「誰が作ったんだろう」
「分からぬ。じゃが、少なくとも最近のものではない」
少女は二人の会話を聞きながら、静かに立っていた。
湊は彼女に向き直る。
「君は、ここに来る前のことを何も覚えていないの?」
「うん」
「誰かと一緒にいた記憶も?」
少女は少しだけ考えた。
「……誰かがいた気がする」
「誰?」
「分からない。でも、私に何かを約束した人」
その言葉に、恋珀が振り返った。
「約束?」
「うん。ずっと昔に」
少女は自分の胸元に手を当てた。
「ここから出られる日が来るまで、待っていてって」
「誰がそんなことを言ったのじゃ?」
「分からない」
少女は悲しそうに笑った。
「でも、その人が来ると思っていたの」
森の風が吹き抜ける。
木々の葉が揺れ、社の周囲に落ちていた枯れ葉が舞い上がった。
そのとき、湊の胸元がかすかに光った。
「っ……!」
湊は自分の胸に手を当てた。
契約を結んだときに感じた、あの温かな感覚。
それが、今は少し強くなっている。
恋珀も同時に気づいたらしい。
「マスター、どうしたのじゃ?」
「分からない。でも、また契約のときみたいな感覚がする」
少女はその光を見つめた。
そして、目を見開く。
「……あ」
「どうした?」
少女は湊に近づこうとした。
恋珀が一歩前に出て、それを遮る。
「待つのじゃ」
「違う……」
少女は恋珀の制止に構わず、湊を見つめ続けた。
「その光……私、知ってる」
「知っている?」
「うん。昔、見たことがある」
少女の声が震え始めた。
「誰かが、同じ光を持っていた」
「それは誰じゃ?」
「分からない……でも」
少女は胸元を押さえた。
「その人も、誰かと命を繋いでいた」
恋珀の表情が変わる。
「まさか……」
「恋珀?」
「いや、まだ何とも言えぬ」
恋珀は石柱を見つめた。
封印の術式。
長い年月。
そして、契約に反応する少女。
偶然とは思えなかった。
「お主、もう一度聞くぞ」
恋珀は少女に向き直った。
「この場所で何があった?」
少女は答えようとした。
だが、その瞬間。
社の奥から、低い音が響いた。
ゴゴゴ……。
地面が小さく揺れる。
石柱に刻まれた文字が、次々と淡く光り始めた。
「な、何じゃ……!」
恋珀は湊を引き寄せる。
少女は驚いたように社を振り返った。
「そんな……まだ、眠っていたはずなのに」
「何が眠っておったというのじゃ!」
少女は答えない。
社の奥。
暗闇の中で、何かが動いている。
そして、聞こえてきた。
低く、かすれた声。
『……契約者』
湊の身体が強張った。
『また、命を繋いだのか』
その声は、湊だけでなく恋珀にも聞こえているようだった。
恋珀は湊の前に立ち、尾を大きく広げた。
「何者じゃ! 姿を見せよ!」
『……稲荷の妖狐か』
その声が、恋珀の名を呼んだ。
恋珀の瞳が鋭くなる。
「ワシを知っておるのか」
『知っているとも』
暗闇の奥で、二つの赤い光が浮かび上がった。
『その契約……長くは続かぬぞ』
次の瞬間、社の扉が激しく震えた。
少女が悲鳴を上げる。
「だめ……! まだ出てきちゃだめ!」
恋珀は少女を見た。
「お主、何を知っておる!」
「私にも分からない! でも、あれが出てきたら……!」
少女の声が震える。
「また、みんながいなくなっちゃう……!」
社の奥から、黒い霧が溢れ始めた。
それは廃施設で見たものに似ていた。
しかし、あのときの影とは違う。
もっと濃く、もっと重い。
まるで周囲の光そのものを吸い込んでいるようだった。
恋珀は湊の手を握った。
「マスター、下がるのじゃ」
「恋珀、あれは……」
「分からぬ。じゃが、あのままにしておくわけにはいかぬ」
恋珀の指先に、小さな炎が灯る。
湊もまた、彼女の手を握り返した。
契約によって繋がった二人の命。
その温もりが、今はかすかに強く感じられる。
少女は二人を見つめていた。
そして、震える声で呟いた。
「お願い……私を信じて」
社の奥から、黒い霧がさらに広がっていく。
森を包み込むように、闇が迫っていた。
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